歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良県吉野町・宮滝遺跡 奈良時代前半とみられる大型建物跡(9間×5間)が見つかる 吉野離宮正殿か

2018年05月16日 | Weblog
 奈良県吉野町と県立橿原考古学研究所(橿考研)は15日、同町宮滝の宮滝遺跡の発掘調査で、奈良時代(8世紀)前半とみられる大型建物跡(東西23.7m、南北9.6m)が見つかったと発表した。建物の規模や形式などから、聖武天皇(在位724―749年)が滞在した吉野宮(離宮)の正殿跡の可能性が強まったとする。
 調査は昨年12月~今年3月に実施。柱穴が17個見つかったが、復元すると、東西に柱10本、南北に柱6本がある9間×5間の建物で、四方に幅2m余りの庇があったことがわかった。大津宮の内裏正殿とほぼ同じ大きさだという。
 建物跡は、これまでに近くで見つかった瓦や土器から奈良時代前半と推定したが、柱穴は複数回にわたって建て替えた形跡があり、時代が遡る可能性もあるとしている。
 吉野は7~8世紀にかけて歴代の天皇が度々滞在し、続日本紀には、聖武天皇が吉野宮を訪れたことが記されている。

  続日本紀 元正天皇 養老七年(723)五月九日  行幸芳野宮。
  続日本紀 元正天皇 神亀元年(724)三月朔日  天皇幸芳野宮。
  続日本紀 聖武天皇 天平八年(736)六月廿七日 行幸芳野離宮。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、NHKニュース、奈良テレビ放送]

 




宮滝遺跡で大規模建物跡 飛鳥時代の離宮「吉野宮」正殿か



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桜井市・纒向遺跡 卑弥呼の時代の桃の種 年代測定

2018年05月14日 | Weblog
 奈良県桜井市纒向学研究センターの最新紀要で、女王卑弥呼がおさめた邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(3世紀初め~4世紀初め)で出土した桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定を実施したところ、西暦135~230年とみられることがわかったと報告された。
[参考:朝日新聞、NHKニュース]

過去の関連ニュース・情報
桜井市・纒向遺跡 大型建物跡の南側から桃の種2000個以上と祭祀関連遺物が出土


奈良の纏向遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる

追記:2018.5.14
 桜井市纒向学研究センターの最新紀要(第6号)では、上記以に大型建物跡(3世紀前半~中頃)から東50mの溝から犬の骨120点(体高45cm、ほぼ1匹分)が2014年度の調査で出土していたことが報告されている。
[参考:読売新聞]
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鳥取市・青谷横木遺跡 7世紀末~8世紀初めの木製の𤭯(はそう)が出土

2018年05月09日 | Weblog
 鳥取市の青谷横木遺跡で、「𤭯(はそう)」と呼ばれる木製の壺(7世紀末~8世紀初め)が出土していたことが分かった。 2015年度の調査で、山陰道とみられる道路遺構からほぼ完全な状態で出土した。ヤマグワ製で、底板にスギ材の円盤が嵌め込まれた構造で、表面全体に黒漆が塗られた。上部の注ぎ口の直径は約9cm。底部の直径が約10cm、高さは約12cm。胴部に直径2cmほどの穴が3カ所開けられていた。
 𤭯は、古墳時代に朝鮮半島からの渡来人が技術を伝えたとされる陶質土器「須恵器」で作られるケースが多いが、木製の𤭯の発見は全国的にも珍しいという。
 近くの常松大谷遺跡と、会下・郡家(えげ・こおげ)遺跡(鳥取市)からも木製の𤭯の一部が出土している。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 青谷横木遺跡
 𤭯(はそう)
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奈良市・法華寺 鎌倉時代の文殊菩薩坐像内に大量の納入品

2018年05月08日 | Weblog
 奈良国立博物館(奈良市)が7日、鎌倉時代の作とされる法華寺(奈良市)の「文殊菩薩坐像」内に、舎利容器や巻物類など大量の納入品が納められていることが、X線CTスキャナを用いた調査で分かったと発表した。
 頭部と胴部を合わせて約180点の納入品を確認。大量の納入品は西大寺や法華寺を復興した同時代の僧、叡尊周辺でみられるという。
 文殊菩薩坐像は本堂に安置され、木造で像高73cm。般若寺(奈良市)の文殊菩薩像(焼失)と同形式だった可能性もあり、造立時期は叡尊による法華寺復興期とも重なるという。
 頭部に火焔宝珠形や球形の舎利容器、球形物体が入った円筒形容器など約30点、胴部には経巻らしい巻物類など約150点がぎっしりと納められていることが分かった。外部から取り出された形跡はなく、造立当初の姿を保っているとみられる。
 多くの納入品が確認された「木造叡尊坐像」(国宝)より20~30年、時代を遡のぼるとみられる。
 法華寺は奈良時代に光明皇后(701-760)により創建された。本尊は十一面観音。鎌倉時代に高僧・叡尊(1201-1290)が再建した。元は真言律宗に属したが、平成11年(1999)に光明宗となった。
 文殊菩薩坐像は8日~27日に奈良国立博物館で特別公開される。月曜休館。
[参考:NHKニュース、産経新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
法華寺


奈良・法華寺「文殊菩薩坐像」、内部にぎっしり納入品 舎利容器や巻物類など約180点、X線CTスキャナで判明

法華寺の菩薩像、内部に巻物や紙の束が180点

鎌倉時代の仏像内部に大量の巻物など確認 奈良 法華寺
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奈良市・興福寺 加藤一二三九段が最古の将棋の駒を見学

2018年05月07日 | Weblog
 「ひふみん」の愛称で人気を博す将棋棋士・加藤一二三九段が4日、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で、日本最古(平安時代)の将棋駒を見学した。この日、橿原市内であったトークショー後にたっての希望で実現した。
 駒は1993年、興福寺旧境内から1058年の年号が書かれた木簡とともに⒖点が出土、さらに2013年には「歩兵」の裏に「と金」に似た字が書かれた駒など9点も見つかった。
[参考:読売新聞]

興福寺で8日から名人戦第3局
 国内最古とされる将棋駒が出土した興福寺で、佐藤天彦名人に羽生善治竜王が挑戦する第76期将棋名人戦七番勝負(朝日新聞社、毎日新聞社主催)の第3局が5月8、9日に奈良・興福寺で開かれる。
[参考:朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 興福寺旧境内 国内最古の平安時代の将棋の駒「酔象」が見つかる


国内最古の駒、出土の地で対局へ 8日から名人戦第3局
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塩津港遺跡 国内最古の構造船の船板を初公開

2018年05月04日 | Weblog
 滋賀県埋蔵文化財センター(大津市瀬田南大萱町1732-2 びわこ文化公園文化ゾーン内)で国内最古になる構造船の船板(長さ205cm、幅58cm、厚さ11cmの杉材)が公開されている。
 塩津港遺跡(長浜市西浅井町)で出土した平安時代後期の船板で、全長20mの船の部材の一部という。
 船板は2015年12月に出土した。樹脂で固める保存処理を進めていた。
 このほか、遺跡から出土した船の模型、釘(くぎ)、鑿(のみ)や釿(ちょうな)などの大工道具も展示されている。
 公開は31日までの午前9時~午後5時。土曜、日曜、祝日は休館(4日は開館)。
[参考:京都新聞、滋賀県文化財保護協会HP]

過去の関連ニュース・情報
塩津港遺跡 船板出土
塩津港遺跡
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淡路市・舟木遺跡 遺跡の範囲がさらに北に広がる可能性

2018年05月02日 | Weblog
 淡路市教委は同市舟木にある弥生時代後期(1世紀~3世紀初頭)の山間地集落遺跡「舟木遺跡」(標高約150m)において、航空レーザーを用いて測量を行い、遺跡周辺の立体地図を作製した結果、遺跡は従来考えられていた範囲よりもさらに北側に広がっていることや、建物の遺構の配置などがわかった。
 これまでは東西約500m、南北約800mが遺跡の範囲だと推定されていた。 地図データを詳細に分析したところ、遺跡中心部から周辺および遺跡北外側にかけて、人為的に整地されたとみられる平らな地形が多く存在していることが分かった。
 集落の範囲はこれまで考えていた遺跡の範囲より北に200~300m広かった可能性が高いとしている。
[参考:毎日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 淡路市・舟木遺跡


<舟木遺跡>立体地図、航空レーザー測量で作製 定説より200〜300メートル広い可能性 淡路市教委 /兵庫
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