Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

行こう!行こう!お遍路に!⑲元気なお年寄り

2009-08-29 00:06:49 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
金剛頂寺で納経も済ませ宿坊へ戻る。立派な宿坊はお寺の奥さんが切り盛りしている。
お遍路さんは名前を書いていただかなくってもいいですよ・・・。
この寺の親戚・母娘三代5名が遍路として宿泊していて、奥さんが丁度宝物館へ案内なさるところ。
よかったら一緒においでなさい・・・・・。
丁寧に断って、部屋へ。ながーーい一日だった。室戸にいるのがうそみたい。
歩きのお遍路さんはあの長い海岸線を2日か3日かけて歩く。
1時間半ですっ飛ばしたなんて、口が裂けてもいえない!

tesyukeの一人よがりの考え。≪阿波の遍路ころがしは、肝試しみたいなものではないか?、と。
歩いていけるか?歩きとうせるか?どうじゃな?(お大師さんと)同行二人と悟って、決心を固めさすところ。発心の道場と言われている所以≫
土佐の寺々は離れ離れに存在している。≪その間の長い道のりを、一人でもくもくと歩くのは〈行〉以外の何ものでもないだろう。逃げ場の無い道をただ足を前へ出すのみで、いやでも自分自身と向き合うことに。修業の道場の所以≫うむ・・

お風呂を済ませ、食堂へ。7人が顔を合わす。なかなか豪華な夕食。宿坊なのに?と、逆にびっくりする。

遍路リスト
*男性・歩き・東京から・70台後半・立派なグレーの山羊ひげ・赤銅色に日焼け・4回目!
*男性2人・車・中年男性と父親(ひげ爺と同じ位の年令)・生まれは四国だが今名古屋に住んでいる・長年勤務表彰による長期休暇とお盆休み合わせて利用・1~20番はすでに歩きで終了・88番から逆に20番目までは、すでに済ませている・今回は間をまわっている・お遍路に興味のない父親を車に乗せて連れてきた!デスト。
*お爺ちゃんと孫!・歩き!・群馬から・爺ちゃんは今回5回目。色札の納め札を使えるが、孫が初めてなので白を使っている・ひげ爺よりは若い
坊やは小学4年生と聞いて、おったまげる。僕2000年1月22日生まれやねん。友達は1999年生まれやし言いにくいねん、と屈託が無い。9歳には見えない大柄な元気な少年。

津照寺前で買った野根まんじょうを皆で食べながらいろんな話を聞かせてもらう。
初めて知ったが、お遍路はきっちり1番あるいは88番から始めなくてもよいそうだ。(知っていれば四国へ来た折々にお参りしたのに・・。)
みんな少年に興味が行く。おじいちゃんは若い時仕事で四国に住んでいて、遍路は馴染みのものだった、と・・。息子に家業をほとんど任せるようになって、夏にはのんびり遍路三昧。夏はいいですわ・・・
あんまりお遍路さんがいないので宿の心配しなくて良い。どこでもOK、泊まれます。

『あはっ、今年孫に聞かれたんです。お爺ちゃん毎年夏になったらいなくなるけど何処へ行ってるの?
これこれしかじか・・。行きたい!と言うわけで連れてきた。』と、孫連れの説明。
『阿波の難所は後から押し上げてくれて苦にもせずについてきた。
土佐の海岸が困りました。単調なので退屈して退屈して・・・。』
hus.があとで言っていた。あの坊主、風呂で般若心経聞かせてくれたで・・。真似してるうちに覚えてしまったらしい。鉄は熱いうちに打て!いや、門前の小僧・・。

それにしても、十分過ぎるほどの、いわゆる‘後期高齢者’資格保持者が歩き遍路を軽々こなして、元気なこと元気なこと。我々などひよっこ扱い。
又ひよっこのひ弱いこと・・。車遍路のくせに、疲れた!!を、連発。

8月6日
6時・・昨夜言われていたので、朝のお勤めに。
親戚の方々も揃い大住職・若住職お出まし。大住職は親戚に向かい『護摩をたかせてもらいます。今から焚いて・・それからお勤めしま・・。いやいやそれでは・・・』等とぶつぶつ。あげく『お勤めが先で、護摩は後』扇子の先を遍路一同の方に向けて、『あ・ん・た・ら・は、お勤め終わったら食堂へ朝ごはん食べに行って。もう用意できてるから』・・・若住職のお経の声はよかった。声も商売道具じゃて・・
そして、‘あ・ん・た・ら・ご一行’は朝食に。ところがそこには≪ビッグ・ブレックファースト≫が用意されていた。この宿坊は泊まり心地も良く、食事も良く、お勧めの花丸印。されど人はパンのみに生きるにあらずとかなんとか???ちょっとピントはずれ?それでは、画竜点睛を欠く、ですかね?

かれこれ1時間後に出発。7時20分。
坊やは今日母親が迎えにきて群馬へ帰る。阿波池田まで送り、お爺ちゃんは一人で遍路最スタート。

写真:26番金剛頂寺から27番神峰寺への遍路道

行こう!行こう!お遍路に!⑱室戸の寺々

2009-08-27 00:55:47 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
中岡慎太郎像を見た後、山道を最御崎寺駐車場まで。歩き遍路は室戸岬から険しい坂道を登って行く。

*24番最御崎寺(ほつみさきじ)室戸市室戸岬町
いよいよ高知県(土佐の国)最初の札所。山号は室戸山。寺の名前は最御崎。名前通り、そのまんまの場所にある。太平洋の潮風を受けてこんな場所に1000年以上の歴史を持つ大寺が存在することが、不思議。空からそっと山の上に伽藍を置いたような・・・
山門をくぐると境内にはお地蔵様がずらりと並んでおり、その先には沢山の建物が見える。
建物の陰にサトイモのような植物が群生しているのが見える。≪食わず芋・空海の七不思議≫そして、≪昔土地のものが芋を洗っていると一人の遍路(空海)が通りかかり、その芋を乞うたところ、「これは食えない芋だ」と言って与えなかった。それ以来本当に食べられなくなったと伝えられている。≫と、書いてあった。    **京女~よくき~け~よ~ いけずをしたらあきまへん** と言われているような。

室戸岬周辺に来て、南紀の匂いがするなーーー、と思うのは関西人だからか?
黒潮が持ってくるからっとした明るさ!港、そしてそこここに浜木綿の花が咲いている。

*25番津照寺(しんしょうじ)室戸市室津
最御崎寺から車で15分ほど。が、寺近辺に来ると、家が密集しだし、細い道にうろうろ。
津照寺門前までは(たいした距離でないが)一本道に家が連なって、門前町の体をなしている。
しっかり中の一軒に≪野根まんじゅう≫の名前を見つけるtesyuke。(帰路、購入)
道の突き当りが寺の山門。傍の石柱に≪海上安全≫の文字が。港町にあるんだ・・・

そこから、二車線?!の見上げるような急な階段!お寺は山の上!
途中に鐘つき堂をかねた変わった形の門がある。(写真)
中央の手すりにつかまりながら団体のお遍路さんが下りてくる。
tesyukeも杖の無い身とてぼちぼちと足を引きずりながら上っていく。
(思えば長い一日だった!まだ終わってないよ・・って)
山上で礼拝をした後下山(まさに)。目の前に土佐湾~太平洋を望みながら石段を下りる。絶景! 
もう3時45分。金剛頂寺に急がねば・・

*26番金剛頂寺(こんごうちょうじ)室戸市元乙
やっぱり山を登ってきて山門前の駐車場に到着。宿坊までは別途道があり、続いて上る。駐車場(山門)から境内までの距離を歩かずにすんでラッキー(そんな心境)。宿坊に荷物を置いて、あらためて境内に。

歴史のある寺。真言道場であったため、明治初年まで女人禁制だったとか!
境内には目を引くものがいろいろ。
*大師が粥を炊くと一粒が万倍になったといわれる釜・・・ヤッコソウ自生地の碑・・・捕鯨八千頭精霊供養塔などなど・・・立派な宝物殿もある。
捕鯨と言えば和歌山県の太地と条件反射してしまう関西人。
室戸も捕鯨で有名なんだ・・そういえば、よさこい節には「・・・塩吹くクジラが泳ぎよる」と。

盆地生まれの盆地育ちは高知県の海岸で考える。・・・水平線しか見えない土地に住むとはどんな感じなんだろう!どんな人間に育つのだろう?同じ海岸線でも暗いオホーツクと明るい土佐では?心理学の領域か?

行こう!行こう!お遍路に!⑰杖の行方と室戸岬

2009-08-26 12:19:31 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
今日は一番長い移動距離。それに朝からの時間のロス。加えての暑さに、こまごまと気持ちを使う余裕を失っていたのだろう。杖は多分一つ前の平等寺に置き忘れたのだ。
もう取りに戻れる距離でもないし、時間も無い。新しく買えばいいだろう、とhus.は言う。
置き忘れられた杖が来る年も来る年もその場にあって動きもならず朽ちていく様子が目に見える。杖はお大師さんとすれば、まことに申し訳ない。
平等寺納経所の応対の気持ちよかったことを思い出し、ここならひょっとしてと、・・とにかく聞いてみる・・・と、電話する。

あのーー、杖に一面般若心経が書いてあるんです・・・杖はみんな同じようなものです・・・・(ごもっとも)・・・・御杖袋も般若心経の柄なんです・・・・まあ、とにかく見てきましょ・・・
・・本堂の前に二つ並んで杖がおいて有りました。赤と青の御杖袋。これですかね・・・そ・そうです!

後日談ながら、御杖袋と杖との境に宛名用の紙を巻いたままの軽装で、杖は無事帰ってきた。(着払いの)代金を受け取りながら『大抵のもの配達してますがこれははじめてや・・!!』と配達員の言葉。お寺へは感謝の気持ちを込めてお礼の品を送っておいた。

とにかく一件落着・今日はどこに泊まろうか?
室戸岬周辺に三つお寺がある。翌日の出発を考えて三つ目の寺・金剛頂寺宿坊にする。ここまでたどり着いておけば、お参りは明朝としてもスケジュールは完璧。

一路室戸岬へ!
室戸阿南海岸国定公園の海岸線をhus.はぶっ飛ばし、カーナビの室戸岬到着予定時間がぐんぐん早くなる。だんだん近づくにつれ海が荒れだしている。台風が近づいているようだ。
思わず≪富士には月見草が良く似合う(太宰治の富嶽百景から)室戸には台風が・・・≫と、つぶやく。
と言うのも、前回室戸岬に来た時も台風だった。白く高い波の飛まつが飛んでくる中、太平洋に向かって深呼吸をしたのを思い出す。札所がそばにあるなんて気にも留めなかった!

その時は、松山から入って・・内子・・宇和島へ。足摺岬が嵐だと聞いて一路高知へ針路変更・・。高知の山の中を馬路村(ゆずで売り出し中だった)から・・恐ろしい山道を通り東洋町へ出て・・・
今回と同じ海岸線を走ったのだった。
あっは・・・そして逃げて来たはずの台風に室戸で又ぶつかり・・嵐の中、高知・瀬戸大橋を経て帰宅。
のつもりが、我々の丁度手前で橋は通行禁止、足止めを食った、苦い思い出!

突然真っ白な巨大なお大師さんの像が目に飛び込んできた。(写真)
室戸青年大師像。太平洋に向かって立っていらっしゃる。
少し進むと、人だかりが見えてきた。観光バスが2台も停まっている。ここが、御厨人窟(みくろど)なんだ。太平洋に面した絶壁にぽっかり口をあけた二つの洞穴。空海が修行を重ねた神明窟と、修行中の住居としていた御厨人窟(みくろど)の2つが並んでいる。
水滴の滴り落ちている洞窟内に入る。薄暗い御厨人窟の中から、入り口の形に切り取られた空と海が見える。1200年の昔。若い修業僧。涙がこぼれそう。

洞窟と道を隔てた海岸の岩場が乱礁遊歩道と呼ばれ歩けるようになっている。近くまで大波が打ち寄せて、飛まつが高く上がる。形定まらない波をむやみやたらに写す。
最御崎寺へと心ははやるが、今ひとつ見たいものが・・・
道なりに室戸岬の先端部へ。そして中岡慎太郎像。明日は彼の生家跡にも行く予定。(今回の裏テーマは中岡慎太郎。どっちかと言うと龍馬より彼が好き!)

もう2時半。急げ!最御崎寺へ!

行こう!行こう!お遍路に!⑯阿波一国打ちました

2009-08-26 00:10:44 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
民宿金子やに金剛杖を忘れたばっかりに、平等寺までは遠回りとなってしまった。
ついでとばかり、道すがら、ガソリンを入れたり、ろうそく・線香を買い足したり。
徳島市を離れてからは、だんだん寺と寺の距離が長くなってきた。それに呼応するかのように、屋根つきの小さな休憩所のようなものを度々見かけるようになった。遍路小屋の立て札。
歩きお遍路さんがちょっと休憩あるいは野宿できるようにとの、地元の人の親切に心打たれる思い。

*22番平等寺(びょうどうじ)阿南市新野町
10時半到着。緑の山をバックお寺は静まっている。立派な山門には色鮮やかな五色の幔幕がしてあり優美。ちょっとせり出した門の階段横は田んぼで、稲が実り始めている。なんとも平和な佇まい。
上のほうに見える大師堂にも五色の幔幕が翻っていて、そこまで長くて急な階段が伸びている。(写真)
金剛杖をつきながら上っていく。どうやらこちらが男坂らしい。
納経所には珍しく若い女性が一人。優しい笑顔に元気を貰う。

*23番薬王寺(やくおうじ)海部郡美波町
22番から車で30分。ついに阿波の国最後の札所に着く。天気は良く時はまさに正午。
この寺までを射程に家を出たのに、出会ったお遍路さんに応援されてはやばやここまでやって来た。
本堂へ登る階段の隅、一段ごとに一円五円といった小銭が落ちている!(と、しか見えない。)
この寺は厄除けとして有名で、厄年の男女はそれぞれ境内にある男厄坂42段、女厄坂33段の階段を、一段ごとにお賽銭を置き上って行くのだとか。
珍しくて写真ばかり撮っていたのが瑜祇塔(ゆぎとう)。真言宗の瑜祇経の教理を形に表したもの。

元気な歩き遍路さんを見ていると、こちらもちょっとハイになって来るようだ!
今から思えばこのあたりに宿を決めゆっくりすればよかったかもと思う。日和佐や!海がめや!などと口走っていたのに、結局は室戸岬まで突っ走ろうと、昨夜のうちに決めた。
室戸までは車で約2時間。そこでいくつかの寺に参り宿を取る。

お昼を食べて、宿に電話をしなくては・・と、うどん屋さんに入る。
昨日の≪大判のおあげ≫を思い出し、きつねうどんと柚子ちらしを注文。
柳の下にどじょうは二匹居りませんでした・・残念!

ああ・・、それに追い討ちをかけるように・・
『おっ、杖は?』『ぎゃぁぁ・・・、無い!』
阿波一国遍路終了を心静かに祝う場が暗転、またもや杖に振り回されることに・・

*打つ・・・『巡礼をする』の意。

行こう!行こう!お遍路に!⑮西の高野・太龍寺

2009-08-25 00:30:06 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
宿を出て、長い山道を車は行く。着いた所はちょっと開けていて、道の駅・鷲の里(民宿併設)がある。
もう一つ鷲の里観光物産センターというのもあって、その最奥に太龍寺行きロープウエイの山麓駅がある。目の前をロープウエイが出ていった。次は7時40分発。

太龍寺は徒歩でしか登れない、遍路ころがしと言われる難所だった。が、有り難いと言うべきか、残念だというべきか、このロープウエイのおかげで楽に行けるようになった!
徒歩で登ってみたいような気もしていたが・・行ってみて言える!‘ありがたや・・ありがたや・・ロープウエイさまさま。’
乗ってみて驚いた。なーーーんと大きなゴンドラ!101人乗りのゴンドラは山頂駅まで山・川を越えて行く。全長2,775mの距離。西日本最長。ゴンドラの真下は杉の木で覆われたじゅうたんのよう。遠くに目を転じれば、山が・・川が・・なんと雄大な景色!幾重も山が重なってその山の色は緑から青のグラデーション。美しい。
途中切り立った岩壁に弘法さんの坐像が小さく見えた(写真:分かるかな?中央の点のようなの)。19歳の時の修業の姿とかで、実際は2メートルもあるんですと、スタッフ。そんなゴンドラに遍路はたった3人。
山頂駅に到着。お寺に横付け。

*21番太龍寺(たいりゅうじ)阿南市加茂町
駅を出れば俗なものは一切なしと言う環境。山のてっぺんに見えるお寺まで長い‘・・か・かいだん・・’が一直線に続いている。tesyukeにとっちゃ、これだけでも難所。
立派な黒門を通ると、大きな杉木立の間に沢山の建物が散在している。西の高野山と言うのだとか。うなづける。高度が高いからか、紫陽花の花が今を盛りと咲いている。青色が涼やか。

本堂前で若い女性の歩き遍路さんに会う。長身の彼女のお化粧っけのない顔が輝やくように美しい。汗を顔中に流してるのがいいんでしょか?と、彼女。若い人は、太陽光線が皮膚の上で反射していくようだと、いつも思う。ぴかぴか。tesyukeなんど、墨を塗った紙に太陽光を集める感じ。皮膚がじりじり音を立てている。曇り空の日も多く、おまけに車。なのに、首も手も焼けて焼けて・・・なんだか肌あれもおこしかけている。あまりのことに、このところタオルを首に巻いて、野良仕事に出かけまーーすと言ったスタイル。

すがすがしい心持で、山頂駅に戻ってくる。まだ朝の9時。お接待です・・と、きのこ茶を頂く。
あとは、下山して、22番札所へ・・・・
の、はずだった。

『杖は?』と言われて気がついた。ああ、車から出して家の中に置いたのがあだ。
『ワーー、忘れてきた!』
しょうがないなー-と、少し遠回りになるが、元来た道を‘金子や’へ引き返す。
無事金剛杖を手にし・・車遍路はひた走る。

行こう!行こう!お遍路に!⑭遍路宿の夜はふけて

2009-08-24 12:21:31 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
金子や(宿の名前)に客は4人。遍路姿の菅さんの写真が壁に飾ってある食堂で夕食。

遍路リスト
*リタイヤ男性・大阪から・山登り大好きで歩くのはOK・3月に1回目遍路敢行・
今回19番から・秋に又続きを・大阪から夜行バスで来ると朝一番に徳島や・・
*青年・28歳・愛知県から・新幹線で大阪そして夜行バス・老人施設で介護の仕事・・通しで88ヶ所回れるだけの休みがもらえた!

青年は今日始めてお接待してもらったとにっこり。
最後には疲れて、ヒッチハイクもしたんです(実は、一回したかったんです)と、うれしげに語る。手を上げて3台目が止まってくれたんだとか。
彼が愛知出身と聞いて、tesyukeも知多郡美浜町小野浦へわざわざ行った話しなど。そこは三浦綾子さんの「海嶺」の舞台。江戸末期、知多から江戸への千石船が嵐に巻き込まれアメリカへ漂着。若い三人だけが生き残って、過酷な運命の中各人の人生を立派に歩んだ話。中の一人は新約聖書の日本語訳をはじめて完成させた。

この愛知の青年は、遍路の経験が仕事に生きると思うと、真剣な目つきで語ってくれた。お年寄りにこうだったああだったと話をしてあげたいんです・・とも。
ほんとに気持ちのよい青年で、大人たち?は保護者気分でがんばれと、エールを送る。
持ってきていたコーヒーを4人分入れて‘他生の縁’同士の会話は弾む。お若いのは、ブラック駄目ですと、ミルクと砂糖をおばさんに貰いに行く。遠慮がち過ぎてさっとは出してもらえず気の毒。
リタイヤ男性は今度の選挙の話など・・・
車を手放したんで、高速道路がただになってもなーー。ガソリン使用が増えれば地球温暖化促進やしーー。イヤーー反対の部分も沢山あるけど今回はなーーと、菅さんの写真を見上げる。

8月5日(4日目)
6時30分朝食
28歳青年が納め札をくれた。写真を取らしてもらっていいですか?息子みたいな人にピースサインでもあるまいと、ちょっと済まして・・
二人は今日は20番焼山寺に行ってから山道を21番太龍寺へ行くらしい。二つの寺は向かい合う位置関係にあり、どちらも難所!これだけで一日がかりだろう。

我々が一番早く7時過ぎに出立。21番太龍寺へはロープウエイに乗るつもり。青年が見送ってくれた。

行こう!行こう!お遍路に!⑬一に焼山、二にお鶴、三に太龍

2009-08-24 00:09:13 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
*18番恩山寺(おんざんじ)小松島市田野町
竹林の生い茂る参道を登って着いたのが12時半。
何にも知らなかったのだが、88ヶ寺中なかなかのいわれを持っている。弘法大師のお母さん(玉依御前)がはるばる讃岐から来てここで出家なさったとか。山号が≪母養山≫。
玉依御前を祀ったお堂があるというので納経所で聞くと、本堂に引っ付くようにして立っている小さな建物。さっき覗いていた所。
本堂に≪摺袈裟有≫と大きな年代物の木の看板。(写真)
なんだかアリガタソウで家族分購入。四国霊場では唯一恩山寺だけに伝わっていて、生きている人が持つと、不幸を防ぎ患っている病気が治るといわれている・・・とか(よろしく)

*19番立江寺(たつえじ)小松島市立江町
18番からの道なりに≪お京塚≫というのを見た。そして境内に≪肉付き鐘の緒の黒髪堂≫なるものが。
黒髪堂の中には確かに毛髪が認められる!ミーハーのtesyuke、本堂・大師堂よりこちらに興味が。
不倫のあげくじゃまな夫を殺したお京。のちに不倫相手と二人でお遍路の旅に。この寺の本尊・地蔵菩薩を拝もうとした時、お京の髪の毛が逆立ち鐘の緒にまきあげられた、と。罪を白状し懺悔したお京、頭皮ごと黒髪は鐘の緒に残ったが命は助かった、と。出家した二人が住んだ庵跡がお京塚。(昔の道徳教育?・・みたい)
境内には≪修業大師御尊像≫という特大のお大師さんの立像が・・・たしか前の寺にもあった・・・(後日行った寺にもあった・・)同じ鋳型で作ったんでは?と、思われる。

*20番鶴林寺(かくりんじ)勝浦郡勝浦町
だんだん山地に入ってくる。
阿波霊場三難所「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と、言われているとか。焼山寺の大変さは確認済み。次は鶴林寺(お鶴)。車とは言え、次々と現れるまがりくねった山道は恐ろしい。麓のあたりで若い自転車のお遍路さんを抜かす。重い荷物だけでも積んでいってあげたいと思ったが、声をかけての実行にはなかなか移せない・・もの。

遍路宿でお遍路さんの本を読んでいると、歩き遍路の方は荷物になるのでテイッシュ一つさえ、大量に持てない。貰うと(お接待)ありがたいなどと書いてあった。車で楽にまわっている我々も、お接待精神で!と、歩きの方に会うと、暑い中消耗してはるやろうと『あめちゃんどうぞ』と、一粒。『たった300メートルや』と、ちゃかす者約1名。喜んで口にほりこんでもらうとうれしい。

鶴林寺の駐車場に着いたのは3時前。
うっそうとした大きな杉の木立の中に堂々とした仁王門。≪霊鷲山≫と寺号を書いた大きな額がかかっている。門の中に一対の鶴の像が立っていて、まるで檻の中にいるよう。
ここから本堂へはまだまだ。季節外れの紫陽花が美しい青色を保って咲いている中を上っていく。
本堂の前にも一対の鶴の像がまるで狛犬のように置かれている。
お大師さんがこの地で修業中に、つがいの白鶴が金色の地蔵尊を羽で守って降り立ったのを発見。そこに寺を建立したとの言い伝えがが・・・
山の中は静か・・。広い境内に遍路はちらほら。
下山のために再び山門に。件の自転車遍路さんが到着。見てびっくり、若者と思っていたらシニア!

山の麓といってよい、好位置に金子や(宿の名前)はあった。4時半着。
さすがに金剛杖は一番に車から降ろし玄関に置いた。シューズ乾燥機が玄関においてある。一回100円。(焼山寺で大雨にふられ、湿った靴に植村旅館のおばあちゃんに新聞紙をもらって詰めた・・・・昨日なんだ)

行こう!行こう!お遍路に!⑫大きな‘おあげさん’に感激

2009-08-23 11:22:55 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
*16番観音寺(かんのんじ)徳島市国府町
徳島市ってなんてお寺が多いんでしょう!市内のお寺を車移動で5分から10分。お寺での動作もちょっとは慣れてきて、4寺目・観音寺でまだ9時40分。
古い街中に埋もれている感じのお寺で塀の代わりが寄進額を彫りこんだ石柱。
出入り自由なオープンな感じで近所の方の参拝も目立つ。
夜泣き地蔵(写真)が有名らしく、子供の夜泣きに困った親のお参りが多いとか。お年寄りの良く寝られますようにという願いもかなえてくれるとか(まいっとこ・・)

*17番井戸寺(いどじ)徳島市国府町
16番から車で20分。田園地帯に朱色の大きな門が・・・
弘法大師が水不足に悩む村人を哀れみ一夜の内に井戸を掘られたところ・・みるみる清水が湧きだしたという・・その故事が寺号のいわれだとか。日限大師堂の中にその井戸があった(面影の井戸)。
本堂にお参り。おっと、正面に立派な奉納額が。
『本尊 七仏薬師如来 / 真言 おんころころ・・・ / 奉納・・多度津・・黄金屋吉田栄次郎』
あの多度津のおじいちゃん(勝手に年寄りにしてしまってる)の名前がしっかりと。
以後大抵の寺でこれと同じものを見ることになる。

徳島市の札所5寺済ませたところで丁度11時。18番は小松島市。車で約1時間。
途中、名前は忘れたが大きなおうどんやさんに入る。
ツアー遍路用の席が用意済みで、遍路軍団と出会ったのはここが初めて。
きつねわかめうどんを注文。花丸。おあげが関西風の味付けでおいしい、おまけにはみ出そうな位大きな三角形で感激。これで驚いていては・・・実はこの三角形折ってあったのだ!実態は、正方形の大きなおあげさん。こんなの生まれて初めて!

宿の手配は2日間のみ家からした。で、今日からはその日の宿をその日に決めていかねばならない。
お遍路は不確定なもので、特に歩き遍路は途中どうなるか分からない。予定のところまで進めるかどうか?それで皆さんぎりぎり自分の調子と相談してその日の予定を決める。
今まで会ったお遍路さんから‘行ける!もっと行ける!’と言われ、予定よりぐーーーんと進んで20番までが今日の行程。宿の決め方もいろいろアドバイスをもらった。
20番か21番札所の近くに泊まることにして、昼までに電話をいれればベスト。遅くとも午後いっぱい。
宿のリストを見ながら電話。携帯電話の無かった頃は大変だっただろうな・・

宿の人が親切とか食事内容が良いのコメントを頼りに◎印のついた2軒に電話。
が、今日は休んでいます!夏場は遍路のローシーズン、仕方ない。でも、あせってくる。
結局20番札所登り口にあるということで≪金子や≫さんに決める。20番終えてすぐ宿に入れる。

行こう!行こう!お遍路に!⑪なつかしの黄金屋さん

2009-08-22 11:50:54 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
13番から17番は徳島市内。午前中にはすべて回れそう。
*13番大日寺(だいにちじ)徳島市一ノ宮
7時15分に到着。開門してそうそう、一番乗り。お寺の方が境内を掃除しておられる。
(街中なので)そんなに大きい寺では無いがきゅんと身の引き締まる静寂な雰囲気。
おろうそくも線香も一番乗り。知らなかったがろうそくは一番上の段から、線香は中心からさす。
国道を隔てて向かいが神社。阿波一ノ宮。こちらにも参拝する。昔は神仏混合でこの寺は神社の別当寺だったとか。
早朝だというのに国道を車が猛スピードで走り抜けていく。あぶない。

*14番常楽寺(じょうらくじ)徳島市国府町
山門にいたる道の横に池がひっそりと見えている。緑の藻に覆いつくされていてうすみどり。白鷺が一羽じっと作り物のように立っていた。
ため池を作るため低地から現在地に移動と書いてあるので、これがそのため池なのだろう。
本尊が弥勒菩薩なのは88ヶ寺中ここだけだとか。
≪流水岩の庭園≫と表示があり、自然の大岩盤の断層が露出しているのだが、がたがたして歩きにくい。大きな櫟の木もあって≪アララギの霊木≫の表示が。

*15番国分寺(こくぶんじ)徳島市国府町
こくぶんじ・・懐かしい響き。奈良の大仏さんが作られた頃からあるということですよね・・
栄枯盛衰・・一次は廃寺になっていたこともあったが、江戸時代に藩の命で再建され、以来ここは曹洞宗(禅宗)。弘法大師は真言宗なのにね・・
国分寺の中で唯一戦国時代の兵火をのがれた烏瑟沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)がある。なんと・烏瑟沙摩明王はトイレの神様
奥の引っ込んだ所にある納経所の横に二階に達する高さのサボテンの木があった。感じの良い納経所の男性がにっこりわらってなんにもしないけど冬も大丈夫なんです・・と。

さすがにお参りも15回目となると手際はかなり良くなってきた。しかし本堂のご本尊様に真言を唱える時に、『あっ、こ・こ・の・ほ・ん・ぞ・ん・さ・ん・は・な・ん・や・・っ・た・?』等と、とっても失礼極まりないこと度々。きょろきょろと見回すと大抵「ご本尊・薬師如来・おんころころせんだりまとうぎそわか」等と書いてあるので、ほっとするのだが(やれやれ、助かった)・・
たまに書いてない時はパニック。hus.がパスパスと言って何度かごまかしてきた。
tesyukeの方と言えば、授業に集中できない生徒のよう。いつも目はいろんなところをきょろきょろ見ているし、耳は境内の声をキャッチしている。
で、国分寺。『ワーーーツ』『何や、びっくりするやないか』『こ・こがねやさん!』

読経しながらきょろきょろと、見つけたのが柱に貼り付けられた奉拝の紙(写真)。
なつかしの・・香川県多度津町・黄金屋第八十四世吉田栄次郎と読める。
この方、tesyukeとhus.にとっては長年の尋ね人。どんな人かしら?多度津で商売してる人?何屋さん?佃煮屋さん?おせんべい屋さん?と勝手に妄想は膨らんで・・。旅行で多度津のそばを通ったときなど、黄金屋の看板出てないかしら?と、町を車で流したほど!

四半世紀も昔。西国観音33ヶ寺のお寺を週末などに訪れていたとき、行く先々で、目にした千社札。
ペタペタと、ここに、あそこに。その千社札の主がこの黄金屋第八十四世吉田栄次郎さん。
で、そこには朝に紅顔夕べに白骨と白骨の御文が書いてある。若い我々にはインパクトが強すぎて忘れようにも忘れられない内容。
以来、西国観音33ヶ寺に行く度に黄金屋さん黄金屋さんと黄金屋さんの千社札を探すのが習慣に。
ところが、ここ十数年、パタッと見なくなった!どこにもはってない!
吉田栄次郎さんなくなりはったんかしら?などと心配しておりました。

なつかしの黄金屋第八十四世吉田栄次郎さん。以後、名前をあちこちのお寺で目にすることに・・・なにせ四国はホームグラウンド。

行こう!行こう!お遍路に!⑩植村旅館

2009-08-21 23:07:52 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
12番焼山寺から下りてきて、のんびりした田舎の村へ。
今夜の宿・出発前に予約済みの植村旅館さんを探す。旅館らしき建物はなく、どうしょうと思っていると目の前の古びた民家に旅館の名前が。エッ、ここ?
典型的な遍路宿で、手を拭きながら出てきたおばあさんがやさしく迎えてくれる。
階段が急やし気をつけてね(勾配75度ぐらい?)・・・荷物もってあがったげようか?・・・お茶・お茶・・

大きな二階の部屋を占領。おばあさんの孫の小一の男の子が折り紙で作った手裏剣をたくさん持ってきて、好きな色のあげるという。かわいい。田舎の親戚の家に遊びに来たような雰囲気。
窓から見える川の名を聞けば、鮎喰川だとか。
雨が上がって山々から水蒸気が立ちのぼる。しーーんとした風景。

涼しさにひかれて散歩に出る。橋の上から鮎喰川を見下ろすと、ひとり鮎を釣っている人がいる。
栗の木には沢山の緑の毬がついて、まり藻のように見える。平和を絵にしたような風景。(皮肉なことに過疎と平和は紙一重?)
お遍路さんが一人歩いてくる。植村旅館にしとけばよかった、明日のことを思ってもう一つ先に宿をとったのです・・・どうぞお気をつけて・・・

お風呂を頂いて夕食。おおー、鄙にはまれな(失礼・・)お・い・し・い!
民宿リストのコメント欄に≪個性ある、おいしい食事≫とあった。なるほどなるほど周知のところなんだ。
夕食に集まったのは5人・一期一会の会話ははずむ・・

遍路リスト
*男性・40歳前後・姫路から・西国33ヶ所書写山円教寺のそばに住むとか・歩き・きっちり一番から歩き始めたのは今回が初めて。つまみ食いであちこちの札所には何回も行っている。
*熟年夫婦・千葉県から・歩き・4回目!
到着した時見かけた男性。下の部屋をうろうろ出たり入ったり我が家のように振舞っていて、てっきり宿の主と早合点したその人と奥さん・最初に来たがったのは奥さんの方・退職後に・やみつき・・
1回目は、電車・バスなどを利用しての歩きだったとか。金剛杖は一回毎に結願寺で奉納して帰るらしいが、愛着があるのでずーーーっと、同じものを使っている、と。10cm短くなってます!・・死んだらお棺にいれてもらうつもり・・と、奥さん(おお)。

話を聞いていると、金剛杖って、軽々しいものじゃないみたい。金剛杖は空海さんの分身として扱って、一日歩き終わったらまずは自分がゆっくりする前に杖を洗うのだとか。遍路さんがもし行き倒れて死んでたらその杖を墓標代わりにするのだとか。御杖袋を取ったら先がとがって卒塔婆のようでしょ・・
車にほりこんでそのままの杖を思い出して、思わず弘法さんすいません。

おばあちゃんにお酒の注文をしてこようと立ち上がりかけると、件の常連男性これを飲みなはれと、パック入りのお酒とコップをhus.に差し出す。
さっき注文したらおばあちゃんがドンと置いていった。事後報告でOK・OK。なんとまあ。
一人遍路の男性は先を急ぐみたいで、明日は18か19番まで行きたいと。車なら早い人で10日で全部まわりきりますよ。予定してる所よりもっと先まで行けますよとアドバイスしてくれる。

8月4日 6時朝食
早々に各人出立。オッ、お若いの良く見せてくだされ・・
金剛杖が昨夜から気になりだして・・・一人遍路の方の杖がとっても立派なのに驚いて声をかける。
我々ので1.3メートル。彼のは多分6尺以上(2mあるかも・長身の彼より20cmは長い))。普通のお遍路さんの持ち物には思えない!彼はこともなげに、ホームセンターで角材を買ってきて作ったんです。
でもこの梵字は? 自分で書きました。すごすぎる。

おばあちゃんが、気をつけてと見送ってくれる。
写真:植村旅館から鮎喰川を見る

行こう!行こう!お遍路に!⑨雨の焼山寺

2009-08-20 01:13:33 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
なんだか朝からわき目もふらずに走り回っていた感じ。もう11時半になっている。天気も定まらず、晴れているような雨が来るような・・湿度が高いので、よけいに疲れる。思わず金剛杖にすがりつくしまつ。

*十一番藤井寺(ふじいでら)吉野川市鴨島町
(車とは言え)山(切幡寺)から下りてきてやれやれ。藤井寺が平地にあるからといっても都会の寺とは違う。やっぱりアップダウン・アップダウン。
山門には目を見張るほど大きなわらじが奉納してあって、境内には立派な藤棚も。
弘法大師が5色の藤を植えたことから藤井寺の名がついたとか。ここのご本尊・薬師如来は平安時代の年号が記され、900年も前のもの。四国霊場最古の仏像で国宝。

緑に囲まれた境内の裏手に回ると山の中へと細い道が伸びている。
あーーこれこれ。先達さんが話していた遍路道。遍路を初めてまだ二日と経っていないのに何度も聞かされたのは≪しょうさんじ≫さんと≪遍路ころがし≫という言葉。
「焼山寺」は「藤井寺」からの遍路道を登るのが「歩き遍路」のコース。
この道が唯一残っている昔ながらの遍路道(徳島県内?)で、すごい難所なのだとか。藤井寺から焼山寺までを一直線に結んでいて途中の山を登って下りて、上って下りて大変な道中だとか。
寺の木戸を抜けて始まる道とも見えない山道の始まりには、歩き遍路ために≪へんろ道≫の看板。
≪健脚5時間、平均6時間、弱足8時間≫とある。
自分の力をはかって、ほぼ半日から一日を費やして歩いていく。先達さんの話では、菅さんも口ほどではなく弱足以上時間かかった・・・とか。

朝から5寺目の藤井寺でお昼はとっくにすぎていた。焼山寺へは車で約1時間かかる。昨日のこともあるので昼食・昼食と食堂を探して町のメインロードを行ったり来たり。適当なところが無い。田舎。
コンビニで調達途中で食べることに。なんだか雲ってきた。

*十二番焼山寺(しょうさんじ)名西郡神山町
焼山寺の駐車場に着いたのは、2時10分。苦行せずして参拝できるようになったとは言え、ここから歩きが始まる。雨がぽつぽつ降り出してきて傘を差しながら上っていく。誰にも会わない!
右手には樹齢数百年の杉の古木。左手は深い崖で遠く下界がかすんでいる。
20分以上は歩いただろう。やっと山門に。横手から出てきてあっ、山門や、着いたあああ・・という感じ。
山門からはまっすぐに本来の道が下に続き、石段が深――い森の中に吸い込まれている。

お参りを済ませ納経所にいると・・一天にわかにかき曇り・・バケツの底をひっくり返したような・・豪雨!!  どこから現われたか、あっという間に屋根の下はお遍路さんでいっぱい。意外と若い子たちが多い。下から上ってくるお遍路さんはもうぬれねずみ。ぽとぽとしずくをたらしている。中には靴下をしぼっている人も・・・打ちつける雨に木々の色も定かでなくなって、これはしばらく動けない。3時から小一時間はいただろうか。歩き遍路さんは、ここから又何時間も宿まで歩かなければならないし、どうしょうどうしょうとパニック状態。あきらめて大雨の中を歩き出す人も・・

若い集団に写真を撮って下さいと頼まれる。各人のデジカメが6台ほど並ぶ。グループ?と聞くと、たまたま今知り合っただけで、同じ状況を記念に!と。われらもついでに・・少し雨が収まった時点で山の麓まで。今夜の宿に着いたのは4時半。

行こう!行こう!お遍路に!⑧先達さんといっしょ

2009-08-20 00:10:55 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
二日目は朝から活動開始ということで、距離も勘案して予定は12番まで。
*八番熊谷寺(くまたにじ)阿波市土成前田
後に山を控えた広い境内。山門が今までの寺の中国風と違って和様でなかなか立派。
先達さん(エキスパートのおじいさん)が、山門は県指定重要文化財や、と言う。色鮮やかに塗りなおされた立派な仁王さんを指して、きれいになったと住職は喜んだんやが、本来のありようを損ねたと、こっちのほうは文化財指定が受けられなかったんや・・・と。

山地にあるだけに階段の多いこと。階段にそって寄進額を彫った石柱が立っている。
一番先頭に三木武夫の名が。金一封と彫られていて、おくゆかしい。が、凡人二人次の人より寄進額多かったのか少なかったのか?と・・・・俗やな・・。
道草を食ってたので、安楽寺で分かれた皆さんに再会。
なつかしい・・と、写真をとりあう。みんな良い顔をしている。

*九番法輪寺(ほうりんじ)阿波市土成田中
先達さんはつかず離れず押し付けがましくなく案内してくれる。
聞けば、あの‘菅直人’の先達も勤めたのだとか。何番か済ませ後に散髪屋に行きたいと言い出して、坊主に。‘シチーボーイ’の菅さん、坊主頭は初めて。鏡を差し出されて(条件反射で)思わず手で頭を隠さはったんや、デスト。

法輪寺のご本尊は、涅槃釈迦如来(寝釈迦)で、88ヶ所で唯一寝姿の仏像だとか。開帳は5年に一度。次は平成23年2月15日。たった一日だけ。
さすが若いカップルはここまで到着していた。いい笑顔で並んで立っているところがすがすがしい。

*十番切幡寺(きりはたじ)阿波市観音
かなりの山の中腹にある。
山門前に車を止めて、長い参道を随分と登らねばならない。覚悟はしてます(きっぱり)。
と、先達さーーん、どこへ、い・いくんです?なんだか秘密めいた細い道をどんどん上っていく。
着いたのは、境内近くのプライベートな駐車場。きっと、楽さしてやろうと思われたんやなーー。
ありがとう。礼を言って、先達さんとお別れ。

それでも境内まではかなりの落差があって、急な坂を登っていく。お寺に荷物を運び込むためのレールが取り付けられているほど。
境内は高度がある分涼風が心地よい。阿波市の町並みが薄いブルーの紗をかけたように広がって素晴らしい眺め。
山門から登って来た人は、近道組の何十倍の涼やかさ、満足感を感じていることだろうな・・・・
写真:切幡寺から

行こう!行こう!お遍路に!⑦金襴の納め札

2009-08-19 10:59:53 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
8月3日 午前5時30分全員揃って朝食。
朝の光の中安楽寺境内をうろうろ。山頭火の句碑があった。
うれしいことも かなしいことも 草しげる
暮れても 宿がない もずがなく
松山で亡くなった山頭火。ひょっとしてここの山門で野宿したかも・・と、ふっと思う。

7時20分出発。すでに皆の姿はない。次へは5分ほどで到着。
*七番十楽寺(じゅうらくじ)阿波市高尾
なんだか竜宮城を思わす山門。横に宿坊らしき真新しいビルが立っているがシーーンと静まっている。
最奥の本堂の階段を上ったところで、地元の人に声をかけられた。
野球帽をかぶり、慣れた感じでわらじを履き、酒屋さんがするような前掛けをしている。年のころならシニアだが・・・しゃんとして元気ですたすた歩くそのさまからは年齢推測不能。

問わず語りに・・・話されることに・・・な、なんとこの方は四国巡礼406回の猛者!!うち、三十数回は歩いて!(おみそれしました)
そして、これ渡しといたげるし何かあったら電話してとて、金襴の立派な納め札の裏に名前と電話番号を書いてくださる。
納め札のことなどほん数日前には知りもしなかった。店には白色・緑色・赤色・銀色のものが置いてあった。遍路の満願回数で色が変わるとかで、白色は1~4回。緑色は5~7回。赤色は8~24回。銀色は25~49回。もちろん我々は白。納札箱には、時々緑と赤が入っていることもあったが・・・

納め札の立派さに驚いていると、『50~99回満願で金色、100回以上が錦や』とにこにこ。そして、『はっ、はっ、六十数年かかってますねん。』
これは又遍路のエキスパートと出会ったものだ!
『十番の切幡(寺)さんまで行くから案内したげる、ついてきいや』
我々も、納め札に住所・氏名を書いて渡す。何のことはない納め札はお遍路さんの名刺やがな。
本堂・大師堂でも何某参拝に参りましたと、名刺を置いてるってこと。良くできてる。
親切にしていただいたら(お接待)お礼の意味を込めて渡すとか。まさに、今。

エキスパートの車に続く。カーナビと正反対の方向に進んでいく。うんっ???
畑の細い道を通って、車が止まる。
『三木武夫の生家や。見せたげたいって思ってな・・』
『なにっ、後藤田?小物や!』

で、八番熊谷寺へ着いたのは8時35分。
近道を行く車から外を眺めると、葉煙草が黄色くなり、実った稲も黄色くなりはじめていた。

行こう!行こう!お遍路に!⑥安楽寺宿坊・お遍路仲間

2009-08-18 01:09:32 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
安楽寺は、大きな宿坊を持っていて、高校3年生の合宿授業があったみたい。
最終日とかで、学生達が、ありがとうございました!と礼を言って三々五々玄関を出て行くのに遭遇。我々にも挨拶してくれるのに、いい子達やなーーと、見送る。

先ずは、お風呂で汗を流して下さって・・・・夕食の前にお勤めに参加して下さいね、とのこと。
さすが山号が温泉山。昔温泉が出てたのだからその近くを掘ったらいかがです?と勧められ、掘ったら冷泉が出たのだそうだ。沸かしたものだが一応温泉・・・・極楽極楽。

お風呂から上がって慌てて性霊殿(拝殿)へ。本堂と客殿(宿舎)の間に素晴らしい拝殿が作られていて、薄暗い空間は冷房が効いてひんやり。壁に曼荼羅、室内は仏殿の諸飾りが鈍く光って、厳かなことこの上なし。魅せるな・・・。演出やな・・・。夏のこととて百物語!でも始めましょうという雰囲気やな・・・。
なーーんて、罰当たりなtesyuke。

我々が駆け込んで宿泊者全員が揃うと、住職の読経。皆慣れたもので唱和する。
時間があるからと住職のお話。壮年のお坊さん、家業としての仕事でなく、僧となった(お寺に生まれた)縁を形にしたいという意欲が感じられて、気持ちが良い。なかなかのお方。
終了後、お遍路さんなればこそこんな間近くで見られるのですよと、本堂内陣をくまなく案内して下さる。本堂のご本尊をはじめ仏像も、お膝をなでてもいいですよと、フランク。

住職の後について食堂へ。畳の部屋にはすでに膳が整えられていて、名札が置いてある。
箸袋になにやら書いてあるのを取り上げて、住職いわく。『お寺で食されるのも何かの縁、食前に偈文を唱えましょう。・・・・一滴の水にも天地の恵みを感じ、一粒の米にも万民の労苦を思い、ありがたく、いただきます・・・・』
毎晩高校生にも言ってはったんやろな・・。いいことです。
と、男性陣が恐る恐る・・みなまで言わさず住職笑って、ビールもお酒もありますよ!どうぞ・どうぞ・・とて退場。

遍路は総勢10名。びっくりしたのはほとんどが歩き遍路さん。
遍路リスト
*リタイヤ男性・・歩き・大阪から・パソコンとビッグなカメラ持参。
イヤーー、パソコンは送り返しますわ!遍路スタイル菅笠つきカメラマン風(翌日所見)
*30代夫婦・・歩き・東京世田谷から・昨日飛行機で徳島着・奥さんが来たがったので
彼らはハイキングスタイルでトレッキングを楽しみ風(翌日所見)
*母娘・・車・高知から・足の悪いシニアのお母さんに付き添って・本場に住んでいるが初めての遍路
*中年女性・・歩き・愛媛から・夫が先に一人で歩いて廻ったので私も・出来るかどうか深く考えたら駄目よ!夫の経験からのアドバイスが多くて多くて!(うるさいぐらい)・ばっちりお遍路姿(翌日所見)
*シニア女性・・歩き・岩国から・春に一度できるかどうか1番2番を歩きに来た
今日は早朝岩国をたって青春18切符で・2日後に帰宅予定・芯の強そうな方できっと満願なさると思う!
*外人!・・歩き・オーストラリアのタスマニア出身・日本人の奥さん・高知県に住んでいたが今は東京
日本語は日常会話には不足はないようだが隣に座った大阪からの男性が英語に堪能で、久しぶりにおしゃべりを楽しまれたよう・
きっちりお遍路姿・直接肌に袖つき白衣を着こんで、それでも汗だく・お寺の草引き等をしてる修業中のお坊様風・一番遍路姿が似合ってる(翌日所見)

みなの目的が一緒のせいか、この場の雰囲気の気持ちのよいこと
お遍路もまだとっかかったばかりの手探り状態。明日に向けて少し緊張している感じも・・・
食事を終えて部屋に。
だんだんとわかってきたことは、お遍路は朝早くからそして宿に着けば明日に備える。
夜型人間のtesyuke。チョー健康的な一週間になりそう。

行こう!行こう!お遍路に!⑤大木に癒される!

2009-08-17 00:42:47 | 四国88ヶ所霊場・遍路旅
インターネットで引き出した、遍路宿(民宿)や宿坊のリストから、2日と3日の予約は済んでいる。
今日は寺同士が近いので移動に時間がかからないだろうと、6番安楽寺までが行程。
ゴールで宿坊に泊まる。

車から長い杖を出しては入れて、輪袈裟を着けては外し、納め札に住所氏名を記入し・・ああ、ロウソクの火が風ですぐ消える・・・・エトセトラ・エトセトラ。なんだかごたごた時間のかかることかかること。
で、周りを見渡す余裕も無く、次々と札所へ。
納経所は7時に開いて5時に閉まる。6番まで間に合うように行けるのか?

2番札所以後は観光客は皆無。夏のこととて静か。お遍路さんがちらほら。
二番極楽寺(ごくらくじ)・鳴門市大麻町。
緑の多い涼やかなお寺。何より先に目に付いたのが≪弘法大師お手植え長命杉≫。1100年以上たった巨木で、これがほんとに素晴らしい! あらあらしい幹に手を当ててありがたーーーーい気分に・・・・。

三番金泉寺(こんせんじ)・板野郡板野町。
納経所を出てぱっと目に入ったのが『弁慶の力石』の立て札。エッ、弁慶?戦勝祈願に来てこの石を持ち上げたとか。平氏を追って、屋島に来てるから、納得だ。

四番大日寺(だいにちじ)・板野郡板野町。
ここにたどり着いたときはすでに2時。
お昼を食べていないのに気付く。近くに食堂などは見当たらないし・・・。
山門を入ったところから参道に蓮の鉢が置かれていて、美しく花をつけていた。気持ちに染み入るような美しい蓮の花が忘れられない。

五番地蔵寺(じそうじ)・板野郡板野町
大きな大きな銀杏の大木が。こんなに八方に枝を伸ばした銀杏は見たことが無い。濃い緑の葉が傘のように覆って一見銀杏とは思えない。800年を超えるとかで≪たらちね銀杏≫といわれている。目を凝らせばたくさんの小さな緑の実がなっていて、感動。
なかなか初日は思うようには行かない。3時半はとっくに過ぎている。が、残すは一ヶ所のみ。

六番安楽寺(あんらくじ)・板野郡上板野町
5番から6番はちょっと距離があり着いたのは4時。
納経所が閉まるまでにすべて済ませられそう!やれやれ。
ここは、山号が温泉山。昔はほんとうに温泉が湧いていたと!
又、江戸時代には宿に困った遍路や旅人を止めて保護するように藩主から指定された≪駅路寺≫だったのだとか。そのなごりかーーーー
山門に上がれるようになっていたので、何でも見たがり・知りたがりのtesyukeは上ってみて、びっくり。
毛布やらなにやら真ん中に積んである。そして壁に注意書きの紙が。9時以降は近所の迷惑になるので明かりをつけないで・・等々。
なるほど、歩き遍路で野宿などをする人のためにここを提供されているのだ。

遍路姿にもだんだんなれて、長――い一日は終了。
お寺の境内は広く、階段はつき物。冷房・炎天・冷房・炎天。車のお遍路だって、楽じゃない。 
疲れた!! ふっ。