金剛頂寺で納経も済ませ宿坊へ戻る。立派な宿坊はお寺の奥さんが切り盛りしている。
お遍路さんは名前を書いていただかなくってもいいですよ・・・。
この寺の親戚・母娘三代5名が遍路として宿泊していて、奥さんが丁度宝物館へ案内なさるところ。
よかったら一緒においでなさい・・・・・。
丁寧に断って、部屋へ。ながーーい一日だった。室戸にいるのがうそみたい。
歩きのお遍路さんはあの長い海岸線を2日か3日かけて歩く。
1時間半ですっ飛ばしたなんて、口が裂けてもいえない!
tesyukeの一人よがりの考え。≪阿波の遍路ころがしは、肝試しみたいなものではないか?、と。
歩いていけるか?歩きとうせるか?どうじゃな?(お大師さんと)同行二人と悟って、決心を固めさすところ。発心の道場と言われている所以≫
土佐の寺々は離れ離れに存在している。≪その間の長い道のりを、一人でもくもくと歩くのは〈行〉以外の何ものでもないだろう。逃げ場の無い道をただ足を前へ出すのみで、いやでも自分自身と向き合うことに。修業の道場の所以≫うむ・・
お風呂を済ませ、食堂へ。7人が顔を合わす。なかなか豪華な夕食。宿坊なのに?と、逆にびっくりする。
遍路リスト
*男性・歩き・東京から・70台後半・立派なグレーの山羊ひげ・赤銅色に日焼け・4回目!
*男性2人・車・中年男性と父親(ひげ爺と同じ位の年令)・生まれは四国だが今名古屋に住んでいる・長年勤務表彰による長期休暇とお盆休み合わせて利用・1~20番はすでに歩きで終了・88番から逆に20番目までは、すでに済ませている・今回は間をまわっている・お遍路に興味のない父親を車に乗せて連れてきた!デスト。
*お爺ちゃんと孫!・歩き!・群馬から・爺ちゃんは今回5回目。色札の納め札を使えるが、孫が初めてなので白を使っている・ひげ爺よりは若い
坊やは小学4年生と聞いて、おったまげる。僕2000年1月22日生まれやねん。友達は1999年生まれやし言いにくいねん、と屈託が無い。9歳には見えない大柄な元気な少年。
津照寺前で買った野根まんじょうを皆で食べながらいろんな話を聞かせてもらう。
初めて知ったが、お遍路はきっちり1番あるいは88番から始めなくてもよいそうだ。(知っていれば四国へ来た折々にお参りしたのに・・。)
みんな少年に興味が行く。おじいちゃんは若い時仕事で四国に住んでいて、遍路は馴染みのものだった、と・・。息子に家業をほとんど任せるようになって、夏にはのんびり遍路三昧。夏はいいですわ・・・
あんまりお遍路さんがいないので宿の心配しなくて良い。どこでもOK、泊まれます。
『あはっ、今年孫に聞かれたんです。お爺ちゃん毎年夏になったらいなくなるけど何処へ行ってるの?
これこれしかじか・・。行きたい!と言うわけで連れてきた。』と、孫連れの説明。
『阿波の難所は後から押し上げてくれて苦にもせずについてきた。
土佐の海岸が困りました。単調なので退屈して退屈して・・・。』
hus.があとで言っていた。あの坊主、風呂で般若心経聞かせてくれたで・・。真似してるうちに覚えてしまったらしい。鉄は熱いうちに打て!いや、門前の小僧・・。
それにしても、十分過ぎるほどの、いわゆる‘後期高齢者’資格保持者が歩き遍路を軽々こなして、元気なこと元気なこと。我々などひよっこ扱い。
又ひよっこのひ弱いこと・・。車遍路のくせに、疲れた!!を、連発。
8月6日
6時・・昨夜言われていたので、朝のお勤めに。
親戚の方々も揃い大住職・若住職お出まし。大住職は親戚に向かい『護摩をたかせてもらいます。今から焚いて・・それからお勤めしま・・。いやいやそれでは・・・』等とぶつぶつ。あげく『お勤めが先で、護摩は後』扇子の先を遍路一同の方に向けて、『あ・ん・た・ら・は、お勤め終わったら食堂へ朝ごはん食べに行って。もう用意できてるから』・・・若住職のお経の声はよかった。声も商売道具じゃて・・
そして、‘あ・ん・た・ら・ご一行’は朝食に。ところがそこには≪ビッグ・ブレックファースト≫が用意されていた。この宿坊は泊まり心地も良く、食事も良く、お勧めの花丸印。されど人はパンのみに生きるにあらずとかなんとか???ちょっとピントはずれ?それでは、画竜点睛を欠く、ですかね?
かれこれ1時間後に出発。7時20分。
坊やは今日母親が迎えにきて群馬へ帰る。阿波池田まで送り、お爺ちゃんは一人で遍路最スタート。
写真:26番金剛頂寺から27番神峰寺への遍路道
お遍路さんは名前を書いていただかなくってもいいですよ・・・。
この寺の親戚・母娘三代5名が遍路として宿泊していて、奥さんが丁度宝物館へ案内なさるところ。
よかったら一緒においでなさい・・・・・。
丁寧に断って、部屋へ。ながーーい一日だった。室戸にいるのがうそみたい。
歩きのお遍路さんはあの長い海岸線を2日か3日かけて歩く。
1時間半ですっ飛ばしたなんて、口が裂けてもいえない!
tesyukeの一人よがりの考え。≪阿波の遍路ころがしは、肝試しみたいなものではないか?、と。
歩いていけるか?歩きとうせるか?どうじゃな?(お大師さんと)同行二人と悟って、決心を固めさすところ。発心の道場と言われている所以≫
土佐の寺々は離れ離れに存在している。≪その間の長い道のりを、一人でもくもくと歩くのは〈行〉以外の何ものでもないだろう。逃げ場の無い道をただ足を前へ出すのみで、いやでも自分自身と向き合うことに。修業の道場の所以≫うむ・・
お風呂を済ませ、食堂へ。7人が顔を合わす。なかなか豪華な夕食。宿坊なのに?と、逆にびっくりする。
遍路リスト
*男性・歩き・東京から・70台後半・立派なグレーの山羊ひげ・赤銅色に日焼け・4回目!
*男性2人・車・中年男性と父親(ひげ爺と同じ位の年令)・生まれは四国だが今名古屋に住んでいる・長年勤務表彰による長期休暇とお盆休み合わせて利用・1~20番はすでに歩きで終了・88番から逆に20番目までは、すでに済ませている・今回は間をまわっている・お遍路に興味のない父親を車に乗せて連れてきた!デスト。
*お爺ちゃんと孫!・歩き!・群馬から・爺ちゃんは今回5回目。色札の納め札を使えるが、孫が初めてなので白を使っている・ひげ爺よりは若い
坊やは小学4年生と聞いて、おったまげる。僕2000年1月22日生まれやねん。友達は1999年生まれやし言いにくいねん、と屈託が無い。9歳には見えない大柄な元気な少年。
津照寺前で買った野根まんじょうを皆で食べながらいろんな話を聞かせてもらう。
初めて知ったが、お遍路はきっちり1番あるいは88番から始めなくてもよいそうだ。(知っていれば四国へ来た折々にお参りしたのに・・。)
みんな少年に興味が行く。おじいちゃんは若い時仕事で四国に住んでいて、遍路は馴染みのものだった、と・・。息子に家業をほとんど任せるようになって、夏にはのんびり遍路三昧。夏はいいですわ・・・
あんまりお遍路さんがいないので宿の心配しなくて良い。どこでもOK、泊まれます。
『あはっ、今年孫に聞かれたんです。お爺ちゃん毎年夏になったらいなくなるけど何処へ行ってるの?
これこれしかじか・・。行きたい!と言うわけで連れてきた。』と、孫連れの説明。
『阿波の難所は後から押し上げてくれて苦にもせずについてきた。
土佐の海岸が困りました。単調なので退屈して退屈して・・・。』
hus.があとで言っていた。あの坊主、風呂で般若心経聞かせてくれたで・・。真似してるうちに覚えてしまったらしい。鉄は熱いうちに打て!いや、門前の小僧・・。
それにしても、十分過ぎるほどの、いわゆる‘後期高齢者’資格保持者が歩き遍路を軽々こなして、元気なこと元気なこと。我々などひよっこ扱い。
又ひよっこのひ弱いこと・・。車遍路のくせに、疲れた!!を、連発。
8月6日
6時・・昨夜言われていたので、朝のお勤めに。
親戚の方々も揃い大住職・若住職お出まし。大住職は親戚に向かい『護摩をたかせてもらいます。今から焚いて・・それからお勤めしま・・。いやいやそれでは・・・』等とぶつぶつ。あげく『お勤めが先で、護摩は後』扇子の先を遍路一同の方に向けて、『あ・ん・た・ら・は、お勤め終わったら食堂へ朝ごはん食べに行って。もう用意できてるから』・・・若住職のお経の声はよかった。声も商売道具じゃて・・
そして、‘あ・ん・た・ら・ご一行’は朝食に。ところがそこには≪ビッグ・ブレックファースト≫が用意されていた。この宿坊は泊まり心地も良く、食事も良く、お勧めの花丸印。されど人はパンのみに生きるにあらずとかなんとか???ちょっとピントはずれ?それでは、画竜点睛を欠く、ですかね?
かれこれ1時間後に出発。7時20分。
坊やは今日母親が迎えにきて群馬へ帰る。阿波池田まで送り、お爺ちゃんは一人で遍路最スタート。
写真:26番金剛頂寺から27番神峰寺への遍路道