歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

鳥取市・青谷上寺地遺跡 近畿型銅戈が中国地方以西で初出土

2017年12月26日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターは25日、弥生時代の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市青谷町)から武器形の祭器「銅戈」の破片1個が出土したと発表した。
破片は長さ3.4cm、幅2.3cm、厚さ4mmで、弥生時代終末期(3世紀前半)の遺跡の中心域の地層から出土した。紀元前2~1世紀に作られた銅戈の柄に取り付く基部「胡(こ)」の一部とみられる。
 大阪湾を中心に出土例のある「近畿型」銅戈とみられ、中国地方以西では初めてとしている。
 再利用を目的とした素材だった可能性があるという。
[参考:共同通信、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 銅戈
 青谷上寺地遺跡
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慶山河陽・陽地里遺跡 原三国時代の首長級木棺墓が見つかる

2017年12月21日 | 韓国の遺跡・古墳など
1か月前のニュースです。

 聖林文化財研究院は11月23日、慶山郡河陽邑陽地里の宅地開発予定地区から、約2千年前の原三国時代の首長級木棺墓を6基発見したと発表した。このうち6号木棺墓と命名された墓は東西方向に置かれ、丸太(クヌギ材)に死体を安置した、丸太木棺墓(통나무 목관묘)である。
 副葬品は青銅剣、鉄剣、中国製青銅鏡、青銅馬、銅戈、青銅製腕輪、板狀鉄斧、轡、虎形青銅帯鉤、扇(부채)、土器などと共に被葬者の人骨も見つかった。
特に目を引く遺物は3点の扇だ。 1点は死体の顔の上、ほか2点は腰のそばから発見された。両手に1点ずつ握り、残りの1点は腹の上に置かれたとみられている。
 また、被葬者は古代押督國の王の可能性が高いとみている模様。 
[参考:聯合ニュース、東亜日報ほか]

過去の関連ニュース・情報
 昌原・茶戸里遺跡 木棺墓に雲母や扇
 慶州 皇南洞古墳 新羅墓から雲母が出土
 鳥取市・高住牛輪谷遺跡 団扇形木製品が出土
 慶州平野内・塔洞 2千年前新羅建国勢力首長の木棺墓から漆器扇が出土
 福岡市・元岡遺跡群 弥生時代中期末の翳形木製品が出土


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福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 国内最古の青銅鏡鋳型が出土

2015年06月02日 | Weblog
 福岡県春日市教委は27日、同市の須玖タカウタ遺跡で、弥生時代の青銅鏡「多鈕鏡」の鋳型(弥生時代中期前半、紀元前2世紀)が国内で初めて出土したと発表した。国内の青銅鏡生産の開始時期が200~150年遡る。
 多鈕鏡は国内に最初に流入した青銅鏡で、従来、朝鮮半島製とされていたが、今回の出土で国内での生産の可能性も出てきた。
 出土した鋳型は朝鮮半島産の滑石製で、復元すると直径15cmほどになる。「重弧文」を描く線の溝があった。年代や鈕の形状から、文様の線が細い「細文鏡」用の鋳型という。
[参考:共同通信、西日本新聞、毎日新聞、産経新聞、朝日新聞、読売新聞]

国内最古の銅鏡鋳型が出土…弥生中期前半

過去の関連ニュース・情報
2014.11.12 福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 国内最古級の鋳型出土
 福岡県春日市教委は12日、同市の須玖(すぐ)タカウタ遺跡で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀)に生産された青銅器の鋳型(石製と土製)の破片が出土したと発表した。
 350㎡を調査。住居跡などから石製の鋳型の破片6点、土製の破片24点が出土した。破片の大きさは1cm〜十数cm四方。 銅剣や銅矛、銅戈(どうか)などの製作用だった。
 土製鋳型出土は九州では東小田峯遺跡(福岡県筑前町)に次いで2例目で、今回の鋳型はそれより古く、日本最古級ではないかとしている。
 銅剣の石製鋳型は、朝鮮半島に由来する柄を本体と一体に鋳造した有柄式銅剣のもので、有柄式銅剣の出土例は吉野ケ里遺跡(佐賀県)など国内3カ所の王墓クラスの遺跡から出土しているが、鋳型の出土例は朝鮮半島を含めて初という。ほかに、矛や銅鐸用もあった。
[参考:共同通信、西日本新聞、朝日新聞、毎日新聞]



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中野市・柳沢遺跡 出土した弥生時代の銅戈8点と銅鐸5点は同じ埋納坑に埋められた? 金属分析結果を発表

2012年05月25日 | Weblog
 長野県埋蔵文化財センターは23日、2006年度から3年にわたって発掘調査した柳沢遺跡の報告書をまとめ公表した。
 出土した弥生時代の青銅製祭器の銅戈 8点(長さ約 22~36cm)と銅鐸(釣り鐘形、高さ約21~22cm) 5点が、同じ「埋納坑」(縦約26cm、横約66cm)に埋められていた可能性が高いとする。 また、複数の集団が、同遺跡周辺だけでなく、長野市付近からも埋納坑に青銅を持ち込んだ可能性を指摘している。 銅鐸をまとめて埋める際、大きさをそろえる西日本と同じ傾向が、柳沢遺跡でも見られるという。
 少なくとも長野県までは、西日本と同様に稲作や農耕祭事が行われていた可能性が高まったとしている。
 また、同センターは、青銅製祭器13点全ての金属成分を調べたところ、「近畿型」の銅戈と「九州型」の銅戈とでは、スズの割合が異なることが新たに分かった。 スズは、近畿型の7本など11~15%と割合が高いグループと、九州型の1本など5%以下の低いグループに分かれた。 他の遺跡でも金属成分の分析が進めば、青銅器がどこから来たのかが分かってくるかもしれないとしている。
 出土品の一部は、伊那市の伊那文化会館(7月28日~8月19日)で展示される。
[参考:信濃毎日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
2009.5.14 柳沢遺跡 シカ絵土器が出土
 銅戈、銅鐸とほぼ同時期の、主に千曲川水系に分布している栗林式土器(壺形)にシカの絵。近畿地方との結びつきか。
 昨年度までの発掘で、銅鐸5点と銅戈8点が出土。
2008.12.17柳沢遺跡 昨年出土の礫床木棺墓のひとつが県内最大規模と判明
 77個の管玉を確認。埋葬されたのは青銅器と係わりがある集落のリーダー的な人物か。
2008.9.12 柳沢遺跡 銅鐸計4個に
 新たに弥生中期ごろの銅鐸の破片が少なくとも3個分出土。累計4個以上。
2008.3.1 柳沢遺跡 昨年10月・11月に出土した大阪湾型とみられた銅戈7本のうち1本は九州型と判明
2007年11月1日 銅鐸と銅戈5本、一緒に埋納
 新たに青銅製祭器「銅鐸(推定高さ20cm)の破片2点と銅戈5本が見つかる。銅戈は槍の穂先に似た形で、大阪湾周辺で多く見つかっている「大阪湾型」とみられる。 → このうちの1本は、九州型と判明(H20.2.28)
2007年10月23日 弥生時代の「銅戈」(大阪湾型)2本出土    

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全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の青銅竿頭鈴出土

2011年09月21日 | 韓国の遺跡・古墳など
 湖南文化財研究院は20日、完州革新都市開発地に含まれる完州新豊遺跡(완주신풍유적、全州市徳津区半月洞)2次発掘調査で、昨年発掘した同じ丘陵の南側で初期鉄器時代土壙墓6基を発掘し、青銅製竿頭鈴(간두령)2点をはじめとし、細形銅剣、銅戈、銅鉈(동사、새기개)(注1)などの青銅器遺物を収集したと発表した。
 竿頭鈴はこれまで、国内約10ヶ所で報告されたに過ぎない上、遺物自体が発見されることは1987年咸平草浦里遺跡(초포리 유적)出土以来初めてという。
 竿頭鈴の正確な機能は不明だが祭司長がある種の儀式に使った器物と考えられる。
 新豊遺跡は初期鉄器時代最大の土壙共同墓地で、この一帯が韓半島青銅器と初期鉄器文化の中心地だったことを示す重要な史跡になると期待される。
 青銅遺物の他に、刀子・斧・鏃などの鉄器類や、黒陶長頚壺、粘土帯土器などの土器類が出土している。
[参考:聨合ニュース、大邱博物館]

(注1)동사: 銅・鉈あるいは鉇。 ともに音読みでは「シ」あるいは「シャ」、訓読みでは「ほこ」と読める。

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.7 全北全州・ウォンジャン洞遺跡 紀元前3~2世紀頃の初期鉄器時代土壙墓5基を確認
 2010.8.10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土



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全北全州・ウォンジャン洞遺跡 紀元前3~2世紀頃の初期鉄器時代土壙墓5基を確認

2011年09月07日 | Weblog
 全北文化財研究院は6日、6月から全州徳津区ウォンジャン洞遺跡(전주 덕진구 원장동 유적)を発掘調査した結果、紀元前3~2世紀頃の初期鉄器時代土壙墓5基を確認したと発表した。
 1号土壙墓では、木棺跡が見つかった。
 出土遺物は、銅剣、細形銅剣銅戈、銅斧(青銅斧)、銅鉈、銅鏡などの多量の青銅器のほか、剣把頭飾、管玉、丸玉、三角形石鏃、黒陶長頚壺、円形粘土帯土器などが収集された。
 当遺跡の半径1km内には完州葛洞遺跡と新豊遺跡をはじめとする類似の遺跡があり、当時この地域を拠点として活動した勢力集団が存在したとみている。
 現地説明会が、9月7日(水)16:00に開かれる。
[参考:聨合ニュース、NewsWireほか]

過去の関連ニュース・情報
 2010.8.10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土

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福岡県みやこ町・国作八反田遺跡 銅戈が出土

2010年08月26日 | Weblog
 みやこ町教委は25日、同町国作の弥生後期の集落跡「国作八反田遺跡」で「銅戈」が見つかったと発表した。みやこ町一帯を含む京都平野では、銅戈の一部とみられる銅片1枚が行橋市で見つかっているが、はっきりと形のわかる銅戈の出土は初めてという。
 銅戈は破片8枚が見つかり、復元したところ、鎌のような形状で、刃渡り約40cm、厚さ5mm。
 集落は3世紀前半に形成されたとみられ、9軒の竪穴式住居跡や1棟の掘立柱建物跡、土器の窯跡のほか、南側には祓(はらい)川に繋ながっていたとみられる水路跡(幅約20m、深さ約0.8m)が見つかった。
 出土遺物展示説明会が28日(土)午後1時から2時30分、みやこ町歴史民俗博物館仮収蔵庫前(同町豊津)で開かれる。
[参考:読売新聞、みやこ町HP]



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鹿児島県伊佐市・下鶴遺跡 県内初、銅戈が出土 北部九州との交流の証

2009年11月22日 | Weblog
 県立埋蔵文化財センターは19日、下鶴遺跡(同市大口下殿)で、弥生時代中期(約2200年前)の地層から青銅器「銅戈」の先端部分が出土したと発表した。県内初で、全国最南端の出土例。北部九州で同時期に多く出土しており、北部九州との交流を示すものとしている。
 出土した銅戈は長さ8cm、幅3・3cm、厚さ0・6cm、重さ39・7g。本体の長さは20cm前後とみられる。墓跡とみられる穴(長さ130cm、幅80cm)から出土した。中央部に「樋(ひ)」と呼ばれる溝が縦に2本施されている。
 銅戈は中国伝来で、木製の柄の先に取り付ける武器。国内では主に祭祀に使われたとみられる。従来、熊本県山鹿市が国内最南端の出土例だった。青銅器としては、県内では志布志市有明町野井倉の銅矛(弥生時代後期)に続き2例目。
 28日午前10時と午後2時、現地説明会が開かれる。(雨天決行)
[参考:2009.11.19 南日本新聞、毎日新聞]
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「発掘された日本列島2009」(江戸東京博物館)より 今宿五郎江遺跡

2009年07月17日 | Weblog
 今宿五郎江遺跡(福岡市西区今宿町字前田)は2002年から調査を開始し、コンテナ8000箱ほどの、多量の遺物が出土している。
 2007年に環濠集落跡が見つかり、伊都国の有力な拠点集落の一つとみられている。
 今回、土器(5)、銅鏃(5)、銅戈鋳型(1)、ガラス製品(9)、貨泉(3)、石錘(2)、石杵(1)、土製鏡(1)、破鏡(2)、小型仿製鏡(2)、楽浪系土器片(4)、木製短甲片(1)など41点が展示されているが、銅戈鋳型と小型仿製鏡を紹介。
 銅戈鋳型(写真):中広型銅戈基部の鋳型、弥生時代中期 1世紀、長さ8.1cm、幅6.4cm、厚さ3.9cm、凝灰質砂岩製、第10次調査で出土
 小型仿製鏡:弥生時代後期~終末期 2~3世紀 右12.8cm、左12.5cm、第11次調査で出土  

過去のニュース・情報
2009.2.20 今宿五郎江遺跡 弥生時代の甲冑などの木製品が出土
 市教委は19日、今宿五郎江遺跡で、漆の文様が装飾された筒型容器の一部や木製の短甲の一部、幾何学文様の飾り板2点など、弥生時代後期(2‐3世紀)とみられる木製品が約500点見つかったと発表した。
 漆塗りの筒型容器は、長さ22.5cm、幅約4cm、厚さ6mmで、黒漆の塗装面に赤漆で細い線や格子模様、鋸歯の文様を描いている。裏表とも漆が塗られていることから、もともとは細長い筒形の容器として使用されていた可能性が高いという。
 木製の短甲の一部(長さ27cm、幅10cm、厚さ2cm)はワラビの先端のような形をした文様が2カ所に描かれている。
 ほかに、木製のしゃもじや臼(うす)など生活用具のほか、鍬や船の水をくみ出す農漁具などとともに出土した。
[参考:西日本新聞、読売新聞]

2007.12.1 今宿五郎江遺跡 青銅製「寶」の印章出土
 市教委は30日、今宿五郎江遺跡から、「寶(宝の旧字)」と刻まれた平安時代前半(9‐10世紀ごろ)の青銅製印章(印面は1辺2、5cmの正方形)が全国で初めて出土したと発表した。役人クラスの人物が使ったとみられる。文字が一文字であることなどから、役所などで使われた公印ではなく、私印と見られる。遺跡からは官衙で使われたものと同じ瓦や中国製の陶磁器、国産の陶器も出土し、周辺に官衙級の重要施設があった可能性が高まった。大宰府の勢力の広がりを知る上で貴重な発見としている。
[西日本新聞、読売新聞]

2007.8.2 今宿五郎江遺跡 環濠集落が見つかる 「伊都国」交易拠点か
 福岡市教委は1日、今宿五郎江遺跡で、弥生時代後期(紀元後1世紀~3世紀初頭)の大規模な環濠集落が見つかったと発表した。
 一帯から糸島半島にかけては「魏志倭人伝」に記されている伊都国の領域とされているが、環濠集落が確認されたのは初めて。遺跡が当時の海岸線に近いことから、国内外との交易を担った、伊都国の有力な拠点集落の一つとみている。
 2002年に始まった発掘調査で、幅2.5m、深さ1.2m程度のV字溝が、東西約200m、南北約200mの集落を楕円形に囲む形で見つかった。未調査地点も含めると、総延長は900mで集落の総面積は約4・2ヘクタールと推定される。
 環濠内からは今回、中国・後漢時代の「内行花文鏡」といわれる銅鏡の破片や、朝鮮半島支配のために漢朝が設置した楽浪郡(平壌周辺の地域)一帯で製造された土器が出土。これまでの調査で住居の柱跡とみられる穴も複数確認したという。
また、古墳時代ごろのものとみられる銅製の鈴(直径1・9cm)を新たに発見した。
[参考:西日本新聞、毎日新聞、読売新聞]



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中野市・柳沢遺跡 シカ絵土器が出土

2009年05月14日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターは13日、中野市の柳沢遺跡からシカを描いた弥生時代中期後半(紀元前1世紀ごろ)の弥生土器が出土したと発表した。県内で弥生時代の絵画土器が出土するのは初めて。シカを含む絵画土器は奈良県での出土が多く、同遺跡で出土した青銅製祭器「銅戈(どうか)」、「銅鐸」と同様、近畿地方との結び付きの強さを裏付けるものになりそうだ。
 出土した絵画土器は、主に東北信地方の千曲川水系に分布している栗林式土器で、弥生時代中期後半の型式、壺の形をしている。銅戈、銅鐸が出土した地点から北側に150mほど離れた竪穴住居近くで昨年11月30日に他の土器片とともに見つかった。その後、復元作業を進めていた。半分程度が残り、口径11cm、高さ約31cm、胴の最大径は約23cmと推定される。銅戈、銅鐸とほぼ同時期のものという。
 描かれたシカはともに雄で、頭と胴体が逆S字形の弧を描いており、左を向いて2頭前後に並んでいる。大きさが確認できるシカの体長は7cm程度。1本の線で胴体を描き、前脚と後ろ脚、角が2本ずつの線で簡素に描かれている。シカは弥生時代の土器と銅鐸に最も多く登場し、稲の成長を表すという説があり、豊作をもたらす霊力を持つものと考えられていたという。
 同センターによると、シカは豊作をもたらす霊力を持つと弥生人に信じられていた学説がある。
 同時代の絵画土器は全国で約600点見つかっており、シカの絵の土器は東日本寄りの出土例が日本海側の石川県、太平洋側の神奈川県までだった。同センターは「近畿地方から銅戈、銅鐸と一体になってシカの絵画が伝わり、農耕祭祀が行われていたことを裏付ける証拠になる」としている。
 同遺跡では昨年度までの発掘で、青銅製祭器の銅鐸5点と銅戈8点が東日本では初めて同時に出土している。
 出土した絵画土器は16日から6月14日まで、中野市立博物館で展示する。
[参考:中日新聞、信濃毎日新聞、読売新聞]
過去の情報・記事
 柳沢遺跡
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神戸市・雲井遺跡 弥生中期の鋳型が出土

2009年02月11日 | Weblog
 神戸市教委は10日、同市中央区三宮にある「雲井遺跡」で、弥生時代中期前半の武器形青銅器を作った鋳型の一部や、管玉、勾玉の工房跡が見つかったと発表した。
 鋳型は深さ1・5mの地層から見つかった。シルト岩製か粘板岩製で、縦11cm、横7cm、高さ4・2cm。祭祀に使われた銅剣か銅戈の先端部のものと見られる。後に砥石に転用されて表面はすり減っており、実際に高温の銅を流して鋳造した形跡はなかった。近畿では、尼崎市や大阪府東大阪市などに続き5例目。
 また、弥生中期の円形竪穴建物(直径5・2m)の跡から、作りかけの管玉や勾玉、碧玉の破片、玉作りの道具の結晶片岩も出土し、玉作り工房跡と判明した
いずれも当時の最先端技術で、権力者が率いる大規模な村落があったと見られ、2000年以上前にも三宮が繁栄していたことが明らかになったとする。
 雲井遺跡はJR三ノ宮駅北東約300mにあり、今回の調査は計約6800㎡。市教委はこれまでに、縄文時代の遺構や、弥生、古墳時代の村跡を確認。第2次世界大戦時の焼夷弾や防空壕)跡も発見されるなど古代から現代までの遺物が見つかっている。
 14日午後2時~4時から現地説明会が開かれる。
[参考:読売新聞、神戸新聞]
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中野市・柳沢遺跡 昨年出土の礫床木棺墓のひとつが県内最大規模と判明

2008年12月17日 | Weblog
 長野県埋蔵文化財センターは15日、柳沢遺跡で昨年出土した礫床木棺墓群の中央部分の墓が、県内で見つかっている中で最大規模だったことが調査で分かったと発表した。
 77個の管玉を確認。約40m南側から同時代とみられる弥生時代中期の青銅器の「銅鐸」「銅戈」が出土しており、埋葬されたのは集落のリーダー的な人物で、青銅器と係わりがあったと考えるほうが自然とみている。
 礫床木棺墓は底に小石を敷き詰め、遺体を板で四方に囲って盛り土をしたと考えられる埋葬法で、県内特有の形態という。
柳沢遺跡からは18基の墓と、さらに北側約40mの地点で2基の計20基の墓が見つかった。
 多くの墓が縦約1.5m、横約60cmであるのに対して、中央部分の墓は縦約2・5m、横約2・3m。遺体安置部分が縦約1・4m、横約70cmで、その周りをたくさんの大きめの石で囲んでいる。石は近くを流れる千曲川のものとみられる。
 同木棺墓は、同遺跡を含め長野市や松本市など10遺跡、計89基となるという。
 昨年12月1日同新聞で、中野市の柳沢遺跡「礫床木棺墓」出土として報じられていた。
[参考:信濃毎日新聞]
前出
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宗像市 田熊石畑遺跡 青銅武器計15本出土 現地説明会 12/14

2008年12月13日 | Weblog
 本日の新聞ニュースでも、明日開催の現地見学会の記事がありました。
 市の中心部に位置する遺跡の面積は3万㎡を超え、周辺には弥生時代前期初頭の環濠集落跡などがある。
 7月上旬までに出土した青銅武器は15点を数えたが、内訳は、木棺墓9基のうち6基から中細形・細形銅剣9本▽銅戈3本▽銅矛3本。
 見学会の内容は遺跡内の見学と、出土遺物の展示。
 青銅器や石包丁などの実物を初公開するほか、実物大の木棺模型などを展示する。
 墓域のほか、同遺跡内で新たに見つかった環濠、貯蔵穴、高床式倉庫群の掘立柱建物の遺構見学もある。
 市教委文化財担当者が説明に当たり、遺跡内には簡易の展望施設も設置する。
 日 時:12月14日(日曜日)午前10時から午後4時(少雨決行)
 会 場:宗像区検察庁横
[参考:西日本新聞、毎日新聞]

[12/1掲載分]
宗像市 田熊石畑遺跡 青銅武器計15本出土
 宗像市より12月1日付けで、田熊石畑遺跡現地説明会のお知らせがありました。
 内容は、遺跡内の見学と、出土遺物の展示とだけしか書かれていませんが、台地の北東部から弥生時代前期の環濠の出現したほか、出土品もいろいろある模様です。
 ちなみに、7月上旬までに出土した青銅武器は15点を数えていました。
 日 時:12月14日(日曜日)午前10時から午後4時(少雨決行)
 会 場:宗像区検察庁横

[2008.7.2掲載分]
宗像市 田熊石畑遺跡 青銅武器8本が出土し 合計13本に  
 田熊石畑(たぐまいしはた)遺跡で弥生時代中期前半(紀元前2世紀)の墓から銅剣などの青銅武器8本が新たに出土し、つい先日6月21日に青銅器が5本が見つかったことが発表されてから合計13本となった。
 約200㎡の範囲で、規則的に配列された9基の木棺墓が確認され、うち5基から、新たに細形、中細形の銅剣4本、銅戈2本、銅矛2本が見つかった。装身具も勾玉、管玉、垂飾が出土した。
銅戈の1本は全長13センチで、同時期の出土品としては最小。
 この時期の青銅武器の出土数として、これまで吉武高木遺跡、吉武大石遺跡(福岡市西区)の各11本が最多で、宇木汲田(うきくんでん)遺跡(佐賀県唐津市)の9本、吉野ヶ里遺跡の8本が続く。田熊石畑遺跡はこれを上回る。
同時代の吉武高木遺跡(福岡市西区)や、吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼市、吉野ヶ里町)の出土数をしのぐもので、宗像地域に福岡平野や佐賀平野と並ぶ有力な地域集団がいたことを表すものと専門家は注目する。
[参考:読売新聞、西日本新聞]
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高知県いの町・天神溝田遺跡 律令制から荘園制への変換がたどれる遺跡

2008年09月25日 | Weblog
 高知県埋蔵文化財センターは24日、いの町天神の天神溝田遺跡で、県内では例が少ない古代末から中世(8世紀末~12世紀)にかけての遺構や遺物が連続して出土したと発表した。
 8世紀後半~9世紀の律令制から、12~13世紀になると開墾農地の私有を認める荘園制への土地の変遷をたどれる、県内では数少ない貴重な資料」としている。
 遺跡周辺は、律令期は奈良・東大寺が管理して「大野郷」と呼ばれ、土地の区画は北から西へ16度振った区割りがされていた。しかし、荘園制が始まり、「吾川庄」と呼ばれるようなる12世紀には、さらに西側に11度傾いた区割りへと変化し、大幅な再区画整備がなされていたことがわかった。
 約3000点の出土品からは、9世紀後半から10世紀前半に作られた京都産の内側を黒く着色した黒色土器や陶器に上薬を塗った緑釉(りょくゆう)皿が見つかり、東大寺とのつながりがうかがえるものもあった。
周辺には弥生時代の遺跡も多く、今後も歴史的解明につながる新たな発見が期待される。
 現地説明会は、27日午前10時30分から。

天神溝田遺跡     
 天神溝田遺跡(高知県吾川郡いの町天神地区)は、仁淀川に合流する宇治川河口付近に位置する。昭和41年に土取り工事中に弥生時代の中広銅戈1本・中細銅剣1本(いの町の有形文化財)が発見された。
 今回は平成20年7月15日より調査を開始した。バーガ森トンネル北側登り口の沖田橋付近の調査区は音竹城跡の山裾部分であり、南北朝期の遺構・遺物が試掘調査からも確認され、土師器、須恵器、黒色土器等が出土した。また、1点だけ弥生時代中期頃のものと思われる石包丁が山からの流れ込みと考えられる堆積層から出土しており、現調査区の位置から音竹城跡の北側斜面部に弥生時代に関する遺構の存在が考えられる。周辺には、「バーガ森北斜面遺跡」があり、弥生時代中期の高地性集落跡の広がりが考えられる。
 8月28日にバーガ森トンネル北側登り口の沖田橋付近のⅠ区の調査が終了した。
 I区は古代(奈良時代~平安時代)が中心となっており、検出された主な遺構はピット316基、溝3条、土坑15基(内、炉跡2基)。遺物では、土師器、須恵器、緑釉陶器、黒色土器、鉄滓等が出土した。中でも、8世紀末~9世紀初頭にかけての須恵器杯蓋が完形で確認された。これまで、いの町の古代の遺構・遺物の出土例は少なく,古代律令期のいの町の「郡郷」の配置~荘園制の広がり(高知県では12世紀末頃の鎌倉時代からが始まり)の様相を知る上で、貴重な資料を得ることが出来た。
 現在は,I区から西側に位置するII区の遺構検出を行っている。検出された主な遺構にはピット、土坑、畝状遺構等がある。
 東側では,土師器・東播系須恵器(片口鉢)、常滑焼、瓦質土器(鍋・すり鉢)などが出土している。音竹城が機能していた頃の広がりの様相を知る手掛かりとなりそう。
[参考:読売新聞、高知県文化財団埋蔵文化財センターHP]
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中野市 柳沢遺跡 銅鐸計4個に

2008年09月12日 | Weblog
弥生のクニ、原型裏付け
 長野県埋蔵文化財センターは12日、昨年に東日本で初めて弥生時代の青銅器「銅鐸」と「銅戈」が一緒に出土した中野市の柳沢遺跡で、新たに弥生中期ごろの銅鐸の破片が少なくとも3個分出土し、同遺跡で出土した銅鐸が合わせて4個以上になることが分かったと発表した。
 銅鐸が4個以上出土した遺跡は全国で10例もない。
 柳沢遺跡では昨年、祭器として使われた銅鐸と銅戈7本(大阪湾型6本、九州型1本)が同時出土。東日本の長野に、弥生時代のクニの原型になる有力な集団が存在していたことを示す発見として注目を集めた。
 想像以上の強力な集団がいたことを意味付ける成果だとみられる。
[参考:共同通信、前出]


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