ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

戦後はない

2022年01月29日 | 社会・政治

 今朝は珍しく早朝4時に目が覚め、もう眠れませんでした。
 土曜日で気分が上がっているせいかもしれません。
 5時には早くも朝飯を食いました。
 卵と納豆で白飯をたっぷり。
 平日は朝コンビニに寄ってサンドウィッチを購入し、職場で食すことが恒例になっていますから、白飯の朝食は休日にのみ許された贅沢です。
 その後8時に内科に行き、コレステロールを下げる薬をもらいました。

 帰宅後、ソファでウトウトとしてしまいました。
 さすがに4時起きは早すぎたようです。

 BSで山本五十六と軍縮会議のドキュメンタリーを鑑賞。
 山本元帥、日米開戦を阻止しようと努力しながら、結局は真珠湾攻撃の中心人物になってしまったという悲劇の海軍軍人です。
 この番組を観るかぎり、海軍は軍縮交渉を受け入れるべきだとする人々が次々に予備役(事実上の首)にまわされたり左遷されたりするなかで、山本元帥だけが海軍内部で出世していったそうです。
 山本元帥、忍び寄る日米開戦の足音を聞きながら出世していくことに、忸怩たる思いを抱いていたのではないでしょうか。

 山本元帥は米国と戦えば、2年くらいは太平洋を舞台に日本海軍は大いに暴れて見せるが、その後は彼我の生産力の違いから劣勢に立たされ、敗戦は必至だと考えていたようです。
 敗戦を見たくなかったのか、あえて激戦地に飛行機で赴こうとし、撃墜されて戦死してしまいました。
 元帥は戦後の日本がどうなるか、考えていたのでしょうか。

 ヒトラーは敗戦必至となった終戦間際、軍需大臣のシュペーアから敗戦後のドイツをどうするかを問われ、「戦後などない」、と応えたそうです。
 千年王国を目指して戦い、それが叶わないと悟った時、ヒトラーはドイツ全土の建築物やインフラを破壊するように命令しました。
 敗れたドイツ国民に生きる資格は無く、千年王国の夢とともに滅ぶべきだと考えたのでしょうね。
 幼稚な考えです。
 幸いにして、シュペーアはドイツ全土を自ら焦土と化す愚かな命令をサボタージュし、もって戦後のドイツ復興に寄与したそうです。
 ベルリンの総統地下壕が陥落するまで戦い続けたドイツですが、戦後は確かに存在しました。

 我が大日本帝國で言えば、皇居や首相官邸が落ちるまで戦い続けるようなもので、本土決戦を回避したおかげで、そんな悲惨な目には会わずに済みました。
 米国は、大日本帝國は必ずや本土決戦を選択し、その結果100万人の米軍将兵が戦死すると試算していたようです。
 本土決戦もやらずにポツダム宣言受託を決心した帝國に拍子抜けするとともに、安堵したことでしょう。

 帝国は空襲でひどい被害にあいましたが、ドイツや沖縄の例を見るまでもなく、地上戦は悲惨です。
 それこそ国が亡ぶようなものでしょう。

 しかし帝国は、戦後の復興を信じていました。
 そこがナチとの大きな違い。

 大日本帝國はナチが信奉した国家社会主義のような理念を持ちませんでしたから、当たり前と言えば当たり前です。

 戦後など無いと言い張った独裁者を持ったドイツ。
 独裁者など存在せず、単に主戦派の主張が通っただけで開戦に踏み切った大日本帝國。

 独裁者など存在しなくて良かったと思います。
 東条英機も戦中に総理大臣を辞めていますし。

 考えてみれば、明治維新以降、わが国に独裁者が存在した試しがありません。
 主権は天皇にありましたが、事実上は君臨すれども統治せず、というスタンス。

 現在、ロシア軍によるウクライナ侵攻が迫っていり、中国軍による台湾攻撃が論じられたりしています。
 国家というもの、よほど戦争がお好きなようです。
 
 しかし軍事力によって他国を侵攻するなど、もはや許されないし、そういう時代は過ぎました。
 時計の針を戻すような行動は成功した試しがないし、今後ともそうでしょう。

 中露両国におかれては、自重を強く求めたいと思います。


 


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