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慶州平野内・塔洞 2千年前の新羅建国勢力の首長の木棺墓を発掘か? 

2010年06月19日 | Weblog
 韓国文化財保護財団文化財調査연단は18日、慶州平野内塔洞(경주평야내 탑동)で小規模一戸建て住宅新築予定地を発掘調査した結果、木材が自然炭化する過程で炭のように変わった木棺の痕跡や多くの遺物を発掘したと発表した。紀元前1世紀中~後半に作られたと見られる首長級人物の木棺墓とみられる。慶州平野でこのような木棺墓が発見されたのは初めて。
 これで新羅が胎動した場所は、「慶州平野一帯辺りではなく、舍羅里130号墳や朝陽洞38号墳と同じ大型木棺墓が発見された慶州郊外周辺地域である可能性が高い」とする考古学界の主張が弱くなるものと見られる。
 木棺を埋めた墓壙は、長方形(長さ296㎝、幅144㎝)で東西方向に軸を設けていた。木棺は発見された痕跡から見ると、平面形状は「ㅍ」字形で大きさは長さ196㎝、幅84㎝であった。
 木棺内部から漆鞘銅剣(칠초동검)と漆鞘鉄剣(칠초철검)、刀の柄の剣把頭飾(검파두식)、青銅釧(청동 팔찌)、首飾り、そして死体の顔を隠すのに使ったものと推定される漆器扇(부채)などの遺物が大量に発見された。また、墓壙と木棺を覆った充填土からは紀元前2~1世紀頃この地域を代表する土器の組合式牛角形把手附壺(우각형 파수부호)、両耳附壷(양이부호)、袋状壺(주머니호)や、北方系遺物と評される鉄鍑(철복)、鉄帽(철모)、轡(재갈)、腰帯の虎形帯鉤(호형대구)、炭化した跡にだけ残った漆器(칠기)も多量に発掘された。
 これら遺物中、カエル装飾が慶北氷川入室里遺跡(입실리 유적)に次いで2番目に確認された。
 この墓は朴赫居世(박혁거세)が新羅を建国した紀元前57年と近接した紀元前1世紀中~後半に作られたと推定される。
 今回出土した死体顔面を覆う扇の事例は、昌原茶戸里遺跡(다호리 유적)1号木棺墓で初めて確認されて以来、慶北星州郡礼山里遺跡(예산리 유적)40号墳、金海市鳳凰洞遺跡(봉황동 유적)、そして慶北慶山市押梁面遺跡(압량면 유적)94号木棺墓から発見されており、今回の慶州発掘事例まで総合すると、このような独特の埋葬風習が紀元前後頃今の慶尚道地域全域にかけて流行したという事実を後押しした。
[参考:聨合ニュース]

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 2008.11.28慶尚南道昌原市北面・茶戸里遺跡 出土品から現れた新しい発見!


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