歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

行田市・鉄砲山古墳 三重目の周堀の遺構が出土

2013年11月30日 | Weblog
 埼玉県立さきたま史跡の博物館(行田市)は29日、同市内の埼玉(さきたま)古墳群の一つ、鉄砲山古墳(全長109mの前方後円墳、6世紀後半)の発掘調査で全国的にも珍しい三重堀と中堤(ちゅうてい)から突出するように造られた「造出し」を発見したと発表した。
 現地説明会が12月7日の午前10時と午後1時30分に開かれる。
[参考:東京新聞、埼玉県立さきたま史跡の博物館HP]

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 鉄砲山古墳

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松江市・魚見塚古墳 6世紀後半の祭祀場の溝が見つかる

2013年11月21日 | Weblog
 島根県古代文化センターと県埋蔵文化財調査センターは21日、松江市朝酌町にある魚見塚古墳(全長62mの前方後円墳)で、祭祀の場と見られる溝が見つかったと発表した。
 築造時期は、出土した土器から6世紀後半と分かったとしている。
[参考:山陰中央新報]

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 2012.7.27 松江市・魚見塚古墳 6世紀後半築造か 出雲型子持壺の破片が出土
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鯖江市・今北山古墳 4世紀前半の全長75mの前方後円墳

2013年11月20日 | Weblog
 鯖江市教委は20日、同市落井町、磯部町、乙坂今北町にまたがる今北山(こんぼくやま)古墳群で進めている発掘調査で、山頂(標高133m)の今北山古墳が古墳時代前期前半(4世紀前半)に造られた前方後円墳(全長約75m)で、同時期までに北陸地方で築かれた古墳の中では最大規模であることが分かったと発表した。
 前方部がバチ形に開く古いタイプの前方後円墳。後円部の直径は約35m。
 くびれ部から底に穴が開いた「二重口縁壺」が見つかり、年代を特定した。
[参考:福井新聞、NNN福井放送]

過去の関連ニュース・情報
 前方部と後円部との差が大きく、前方部先端がバチ形に開く特徴を持つ。 [鯖江市教育委員会HP]
 墳丘規模が椿井大塚山古墳の五分の二の規格で造られている。[『福井県史』通史編]


キーワード: 今北山古墳
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大田市・水上神社 戦国大名毛利輝元の花押が入った古文書を発見

2013年11月20日 | Weblog
 島根県教委と大田市教委が、大田市内の石見銀山遺跡内にある水上(みずかみ)神社(大田市温泉津町西田281)で、戦国大名、毛利輝元の花押が入った古文書を発見した。 元亀3年(1572) 2月1日付で、同神社での従来通り祭事をする権利を保証するもので、毛利氏が銀山を治めていたことを裏付ける史料となる。
[参考:中国新聞、NHKニュース]

水上神社は延喜式神名帳に記載される、石見国 邇摩郡鎮座する五座のうちのひとつ、
平成17年10月1日、邇摩郡温泉津町・仁摩町が大田市と合併した。
祭神は上津綿津美神 と上筒男神の海を司る二柱(神様)が祀られている。
光孝天皇の御宇仁和元乙巳(885年)八月一日の鎮座としている。




キーワド: 水上神社

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総社市・刑部遺跡 5世紀前半の竪穴住居跡から朝鮮半島伝来の技術で作られた鉄製曲刃鎌が出土

2013年11月20日 | Weblog
 岡山県古代吉備文化財センターの発掘調査で、総社市刑部(おしかべ)の刑部遺跡から、古墳時代中期(5世紀前半)の竪穴住居跡から朝鮮半島との関係を示す鉄製の曲刃鎌(長さ 16.3cm)とかまど跡が出土した。
 弥生〜古墳時代の竪穴住居30棟以上や井戸跡が発見され一帯に大規模なムラがあったらしい。
 現地説明会が30日午後1時から開かれる。
[参考:山陽新聞、岡山県古代吉備文化財センターHP] 

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高松市・萩前・一本木遺跡 古墳時代後期の耳環が出土

2013年11月18日 | Weblog
 高松市教委は、今年6月から調査を進めている萩前・一本木遺跡(高松市仏生山町)の現地説明会を16日(日)に開催し、北側の建物跡地の一部や、東西方向に大きく掘削された飛鳥時代の溝や方形の柱を用いた掘立柱建物、古墳時代後期の竪穴建物の遺構、古墳時代後期(6世紀後半〜7世紀前半)の耳環などの出土品を(注1)公開した。
(注1) 青銅に金メッキを施した耳環(じかん)2点、須恵器の台付椀(わん)など。地鎮具であった可能性があるという。
[参考:四国新聞、毎日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 萩前・一本木遺跡
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奈良県田原本町 唐古・鍵遺跡 弥生中期の北部九州の土器を発見

2013年11月16日 | Weblog


 田原本町教委が15日、弥生時代最大級の環濠集落遺跡、唐古・鍵遺跡(田原本町)で、弥生時代中期(約2200年前)頃の北部九州(筑前地域)の土器が初めて見つかったと発表した。 同遺跡では弥生中期後半の吉備地方の土器が過去に出土しているが、それ以前から北部九州との交流があったことを示すもの。 近畿の弥生時代の遺跡から北部九州の土器が見つかるのは初めて。
 1988年に、集落の最も内側にある大環濠(幅10m)の下層から出土した土器を整理中に見つけた。須玖(すぐ)式土器と呼ばれる甕の口縁部の一部で、破片の大きさは縦5・3cm、横約13cm、厚さ6〜8mmであるが、元の大きさは口径36cm、高さ40cm位とみられる。 口縁部は赤い彩色が施され、外側にL字形に折り曲げられていた。
 土器は16日から唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で展示される。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞、鍵考古学ミュージアムHP]

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御坊市・小松原Ⅱ遺跡・湯川氏館跡から白鳳期の軒丸瓦片が出土

2013年11月15日 | Weblog
 御坊市教育委員会は12日、県文化財センターが行っている湯川中学校敷地内の第2期小松原Ⅱ遺跡・湯川氏館跡発掘調査の結果を発表した。

1.室町時代の豪族・湯川氏(注1)館跡については、これまで発掘されていなかった南東部の調査で全容が解明。 館の敷地が東西225m、南北200mと推察され、国内最大規模であることが裏付けされた。
 湯川氏館跡は、湯川中と西に隣接する紀央館の敷地まで広がると推察され、過去の調査では、南北と西側で館の境界を示す堀が見つかっていた。第2期調査では東側の境界である堀をはじめ、入り口(虎口)に設けられた橋脚、庭園の池なども見つかり、これで東西南北全体の規模が判明。かつて山口県の周防にあった大内館など各地の守護館に匹敵するか、それを超える規模とされている。また、焼けた柱材も発掘されており、羽柴秀吉の紀州攻めで焼かれたことの証と考えられる。
2.溝から道成寺創建当時(白鳳時代)と同じ様式の軒丸瓦片(注3)が見つかり、8世紀初頭に遡る古代寺院が存在したことが推定されるとしている。 過去の調査では布目や縄目のある平瓦が出土して奈良時代の寺院があったと思われていた。
 平安時代初期の日本霊異記に、紀伊国日高郡に『別寺(わけでら)』(注3)という寺が記されており、その寺の可能性もあるのではないかとしている。

 現地説明会が17日(日)午後1時半から開かれる。
[参考:2013.11.14 日高新報、読売新聞]

(注1) 湯川氏は清和源氏武田氏の分かれと伝えられる。
(注2) 瓦の破片(長さ8・5cm、幅6・5cm、厚み2・5cm)は、軒丸瓦で、直径約16cmあったとみられる。 内側に蓮華文が描かれ、鋸歯文などがあり、白鳳時代の軒丸瓦の特徴を表しているという。
(注3) 紀直吉足者、紀伊国旦両郡別里、椅家長公也、(略)、別寺僧坊(略)

過去の関連ニュース・情報
2013.8.20
 御坊市教委は8月28日、今年6月から湯川中学校敷地内で進めていた小松原Ⅱ遺跡・湯川氏館跡の第1期埋蔵文化財発掘調査の結果を発表した。 同遺跡では弥生・室町時代の竪穴建物や井戸などが見つかり、集落が広がっていたことを推察。
①小松原Ⅱ遺跡では、弥生時代中期の竪穴建物5棟など、室町時代の堀跡、井戸5基などが見つかり、さらに集落が広がっていることが確認できた。
②同遺跡の豪族・湯川氏館跡では、南東部の一部の構造が明らかになった。同館の規模は過去の調査から南北200m、東西200mと推察されているが、続く2期工事では残りの全ての部分の調査を行う予定。 館跡からは多量の土器類、瓦、扇、木製品、刀装具などが発掘された。
[参考:日高新報]
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茅野市・永明寺山古墳 7世紀代の古墳から出土した刀に象嵌を確認

2013年11月08日 | Weblog
 茅野市教委は7日、同市ちの釜石の古墳時代後半(7世紀頃)の永明寺山古墳から出土した大刀(直刀)6本をレントゲン撮影したところ、全長97cmと96cmの2本の鍔(直径約8cm、厚さ約7mm))と鍔の留め具の切羽(せっぱ)1個の計3か所から銀象嵌が確認されたと発表した。
 レントゲン映像では、二重円形や螺旋状(唐草状?)の模様が見え、一部には錆で浮き上がった線状の銀が見える。
 市尖石縄文考古館で来年1月から一般公開される。
[参考:長野日報、読売新聞、毎日新聞]
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大田市・古屋敷遺跡 縄文時代晩期後葉の木棺墓か?

2013年11月07日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターは6日、大田市仁摩町大国の古屋敷(ふるやしき)遺跡で、縄文時代晩期後葉(約2700~2500年前)の層から墓と考えられる土坑(墓壙、長さ2.3m、幅1.2m、深さ0.3m)を確認し、木質(木棺墓跡?)や、赤く彩色された土器(彩文土器)(注1)の破片などが見つかったと発表した。
 木棺墓と確認されれば山陰では初めての発見となる。
(注1)彩文土器にはベンガラを使って文様が施されており、他地域(東日本)との交流をうかがわせるという。 彩文土器は万場(まんば)Ⅰ遺跡(雲南市)に次ぎ県内2遺跡目の出土となる。
[参考:山陰中央日報、島根県HP]




キーワード: 古屋敷遺跡(大田市)、 万場Ⅰ遺跡(雲南市)
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岐阜県坂祝町・東野遺跡 弥生時代後期の武器工房とみられる竪穴建物跡を発見

2013年11月04日 | Weblog
 県文化財保護センターは10月31日、加茂郡坂祝(さかほぎ)町黒岩・大針地内の縄文時代から古代にかけての集落遺跡「東野(ひがしの)遺跡」から、弥生時代後期(約1700年前)の武器工房とみられる竪穴建物跡が発見され、磨製石鏃とともに原材料や製作するのに必要な砥石、敲石(たたきいし)などの道具類がまとまって出土した。
 現地見学会は9日午後1時半~3時半に開かれ、発掘担当者による説明が午後1時半と2時半に行われる。
[参考:読売新聞、岐阜県HP]




キーワード:東野遺跡
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鳥取市・松原田中遺跡 銅鐸の破片や青銅製銅釧の破片が出土

2013年11月03日 | Weblog
 鳥取県教育文化財団が10月31日、鳥取市松原の松原田中遺跡から青銅製の腕輪「銅釧(どうくしろ)」の破片長さ4・8cm、幅7mm前後、厚さ5mmが出土したと発表した。
 銅釧の破片は弥生時代後期から古墳時代前期の小さな穴から見つかり、鍵状の突起がある「有鉤(ゆうこう)銅釧」というタイプの可能性が高いという。 同県では、2010年に八頭町松原田中遺跡の出土に次いで2例目となる。
 ほかに、銅鐸の破片、管玉の材料となる北陸産とみられる碧玉、島根県隠岐島産とみられる黒曜石、香川県産とみられるサヌカイトも見つかり、北近畿で出土するのと同じタイプの土器の破片も出てきた。
 遺跡は湖山池の南約500mのところにあり、弥生中期から古墳前期の集落跡とわかった。
 2日午後1時から現地説明会が開かれた。
[参考:朝日新聞、日本海新聞、NHKニュース、鳥取県教育文化財団HP]

過去の関連ニュース・情報
2010.12.1 鳥取市・松原田中遺跡 弥生時代から中世にかけての田んぼ跡が見つかる

2009.12.11 鳥取県八頭町・奈免羅・西の前遺跡 弥生時代中期後半の有鉤銅釧片が出土
 山陰両県で初めての発見

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古賀市・船原古墳(谷山北地区遺跡群) 国内3例目の馬冑を確認

2013年11月01日 | Weblog
 古賀市教委と九州歴史資料館(同県小郡市)は31日、古賀市の船原(ふなばる)古墳(直径約20mの円墳、7世紀前後)(注1)付近の埋納坑から出土した遺物から、馬冑(ばちゅ、馬用の冑(かぶと))を確認したと発表した。 九州では初の出土で、国内では大谷古墳(和歌山県)と埼玉将軍山古墳(埼玉県)に次ぎ3例目となる。
 同古墳墓道入り口付近を昨年から発掘していたところ、6〜7世紀の金銅製馬具一式や弓などの武具、農具が大量出土。 同館で調査し、遺物は200点以上、うち金銅製馬具は40点以上と判明した。
 馬冑は板状の鉄製で、幅18cm、長さ50cm。馬の頬を守る半円形の部分や、鼻筋を守る湾曲部分などから馬冑と判断した。
 馬鞍の後方で旗立て用の「蛇行鉄器」(長さ80cmなど)も3点出土した。 これまで国内6遺跡でしか出土例がない。 いずれも新羅系の可能性が高いという。 他に金銅製の轡(くつわ)や飾り、青銅製大型鈴、矢尻の束十数点などが出土した。
 さらにX線CTスキャナーによる調査では、馬体を飾る金銅製馬具の一つ「金銅装心葉形杏葉(しんようけいぎょうよう)」(縦10cm、横11cm)に左右一対の鳳凰が透かし彫りされていることや、裏面に繊維が付着しているのが分かった。 轡(くつわ)の金具に唐草文が透かし彫りされていた。
 市教委は今回、埋納坑から約5m離れた船原古墳(注1)との関連性が明確になったとして、遺跡の名称を「谷山北地区遺跡群馬具埋納坑」から「船原古墳遺物埋納坑」に変更した。
[参考:共同通信、毎日新聞、西日本新聞、朝日新聞、読売新聞、福岡県HP]

(注1)船原古墳は3基からなる古墳群であったらしい。2基は全壊されており、3号墳だけが現存する。今まで、船原3号墳としていたが、今回は単に船原古墳としている。

過去の関連ニュース・情報
2013.6.8谷山北地区遺跡群 新たに武器、農具を確認
 弓は馬具の下に敷き詰められ、見た目は黒い漆膜状だが等間隔に装着された飾り鉄製金具や、先端に取り付ける金具「弓弭(ゆはず)」が4点確認され、少なくとも6点、漆膜状の広がりから、それ以上あるとみられる。
2013.4.19谷山北地区遺跡群 船原3号墳に隣接した埋納坑から古墳時代後期の金銅製馬具が一式出土
 圃場整備の途中で、船原3号墳の墓道入り口から5m離れたところに埋納坑があり、馬具がまとめて納められていたのが発見された。
 鉄製の壺鐙や輪鐙、金銅張りの鞍、紐を連結する辻金具や轡引手(くつわひって)、雲珠(うず)や杏葉(ぎょうよう)、鈴などの馬装飾のほか、馬冑(ばちゅ)や馬甲(ばこう)と見られる鉄製品も多数あった。 鞍や鐙の数から2セット以上の可能性もある。
2009.6.3 韓国・慶州市 チョクセム地区で5世紀前半頃新羅の完璧な鎧セットが出土
 主槨では馬甲を底に敷き、その上には将帥が着たと考えられる札甲が置かれた状態で発見された。 副槨では馬冑、鞍装具・鐙子・轡・杏葉などの馬具付属品が多量に出土した。
蛇行状鉄器



キーワード:谷山北地区遺跡群、船原古墳群、船原3号墳、蛇行状鉄器、糟屋屯倉(かすやのみやけ)、鹿部田渕遺跡

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