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コミュニティでの実験

コミュニティでの実験

 ハイアラーキーである会社組織からコミュニティに変わっていく。数学でいうデカルト座標系からトポロジーに変わっていく。その時のコミュニティの変遷の実験が乃木坂で進められている。

 コミュニティを最強にさせるためにメンバーがどういう意識で行動するか。この実験を低次元でみてはもったいない。ひめたんが示めてくれたものを社会学的に分析していこう。

日本のNPOはなぜ先に行かないのか

 何を躊躇してるのか。それは前から見てないから、誰もついてこないから、一人ではいけない体質なってる。

 では、どんな人生なら納得できるのか? 今のところない。多分ないでしょう。何しろ、人類は初めてですから。
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安城市中心市街地拠点施設 アンフォーレ


『続・図書館空間のデザイン』より 安城市中心市街地拠点施設 アンフォーレ

安城市中心市街地拠点施設 アンフォーレ

敷地

 (1)愛知県安城市

  安城市は愛知県のほぼ中央に位置し、南北14.7km、東西10.0kmの市域を持つ平坦な場所である。

  市内中心地にはJR東海道線と名鉄線が通り、市西部には東海道新幹線の三河安城駅がある。それらの鉄道の駅を中心に市街地が形成されている。

 (2)安城市の中心市街地

  安城市の中心市街地は、JR東海道線安城駅南口に集積している。

  JR東海道線と平行する安城幸田線沿ぃに商店街が形成され、駅から西側へ500 mほどのところにある市役所・市民会館あたりまで続く。その中で碧海信金本店とJAの建物が突出している。多くの地方都市がそうであるように、中心市街地に人通りは少なく、活気あるものではなかった。

事業の概要

 (1)周辺との調和とにぎわいの創出

  敷地は、安城駅南口から西に向かい、商店街の集積がばらつきはじめるあたりにある。かつては総合病院があった。

  高いポテンシャルと可能性をもちながらも停滞する中心市街地を再び活性化させることが、本事業最大の命題であった。

  集客力の高い図書館がにぎわいを商店街に波及させ、中心市街地への人の流れを広げる役割を担うこととなった。既存の商店街と調和を図りながら、中心市街地のにぎわい創出を目指した。

 (2)PFI事業への参画

  この事業は、情報拠点施設・民間収益施設・駐車場・広場公園の4つの施設からなるPFI事業として建設された。私たちは清水建設・スターツとともに組織したコンソーシアムに設計者として参画し、プロポーザルで事業者に選定された。

 (3)公共施設と民間施設の一体整備

  情報拠点施設と広場を公共施設として、民間収益施設と駐車場を民間施設として、これら4つの施設を一体的に整備することが求められた。

  情報拠点施設は、市の中央図書館を基本としながら、最新のICTを導入レ“新しい図書館像”が求められた。そこに、子育て支援・健康支援諸室・行政窓口・交流機能も付帯して利便性を高めながら、市民がいつでも気軽に訪れることのできることが付加された。設計は私たち三上建築事務所(建築意匠)と清水建設(構造・設備)が協働し、施工は清水建設・スターツ・丸山組JVが担当した。

  民間収益施設1階にはスーパーマーケットを誘致し、情報拠点施設を利用する市民の日常的な買い物等の利便性に高めることとなった。2階にはカルチャースクールを設けて、公共施設と民間施設との関係性の強化が図られた。設計施工をスターツCAMが担当し、駐車場と民間収益施設の運営はスターツグループが担当する。

外観のデザイン

 (1) 3つの施設の配置と統一感の形成

  情報拠点施設(図書館)を北側、民間収益施設を南側とし、駐車場はふたつの建物の間に配置した。駐車場からどちらの施設へもアクセスしやすい構成とするためである。

  東側2階レベルにペデストリアンデッキ設けて、3つの施設をつないだ。駐車場から各施設への動線と同時に、公共施設と民間収益施設とをつなぐ動線とするためである。さらに、民間収益施設2階南側に広場・公園へ繋がる通路を設けて、ペデストリアンデッキから広場・公園への回遊性をつくり出している。

  3つの建物は、北側の情報拠点施設から駐車場、民間収益施設へと次第に低くなるようにボリュームを構成した。外壁はレンガの色を基調として、一団の施設としての一体感をつくり出した。また、建物の色彩や素材感を広場・公園、歩道にまで広げて街区全体の統一を図り、新たな中心市街地の様相をつくり出すことを意図した。

 (2)新たな景観の創出

  施設群の中心となる情報拠点施設は5階建てである。最上階をセットバックさせることで、通りに対する圧迫感もやわらげ、中心市街地のスケール感と調和を図った。結果として、建物規模に比して小さく見える。

  外観の基本的なデザインモチーフは市松模様である。安城市の市街地形成やその周辺に広がる田園風景のメタファと、耐震要素を外周に集約する構造的なアイディアとを重ね合わせたものだ。各階の壁面と開口部の幅はともに3.6mと正確な1対1の比率で構成し、正方形に近い開口部を創り出している。

  表層はレンガ調タイルである。かつてこの地方でレンガが生産された。それは田圃の下の粘土層の土が用いられた。レンガは土のメタファであり、地盤面下のポテンシャルの隆起を意図したものである。

  さらに、突出するガラスのキューブが外観を特教づける。安城市の名物である七夕飾りとも符合する。

 (3)外観を特徴づける「でん」

  2~4階の外周部には、ガラスのキューブが突出する。これを「でん」と呼ぶことにした、「でん」とは、棲家としての「殿(でん)」であり、安城市に広がる田園の「田(でん)」でもある。また、姉妹都市のあるデンマークの「デン」とも、新美南吉の作品の「でんでんむし」の「でん」とも音として符合する。

  壁面に幅3.6mの開口部が市松に穿たれる。レンガ調タイルの壁体からガラスのキューブが突出し、もうひとつの市松模様を描き出す。

  そのでんの内部は、カウンタ一席やテーブル席、グループ席などのバリエーションを用意レ好みの居場所を見つけて長時間滞在できるスペースとした。でんに居る利用者の様子がそのまま街を彩ることになる。また、でんとでんの間は、下階のでんの屋上となり、外の空気に触れたり、携帯電話を使用するスペースになっている。
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コミュニティ・デザインと空間デザイン

『地方都市を公共空間から再生する』より 地方都市の日常を支える市民参加と合意形成

コミュニティ・デザインと参加型まちづくリ

 住民参加型まちづくりと同義に扱われることも多い「コミュニティ・デザイン」は、近年、山崎亮氏の著作に豊富な事例が述べられている。筆者はコミュニティ・デザインについて「空間の設計・計画プロセスに住民を取り込むことで、空問形成のみでなく、地域コミュニティの成熟を図ろうとするデザイン方法論」と定義している。先述したように土木分野においては、パブリック・インボルブメントという言葉も使われ、事業に対する意見収集や合意形成の色合いがより強い。一方、コミュニティ・デザインの先進国アメリカでは、計画案に意見を反映する段階や手法が注目されがちな我が国の「市民参加」に対し、住民間のネットワーク化によるコミュニティの再生と環境的公正を主眼とする思想など、示唆的なところが多い。土肥真人氏(東工大准教授)によれば、そもそもコミュニティ・デザインは、アメリカで1960年前後に提唱され始めた社会運動にその始まりを有している。当時のアメリカでは合理的な都市の形をつくり上げるために科学的かつ合理的「基準」の創出が目指され、コミュニティからのインプットがプランナーやデザインに関係のある事柄として捉えられることはなかったという。しかし、貧富差やコミュニティの衰退といった様々な都市問題の発生により、専門家への社会要請の複雑化ならびに専門家の役割や既存都市計画の再考が叫ばれることになる。そうした社会潮流のなかで「アドボカシープランニング」の提案がなされ、市民参加を保証する制度と共に、コミュニティ・デザイナーという職能が誕生する。我が国においても、高度経済成長期に多用された「標準設計」のあり方が見直され、市民参加を規定する法制度が充実するなど、参加による活性化を目的としたまちづくりや空問デザインはもはや一般的であり、合意形成の場面も多い。以下、コミュニティ・デザインならびに住民参加型まちづくりに有用な方法論について概説しておこう。

コミュニティ・デザインの12ステップと習熟すべき四つの手法

 では前述のプロセスやプログラムを具体的にいかなる順序で進めていけば良いのか。前述したランドルフ・T・ヘスター氏(カリフォルニア大学バークレイ校名誉教授)はその著書のなかで、自らが主宰するコミュニティーデベロップメント・バイ・デザイン事務所で用いられている12ステップを紹介している。これを見ると、まず一つ目のステップとして「コミュニティの話を聴く」、次いで筆者が最も重要と考える「目標を設定する」が二つ目のステップにて登場する。さらに三つ目のステップ以降、「コミュニティの特徴を地図と目録にする」「人々が自分たちのコミュニティを知り直す」「コミュニティの全体像を獲得する」「予想される一連の行動を揃く」と、プロジェクトの全体から詳細まで、図表などの活用によってビジュアルに共有、検討するステップが続く。そしてそれまでのステップを受け[場所の特徴から形態を構想する]「検討項日を整川する」「複数のプランを川意する」「プランの占n前評価をする」といったプロジェクトの具体的な設計作業の進行が設定されている。さらに公共空間に対する関わり方など、住民意識の向上を目指す「住民へ責任を移行する」ステップを経て、「事後評価をする」ことで、プロジェクト終了後を見据えた持続的な取り組みを可能とするのである。

 こうしたプロセスーデザインやプログラム・デザインの方法論に加え、ヘスター氏はコミュニティ・デザイナーが習熟しておかなければならない技術や手法として以下の四つを挙げている。

 第1に「グループ・プロセスの手法」である。これはプロジェクトにおいて人々の共同作業を促すと同時に、対立する利益をうまくまとめながら共同の決定に持っていく手法を指す。これには近年、一般的になりつつあるワークショップやロール・プレイなどの技術が相当する。前述した佐伯市大手前開発事業では、市民会議に入る前に各グループの司会進行役を担う市役所職員が練習できるGファシのための会議を別途設けていた。そこでは次回の市民会議で話し合う議題、目標とする成果物のイメージを共有後、実際にテーブルに座って「あなたは意見を言うのに消極的な人」「あなたはずっと話したがる人」といった役(ロール)にそれぞれなりきり、Gファシとしてどのように対処すべきかを、体験的に練習する場を設けた。こうすることで予め共同作業を促す司会進行をイメージでき、進行に対する過剰な心配を取り除くなど、自信につながった職員もおられた。

 第2にコミュニティを組織する手法が挙げられる。コミュニティーデザインでは重要な作業として多くの現地踏査が求められるが、その際、同行するスタッフやボランティアの組織化は極めて大切な配慮となる。一つ恥ずかしながら30代前半であった頃の筆者の失敗談をお話ししたい。ある地域でコミュニティイベントを行うことになり、その準備のため、筆者らならびに何人かの学生とイベントのプログラム作成や役割分担の作業などにあたっていた。ところが本番当日、学生の1人が体調を崩し、イベント会場に来れなくなってしまった。ギリギリの人数で作業にあたっていたため、困っていたところ学生の1人から「自分の友達が暇にしているから手伝ってもらいましょう」と提案され、猫の手も借りたいI心から、その友人に手伝いをお願いした。告知や情宣の甲斐あって、かなりの参加者があり、イベントは成功するかに見えた矢先、事件は起こった。イベントの後半、少し手が空いたそのヘルプの友人が、会場に来ていた親子が連れていた犬をなで始めたのである。そこまでは良かったのだが、飼主の子ども(小学生くらいだったか)がやってきて、「僕の犬に触るな」と言い放った。言い方などはよく掴めていないのだが、そこでヘルプの彼の取った行動が「なんだこのくそガキ」と、ちょっとした言い争いに発展してしまったのだ。それを見ていた子どもの母親が、「うちの子になんだ。てめえどこの学生だ」と凄い剣幕で彼に近寄り、筆者も気付いたが時既に遅し、大喧嘩になってしまっていた。筆者は慌てて駆けつけ、何か起きたのかよく分からないまま喧嘩の仲裁に入り、嘸然とする学生を横目に平謝りする始末。当然、会場全体の雰囲気は悪くなり、楽しく過ごしていた高齢者の方もしらけたムードでそそくさと帰ってしまった。

 人人気ない行動に出たヘルプの彼にも原因はあるように思えるが、問題はこのイベントが参加者とのふれあいや親密な関係構築を主眼に、コミュニティのために行っている主旨や経緯について十分に理解させないまま手伝わせた筆者に責任がある。コミュニティや地域との共同に関わる企画や計画に入る前に、作業スタッフあるいはボランティアなど、チーム内の意識統一や目標の共有は、当たり前のように聞こえて、意外に見過ごされやすい留意点といえる。

 もう一つ、コミュニティを取り囲む地域の権力構造を把握し、これを利用することで有益な情報と話し合いの場を育てるケースもある。例えばこれも昔、筆者が経験した話だが、ある商店街の活性化策を話し合うワークショップ当日の昼間にまち歩きをしていた時のことである。途中お会いした何人かの方にヒアリングを行っていたのだが、そのうち、商店街の課題や今後に対する思いを語ってくれた商店主がいた。その夜のワークショップ本番、筆者は全ファシとして、商店主に話を振ったところ、一言も話してくれず、結局その会はそのまま終了したことがあった。帰り際にその商店主にそっと話しかけ、「昼間と違って今夜はどうしたんですか」と尋ねると、「実は私は雇われ店長で前に座っていた人がオーナーだったんですよ」と話しづらかった状況を打ち明けてくれたことがある。そこで第2回目のワークショップでは、そのオーナーに(もちろん商店主の事情には一切触れずに)Gファシ役になってもらうことを事前にお願いし、商店主に「どんなことでもいいので率直な考えを聞かせてほしい」旨の問いかけをオーナーからしてもらう工夫をした。するとその商店主は少々戸惑いながらも、まるで堰を切ったかのように商店街の現状や課題について話をしてくれたのであった。写真6・8はヘスターのパワーマップであるが、コミュニティ内の人間関係をこのように「見える化」し、合意形成などの作業にあたると本人から話を聞いたことがある。日本でパワーマップがどれほど付効か(お国柄このような卜法が沿うかどうか)は分からないところもあるが、チーム内での準備作業としては注目に値する手法の一つである。

 第3に、明確なデザインである。コミュニティこアザイナーは形態の読み取りなど、デザインの基礎的な理解から実際の設計技術に至る広範囲の視点を必要とし、コミュニティから得られた意見や情報から、空間への集約一統合を行っていかなければならない。対象地域やエリアに既に存在する景観資源など、地域独自の文脈にデザインをうまく組み込むことが求められる。にぎわいを再生するためのコミュニティ・デザインにとって、その過程でのネットワーク化の重要性は既に述べたが、対象とする空間に対して、どのようなところに愛着や親しみを持っていたのか、既存空間への意味づけとともに、新しい魅力と機能を合わせ持つデザインをいかに提案するかが問われる。先述した「にぎわいを呼ぶ正の循環構造」につなげていくためにも、魅力的な形や機能を考案できるかどうかは絶対的に重要であり、デザイナーとしての腕の見せ所でもある。

 第4に明瞭なコミュニケーションである。プロジェクトに関わる問題を普通の人が理解できるかたちに翻訳し、考えられるように表現する場面が住民との対話には必要となる。つまり、それはコミュニティに専門家としての考えを知ってもらうことの重要性につながる。ここでは地図や絵、模型の使用、紙カード、ペンなどのコミュニケーション・ツールの活用が有効となる。経験的に活性化のための施設計画などにおいては、周辺エリアの状況や施設へのアクセス性、主要動線など、地理的・空間的情報が不可欠となることから、ワークショップなどの住民との対話で机に置く記録媒体は、できるかぎり白模造紙だけでなく地図をベースに書き込めるものを準備する方が良い。

 ここで一つ既によく知られている「ファシリテーション・グラフィック」と呼ばれる合意形成の手法について、その有用性を整理しておこう。まずファシリテーション・グラフィックとはワークショップなどにおける議論の内容、ポイント、流れなどを、議事録形式ではなく、図的に構造化して記録する方法といえる。壁一面に模造紙を貼り、議論中に質問内容やその回答、コメントなどをリアルタイムで順次書き込んでいく。その際、紙の左上から書き始めてもいいし、中心的な議論と思えば紙の真ん中から書き始めても構わない。要は議論の「構造」が明示されていることが重要なのである。また少々上級者になれば、議論のポイントや具体例を「アイコン」と呼ばれるイラストを交えるなど、会議の雰囲気づくりにも貢献できる。ファシリテーション・グラフィックには大きく二つ、議論や討議における①堂々巡りの抑制(住民との全体討議などで繰り返し同じことを発言される方がいる際に、ファシリテーション・グラフィックを全員で確認しながら「この話は先はどもしましたね。次にいきましょう」と丁寧に進行を進めることができる)、②遅刻者の理解の追いつき(会場に遅れてきた参加者が既に話し合われた内容の流れを図的に捉え、理解スピードを早める)といった効果が見込める。

多様な価値観を共存させる調整力

 公共空間を対象とした参加のデザインには、「デザイン」が美醜の価値を含まざるを得ないこともあり、成果となる「かたち」の良否が問われることは不可避といえる。しかし、周知の通り公共空間に対する価値観や重みは人それぞれであり、決して一つではない。そうした様々な価値観の方向があるなかで、我々は公共空間のデザインやマネジメントの1歩を少なからずある方向に進めていかなければならない。

 覚えておきたいのが「価値観が一つでないこと」は必ずしも「価値観を共有できないこと」と同義でないことである。もっといえば、それら異なる価値観の架け橋として相互を関係づける「構造」を探り当てることの重要性に気付かなければならない。実は、そうした価値観の「共有」や「構造」を見出すことが住民参加や合意形成プロセスの達成すべき目標の本質といっても良いだろう。公共空間の整備に対する価値観や見方を住民や専門家が互いに知ることで、双方自らの空間に対する価値の方向を吟味し、深化させていくプロセスのあり方が求められるのである。

 それは公共空間のデザインやマネジメントを題材に、住民同士が信頼関係やネットワークを形成していく機会を有し、コミュニティこアザインの目指す射程といえる。逆に言えば、住民参加や合意形成のプロセスがそのような目標を達成できる手続きとして十分機能しているかどうかは常に留意しておかなければならない。単に説明責任や住民意見の反映といった観点からでなく、成果として生み出される施設とそれに携わるコミュニティの「かたち」がいかに質的に向上するかを問わなければならないのであ さらに言えば、活性化を目的とした、にぎわい拠点施設の「かたち」には、多くの人々にとって、快適で喜ばれる機能が求められることは必須である。時には利害の対立する人々の両方が納得する施設づくりが求められるであろうし、施設のリニューアルなどに関する設計・計画の方針、施工方法などにおいても様々な組織や部署間の調整は不可欠である。ハードにとどまらず、暮らしに関わるルールづくりなども同様である。すなわち、公共空間の優れたデザイン、マネジメントを達成させるうえで「調整力」の養成は必須と言え、調整力を制するものが優れた公共空間デザイナーであるといっても過言ではない。本章で述べた思想や技術が、少しでも読者の調整力の養成に役立つことを願う次第である。
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ウィトゲンシュタイン--哲学とは何か

『メルロ=ポンティ哲学者事典』より

ドゥルーズは、哲学を「概念の創造」だと言った(ドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』)。例えば、ベルクソンは、「純粋持続」という概念を創造し、「空間化された時間」ではなく、「持続」というあり方によって、世界の見方を一変させた。「純粋持続」という真新しい液体を、世界という海に一滴おとし、海全体の色合いを、からっと変えたのだ。あるいは、ドゥルーズが、英米系の最称の偉大な哲学者と言ったホワイトヘッドは、「現実的存在」という原子的な概念を創出し、宇宙を生成消滅する関係の網にした。「現実的存在」は、生成したとたんに消滅する。どこにも、〈それ〉は登場しない。世界全体は、非連続的に連続していど仏教の「刹那滅」に似た世界だ。いままで存在しなかった新たな地平(ドゥルーズは、「内在平面」と言う)をそっくり創りだすこと。世界の見方を根底から変える「概念の創造」こそ、哲学だとジル・ドゥルーズは、言った。

ペルクソンは、自然科学と哲学をその方法論のちがいによって区別する(『思考と動くもの』)。「分析」を武器に自然を解明する科学の「直観」をつかい実在の内在的あり方を記述する哲学。同じ《実在》を異なる仕方で解明するというわけだ。むろん、どちらにも優劣はつけられない。ホワイトヘッドも、自然科学に寄りそいつつ、それとは異なる立場から形而上学を構築していく。相対性理論や量子論をじゅうぶん咀嚼したうえで、みずからの有機体の哲学をかたちづくる。ベルクソンやホワイトヘッドは、こうした位置から「概念を創造」していく。

それでは、ウィトゲンシュタインにとって「哲学」とは、どのような営為なのか。「概念の創造」とは、あきらかに異なる。なにをいっても、彼は、ドゥルーズから「悲しい出来事」あるいは「哲学の暗殺者」と名指しで批判されたのだから。

生前唯一刊行された哲学書である『論理哲学論考』(一九二一)の「哲学」観をみてみよう。まずは、いままでの哲学を批判するものから。

 4.003

  哲学的なことについて書かれてきた命題や問のほとんどは、まちがいではなく、ナンセンスだ。だから私たちは、その種の問に答えることはできない。それらがナンセンスであると確認することしかできない。哲学者たちの問や命題のほとんどは、私たちが自分の言語の論理を理解していないことに基づく。

例えば、ホワイトヘッドの『過程と実在』を初めて読むとき、創造された概念群(「現実的存在」「永遠的客体」「抱握」など)の関係をじっくりたどると、その全体像(「内在平面」)がかいまみえるだろう。その概念同士の関係によって世界は説明される。しかし、こんな哲学はウィトゲンシュタインによればナンセンスだ。なぜなら、その概念の正しさを判定する基準はどこにもなく、真偽はけっして確定できないのだから。ベルクソンの「純粋持続」も「イマージュ」もそうだ。これらの概念が正しいかどうかを、はっきりさせる術をわれわれはもってはいない。だから、ナンセンスなのだ。

では、これら既存の哲学に対して、真の哲学とはどのようなものなのか。ウィトゲンシュタインは、次のように言う。

 4.112

  哲学の目的は、考えを論理的にクリアにすることである。

  哲学は学説ではなく、活動だ。

  哲学の仕事の核心は、説明することである。

  哲学の成果は、「哲学の命題」ではなく、命題がクリアになることなのだ。

 4.114

  哲学のすべきことは、考えることのできる境界を定めると同時に、考えることのできないものの境界を定めることであ

  哲学のすべきことは、考えることのできるものによって内側から、考えることのできないものを、境界の外に締めだすことである。

 4.115

  哲学は、言うことのできるものをクリアに描くことによって、言うことのできないものを指し示すだろう。

ウィトゲンシュタインにとって哲学とは、われわれがさまざまな事物を考える際の「思考」の明晰化なのだ。人がもっている思考の道具を、ちゃんとしたものにすることこそ、哲学という「活動」なのである。使う道具がよくなければ、なにごともうまくいかない。建築も料理も、そして科学も。だから、その道具をとても鋭利なものにし、よく使えるものにすること、これが哲学なのである。そして、その道具は、もちろんわれわれの「思考」であり、それはとりもなおさず「言語」だということになる。言葉を正しく使うように導くこと。これ以外に哲学の営為はない。だから

 4.003

  すべての哲学は「言語批判」である。

この姿勢は、『論理哲学論考』執筆時のいわゆる前期だけではなく、後期といわれる時期まで一貫している。学説ではなく活動であり、その活動とは、「言語批判」なのだから、自然科学と同じような体系をつくることは、思いもよらない。自然科学と哲学との関係については、つぎのように言う。

 4.111

  哲学は、もろもろの自然科学のうちのひとつではない。(「哲学」という言葉は、さまざまな自然科学の上にあるか、下にあるかを意味しているにちがいない。自然科学とならんでいるものを意味しているはずがない)

 4.113

  哲学は、自然科学が異論を唱えることができる領域の境界を決める。

先述したように、ベルクソンは、『思考と動くもの』のなかで、哲学(形而上学)と科学との関係を論じたとき、同じ実在に対する異なったアプローチといった。方法がちがうだけで、扱う対象は同じだというわけだ。つまり、このウィトゲンシュタインの比喩を使用するなら、ベルクソンにとって、「「哲学」という言葉は、自然科学とならんでいるものを意味しているにちがいない」ということになるであろう。ホワイトヘッドの形而上学も同様だ。物理学や生物学の知見を使い、みずからの有機体の哲学をつくりあげたのだから。

このような哲学の考え方とは、まったく異なるのが、ウィトゲンシュタインの考えだと言えるだろう。この哲学者のめざす哲学とは、ベルクソンの言う意味での科学の方法論である「分析」の精緻化にあると言えるかも知れない。つまり、分析するときの道具である「思考=言語」を明晰にすること、これこそが哲学だというわけである。だからこそ、『論理哲学論考』の最後の有名な命題(「7.語ることができないことについては、沈黙するしかない。」)の二つ前の節で、次のように言う。

 6.53

  哲学の正しい方法があるとすれば、それは実のところ、言うことのできること以外、何一つ言わないことではないか。つまり、自然科学の命題--つまり、哲学とは関係のないことーしか言わず、そして誰かが形而上学的なことを言おうとしたら、かならずその人に、「あなたは、自分の命題のいくつかの記号に意味を与えていませんね」と教えるのだ。この方法は、その人を満足させないかもしれない。-その人は、哲学を教えてもらった気がしないかもしれない。--けれども、これこそが、ただひとつの厳密に正しい方法ではないだろうか。

こうして『論理哲学論考』の哲学観を見てくると、ベルクソンやホワイトヘッドのような哲学を、全面的に否定しているように見えるかもしれない。しかし、そうではない。「ナンセンス」だと言っているだけで否定しているわけではない。むしろ敬意を表しているのだキルケゴールやハイデガーのような哲学者の営為、あるいは、倫理や宗教的言説に対して、次のような思いを吐露している。

 すなわち、このようなナンセンスな表現は、私が未だ正しい表現を発見していないからナンセンスなのではなくて、それらのナンセンスさこそがほかならぬそれらの本質だからだ、ということが私には今やわかります。なぜなら、それらの表現を使って私がしたいことは、世界を超えてゆくこと、そしてとりもなおさず有意義な言語を超えてゆくことにはかならないからです。私の全傾向、そして私の信ずるところでは、およそ倫理とか宗教について書き、あるいは語ろうとした全ての人の傾向は、言語の限界にさからって進むということでした。このようにわれわれの獄舎の壁にさからって走るのは、まったく、絶対的に望みのないことです。倫理学が人生の究極の意味、絶対的善、絶対的に価値あるものについて何かを語ろうとする欲求から生ずるものである限り、それは科学ではありえません。それが語ることはいかなる意味においてもわれわれの知識を増やすものではありません。しかし、それは人間の精神に潜む傾向をしるした文書であり、私は、個人的にはこの傾向に深く敬意を払わざるをえませんし、また、生涯にわたって、それをあざけるようなことはしないでしょう(「倫理学講話」『ウィトゲンシュタイン全集 第五巻」所収、三九四頁)。

言語の限界を超えようとするわれわれの衝動は、じゅうぶん理解できるし尊いものだという。これこそ、ウィトゲンシュタインが、凡百の分析哲学者(とくに「論理実証主義者」)とは異なるところだ。「ナンセンス」だと言いながら、それに敬意を表する。この哲学者は、複雑で深く、ときに矛盾もはらんでいると言ってもいいだろう。そこが、大いなる魅力でもある。

後期の「哲学」観についても、ざっと見てみよう。後期の代表的著作『哲学探究』において、彼の哲学は、言語に焦点をあわせる。ウィトゲンシュタインによれば、言語そのもののもつ性質によって、われわれはしばしば錯覚をおかす。そのような錯覚や錯誤を丁寧に指摘していくのが哲学だというわけだ。ウィトゲンシュタインは言う。

 哲学とは、言語という手段によって、われわれの知性をまどわしているものにいどむ戦いだ。(『哲学探究』一○九節)

われわれは、言語を使うことによってものを考える。つまり、純粋な思考などできない。言語が、ある意味で、かならず「邪魔」をしてくる。だから、邪魔者である言語によりだまされる知性を正気に戻さなければならない。こうして、ウィトゲンシュタインは、真の哲学を「治療」にたとえる。

 哲学者は、病気を扱うように問を扱う。(同書、二五五節)

哲学者が、言葉によって形而上学をうちたてるとき、しばしば「病」にかかってしまう。だからこそ「われわれは、これらの語を、その形而上学的用法から、ふたたび日常的な用法へと連れ戻す」(同書、一一六節)必要がある。言葉の本来の場所員常的用法)へ戻し、誤解を解かなければならない。もともとそのような誤解などする必要はないのだと教えなければならない。壷には出口があるのに、それを見つけられない蝿を助けなければならない。

 哲学におけるあなたの目的はなにか。--蝿に蝿とり壷からの出口を示してやること。(同書、三〇九節)

このような後期の考えは、前期と地続きであることがわかる。そして、こうした哲学の方法をウィトゲンシュタインは「記述」と言う。

 だから、われわれは、どのような種類の理論もたててはならない。われわれの考察において、仮説のようなものが許されてはならない。あらゆる説明が捨てられ、記述だけがその代わりになされるのでなければならない。そして、このような記述は、みずからの光明、すなわち目的を、哲学的な諸問題から受けとるのだ。これらの問題は、もちろん経験的な問題ではなく、われわれの言語のはたらきを洞察することで解決され、しかも、そのはたらきが、それを誤解しようとする衝動にさからい認識されるようなしかたで解決される(同書、一〇九節)。

ウィトゲンシュタインが哲学という活動において忌避したのは、「理論」や「仮説」であって、いわば自然科学の模倣である。科学と同じような精密な道具もないのに、言葉の魔法にかかって、世界を説明しつくそうとすること。そんなものは、哲学ではないというわけだ。哲学は、あくまでも、われわれの周りのさまざまな事態を、何の先入見もなしに「記述」しつづけることで満足しなければならない。
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