官僚組織も企業も大学も、リスク管理と危機管理が苦手だ

2016年08月07日 12時24分00秒 | 社会・文化・政治・経済
テロ拡大は地理と歴史対する
米国無知が致命的要因

2001に起きた米国の9・11同時多発テロの後の「グローバル対テロ戦争」、なかでもイラク戦争の過剰反応が21世紀地政学の悲劇的起点の一つとなった。
サダム・フセイ推進軍部の残党が過激派組織「イスラム国」(IS)流れた。
米国が地政学的な要素を注意深く洞察しなかった結果だ。
より歴史的に深掘りすれば、今の中東地域をめぐる混乱は、第1次世界大戦中に英仏ロが結んだオスマン帝国の分割(と新たな人工的国境)に関する秘密合意「サイクス=ピコ協定」にまで遡ることができるだろう。
そうした地理と歴史に対する無知が致命的になった。


年々軍事力を強めつつある中国をはじめとしたアジア諸国の影響で、日本の国防を考える上で外せない知識となってきた「地政学」。
地政学(ちせいがく、英: Geopolitics:ジオポリティクス、独: Geopolitik:ゲオポリティク、仏: Géopolitique:ジェオポリティク)は、地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問である。

地政学とは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済的な影響を巨視的な視点で研究するものである。イギリス、ドイツ、アメリカ合衆国等で国家戦略に科学的根拠と正当性を与えることを目的とした。「地政学的」のように言葉として政治談議の中で聞かれることがある。

歴史学、政治学、地理学、経済学、軍事学、文化学、文明、宗教学、哲学などの様々な見地から研究を行う為、広範にわたる知識が不可欠となる。また、政治地理学とも関係がある。
地政学、すなわち、地理と政治や軍事との関係性についての研究は、すでに古代ギリシアの時代、ヘロドトスの『歴史』にその起源が読み取れる。彼は民族の命運が地理的な環境と深く関係していることをペルシア戦争の研究から述べている。
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経済力を持ち、富を手に入れると、パワーを外に投影したくなるものだ。
そうした時に、地理、歴史、民族、あるいは資源はどの変えられない要素、あるいは変えにくい要素が壁となる。
そうなると地政学的摩擦が起きやすい。

地政学は戦前ナチス・ドイツに悪用された経緯もあってタブー視されてきた。
しかし、冷戦後に「文明の衝突」21世紀になって「地政学の逆襲」が出版されるなど、激動する国際社会を分析する上で最近見直され始めた。
冷戦時代は「核均衡」とイデオロギーによる東西両陣営の対立が、地理や歴史、民族、宗教を押さえ込み、凍り漬けにしてきた。
今それが解凍され、地政学的活断層が露呈している。
日本は戦後長い間、自らの安全保障を自らの課題としてとことん考え抜くことをしないで済ましてきた。
しかし、そうした時代は終わりつつある。
これから地理、歴史、民族、宗教、人口といった要素が重くのしかかってくる。
日本の地政学な立ち位置の危うさを心に留めておく必要がある。
そして、地政学的な直感力を身に付けなければんらない。
戦後の日本は反省から始まった尊い経験がある。
それを踏まえた歴史認識をしっかり積み上げていかなければ、近隣諸国との歴史認識をめぐる不毛な争いの泥沼に、もがくことになる。
官僚組織も企業も大学も、リスク管理と危機管理が苦手だ。
なぜなら失敗をとことん検証し、そこから教訓を学ぶことが苦手だからだ。
日米戦争に突っ込んでいった最大の原因であり、東日本大震災における東京電力福島第1原発事故の最大の教訓である。
政治のバランスが揺らぎはじめている中で、寛容と忍耐を大切にする中道保守の政治が不可欠な時代だ。
保守もリベラルも、両極端に振れて対決するのではなく、熟議と妥協によって切磋琢磨しながら政策を練り上げてほしい。
日本再建イニシアティブ理事長・舟橋洋一さん(元朝日新聞社主筆)
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溜まった新聞、雑誌などは捨てられない

2016年08月07日 11時18分23秒 | 日記・断片
毎年は7月29日、上野・不忍池の水上公会堂の演歌祭りにいったが、7月30日(土)・31日(日)の第39回 2016柏まつり
へ行くのを忘れていた。
千葉テレビでその柏まつりの模様が放映されるのを知り、「ああ、今年は行きそこねた」と残念がる。
「私は忙しいのだから、それくらいチェックしておいてよ!」と家人に文句を言われた。
やるべきことは色々あるが、パソコンの将棋に1日、3時間、4時間費やしている。
負け続けると、「勝つまではやめられない」と6時間もパソコンで将棋をしている。
時間の無駄だ。
月刊紙誌、日々の3つの日刊新聞や週刊紙なども読まずに溜まっていくばかり。

ナチス・ドイツが大虐殺したのは、人間だけではなかった。意にそぐわない思想を著した書籍は、自国や占領地で焼き払い、その数は1億冊を超すという。
一方、米国はこれに対抗、1億4000万冊の著作物が海を越えて戦場の兵士たちに届けられた。
時の米大統領ルーズベルトは「いかなる力も、思想を強制収容所に閉じ込めることができない。
この戦いにおける武器は本である」と声明を出し、さまざまな作品を送り続けた。
新聞社やラジオ局、そして多くの市民も協力を惜しまず、世界を戦争と破壊の惨禍に導いた思想を葬る原動力となった「戦地の図書館」。


このような逸話は、新聞などで知る。
だから、溜まった新聞、雑誌などは捨てられない。
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「自由人」

2016年08月07日 02時13分04秒 | 創作欄
★「地を離れて人なく、人離れて事なし」吉田松陰
足元の地域から、すべては始まる。
地域を学び、地域に根を張り、地域の人々とつながる。
その地道な草の根の行動から、時代を変える事業が生まれる。
★我々の舞台は「どこか」遠くにあるのではない。
今いる「ここ」が舞台。
★我々の目的は、自他ともの幸福の建設である。
独りよがりの幸福ではない。
共存共栄していくのである。
自分らしく、地域に尽くしていくことだ。
地域貢献といっても、挨拶から始まる。
★自分自身を「人間革命」していく。
★人生は受け身ではなく、能動的にいきたい。
率先して行動を積極に起こすことだ。

利根輪太郎を「自由人」と評した大森夏雄は、地域友好の会「有志会」で、輪太郎に「漫談」をさせたいと言う。
「何時か、機会をつくるから、漫談のネタ考えておいてよ」と会長の立場で言う。
雑談的に断片で面白い話はできそうであるが、10分、20分とまとまって「漫談」的に話すには、脚本が必要である。
カーラジオから流れていた「落語」は、確かにその道のプロのもので、輪太郎も思わず笑ってしまった。
運転する佐々田仁史は、無言であった。
気むずかしい性格に思われた佐々田は、気遣いの人であった。
「有志会」の裏方として、パソコンで会員名簿を作成したり、2か月に1回発行の機関誌「有志会」の原稿を会員に依頼し、A4版にまとめていた。
会員名簿には、会員の電話番号、年齢、趣味などが記されている。
利根輪太郎は趣味欄に「競輪」と記している。
大森会長は「利根さんは、やはり自由人なんだね」と納得するように言う。
45名の会員中、月1回の公民館での会合に常時顔を出すのは25人ほど。
「少なくとも、35人くらいは出てほしいね。それには外部から講師も招きたい。利根さんの漫談も聞きたいね」真顔で大森会長が言う。
輪太郎は「自由人」と題して「漫談」のネタを考え始めた。


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隣の家は段々、賑やかになるね。
毎年、赤ちゃんが生まれて、4人目だ。
男、女、男、女、上手に産むね。
一番上のガキは、男の子をくせに口が達者で、「おじちゃん、今日は!」と元気に声をかけてくる。
「おお、健太、赤ちゃんいじめるな。よく泣いているぞ」
「泣いているのは、元気だからだよ」
「そうかい。健太が赤ちゃんいじめているじゃないかい」
健太はむっとする。
そこで、ガムや塩飴ををポケットから取り出し、「食うか」と手の平を開く。
健太はニッコリだ。
「おじちゃん、どこへ行くの?」
「あっの方」
「あっちの方?」
まさか、健太に「これから、女に逢いに行く」とは言えない。
最近、競輪場で珍しくいい女に出逢ってね。
神さんには内緒。
ここだけの話。
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