歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大津市・穴太遺跡 渤海使がもたらしたか? 平安時代の「腰帯具」出土

2022年10月30日 | Weblog
 大津市文化財保護課は30日、同市弥生町の穴太(あのう)遺跡の発掘調査で、平安時代(9世紀後半~10世紀)の小川の跡から金銅製の腰帯具(ようたいぐ)の巡方部分(2.7cm×3.2cm)が出土したと発表した。腰帯具には忍冬唐草文と呼ばれる文様があり、当時日本と直接の交易のない契丹系の文様要素があるとし、朝鮮半島の北で栄えた渤海の使者からもたらされたものとみている。
 今回発見された腰帯具は、韓国・済州島の龍潭洞遺跡で見つかったものと文様が一致したという。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 穴太遺跡
 渤海
 腰帯(具)
 済州龍潭洞

渤海使が日本にやって来たことは、『続日本紀』巻十神亀四年(727)を初めとして、延喜二十年(920)までの間に多数書き残されている。
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明日香村・飛鳥池遺跡 7世紀の木簡に伎楽面の酔胡王を描いたとみられる木簡が見つかる

2022年10月29日 | Weblog
 奈良県明日香村の飛鳥池遺跡(7世紀後半)で、伎楽(ぎがく=呉楽(くれがく))に使用する面「酔胡王(すいこおう)」を描いたとみられる木簡が出土していたことがわかった。
 奈良文化財研究所は、ペルシャ系のソグド人の王を表す伎楽面の酔胡王と判断した。
 日本書紀には、百濟人味摩之が呉(中国の南部)で伎楽の舞を学んで会得し、日本に伝えたことが記されている。

 『日本書紀』巻二二推古天皇二十年(612) 是歳。(略)又百濟人味摩之、歸化、曰「學于吳、得伎樂儛。」則安置櫻井而集少年令習伎樂儛。於是、眞野首弟子・新漢濟文二人習之傅其儛、此今大市首・辟田首等祖也。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 ソグド人
 平城宮跡 天平神護元年'765>木簡にペルシャ人役人?「破斯清道(通を改める)」の名前

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青森県南部町・聖寿寺館跡 館を方形に改修し「花の御所」の模倣?

2022年10月19日 | Weblog
青森県南部町教委が18日、北東北最大の戦国大名、三戸南部氏が15世紀末から16世紀前半、拠点を置いた「聖寿寺館」(青森県南部町)を方形館にするため大改修していたことが分かったと発表した。
「虎口(こぐち)」を埋め立て、敷地を方形に整えた改修跡を確認した。
方形館は「花の御所」と呼ばれた室町幕府の将軍邸を模倣し各地の守護大名が取り入れた。その流行が北東北にも伝わっていたことが確認された。
 10月22日(土)、午前10:30~11:30、史跡聖寿寺館跡(三戸郡南部町大字小向字舘4-2)にて発掘調査現地説明会が開催される。
[参考:共同通信、東北日報、毎日新聞、南部町HP]

過去の関連ニュース・情報
  聖寿寺館跡
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八尾市・由義寺跡 基壇の基礎の下層から全身の基壇を確認

2022年10月11日 | Weblog
 八尾市が7日、奈良時代に称徳天皇と僧・道鏡が建立した国史跡「由義寺(ゆげでら)跡」(大阪府八尾市)で、同寺の前身の建物(弓削寺)とみられる基壇が見つかったと発表した。
 今回発見された基壇は東西約17mで。由義寺の七重塔とみられる基壇(一辺約21・6mの正方形)より約20cm~約1m下層で発見された。前身建物は火災で焼失した痕跡はなく解体後、規模の小さな基壇を再整地し大きな基壇を構築したとみられる。
 権力を誇示する目的で弓削寺を取り壊し、新たに高さ60~70mの七重塔をもつ由義寺が建立された可能性があるという。
 市は8日から市立歴史民俗資料館で発掘結果の速報展を開催する(~11月28日)。
[参考:産経新聞、読売新聞、八尾市HP]

過去の関連ニュース・情報
  由義寺

続日本紀
765天平神護元年 十月三十日戊子。幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂於庭。刑部卿從三位百濟王敬福等亦奏本國舞。
765天平神護元年 閏十月朔日己丑朔。捨弓削寺食封二百戸。
765天平神護元年 閏十月二日庚寅。幸弓削寺礼佛。奏唐高麗樂。及黒山企師部舞。
770宝亀元年四月五日丁酉。詔造由義寺塔諸司人及雜工等九十五人。隨勞輕重。加賜位階。正六位上船連淨足。東人。虫麻呂三人。族中長老。率奉歌垣。並授外從五位下。以東人爲攝津大進。又授正六位上土師宿祢和麻呂外從五位下。
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