明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(322)水俣から日本の今を見る! エッセー「私の石牟礼道子」に触れて

2011年11月11日 23時00分00秒 | 明日に向けて(301)~(400)
守田です。(20111111 23:00)

このところ、いろいろな方が声をかけてくださり、講演に赴いていますが、
それぞれに招いてくださる方たちが素敵で、その度に新しい出会いに恵まれ
ています。すべてを紹介できずに申し訳ないのですが、今回は、6日に訪れ
た京都市上京区のKARAINMO BOOKSのことをご紹介したいと思います。

店を経営するのは奥田直美さんとお連れ合い。店内はけして広くはないです
が、僕から見ると実に面白い本がぎっしり並んでいる。さまざまな社会問題
に関する本が並び、その間に言語に関する本が並んでいて、絵本も「ぐりと
ぐら」など、これだよなあと思うものが並んでいる。

「よくこれだけの本を集められますね。売ってしまったら後はどうなるので
すか」と聞いたら、「面白いもので、噂を聞きつけて、こういう本を持って
いる方が提供してくれたりするのです」といいます。きっと人との出会いに
恵まれているのでしょう。

KARAIMOBOOKSでは「カライモ学校」という学習会も行っていて、僕は5回目
の講師として呼んでいただけました。常連さんが来て下さいましたが、それ
ぞれにいろいろな問題意識を持たれています。学習会の後には、奥の座敷が
オクバーに変身。こだわりのお酒がたくさんありました。美味しかった!


さて、これでは「水俣から日本の今が見える」というタイトルとどう結びつ
くのかと思われてしまうと思いますが、このカライモブックスという名前の
由来をさかのぼると、水俣を深く描いた作家、石牟礼道子さんに結びつくの
だといいます。

これについて奥田さんが西日本新聞に書いた素敵なエッセーのいます。その
タイトルが「私の石牟礼道子」です。とても素敵な文章です。末尾に添付し
ますが、この中で奥田さんはこんなことを書いています。

「私たちがもともと店を開きたかったのは、凪いだ不知火海が見渡せる水俣
の明神岬だ。それでも商売は儲けなければならないのだから、と京都で始め
る決心をしたとき、せめて店名に九州の風を吹かせたかったのは、私たちに
とっては当然の気持ちだった。」

水俣の風、九州の風を京都でも。そんな思いが伝わってきて、とても共感し
ました。そしてその水俣の風をもっと人々がよく知っていたのなら、水俣の
水銀汚染の現実と、福島原発事故による放射能汚染と現実が、大きく重なっ
ていることに気づき、よりよい対処が重ねられのにと思わずにおれません。

水俣はとても美しいところです。その美しい水俣が、水銀に汚染されてしまっ
た。その要因は、産業、従ってまた国家の生産力の向上を優先し、企業利益を
墨守して、住民の命を犠牲したことにありました。その流れは今も続いていて、
美しい福島が汚染され、再び政府が人々を騙して、被害が拡大しています。


僕は数年前まで同志社大学社会的共通資本研究センターに属し、宇沢弘文先生
のもとで研究をしていました。その宇沢さんが繰り返し語っていたのが、「社
会的共通資本を学ぶものにとって、水俣は聖地だ」ということでした。社会的
共通資本のアイデアそのものが、水俣から立ち起こってきたのだからです。

宇沢さんは1950年代にアメリカに渡り、いわゆるケインズ左派として活躍され
ました。ところがアメリカがベトナム戦争にのめり込むのを見て、帰国を決意
した。アメリカにいるだけで、あの戦争に加担しているようで、嫌だったから
だといいます。

ところが日本に帰ってきてはじめて、「高度経済成長」の光に隠れて、さまざ
まな公害が起こっていることを知りました。驚きと怒り、悲しみを抱いて宇沢
さんは公害地を回りました。水俣では、患者さんを最も診てきた熊本大学の原
田正純先生と一緒に、胎児性水俣病患者さんの家を訪ねられました。

原田さんはそのとき、宇沢さんが、目に涙をためて黙ってじっとうつむいてい
たと教えてくれました。「なんて優しい先生だと思った」と原田さん。しかし
宇沢先生は己を責めていたのです。この現実を作り出した責任は経済学者にある。
自分たちの経済学がこの現実を生み出したのだと。

近代経済学は、すべてのものは私有されていることを前提にしています。とこ
ろが海や空、自然など私有されていないものがある。これを現代経済学の中心人
物で、宇沢さんの同僚でもあったサミュエルソンが「公共財」(ないし自由財)
と名づけました。公共財は誰が使ってもただ。汚してもただと考えられたのです。

この価値観の中で、工業の発達とともに、海が汚され、大気が汚されることが咎
められなくなった。それは経済発展という巨大なメリットに伴う小さなリスクと
された。しかし汚された海や空は、人々のつつましい生活の舞台でした。近代社
会はそれを惨く壊して発展を遂げてきたのです。巨利に犠牲はつきものだとして。


宇沢さんは、この経済学を作り直さなければならないと考えました。「公共財」を
規定しなおさなければならない。人々の共有の財産、いや共通の生活の土台、
それを市場の金儲けの論理に任せたり、国家官僚の恣意的な操作に任せてはいけ
ないと考えた。そこで生まれたのが社会的共通資本という概念でした。

社会的共通資本は、海や空などの自然にとどまらず、人々の暮らしを支えるさま
ざまな領域に拡大されていきました。まずは社会的インフラストラクチャーが入
ります。さらに医療や教育、金融などの社会的制度、システムもここに入ります。
それぞれに市場=金儲けの論理や、官僚の恣意にまかされてはいけないものです。

この考えからは、当然にも巨大な事故を引き起こしうる原子力発電は否定されま
す。放射能は社会的共通資本にとって、最も恐ろしい脅威です。これに対して、
社会的共通資本を人々が尊重することの中に、本当の幸せがあることを教えたの
が水俣の人々でした。その教訓は今なお、世の中を照らしています。

だから今、僕はもう一度、水俣という僕自身の原点の一つに返り、そこから今の
日本を見直して、進むべき道、歩むべき道を切り拓いていきたいと思います。
カライモブックスはそんなことを思い起こさせてくれる素敵な場でした。まさに
九州からの風、水俣からの風を、僕は感じました。

みなさま。どうか奥田直美さんの文章をお読みください。共感された方で、お近く
の方は、ぜひカライモブックスを覗いてください。ホームページを紹介しておき
ます。
http://www.karaimobooks.com/

***************

私の石牟礼道子
奥田直美 『西日本新聞』2011年3月19日掲載

カライモブックスという古書店を京都で夫と始めてから2周年を迎えた。京都で
「カライモ」は通じない。どういう意味?と聞かれ、サツマイモの南九州の呼び
名なのです、と答えると、たいてい、九州の方ですか?と続く。でも私たちの
故郷は京都だ。

カライモブックスという名前の由来は、そもそも遡れば、作家の石牟礼道子に繋
がる。石牟礼作品にはじめて出会ったのは、高校生のとき。大学試験の過去問題
で「言葉の秘境から」(『葛のしとね』所収)というエッセーに出合い、私の求
めている世界がまさにここにある、と驚いた。その頃私はとにかく、世の中にあ
ふれる言葉や思想には土が足りない、世界は上滑りしていると思っており、それ
はおそらくこの世の進み方に対する違和感といえると思うが、そうでない世界が
石牟礼作品にはあったのだった。

その舞台になった天草に行ってみたいなあ、行けば今でもそういう世界があると
は思わなかったけれど、それでもこの文章を生み出した土地へ行ってみたいなあ
とはぼんやり思い続けていたが、実際にそれが叶ったのは、5年前。おなじく石牟
礼作品のファンになった、その後夫になる恋人と、天草・水俣への短い旅行をし
た。そこで天草や水俣の土地の美しさに惹かれた私たちは、それから年に2、3度
通うようになり、いつのまにかこの土地の虜になってしまった。実際の天草や
水俣は、当然桃源郷ではない。創造よりもはるかに現実的だったし、でも予想し
たよりもずっとおもしろい人たちがいた。それでも、水俣の明神崎から不知火海
をはさんで天草の島々を望むとき、石牟礼道子の言葉がぽとりぽとりと頭に浮か
ぶ。私にとっての天草・水俣はそういうところだ。

私には、石牟礼道子が失われた過去を描いているとは思えない。さりとて理想の
未来を描いているとも思えない。石牟礼さんは『苦海浄土』について「自分自身
に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの」(文庫版『苦海浄土』改稿に当って)と
書いておられるが、その表現がいちばんしっくりくる。私にとっても石牟礼作品
というのは生き難い世を生きていく浄瑠璃のようなものなのだ。

だから私たちがもともと店を開きたかったのは、凪いだ不知火海が見渡せる明神
岬だ。それでも商売は儲けなければならないのだから、と京都で始める決心をし
たとき、せめて店名に九州の風を吹かせたかったのは、私たちにとっては当然の
気持ちだった。

カライモブックスの本棚には、哲学、社会学、文学、芸術、民俗、児童書、さま
ざまなジャンルが並んでいる。少しずつ常連のお客さんがついて本を売ってくれ
るようになり、開店当時に比べ、本のラインナップも変わりつつあるが、石牟礼
作品、水俣関連書籍、そしてあわせて販売している水俣の海産物やお茶、石けん
などは、カライモブックスの大切な柱だ。きっとこれからもそうあり続けるだろう。

昨年11月に、娘が産まれた。生き難いと思いながら生きてきたこの世界にまたひ
とり人間を産みおとすというのはどういうことなのか、と頭の片隅で思うものの、
産まれ出た新しい命は力と輝きにあふれている。娘は、石牟礼さんから一字いた
だいて「道(みち)」と名づけた。


おくだ・なおみ 古書店経営。1979年東京都生まれ、京都府亀岡市育ち。出版社
勤務の後、2009年から京都市で夫と「KARAIMO BOOKS」を営む。「カライモ学校」
と題した勉強会や朗読会も行っている。
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