歴歩

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奈良市・ウワナベ古墳 墳丘裾部を確認 全長が20mほど大きくなり280m規模

2020年11月21日 | Weblog
 奈良市・ウワナベ古墳 墳丘裾部を確認 全長が20mほど大きくなる
 奈良県立橿原考古学研究所と奈良市は20日、周濠調査をしていた奈良市法華寺町の「ウワナベ古墳」(5世紀前半、前方後円墳、墳丘長255m)の後円部北東側から築造当初の墳丘裾部を見つけたと発表した。
 これまで考えられていた墳丘裾部より約10m外側で、この結果、後円部の直径が約20m大きくなり、全長が270~280m規模になる。
 今回、宮内庁も同時に調査を実施し、土を盛った墳丘部分を調べたところ、広範囲で石を敷き詰めた葺石が見つかった。また直径約40cmの円筒状の埴輪列が、直線上に並べられているのも見つかった。
 同古墳はこれまでの発掘調査より、被葬者は仁徳天皇の皇后・八田(やた)皇女という説もある。
 八田皇女は、応神天皇と和珥臣祖の日触使主(ひふれのおみ)の女・宮主宅媛(みやぬしやかひめ)との間に生まれた皇女。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、NHK]

関連ニュース・情報
 2017.5.11 奈良市の大和6号墳(直径約30mの円墳、5世紀築造)から出土した鉄鋌(てってい)を宮内庁が調査したところ、国内で製作された可能性があるとの結果を発表した。同古墳は、ウワナベ古墳の北側に位置する陪冢(現在は消滅)。
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慶州市・チョクセム地区 新羅時代木槨墓から中国式金銅製腰帯装飾が出土

2020年11月19日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立慶州文化財研究所は、2019年に発掘調査した慶州チョクセム(쪽샘)L17号木槨墓(목곽묘)から中国(中原)式腰帯装飾(허리띠장식)と各種馬具類、闘具と鎧片、多量の土器が一緒に出土し、以後この遺物は保存処理を経て最近復元を終えたと発表した。
 L17号は主槨と副槨をもつ木槨墓で、それぞれの墓壙が長さ8.5m、幅4.1mと残存長さ2.7m、幅4.1mの規模で今まで発見された慶州地域木槨墓中で最も大きいという。製作時期は4世紀。
 腰帯装飾はL17号主槨西側から出土した。 金銅で製作され模様は龍が彫られたと推定される。龍頭はなくなって正確な形態を分からないが、龍の胴と足、尾部分が残っていて一部模様の様相を確認することができた。このような中国式腰帯金具装飾は一般的に中国で製作されて韓半島に輸入された最高級物品の中の一つで、新羅王京である慶州で初めて発見されたことはその意義が非常に大きい。
[参考:2020.11.16聯合ニュース]

関連ニュース・情報
帯金具
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福島県川俣町・前田遺跡 縄文期の「屈葬」人骨40体以上が出土

2020年11月17日 | Weblog
 福島県伊達郡川俣町小綱木地区の前田遺跡の今年度の調査で、縄文時代の40体以上の人骨を伴う墓や、木柱を伴う柱穴約140基などが多数確認された。14日、一般向けの現地説明会が開かれた。
 川俣町は、阿武隈山地西斜面の丘陵地帯にあり、現在NHK連続テレビ小説「エール」のモデルとなった古関裕而が、福島商業学校(現:福島県立商業高等学校)を卒業した後、川俣銀行(現:東邦銀行川俣支店)へ勤務していた所である。前田遺跡は町中心部から南東に約3キロの段丘上に位置する。

 縄文中期(約4500年前)の複式炉と呼ばれる大型の石組みを持つ住居跡が見つかった。
 縄文後期(約3500年前)の土坑墓から、「屈葬」による40体以上の人骨や、土器に遺体を納めた「埋甕(うめがめ)」が見つかった。
 縄文晩期(約2700年前)の木柱を伴う柱穴約300基が出土した。木柱は直径約30~40cmが多く、直径約60cmと大型のものもある。穴は浅く、木柱の周りに石が詰められていた。柱群は、掘立柱建物や柱を建ててお祭りをする祭祀の場などが推測されるという。
[参考:2020.11 福島中央テレビ、毎日新聞、2020.10福島民友新聞、福島新報、川俣町HP]
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古賀市・船原古墳 6世紀末~7世紀初頭 玉虫装飾の馬具が国内初出土

2020年11月16日 | Weblog
 古賀市教育委員会は13日、同市の船原古墳(ふなばるこふん、6世紀末~7世紀初頭)側の1号土坑から平成25年に出土した金銅製馬具「二連三葉文心葉形杏葉(にれんさんようもんしんようけいぎょうよう)」(ハート形で、縦横約およそ10cm、厚さ0・7cm)に約20枚の玉虫の羽を使った装飾が用いられていたことが分かったと発表した。
 市によると、古代の玉虫装飾品が見つかっているのは日本と朝鮮半島で11カ所。朝鮮半島では、馬具では、5~6世紀代の新羅の首都だった慶州の王陵級古墳など5カ所で発見されている。国内では初めての出土となる。
 国内では奈良県・法隆寺の玉虫厨子(国宝)、福岡県・沖ノ島の金銅製帯金具(国宝)、奈良県・正倉院中倉(ちゅうそう)の刀子の装飾に用いられていることが確認されている。
 デザインなどから朝鮮半島・新羅で制作され、伝来したとみられる。
 馬具は今月14日~12月20日に古賀市立歴史資料館で公開される。
[参考:共同通信、時事通信、西日本新聞、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、NHKニュース、古賀市HP]

過去の関連ニュース・情報
船原古墳
2010年09月29日 慶州・鶏林路14号墳、玉虫装飾矢筒初公開
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城陽市・小樋尻遺跡 3世紀後半の導水施設が出土 日本書紀の記述を裏付け?

2020年11月13日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターが12日、城陽市富野久保田の小樋尻遺跡(こひじりいせき)から3世紀後半に浄化した水を使って祭祀を行ったとみられる国内最古級の遺構や大規模な溝跡が見つかったと発表した。
 古墳時代後期に掘られた人工的な溝(幅11m、深さ1.8m)が見つかり、その下層から前期の自然流路(幅25m、深さ2.7m)が出土した。南東から北西向きに流れ、水流調整用に一部木材などを使った水路跡が出土。この西岸からは祭祀遺構も見つかった。
 出土した木材などから、木板(堰板、幅1.7m、高さ0.6m)で水路を仕切り、水を溜めた上で、上澄みを木板上部の切れ込みから、祭祀遺構側に木樋を通して浄化水を流していたとみられる。周辺から祭祀に使われた漆塗りの木琴や盾、勾玉や桃の種も出土した。
 いずれも一緒に出土した土器から4世紀前半に設けられ、同様の施設としては最古とされる纏向遺跡(桜井市)とほぼ同時期の遺構とみられるという。
 また、古い水路が洪水で埋まってしまったものの、古墳時代後期の6世紀代に再び掘られ、新しい水路が規模を縮小しながら設けられ、改修をしながら約200年にわたり奈良時代まで使われていたということも判明した。敷葉(しきば)工法という土木技術が用いられていた。
 調査地周辺は古くは「栗隈(くりくま)」と呼ばれ、木津川から離れているために古墳時代中期と飛鳥時代に灌漑用の導水施設が設けられ、田畑が潤ったとする記述が、日本書紀に見られる。

 仁徳天皇12年 冬十月、掘大溝於山背栗隈縣以潤田。 是以、其百姓毎年豐之。
 推古天皇15年(607) 是歳冬、於倭国、作高市池・藤原池・肩岡池・菅原池。 山背国、堀大溝於栗隈。

[参考:時事通信社、産経新聞、NHKニュース、ALCO]
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南相馬市・泉官衙遺跡 格式の高い玉石敷きが出土

2020年11月06日 | Weblog
 南相馬市教委は10月29日、泉官衙遺跡(いずみかんがいせき、原町区泉寺家前地区)の郡庁院跡で河原石を地面の舗装のために敷いた玉石敷を確認したと発表した。
また、郡庁院の建物を支える木製の柱の一部が保存状態の非常に良い状態で確認された。
 泉官衙遺跡は、河岸段丘上に立地する奈良・平安時代(7世紀末~10世紀前半)の陸奥国行方郡(むつのくになめかたぐん)の役所跡。玉石敷が確認されたのは同遺跡と上野国新田郡家跡(群馬県)の2カ所のみ。
 これまでの調査から遺跡は陸奥国行方郡家だったとされている。政庁(政務や儀礼の場となる中枢施設)のほか、租税の米を納めた正倉院、宿泊施設の館院(たちいん)などが見つかっている。
 説明会は7日午前10時~正午と午後1~3時に開かれる予定。
[参考:福島民友新聞、毎日新聞]
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倉吉市・中尾遺跡 弥生時代中期の建物跡から鉄矛1点と鉄斧2点が出土 

2020年11月06日 | Weblog
 倉吉市教委は2日、中尾遺跡(同市大谷)の弥生時代中期後葉(紀元前1世紀)の竪穴建物跡から弥生時代では国内最大となる長さ54・3cmの鉄矛と、長さ27・5cmの板状鉄斧、長さ11・0cmの鋳造鉄斧の鉄器計3点が出土したと発表した。鉄矛と板状鉄斧が朝鮮半島製、鋳造鉄斧が中国製とみられるという。
 住居跡は、標高約25mの丘陵にある。鉄矛と板状鉄斧が住居内の地面に突き立てられ、住居ごと燃やされた形跡があった。副葬品としてではなく、何らかの祭祀で使われたとみられる。
 中尾遺跡は県中部に位置し、日本海と中国山地、瀬戸内海を結ぶ交易拠点として鉄器がもたらされたとも考えられるという。
 現地説明会は14日午前10時から計4回開かれる。
[参考:中国新聞、共同通信、毎日新聞、朝日新聞、NHKニュース]


過去の関連ニュース・情報
 小松市・八日市地方遺跡
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