明日に向けて

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明日に向けて(933)東京は世界一危ない都市・・・警鐘「首都沈没」(東京新聞より)

2014年09月11日 16時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140911 16:30)

東京は世界一危ない都市・・・。僕がこのタイトルで語り始めると、東京の放射能汚染のことを指摘していると思われる方もおられると思いますが、このタイトルは2014年9月7日の東京新聞の記事につけられたもの。東京における水害の絶大な危険性を訴えたものです。
実はこのことは、川の専門家の間では「常識」に類することでもあります。利根川の巨大な連続堤防が大変な量の水を溜めこんでしまったおり、一度、防波堤が決壊した場合に、壊滅的な被害がでることが指摘され続けているからです。

記事で取り上げられているのは元東京都職員の土木専門家の土屋信行(64)さん。土屋さんはスイスの保険会社がまとめた「自然災害リスクが高い都市ランキング」を引用し、首都圏が「洪水、嵐、高潮、地震、津波で、五千七百万人が影響を受ける」と想定されていることを紹介して警鐘を鳴らしています。
つまりここで取り上げられている危険性は、放射能汚染以外のものだということです。現実にはこれに深刻な汚染が加わります。
もう少し記事を見てみましょう。そこには次のような指摘があります。

***

関東平野は山に囲まれ、北西の山裾から南東方向に緩く傾斜し、東京湾に向かっている。「つまり、洪水が起きたら水が集まる場所に首都東京がある」。
最大の危険地域は海抜ゼロメートル地帯。明治以降、工業用水の確保と地下の天然ガス採取のため、大量の地下水が汲み上げられ、猛烈な勢いで地盤が沈下。干潮時のゼロメートル地帯は江戸川区、葛飾区、江東区、墨田区、満潮時は足立、北区、荒川区、台東区にまで及ぶ。

***

僕がこの記事を取り上げようと思ったのは、東京だけの危険性を指摘したいからではありません。なぜかと言えばスイスの保険会社がまとめたランキングには、なんと東京・横浜の他、大阪・神戸、名古屋という日本の五大都市が入っているのです。
以下にランキングを示します。(東京・横浜、大阪・神戸は同率ではなく、一つの都市圏として捉えらえている)

1位 東京・横浜(日本)
2位 マニラ(フィリピン)
3位 珠江デルタ(中国)
4位 大阪・神戸(日本)
5位 ジャカルタ(インドネシア)
6位 名古屋(日本)
7位 コルカタ(インド)
8位 上海・黄浦江(中国)
9位 ロサンゼルス(アメリカ)
10位 テヘラン(イラン)

http://news.livedoor.com/article/detail/8709053/
http://media.swissre.com/documents/Swiss_Re_Mind_the_risk.pdf

どうしてこうなってしまうのか。また何を捉え返すべきか。僕は日本の近代化の中での安全性を無視した無理な都市化の矛盾が大きく表れていることをこそ、捉え返すべきだと思います。
しかもそれがこの間の異常気象の中で、何度も表面化してきている。広島土砂災害もそうです。この構造をまずはしっかりと把握しておく必要があります。

東京について再度、考察して行きましょう。紹介した記事の抜粋の中に、東京が「洪水が起きたら水が集まる場所にある」ことが書かれていましたが、実はここに東京ができたことには歴史的背景があります。
というのは記事にあるように、東京はもともと洪水の巣とでも言えるような場所で、巨大都市の構築には向かないところでした。では誰がここに巨大都市を築いたのかと言えば、徳川家による江戸の整備が始まりです。

ご存知のように、徳川家を開いた徳川家康は、豊臣秀吉の一番のライバルでした。戦国時代末期に秀吉と和睦し戦国の終焉を目指しました。この時、秀吉は、愛知県岡崎市や静岡県浜松市にいたる遠江を拠点としていた家康を国替えさせ、関八州に封じました。
実は戦国武将の多くは治水・利水にたけており、中でも秀吉は治水・利水の天才とも言うべき人物でした。織田信長が本能寺で討たれたときには、中国地方で毛利勢と相対しており、敵方の城を水攻めにしていました。
そもそも治水は領土を安定させ、軍事力のベースになる石高をあげることにに寄与するとともに、たびたび攻城戦にも適用できる当代最新のテクノロジーでした。秀吉はこの知恵を使い、家康が治水に翻弄されて秀吉に対抗できる力をもてないようにと関八州与えたのでした。

以降、徳川家は、この洪水の巣を度重なる土木工事によって人の住める地に変えていったのですが、最も大規模なものは家臣の伊奈家による何代にも及んだ利根川の大改修工事でした。
というのはそれまでの利根川は、江戸湾に注ぎこんでいたのでした。それを大改修を行って東に方向を変え、銚子岬まで川をひっぱっていったのです。その際、かつての利根川の残りとなったのが荒川でした。

これには幾つもの目的がありました。最も大きいことは江戸を洪水から守ることでした。二つ目に治水とともに利水を発達させ、大規模に新田を開発することでした。
さらに新しくできた川を水路として活用することが目指されました。日本はもともと日本海側が米どころで、江戸時代には菱垣廻船で流通させていましたが、これが銚子岬から利根川に入り、西に遡ったのちに荒川を経て大消費地の江戸に至る安定的なルートが確保されたのです。
その上、江戸時代に大きな勢力を保っていた伊達藩を仮想敵とした江戸城防衛のための大外堀としての位置をも持っていました。

このように利根川の大改修工事は、江戸の町の長きに渡る発展の大きな礎となるものでした。ところがこの利根川の位置性が明治維新以降に大きく変わっていきます。
もっともインパクトが強かったのは西洋近代技術の導入であり、その中での鉄道の発達であり、このために河川管理は二つの点で大変容を被っていきます。

一つには江戸時代まで主流であった自然と調和し、共存していく技術体系が批判され、西洋式の自然を支配する技術体系に置き換えられていったこと。
川についていえば、江戸時代までは川は洪水を起こすものであり、いかに洪水の影響を和らげるのかが目的とされました。そのため防波堤の決壊という最悪の事態を招く前に、あらかじめ決めていた場所から越流させ、威力を削ぐ管理方法がとられていました。
洪水の際、恐ろしいのは水の勢いと泥だと言われます。そのためあらかじめ設けられた越流地点には防水林が設けられ、水の勢いを減じると同時に、林の中に泥が落ちる仕組みが設けられていました。

画期的だったのは、これらの管理が多くの場合、地域に任されていたことでした。地域では庄屋を中心とした寄り合いで、あらかじめ決めた越流地点から生じる被害を、いかに補てんしていくのかの話し合いなども行われていました。
結論が出るまで、寝ずに討論し続けるなどのユニークな仕組みを設けることで、全員一致まで討論が行われているところが多くあり、その結果、河川の地域による管理が可能となっていました。
越流した後にさらにまた防波堤が幾重にも出てきたり、越流した水が上流方向に誘われるようになっているなど、水を溢れさせた上で、徐々に力を削いでいく方法がとられていました。

ところが西洋のテクノロジーは、自然を制覇する志向性を持っていました。その多くは日本と条件がまったく異なるヨーロッパで生まれたものであり、ライン川などのように傾斜がずっと緩い中での技術体系であったにもかかわらず直輸入されました。
そのために起こったのは、洪水に対して、適度に越流させて、エネルギーを分散させて凌いでいくという発想から、巨大な堤防を築いて、洪水をおしとどめる方向性への大転換でした。
そのことでどうなったのか。洪水を抑え込む堤防を作ることでやがて「想定外」の洪水に襲われ、堤防決壊という大惨事が起きました。すると堤防をさらに巨大化させて洪水を抑え込む方法がとられました。その結果、利根川はよりたくさんの流量を抱え込み、決壊したときの洪水の規模が大きくなるばかりでした。

これを促進してしまったのが、鉄道輸送の発達による菱垣廻船で作られていた輸送システムの後退でした。川を菱垣廻船が遡行していくためには、流量の安定が必要で、そのためにも巨大堤防を作ることは江戸時代には考えられもしなかったからでした。
ところが水路としての川の位置性が落ちてしまったため、ますます利根川は大きな流量を抱え込むことになり、一度決壊したらとんでもない災害をもたらす連続堤防を作り出すに至ってしまったのです。
このためかつてない規模の水が利根川を流れており、しかもテクノロジーそのものが「決壊はあってはならない」とする封じ込め型の発想なので、堤防が破堤したときの対策がないのです。破堤は「あってはならないこと」になっており、だから一度発生すれば大惨事に発展するのです。

さらに昭和にいたって工業化が始まり、膨大な地下水が汲み上げられて、東京湾岸の広い地域の地盤が沈下し、ゼロメートル地帯が拡大したことも危険性を広げてきました。
ところがこうした近代テクノロジーの採用の下での新たなリスクの発生は、常に何時しかテクノロジー自身が進化し、乗り越えられるものとしてのみ想定され、リスクを考慮しない開発に拍車がかけられてきてしまいました。

これが放射能汚染をまったく考えなくても、東京が世界で一番危険な都市であるとされる所以です。問題は自然災害の多いこの国において、災害のすべてをテクノロジーで抑え込もうとしてきた近代主義的な発想の限界にあります。
あるいはこの間の自然条件の変異、異常気象の多発が、このテクノロジーの限界を浮き彫りにさせているとも言えます。
これを加速させてきたのがテクノロジーへの過信であり、リスクはいつかは越えられるとする安易な発想であり、その結末としての、巨大事故の発生のリスクを見据えようとせず、自らに都合のいいことばかりしか考えなくなってしまった昨今の風潮です。

その最も顕著な例が、原子力における安全神話であるわけですが、自らに都合の悪いことはすべて無視してしまい、他者に対して、いやおそらくは己に対してすら平気で大嘘をついて事態を乗り越えようとする、モラルを著しく欠いた安倍政権の存在がこの危険性を著しく拡大しています。
だからこそ私たちは、近代の末期において出現しているこのモラルを失った安全神話、危険から目をそらして都合のいい未来ばかりを考えていく発想とこそ対決しなければなりません。

そのために私たちは、自ら主体的に私たちを取り囲む危機と対峙し、いざというときの身構えを作り出すとともに、社会のあり方をさまざまなところで論議し直し、私たちの命と平和、未来世代の安全と可能性を守っていく努力を払い続けるべきです。
土屋さんの提言から引用すれば、まずは次のような対処から始めるのが大切です。いわく「防災グッズの中にライフジャケットを一つ入れるだけでいい。なければポットボトルや発泡スチロールでもいい。それが命を繋げる」。

それらからも世界一危険な都市での東京オリンピックの開催などはやめて、東京の安全、いや東北・関東の安全を、水害からも、原子力災害からも、放射能からも守っていくことに全力を集中させるべきだし、同じ発想で全国で安全確保の取り組みを強化すべきなのです。
さしあたっての原発の再稼働を止める取り組みも、こうした総体としての社会方向の転換の中に位置づけていくことが問われています。

以下、東京新聞の記事を貼り付けますのでご覧下さい。

*****


「東京は世界一危ない都市 警鐘『首都沈没』」
東京新聞2014/09/07 (なおブログ「大友涼介です」での書き起こしより転載させていただきました。大友さんに感謝いたします)
http://ameblo.jp/heiwabokenosanbutsu/entry-11921408895.html

東京を壊滅させるには堤防を一カ所壊すだけで十分。こんな恐ろしい警告を発している人がいる。元東京都職員の土木専門家、土屋信行(64)。
「洪水対策は国家の安全保障」と主張する。いったいどういうことなのか。(沢田千秋記者)

土屋氏は一九七五年、都庁に入庁・江戸川区土木部長や本庁の道路建設部街路部長などを務めた。二〇一一年の退職まで、区画整理や道路建設を手掛け、東京の地形的特徴を知り尽くした人物だ。そんな土屋氏が「東京は世界一危ない都市だ」と断言する。
土屋氏は、スイスの保険会社がまとめた「自然災害リスクが高い都市ランキング」を引用。世界六百十六都市のうち、世界一危険な地域は、東京、横浜の首都圏だった。
首都圏は、洪水、嵐、高潮、地震、津波で、五千七百万人が影響を受けると想定している。土屋氏は「このままでは、首都は必ず水没する。今は運がいいだけ」と話す。

関東平野は山に囲まれ、北西の山裾から南東方向に緩く傾斜し、東京湾に向かっている。「つまり、洪水が起きたら水が集まる場所に首都東京がある」。
最大の危険地域は海抜ゼロメートル地帯。明治以降、工業用水の確保と地下の天然ガス採取のため、大量の地下水が汲み上げられ、猛烈な勢いで地盤が沈下。干潮時のゼロメートル地帯は江戸川区、葛飾区、江東区、墨田区、満潮時は足立、北区、荒川区、台東区にまで及ぶ。

江東区南砂や江戸川区松島の海抜は、干潮時でも川の水面より低い。浸水を防いでいる荒川や隅田川堤防も、一部は厚さが三十センチ程度しかない「かみそり堤防」で、土屋氏は「非常に脆い」と指摘する。
東京では昨年、大阪の三倍にあたる百十六回のゲリラ豪雨が発生したといい、「土の堤防は多量の雨を含んだら壊れる。洪水は今、たまたま起きていないだけで、もういつ起こってもおかしくない」という。

加えて、都市ならではの脅威が地下の存在。政府の中央防災会議のシミュレーションによると、北区志茂で荒川の堤防が午前零時に決壊した場合、洪水は十一分後に東京メトロ南北線の赤羽岩淵駅に到達し、地下トンネルを流れ始める。
六時間で西日暮里駅、九時間で上野駅、十二時間で東京駅、十五時間で霞が関や六本木駅に達し、最終的に十七路線九一七駅が水没する。電力や通信網が走るトンネルも網の目のように、地価に張り巡らされている。「地下の大動脈の水没は日本経済に多大な損害を与える」
土屋氏は、「日本を攻撃するのに、軍隊も核兵器も必要ない。無人機が一機、大潮の満潮時にゼロメートル地帯の堤防を一カ所破壊すれば、日本は機能を失う」と警告する。

土屋氏の祖父は昭和初期、新潟県で信濃川の治水作業中に倒れ、死の間際「われ郷のために死す」と遺言した。土屋氏自身、五十歳の時に進行性の肝炎を発症。常に死を意識する中、「水害で人命が奪われない都市にしたい」と、首都の水害研究に傾注。著書「首都水没」(文春新書)にまとめた。
「脅すようなことを言うのも、耳を傾けてもらうため。水害は地方の災害と思ってる東京の人があまりに多い。危ない場所に住んでいることを自覚して欲しい」

地球温暖化で海面が上昇し、降雨強度も増している。土屋氏は首都圏の住民に呼び掛ける。「防災グッズの中にライフジャケットを一つ入れるだけでいい。なければポットボトルや発泡スチロールでもいい。それが命を繋げる」。

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