Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

京都国立博物館・遊び展

2013-08-25 16:52:58 | 美術館・博物館など

暑さに負けていられないと、よっこらしょと行った先は京都博物館。いつのまにか駐車場が有料になっている。 

特別展観 遊び》 中学小学生向けワークシートが置いてあったので、夏休みのファミリー向けの企画だったのかもしれない。(中学小学生は無料)。外国の博物館等では子供向けのプラスアルファをよくみるので(ワークシート・低位置に子供向けの説明・踏み台など)京博の取り組みはとっても良いと思う。tesyukeも1枚もらったが、今回の展観のヒットはこのワークシートだった!

 「神仏に捧げた音楽や踊りに始まり、酒宴、月見、花見、船遊び、演劇の鑑賞、囲碁や双六、歌合わせ、貝合わせ、香合わせ、子どもの乗り物や人形遊びまで、京都国立博物館が収蔵する多彩な美術品のなかに「遊び」の姿を追いかけます。」ということで、展示品は自前のものが多く、割と気楽な企画だったのでは、と思われる。

ワークシート1ページ目(写真)。踊りの絵の余白に『・・何で踊っているのかって?それは・・神様を楽しませるためじゃよ。もともとは、神様に捧げる歌や踊りを≪神遊び≫と言ってたんじゃ。ワシらは何に描かれているのかな?会場で見つけてくれ。』子供じゃなくても、神遊び?おっそうなんだ!で、この絵が描かれていたのは旭焼の鹿島踊図皿。展示品の中では珍しく明治時代のもの。何がびっくりと言って製作者はゴットフリート・ワグネルというドイツ人!もうひとつびっくりしたのは、京都・岡崎公園にある記念碑のレリーフがこの人だったこと!この外人は何者?と碑の横をいつも通っていたが・・・・。明治期日本で活躍、旭焼を創設した方なのだ。

ワークシート2ページ目。貝合わせに描かれた、遊びの場面に使われている道具を見つけましょうというもの。展観には江戸時代のものではあるが貝合わせ一対三百組が展示され、これは壮観だった。

ワークシート3ページ目。≪絵巻の中の物語を楽しもう≫と、福富草紙(室町時代・重文)を取り上げている。福富草紙は、おならにまつわる愉快な話。当時の人には漫画みたいなもの・・見ながらゲラゲラわらったんだろう。そんな楽しい絵を見ながら、セリフを考えて書き込んでみようというのが子供への課題。草紙と対話してみるという発想はすばらしい。大人はいつも見るだけの一方通行。うーんこんな楽しみ方を大人にも広げよう!

《絵巻を繰り広げると、絵や言葉で描かれた物語が現れます。お話は右から左へ進んでいくよ。会場で実際に見てみよう》とキャプション。おなら芸を身につけた秀武さん。おならで音楽を奏でては、ごほうびをもらう。羨ましがった福富さんが真似をして大失敗。そんな解説が・・

ワークシート4ページ目。会場の出口にある模型を動かしてみよう。と、豊臣秀吉がわが子にこしらえた玩具船が展示。最近の新聞に、ちょっとした仕掛けが解明されて、船が波に揺られているように動くことが分かったとのっていたが・・・。

会場をくまなく見なくても、このワークシートで親子の会話が弾んだら・・・楽しく時間をすごせたら・・よい企画ということで・・・。


オペラ座の幽霊?

2013-08-08 06:57:02 | シンシナティ

お巡りさんにパトカーに乗せてもらって、やってきました、シンシナティミュージックホール!

聞きしに勝る立派な建物。煉瓦の赤い色が美しい。前が敷石の道で、建設当初は馬車でホールに乗り付けていたのだろう。道を隔て広々とした芝生が広がっている。ワシントン公園。公園から建物の全景を写真に撮っていると、 《LEGO MY Music Hall !》 の文字が目に入る。小さな立て札に、レゴで作った模型を展示中、9日までとある。ラッキー・・・

公演中ではないので、中に入れるかどうか分からなかったので、喜び勇んでレゴの模型を見にロビーに入る。美しいシャンデリアが輝いている中にどんと、レゴの模型が置かれ、見物客がうろうろ周りを回っている(写真)。ほうっと、感心していると、メガネをかけた女性が案内に駆け寄って来て、チラシをくれたうえ、いろいろ説明をしてくれた。

・・・・・この建物の右翼のここがエレベーターなのよ。設計者がエレベーターで最上階まで昇った時、勝手にエレベーターが下りていってしまったの。それで、このエレベーターには幽霊が住んでいると言われているの・・・・・と、指差すところ、レゴのエレベーターに白い幽霊が張り付いているのが見えた。幽霊話もこれだけで・・・・これ以上の発展はなかったようだが。

このレゴは50分の1の縮尺で、レゴマニアのマーク・クラークさんが18世紀末から19世紀初頭の建物の様子を10万個以上のレゴブロックが使って組み立てたのだとか!建物の前には馬車が、後には運河と船。建物の後部は天井が開いた状態で客席が見えるようになっている。内部ホールに入ることができなかったが、それでも1877年建設の建物の様子をレゴで楽しませてもらった。シンシナティは、その全盛時に、オペラを全米で2番目、交響楽団は5番目に持っている。それらのホームグラウンドがこの建物。

ワシントン公園を横切り、これも古い立派な市庁舎を見に行く。途中には煉瓦の古い建物もあり、19世紀初頭のこの辺りの華やかさがしのばれる。あの、小泉八雲もこの辺りを歩いていたかもしれ無いと思うと、ちょっと懐かしくもある。ミュージックホール前の敷石の道には市電のレールが残されていたが、何年後かには電車を復活して走らせると聞いている、再開発が待たれる。


シンシィのパトカーに! 逮捕か?

2013-08-07 16:28:25 | シンシナティ

週末の小旅行から帰って、帰国まであと少し。ジャラジャラたまった小銭を使うべく、バスでダウンタウンへ。1ドルコインなど、めったにお目にかからないので、25セント・10セント・5セント硬貨などほんとに小銭。1セントはお金か?と疑うほど。小銭がいくらたまっても5ドルにもなることは無い。

シンシィのバスは、乗って直ぐに1ドル75セントを入れるとピンと音がしてOK。おつりはでないから、コインが少なくとも75セント消費される。75セントを25セントを三枚とか、いろいろ組み合わせて用意するが、あっという間に小銭は無くなる。以前にしわくちゃの1ドル札が機械を通らない人が、乗客に向かって、誰か換えてといっている現場に出会ったことがある。(換えてもらって無事乗車)

ところで、シンシィの観光名所ナンバー1はCincinnati Music Hall (シンシナティ・オペラ・ハウス)。今日はここを見に行こうと話が決まる。ガバメントスクエアに到着して、町の中心フォンテン・スクエアーで何時ものごと噴水を見上げ、いざ出発。ここから歩いて10分以上はかかるらしい。広場の角におまわりさんが3・4人いる。念のため、道順を聞くことに。

一人が親切に教えてくれていると、恰幅の良い一人がこちらに来いと手招きをする。この人はパトカーのおまわりさん。車に置いてある地図でもくれるのかと思っていると、どうやらシートを片付けたよう。手を前に出して手錠をかけるまねをして、底抜けの笑顔と可愛い目をして笑いながら乗せて行ってやるからパトカーに乗れと言う。心の底で、やったーと思うこれはしたくてできる経験ではない!と、やや喜ぶ。後部座席は木で堅くて、窓には鉄格子(写真)。前に張り紙・・NOTICE / EVERYTHING YOU SAY OR DO MAY BE RECORDED.・・

hus.も後部に乗り込もうとすると助手席に手招きされる。なんと言うこと!逮捕されたのはtesyuke一人か? 後で聞くと助手席のシートは座り後心地がよかったとか。このおまわりさんは、軍隊で韓国におり、休暇で日本に来たことがあるのだとか。それも大阪に。お酒(お・さ・け)お・さ・け・・と言いつつ、お・お・さ・か(大阪)と思い出していた。あっという間にオペラ・ハウス。ほんとに・ご親切に・ありがとう!!娘に、パトカーに乗せてもらってラッキーだったとメールしたhus.に、保護されたん?とつれない返事。なんという・・・不孝者。


ケンタッキー行き

2013-08-04 21:57:27 | シンシナティ

秋に3歳になるtwinsがいるので、てんてこ舞いの日常ながら、どこか小旅行へとの提案。すかさずリンカーンの生家へ行きたい!と、tesyuke。前から、隣のケンタッキー州に生家が保存されていて、覆屋の中にあるという話は聞いていた。(中尊寺の光色堂やがな!)

ボストンでは建国時の英雄たちの影が色濃かったが、こちらではリンカーンの名前がよく出てくる。以前、娘に付いて病院へ行った時、産婦人科&小児科の待合室で、手に取った絵本が≪リンカーンの言ったこと≫というタイトルだった。リンカーン通りもあるし…。また、後述したいが、奴隷解放(といえばリンカーン)に関する国立の博物館がシンシナティにはある。

とあれ、シンシナティの南端はオハイオ川。これを渡ればケンタッキー州。言い換えればケンタッキー州の北端はシンシナティと一体となっている。あわせて、グレート・シンシナティと呼ばれ、いつも到着の空港もシンシナティ空港と言いつつもケンタッキー側にある。ケンタッキーといえば、フライドチキンやがな・・競馬やがな・・。いえいえtesyukeさん、モハメッド・アリ博物館と言うのがありますよ。はたまたバットの殿堂というのはいかが?うーん、いまいち!最後に・・どや、エジソンの家は!ぴぴーーんとtesyuke、行く行くエジソンの家見に行く!

というわけで、エジソンの家・リンカーンの生家・バーボン醸造所が今回のテーマ。で、一路ルイビルの街へ。9時ごろに家をたって、一路南へ。ルイビルは州都ではないがケンタッキーでは一番大きい都市。道は広いからどんどん飛ばすけれど、隣の州たって、ルイビルに着いたのは昼近く。アメリカは大きい!

 

続く


すばらしい!Historic Spring Grove Cemetery

2013-08-02 21:03:01 | シンシナティ

8月2日金曜日・・シンシナティ観光お勧め度ナンバー2といわれているが・・・この家のもの及び友達等々誰も存在さえ知らないと言う Historic Spring Grove Cemetery and Arboretum (スプリング墓地&森林公園)に行ってきた。と言っても車の運転は娘。何々・・お墓?と、怪訝そうな顔。

ところが、来てみるとびっくりを通り越して、唖然茫然。これこそシンシナティの隠し玉。要は、墓地公園なのだが、シンシナテの人もビジターも一見の価値あり・・・シンシィの歴史が詰まってるとネットの投稿にうなずくばかり。えーーっと高野山みたいなものかな?と、娘。まあそうですな・・・・。

車を止めて、アップダウンの地形に広がる芝生&樹木の中に見える尖塔を見ながら歩いていく。さながら古代ヨーロッパの石造物を見る感じ。途中で、これがお墓と気づく。ここを墓地としたファミリーの初代さんの墓で、それを囲むように子孫の墓(墓碑銘が芝生に埋め込まれている)がある。囲いもなく境もなく一基一基が離れているので、芝生と思って歩いて多々失礼もした。古びた石造の御魂屋や静かな美しい池もある。奥へ奥へと誘なわれると、戻ってこれそうもないので、いったん円を描くかんじに歩を進め入口に戻ってくる。インフォメーションに寄って、パンフレットをもらって仕切り直し。

園内の地図をもらうと、その広大なこと!幾通りものトレールコースがあり、先ほど歩いて回ったのが、まさに最短のコースだった。今度は、興味引かれるところに立ち寄ると言うことで、車でゆるゆる出発。

日当たりの良い芝生の一角。infants(幼児達)の墓とある。供えられたカラフルな花々が目を引くが墓標は芝にうずもれたプレート。なぜ家族墓に一緒に埋葬しないのかとも思ったが(そういうケースもあるだろう)幼子を失った人が同じ年頃の子供たちと遊べるようにと願ったのだろう。(趣旨は違うが)日本の賽の河原を思い出して、切ない気持ちになる。と、墓地管理の車が止まり男の人がおりてきた。やおらプレートに水をかけブラシでこする。掃除だ。芝生面より低いので土をかぶり汚れるのだ。子を亡くした親が再々訪れた時に美しい状態であるようにとの心配り。

次は、南北戦争戦死者の墓。星条旗が立っているので直ぐ分かるよと言われていた。当時の

続く


物乞い?

2013-08-01 15:48:30 | シンシナティ

大分土地勘が戻ってきて、ぶらぶら何度か近くのショッピングモールへ出かけている。スーパーマーケット・クロガーの入っているところで、近くと言っても片道30分弱・・・。アメリカ人から見たら歩くなんて、酔狂そのもの!日傘などさすと酔狂の上塗りなので、せいぜい帽子。しかし住宅街を上手に選べば、大木の陰があるので、近所を散歩してますって顔をして、帽子も脱いだりかぶったり。ジョッギングしてる人がいるので、走るほうが怪しまれないかも?

2010年秋から2011年春にかけて、ハロウィーン・感謝祭・クリスマスなど、町の賑わいを楽しんだものだ。このショッピングモールへは、よく一人できて、うろうろ・きょろきょろ・したものだ。駐車場を囲むように二つのスパーマーケットが両端にあり、それを結ぶ長い折れ曲がった通路に面し沢山の店が入っている。特によく行ったのがマイケルズとジョアンと言う店。

かわりは無いかーーと思いながら歩いていると、小柄な女性が小さな子供の手を引いて歩いてくる。すれちがいざま顔があったとき、彼女が低い声で何か言ったのが耳をかすった。はっ、なに?たしか  “ Would you like ・ ・・・・・・・  for my child and I" と、聞こえたような気・が・し・た。どうしたものやら、ぼうっとしているうちに彼らは去っていったが・・・・。ひょっとして子供と私に・・・・と、物乞いだったのではないかと、思っている・・・

3年前の夏には、ダウンタウンや病院前、スーパーの駐車場横など数ヵ所で青年がボードを持って立っているのに出会っている。Help Me の文字が痛々しかった。戦地帰りの青年達のようであったが・・・・。先日ダウンタウンに出たとき、そんなことを思い出していたら、やっぱり一人、迷彩服を着た男性がボードをもって立っていた。