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市民ジャーナリズム

『あなたがメディア!』より

「写真から意見を言う市民ジャーナリズムの道具がブログ・ツイッターなのか」

市民ジャーナリズムとは何だろう? 伝統的なジャーナリズムを新聞社に限定して語ることができないのと同様、そこに明確な定義はない。ただ、その実例は幾千とある。そしてその形式、体裁、目的は極めて多様だということを理解しておこう。そしてこれを忘れずに--ジャーナリストとは誰か、ではなく、ジャーナリズムとは何か、だ。

市民ジャーナリズムや市民メディア全般が、投資家や他のメディアの関心をどんどんと集めるようになってきた。各種の財団も、未来の、あるいは現実の〝ニュースの危機〟に乗り出し、市民の、市民による、市民のための取り組みに数百万ドルを投じている。

規模の大小を問わず、既存メディアが、この領域で果たすべき役割について理解するようになってきたことも心強い。今では大部分の新聞社が記者ブログを持っている。手始めとしてはいいことだ。さらに先進的なところは、読者に実際のジャーナリズムヘの参加を呼びかけてもいる。ただ、古い体質のメディアは相変わらず遅れたままで、大きな変化は望めそうにない。 疑いようもない、加速度的な変化が起きている。これまではプロの専門ツールだったものを、一般の人々が手にし始めているのだ。一つの領域が報道写真。空前の規模で状況は移り変わってきている。

現在、人々が日々、身の回りに持ち歩くメディアのツールを考えてみよう。そして10年後にはそれらのツールはどうなっているか。それがもし、1963年にあったら。

ディーレイ・プラザに詰めかけた数十人とも数百人ともつかぬ人々が、高解像度ビデオで暗殺の模様を撮影しただろう。大半はカメラ付き携帯電話で、あるいはデジタルカメラやビデオカメラを使って。映像は様々な角度から撮影されたはずだ。そしてここがカギだが、それらの端末はすべてデジタルネットワークにつながっているのだ。

ユビキタス時代の先駆けとなる技術が1963年に使われていたら。まず間違いなく、事件のビデオは発生とほぼ同時にネットに投稿されている。プロの報道機関も自前の映像をおさえるだろうが、それは直後からネットに殺到する映像との競争になる。そして既存メディアは通常、あまりに悲惨な映像は放送を控えるという適切な判断をするはずだから(米国人ビジネスマン、ニック・ペルグがイラクで斬首された映像の例など)、ネットの映像が一次情報源ということになったかもしれない。

こんなことも考えられる。様々な角度からとらえた多くのカメラ映像を使えば、遠からず事件現場の三次元ホログラムができるだろう。だとすると、狙撃犯として逮捕されたオズワルドの銃撃現場、教科書倉庫ビルとは反対側にある、有名な「芝生の丘」から別の誰かがケネディ大統領を銃撃したのか、という疑問に決着をつけられたかもしれない。

かつて、肖像画家がそれなりの暮らしぶりだった時代を思い返してみよう。写真が到来し、その多くは他の職探しをせざるを得なくなった。あるいは、少なくとも引退後に跡を継ぐ者は出てこなかった。同じように今ではプロの肖像カメラマンも、一世代前に比べると、その需要は減っている。だが肖像写真そのものは依然として残っているし、ビジネスとしても成立しているのだ。

報道カメラマンの仕事は、遠からず過去のものになっていくかもしれない。しかし、写真ジャーナリズムはますます重要になり、その広がりを増している。あなたもその一画を担うことができるし、やってみてほしい。
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ジャーナリズムの進化する生態系

『あなたがメディア!』より

「コミュニティの中に意見を言う、ジャーナリストを増やすには」

私はみなさんをジャーナリストにしようとしているわけじゃない。ただ、メディアの生態系の単なる消費者でなく、協力者になってみては、という話はしていくつもりだ。あなたの協力で、役に立って信用できる情報がみんなの元に届くのだから。

私たちは誰もが、メディアの生態系が価値と信頼の情報空間であってほしいと願っている。その一端について、差し当たり〝ジャーナリズム〃と〝ジャーナリスト〃という言葉を手がかりに探っていくことにしよう。手始めに、私がいつもやるお決まりの質問から。

「ジャーナリストとは誰?」

もう気づいていると思うけれど、これは間違った設問だ。

これが正しい。

「ジャーナリズムとは何?」

単なる言葉の定義の話ではない。ここで正しい設問ができるかどうかは、現実の問題にかかわってくるのだ。例えばいわゆる〝シールド(情報源秘匿)法〃は、内部告発者と、政府や企業の不正行為を知らされたジャーナリストを保護することを意図している。しかし次章で見ていくように、この法制度も〝ジャーナリスト〟の範囲を狭く定義することで、全くの期待はずれになり、今では事実上のジャーナリズム機能を果たしている幅広い人々や組織を、置き去りにすることにもなりかねない。目指すべきはジャーナリズムの取り組みを保護することであり、ジャーナリストを名乗る人々を守ることではない。

ジョシュア・マイカ・マーシャルが創設したブログメディア「トーキング・ポインツ・メモ」のことを考えてみよう。ネットのみのメディアで、政治的立場は中道左派。だが彼らが間違いなくジャーナリズムだということは、その一流の証しである「ポーク賞」を受賞していることからもわかる。

あるいは2009年のクリスマス、米北東部を襲った猛吹雪の中で起こったことは。人々は、各地の道路状況や、車で立ち往生した旅行者に避難所を提供する地元の人たちの情報を次々に投稿していった。従来の発想ではジャーナリズムと呼べないかもしれないが、道路脇に寄せたセダンの中で、ブラウザー付きの携帯電話で情報収集をしていた家族にとっては、報道機関がまとめたどんな記事より役に立ったはずだ。

さらに、私たちが手にしているデジタル時代のツールのおかげで、ジャーナリズムとは別分野の組織も、情報発信で大きな影響力を持つようになってきた。そういった。ほとんどジャーナリストな組織としては、フォーリン・アフェアーズ誌を刊行する米外交問題評議会(CFR)や全米市民自由連合(ACLU)、ヒューマン・ライツ・ウォッチといった人権擁護団体など、徹底した調査を注意深く公表してきた人々を加えることもできるだろう。

誰でもジャーナリズムにはかかわれるし、大勢の人たちがそうなっていくだろう。私たちは、ジャーナリズムの生態系に一度ぐらいは、ことによると頻繁に、あるいは日常的に貢献していくかもしれない。ジャーナリズムにどうやって貢献するのか--まずはやってみようと決めたら、自分のこれまでの取り組みを生かして何ができるか、あるいは他の誰かの取り組みをどう活用するか--その可能性は複雑に絡み合い、そして日々進化している。だが、それが未来だ。
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9時まで寝ていて、肩がいたい

未唯へ

 明日から、新しいことを考えられるように、昨日・今日は息抜きです。寝過ぎて、肩を痛めた。

 私の周りには何もない。それが唯一の道具です。居なくなっても、誰も知らない。世界が自分の中にあるという感覚を大事にしよう。

エッセイに向かいます

 エッセイに向かいます。そのために何をするかを考えていた。去年の夏休みを同じテーマだったような気がする。これは永遠のテーマなのか。

 会社は8章をベースにするけど、それ以外はエッセイに向かいます。

エッセイの前にすること

 自分のロジックを作り、明確にすることが中心になります。それぞれが何が言いたいのか。

 部屋で寝転がってやることと外でやることを一緒にします。レベルを合わせます。それが可能になれば、いつでもできるし、どこでもできるし、いつまでもできる。

 基本的には寝ながらやります。世界の全ては私の中にあります。外でやっている時は格好つけている時です。

ルールについて

 組織というものはルールとして、どのようにやるかです。ルールを破るのは私の仕事です。

 ラッセルの集合論とかをベースに、ヴィトゲンシュタインは哲学を作ったけど、トポロジーをベースにしたらどうなったのか。「ルール」ではなく、「近傍系」を使って欲しかった。もっと、自由に空間を行き来したでしょう。

 ヴィトゲンシュタインはヒットラーと同じ時期に、同じ学校に居た。ユダヤ人として、哲学でナチへの対抗をしていた。そんな時代です。

 ヴィトゲンシュタインの『論考』の分析を始めています。次に『哲学』を見ていきます。

『論考』の序文

 『論考』の序文は役に立ちます。「ここに表された考えか、少なくともこれに似た考えを、すでに自ら考えたことのある人にだけ理解されるだろう」ということは、気付いていない人には何の意味を持たない。気付いている人は、一緒に語ることができる。

簡単な表現

 未唯空間も『論考』のように、ものすごく簡単に表現して、アウトラインで並べよう。エッセイに行く前に、根源的なところを突き詰めないといけない。

 未唯空間のコメントは、極端に短いものと長いものを併記します。短くするとなると、五次元シートになってしまう。そろそろ、あの空間から離れないといけない。ロジックを絞りましょう。適当は部分は省きます。

 その結果として、言葉は減らすが、経緯などは裏側に置きます。インスピレーションでは、フリーで表現できます。何しろ、私の全てです。ということは、世界の全てです。まとめようとすると。次から次への湧き上がり、大変です。

ロヴァニエミ図書館

 12月に行きます。心配なのは、足がそれまで持ちこたえられるかどうかです。

 足は整形外科なのかな。糖尿の性というけど、去年、体重が減った時から始まっている。

会社の環境でまとめ

 その意味では姪はすごいですね。オーストラリア政府から200万円以上、奨学金を貰って、卒業と同時に、ギリシャに行ってしまった。論文でちゃんと返しましたという感覚です。

 だから、会社に対しても同じことが言えます。私を使わない方の責任です。私は自分の責任を果たしています。こんな風に見てくれる人は居ませんよ。会社は大事にしないと。

山梨でワインを飲みながらの余生?

 前の室長から、書中見舞いがしました。山梨に居を構えて、ここで一生暮らすとのこと。あなたがここで描いた夢は結局捨ててしまったんですね。自分の才能を見限ったのでしょう。

今週の本は旧刊書5冊です

 今週は新刊書が並ばなかったので、ウィトゲンシュタインとロヴァニエミ図書館の本だけを借りてきた。

 134.97『はじめての言語ゲーム』ウィトゲンシュタイン 橋爪大三郎

 134.97『論理哲学論考』ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン

 134.97『ウィトゲンシュタイン1』レイ・モンク 読みやすそうなので、借りてきた

 134.97『ウィトゲンシュタイン2』レイ・モンク

 010.23『白夜の国の図書館』図書館計画施設研究所 1994発刊の本です。この本を2000年に借りてから、ロヴァニエミ図書館があこがれになった。2001年に出張計画の間に予定を組んだが、9.11で行けなかった。
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