Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

イブのまち&クリスマス

2010-12-25 12:29:39 | シンシナティ
クリスマス休暇に入って、なんだかいつもと違う雰囲気。重要度が違うのだ。日本のお正月だね、まったく。
そんな雰囲気を感じておこうと、午後になって急きょ散歩に出る。
だーーれもいない雪道を歩いているなんて・・なんでもありのアメリカとは言えちょっと気恥ずかしいものが。なんだろ?あの人?状態か・・・
ぱらぱらと、子連れの人たちが歩いてくる。やれやれ、仲間が・・・?
教会のミサに行く人たち。

それにつけても。車がいつにもましてスピード出しているように感じる。早く・早く・早く家へ帰らんと・・・クリスマスだ!クリスマス!と、叫んでいるよう。
そうそう、暖炉。暖炉を燃しているはず・・・
と、煙突を見ながら歩く。かすかに煙の上がっている家も。うっすらと空気中に漂っている薪のにおい・・・・。

結局のところ、クリスマスは、ホーム・スイート・ホームで過ごすのが正統。
25日は、twinsもドレスアップ。赤いクリスマス仕様のドレスに帽子やヘヤバンド・靴と言ったいでたち。ちょとぶかぶかで、帽子など大黒さんのかぶっているのみたい・・と、大笑い(写真)。
tesyukeの友達が手紙に同封してくれたtwinsへのクリスマスカード。初カード。ミス・**となっていて、《うーーん、確かにミス。ミスターではないが・・。性別区分の前にベイビーやなー》と思うtesyuke。

ところで、クリスマス・ディナー。
又ターキーで? 却下。
チキンは?   うーーん。
最終的にラム肉に・・

知らない通りは・・・

2010-12-23 22:42:21 | シンシナティ
ストーハウスを出た時に、24番バスが通り過ぎていった。ちっちっち、バッドタイミング。次のバスを待ってられません!

マーティン・ルーサー・キング・ドライブをもと来た方に戻っていけば、ボーーッっとバスを待ってるよりは楽しいかもしれない。しかし、知らない場所をうろうろするのもき・け・ん・・・
雪は降ってはいないが結構積もっていて、なにかあっても身軽く逃げることも出来ない。(雪でなくても!)余所見はなしで一路、次のバス停、はたまた次の次のバス停へと。融けかけの雪道があぶないんですよ・・といわれていたが、確かに滑りやすくて、tesyukeも歩くのに真剣な面持ち。人っ子一人見かけない(ので歩道が凍って歩くのに危ない)。で、広い車道の端を車と対向するように歩くのが一番安全。

遠めに住宅地と見えるところに《CINCINNATI PARKS GREEN SPACE》の表示が。この家々の後ろに大きなグリーン地帯があるらしく、どうやらそれは地図上で気になっていたジャーマン・セメタリーのようだ(公園も墓地も地図上では同じグリーンに塗られている。)シンシナティの初期の移民はドイツ人が多かったみたいで、多分古い墓地なんだろう。赤毛のアンじゃないけど墓地を見るのも結構面白い。墓石や墓碑銘にも流行があるようで・・・。

このジャーマンセメタリー、《 Walnut Hills Cemetery 》とも書いてあるが・・・と、思っていると住宅地の切れるあたり言い換えれば入り口あたりに
《 Welcome to Walnut Hills / A Diverse Neighborhood since 1800 》のボードが設置してある。なるほどこのあたりがWalnut Hills(地名)なんだ。シンシナティ初期の住宅地なんだ。200年の歴史を持った住宅地・・ドイツ人がすんでいたのかも?・・変遷して・・娘によると今はcolouredの人が多くすんでいるようだとか。

この道が、元の名前マジソンロードに戻るあたりに近づいてきたのか人の姿もチラホラ。ホット、一安心。大きな建物の前を通る。《Developmental Disabilities Services》
そして見慣れたクリスマスツリーが見えてきた。69番24番のバス停のある商店街。《日本の商店街とイメージがぜんぜん違う)クリスマスツリーは、交差点の一角に生えている大きなもみの木(多分)にオーナメントをつけたもので、この木はここを通るときのtesyukeの目印となっている。

土曜日だけど雪のせいかひっそりとした街角。すべての街灯に、赤いリボンをつけたクリスマスリースがつけられている。見つけたバス停に立って見る景色はバスの中とは随分違う。
教会の尖塔が天を指している。消防署の屋上には誰か人の姿が見える。
バス停の通りをはさんだところに古いレンガの建物が見えて、Fire co.(company) と Ladder co.
の文字が見える。えっ、消防署の支所?などと思っていると《space available》の文字がひらひら。立派な建物に移ったんだ・・・

そうこうしているうちに69番バスが来た・・

写真:右が教会・左が消防署

ストー夫人の家 ②

2010-12-20 12:38:27 | シンシナティ
ゆっくりしゃべってと言わなかったばっかりにtesyukeは大変・・
この家はストー・ハウスと言っているが実際は彼女の父の家。1833年に入居。

玄関を入って右手の部屋からーー。ここがお父さんの書斎でした。ふむふむ。暖炉の上にはいかめしい男性達の写真があまた。これが父親とご主人の写真です。同じ位の年齢に見えて、一体ご主人は何歳です?なんて聞きたくなる(撮った時期が違うのさ)。
父親のライマン・ビーチャー氏は牧師で神学校の校長さん。歩いて数分のところに教会があり、この家は神学校校長用の住居。その学校の教授だったのが夫となるカルビン・ストー氏。部屋の真ん中の小テーブルにケースにいれて大事そうに小さな手帳が三冊。これはお父さんが説教用のメモを記したものです。実際にビーチャー家(ストー家)ゆかりの品はこれだけなのかもしれない。(家をのぞいて!)家具等も同時代の物と思うが、実際に使用されていたものかどうかは分からない。

書斎の向かい側、入り口の左手は居間。当時このあたりは牛や馬などの飼われているいるひなびたところでした。暖炉の上を指差して、これが彼女のファミリー・ツリーです。お父さんは再婚していて、当時11人の子供がこの家にいました。ひえー、子沢山。ハリエット(ストーー夫人)は結婚するまでここに住んで、結婚後は近くに家を持ちました。最初の二人の子はここで産みました。男の兄弟の多くは聖職につき、出版に携わった人も一人。長姉が女性教育の先駆者。ファミリー・ツリーの横には名を成した兄弟姉妹の写真。ストー夫人だけが傑出しているのでなく・・・父親を筆頭にすばらしいエリート家族!!
真ん中のテーブルに置かれた讃美歌集をさして、ストー夫人の作詞です。確かに開かれたページには、ハリエット・B・ストーの名。

二階にハリエット・****の展示があるんで二階へ行きます。ハリエット・・誰ですって?
ハリエット・タブマン。黒人奴隷から奴隷解放家になった人です。アーー、なにやらアンダーグラウンド・レイルロード・ミュージアムで見たことあります。自由に見学してください。とまで言って、壁のリンカーン大統領の写真の前で立ち止まり、さりげなく言う。《リンカーンが、ストー夫人に会ったとき、ーーあなたがこの戦争(南北戦争)を引き起こした方ですねーーと、言ったんですよ》と。

一階の奥のもとの台所のあった辺りがオフィスで、ボランティアさんがそこに待機していて、ちょっとしたみやげ品を置いている。この家はイベント(会議・昼食会・パーテイー・結婚式)にも利用可能だとか。
ネットで調べたときより見学日や時間がかなり短縮されていて、1月は閉館。良くぞ今日来たものだ!
そして、見学料はただ・・・
ありがたいけど、維持管理大変なのかしらと思い、ドーネイションがわりにケニアの人が作ったアクセサリーを買う。こんな日(?)に来てくれたからとて1ドルまけてくれて10ドルに。サンキュー。
4番バスでダウンタウンに出たほうが帰りやすいとのアドバイスも。

写真:階段の上り框に置いてあった逃亡黒人奴隷の持ち物(靴とスーツケース)
   後の張り紙は、1831年にボストンでだされたビラ・逃亡黒人奴隷への警告

   CAUTION!! (警告)
Colored People of boston, one & all,
You are hereby respectfully cautioned and advised to avoid conversing with the watchmen and Police Officer of Boston.
...............

Keep a Sharp Look out for Kidnappers and have Top Eye open

Kidnappersや Slave catchersと言う言葉もあり、奴隷廃止論者からの警告だったのかもしれない。

ストー夫人の家 ①

2010-12-19 08:24:02 | シンシナティ
子供の頃読んだ、若草物語やアンクル・トムの小屋。作者がアメリカのどこで生まれて、どこで本を書いたかなんて考えもしなかった。ボストンでは若草物語の作者・オルコットが近くに住んでいて、そこで若草物語を書いたと知りびっくりしたものだ。今回もびっくりしたのはストー夫人のこと。

夏に、National Underground Railroad Freedom Center (国立地下鉄フリーダムセンター・次回記述)へ行ったときストー夫人の展示もなされていて、シンシナティに縁の人だと知ったのだ。が、まさかダウンタウン近くに縁の家があるとは!

tesyukeが自力でいけるところは限られている。(どこへでも送っていきやすとの声あれど自力で行きたがりやどす)バス路線図を眺めつつ、発見。いつも利用の69番のバス、ウッドバーン通りとマディソン通りの角で降りて何ブロックか歩けばこの家に到着。歩ける距離だ!。行こう。路線図をよく見れば24番バスがストー夫人の家近くで止まることに気づく。24番も乗車地点は近くはないが歩いていける場所。決まり。

とて、18日・土曜日に雪のまだ残る道を歩いて24番のバス停まで。マディソン通りはダウンタウンに通じているが、ウッドバーンとの交差点付近から名前変更。その名もマーティン・ルーサー・キング・ドライブ。土地柄かリンカーン通り・タフト通りもあり。(タフトはシンシナティ出身の大統領)
マーティン・ルーサー・キング・ドライブとギルバート通りの交差点の南東の大きな一角、庭全体が雪にうずもれて真っ白。ここが、ストー・ハウス。道から見える位置に表示板がでている。
OHIO HISTORICAL SOCIETY
STOWE HOUSE (ストー・ハウス)
Operated by Friends of Harriet Beecher Stowe House, Inc.

そこが目指す家で、階段を上がり長いアプロポーチは雪かきがされている。家のドアにはクリスマスリースが飾られて、町に溶け込んだ瀟洒な家。この国ではこれぐらいの年数(築170年位)の家なら今も現役と言ってもおかしくないかも。ストー夫人に関しての説明版も庭に設置されている。

OHIO HISTORICAL MARKER HARRIET BEECHER STOWE
ストー夫人は1811年コネチカット州に生まれる。1832年に父親についてシンシナテイへ。この家に住む。1836年結婚して、この家の近くに住む。1852年アンクルトムの小屋出版。その頃に東海岸へ居を移している。1896年コネチカット州で死去。

ドアを開けると、元気の良い大柄な黒人女性が奥から出てきた。黒いカーデガンにサンタクロースやらもみの木やらが刺繍してあって、クリスマス色全開(写真)。ボランテイアさんで、説明をしてくれるとか。その前にゲストブックに名前を書いて・・と。ふむ、えーーっと、今日は18日でしたよね・・二人目だ。

ここはボランティアのスタッフで運営しているらしい。彼女の写真を取らせてもらうが、ここでとってと玄関のドア横に立って顕彰碑を指す。はめ込まれているメタルの顕彰碑には大勢の人の名前が刻まれている。
1949年にストー夫人記念財団が設置したようで・・
どうやら個人宅となっていたこの家を買い戻して記念館にする時、その費用を寄付した個人あるいは法人の名前が刻まれている。1941年に、100ドルあるいはそれ以上を寄付した方々。
69年前の100ドルの値打ちは? 69年前のこの家の値段は?

この写真の右奥に写っているのはリビング。

古い家には秘密が・・・・?(笑)

2010-12-18 04:21:10 | シンシナティ
スーパーやコンビニに置いてあった暖炉用の薪の束もいつの間にか売れてしまっている。と、言うことは煙突から煙が出ているかも・・なーーんて思いながら歩いているが、煙は一向に見かけない。
今では、暖房用に焚く必要も無く、クリスマスなど人の集まったときのお楽しみの一つなのかもしれない。

煙突の形(特にトップの部分)もいろいろやなーーと、この間見ていた本を思いだしながら歩く。家の両翼にはっきり二本見えるとあたかも鬼の角のよう。家の後ろ側に煙突があったりすると道路からは見えにくい。が、古い家は大体煙突が二本(以上?)あるようだ。しかし、この家はリビングに暖炉があったが、その煙突・一本しかなかった、はず。

とて、ある日のことポストに葉書を出して帰ってきてしみじみ外から眺めると、家の後方に煙突がーーー!
どうして今まで気がつかなかったのだろう。家の中に暖炉の痕跡がな・い・か・ら・だ・・
ホームズばりに(持ち出さなくっても、いたって簡単)煙突の場所を突き止めるとそれはキッチン。リノベーションされて、使いやすいモダンなキッチンだが、レンジのある付近と背中合わせのガレージとの間に煙突があったようだ。今では少々出っ張りがあるな(両方15cm位?)と思うぐらい。

この家が建ったときには、どんな状態だったんだろう? カナダのプリンスエドワード島のグリーンゲーブルス博物館には暖房や料理に使う昔ながらのクッキングストーブ(大きなオーブン)があった。いたく感激して見ていると、数年前まで、おじいちゃんの家ではこんなの使っていましたよ!と声がかかった。 ボストンのケネデイ大統領の生家を尋ねたときも台所にクッキングストーブが設置されているのを見た。それらよりはスマートになっているだろうが、クッキングストーブがここにあったのではな・か・ろ・う・か?
《ちなみに、北米では現在のレンジ(ガスや電気のコンロとオーブンが一体になった調理機器)のルーツはクッキングストーブ(薪などを燃やす)だったので、今でもレンジのことはストーブと呼ぶのが一般的》

70年前の本物の火の燃えている台所を想像すると、なにやらほんわかとした気分。
ところが、ところが又びっくり!気温が零度を下回るある日、そんな使われていない煙突から、煙?いやいや、湯気? 蒸気が立ち上っていく。
これは何?これは何故?うーーーん。虫眼鏡こそ持たなかったが、tesyukeは煙突の存在をたどって地下室へ。地下室の半分は機械室のようになっていて、洗濯に降りていくだけだったが・・
見渡せば、暖房用のガスボイラーが設置されていて、その排気筒が煙突の中につながっていた。     なーんやと言うことで、一件落着。
(しかし、真実は分からない。台所のクッキングストーブのためなら地下まで煙突の機能はいらないはず。台所にストーブはなく当初から地下の屋内暖房装置の排気筒用と言う可能性もあり)

地下室のこの部分は居住空間にせず、コインランドリーのような大きな洗濯機と乾燥機がどーんと明るい窓近くに置かれている。それ以外に用は無しといつもは長居をしないのだが・・・。
改めて眺めてみると地上(バックヤード)から地下室への階段があり。階段を降りきってドア。ドアの横の部分に窓。窓から乾燥機の蒸気を抜く筒が出て、冬になってこれまた白い煙が立ち上るのを、何か?と思ったものだ。ドアには犬用の出口までつけてある。(日本で猫につけているような)

地下室から眺める空・・大木・・と、自由を象徴しているみたいやなーー等と思いつつ、窓の下を見ると、これまた、何ですのん、状態。若い人には目も留まらぬもののようだが、これはどう見ても洗濯槽。
コンクリート製の大きなものが二槽作りつけられている。しっかりメタルで縁取りされて、水道もある。ためしに蛇口をひねると湯も水も出る。現役!

2010年の主婦の目には無用の長物、あることさえ気がつかないし、さわりもしない。が、70年前の主婦は使っていたんだろうな・・。もちろんアメリカのこと1930年代には洗濯機は普及し初めていたようだが、これを利用して手洗いもしていたかもしれない。大きなシーツなど地下室から裏庭に持って出て、木々の間に張ったロープに干していたかも・・・・なーんて、想像するだに楽しい。
よくよくこの洗濯槽を眺めていると、水道の蛇口近くのコンクリートにぎざぎざが入って傾斜がついている。なるほど、ここに石鹸を置いたのね。よくできてるーーー。

そしてtesyukeは大発見に大喜び。イヤー、これ洗濯板ですやん!
洗濯に使うぎざぎざのある木の板==洗濯板。実際に使ったことはないが目にした事のある世代。この洗濯槽の手前の部分は傾斜がついているのだが、一つのほうにぎざぎざの波型を打ち出したメタルがはめ込まれているのだ。世の東西を問わず、同じ事をしていたんだと思うと、家事が重労働だった時代の女性に敬意を表さずにはいられない。

写真:左手前が洗濯板のようなぎざぎざ。右が石鹸おき用のぎざ

犬も歩けば・・・②

2010-12-17 01:09:32 | シンシナティ
ハイドパークスクエアーの緑地帯。かなり立派な噴水もある。
そして、以前には見かけなかった小さな小屋が建っている。
正面のガラス越しに見ると、キリスト誕生の様子らしい。左右にヨセフとマリアらしき人形が膝まづいて手を合わせている。真ん中の小さな装飾台にはくぼみがあって幼子イエスを置くようだ。頭の部分は日輪の模様。なにかクリスマスイブにでもイベントがあるのだろうか、イエスはまだ置かれていない!

スクエアーをわたり、横断歩道に差し掛かるとベンチの広告が目に入る。

Senior Homecare By Angels
America's Choice in Homecare
VISITING ANGELS living assistance services
電話番号

何処も同じ・・・・天使とはちょっと言いすぎ??
ご丁寧に鳩のマークもついていた。

ハイドパークスクエアーを後に相変わらずぶらぶら歩き。
エドワーズ通りとオブザバトリー通りの交差点付近、大きなレンガの建物など・・・このあたりはアパートメントが多いようだ。
横の駐車場から見るとカラフルな筆使いで窓やら木やらあたかも実物のように描いた建物が目に付く。
正面を見ると、LA TOSCA と書かれた入口が。イタリア系? 凝ったレンガが使われている。
横になにやらプレートが、はめ込まれている。
LA TOSCA
EDWARDS AND OBSERVATORY HAS BEEN PLACED 
ON THE NATIONAL REGISTER OF HISTORIC PLACES
BY THE UNITED STATES DEPARTMENT OF THE INTERIOR
1915

1915年に建ったこのアパート、1999年に歴史的建造物に登録されたようだ。
でも、普通に人は住んでいる。
賃貸広告には・・
Built in 1915 and recently renovated, the three-story brick building has 9 one to two bedroom apartments, a studio and a corporate suite. Each boasts hardwood floors, open kitchen, family room, deck, sun room and parking.

Rental Rate
studios from $775/mo.
one bedroom from $1025/mo.
two bedroom from $1200/mo.
corporate suite from $1550/mo.
高いのか安いのか?

オブザバトリー通りをまっすぐ、一路家へ。交差点で信号待ち。と、ドン! 
えっ、と振り向くと通りの反対側、右折車の追突事故。はじめてみました。こんな気楽なところで!
後の車の男性が急ぎすぎたようだ。車外に出て女性と男性の話し合い。ずーーーっと見ているわけにも行かないので、残念ながら結論はわからず。
ちなみに、表示が出ていたら赤信号でも自己責任で右折可。

犬も歩けば、面白い種が落ちていると、家の前の通りまで帰ってくると・・・
なにやらガレージを開けて若者がたむろしている。手招きされて、近寄ると何やらぐらぐら・・湯気が。
何してるの?
ビヤー!! ビール作ってるねんと、みんな笑顔。
昔はこっそり地下室で作っていたときもあったよね、と思いつつ・・・写真を取らしてもらう。

犬も歩けば・・ ①

2010-12-12 21:50:44 | シンシナティ
日曜日の朝・・・目を覚まして窓の外を見やると、またしても銀世界。
昨夜は雨が降っていると思っていたのだが、雪に変わっていたのか・・
良くぞ、昨日・土曜日に外出したものだーーーー雪もなく穏やかな一日だった。

図書館そしてハイドパークスクエアーまで。
落葉もそろそろ終りの季節に・・。が、落葉がたまってお手上げ状態の家だろうか、何軒か落葉清掃業者が入っていた。秋口から歩道脇に《leaf man そして電話番号》と言った看板が立てられていたが・・
集めた落ち葉を大きなホースで車のタンクに吸い込んでいる。それでもつなぎを着た男性二人がかり。

おや、ガレージから歩道へかかるコンクリートの上にこんな文字がチョークで書かれている。
ACHTUNG ! (取り扱い注意)
MISSING CAT
HE'S BEEN NAUGHTY.
PLEASE CALL
電話番号

子供が書いたのだろうか? 猫がいなくなったようだ。

おやおや犬の散歩。
小さい犬で服をきている。はじめて見ました着衣の犬。これは防寒目的。

家々にクリスマスの飾りが増殖中。しかし、最近日本で増えているいるようなカラフルなものでなく、しっとり落ち着いたたたずまいは、伝統と言うものなのか・・。
考えれば日本の新年の門松・注連飾りみたいなもの。1ヶ月飾っておけるから飾りがいがある。薄暗くなってくると、葉の落ちた木立越しに遠くの家の明かりが見えるのだが・・ツリーの形にちらちら。
 
ハイドパークスクエアー。
土曜日とあって若いカップルが目立つ。シンシナティの観光案内には一応のっている場所ながら、ちょっと地味目。道路に囲まれた真ん中の緑地帯に行ってみる。地元の人はことさらそこでベンチに腰掛けようと言う気は起こさない。信号のある交差点よりここを横切るほうが楽ぐらいの利用のしかた。
丁度女の子二人が自転車で横切ろうとして立ち止まっている。

見やると、小さな氷の像が・・。誰が作ったのやら・・ドナルドダックのようだ(写真)。
聞くところによると、、ウイークデイ(まだ雪の溶けていない)には歩道に何体も氷の像があったらしい。
氷像の反対側を見ると、なにやら石にプレートがはめ込まれ記念碑のようだ。ご他聞にもれずスプレーでいたずら書きが(でも余白に)。

DEDICATED TO THE MEN AND WOMEN OF HYDE PARK
WHO SERVE THEIR COUNTRY IN WORLD WAR Ⅱ
ELECTED BY HYDE PARK BUSINESS CLUB
1947

又又でました、SERVE。第二次世界大戦はアメリカにとって栄光への階・・。

図書館で

2010-12-11 14:43:10 | シンシナティ
こんな近くに(と、言っても20分はかかるが)図書館があって、tesyukeは大喜び。
The Public Library of Cincinnati Hyde Park Branch

シンシナティにはメイン・ライブラリーの傘下に図書館分館が各行政区域ごとにあるらしく、それらはほぼ
1900年前後に建てられているようだ。
このHyde Park分館は歴史を感じさせるこじんまりとした煉瓦の建物で、あったかい雰囲気が漂っている。
ホームページによれば、1899年から(ドラッグストア・雑貨屋に拠点を置き)図書館活動を始め、1912年にこの建物に移り、ここが本拠に。さすればこの建物は当年98歳・・・。
アンドルー・カーネーギー(懐かしいおなまえ)財団が資金を寄付して建ったそうだ。
(京都だって負けてません!町衆が力を合わせて小学校を建設している!100年以上建った建物が廃校とともに、漫画図書館とかに生まれ変わっている。立派!)

ドアを開ければ最奥に丸テーブルやソファが置かれ、パソコンが何台も設置されている。その手前には(貸し出し用の)CDやDVDの入った箱があり、それらの左右が書架。一番手前ドアの右にスタッフのブース。左にミーティングスペース。真ん中に季節にあわせてお勧めの本などを展示するスペース(今はクリスマス料理関連だった)。5,6冊本を抱えて住民が入れ代わりリ立ち代り入ってくる。シンプルイズベストと言いたくなるような佇まい。

少ないスタッフにボランティアで効率よく運営されているのではなかろうか。そう思うのも、オープン時間が日によって、10時または12時と知ったので・・・。何が何でも朝早くから開けるというわけではないんだなーーーと。
地下は子供のスペース(Children Terrace)で、子供用の図書と子供が自由に読んだりできるフリースペースがある。読み聞かせ等のイベントもあるようだ。1970年にリノベーション、新設されたらしくその時寄付をした女性のレリーフの胸像が壁に飾られていた。

日本語の本を持って行ってソファに腰をかけて読書。ここの蔵書に用はないというのが必然ながら・・
それでも、ぱらぱら手に取ったシンシナティ関連の本。

*1800年代から1940年位までの建物の変遷・様式に関するもの。道を歩いていて目にした建物がオーバーラップする。ドイツ・イタリア・フレンチ・・ヨーロッパからの移民が、故国の建物をまねたのかもしれない。

*Cincinnati Today  美しい写真集で、ここも・あそこも・行かなくっちゃ・・。Ault Parkのパビリオン・・天文台ものっていた。

*Historic Photos of Cincinnati これは借りて帰ろうかと思ったほどの大部の本。tesyukeでも読める程度のキャプションつき。黎明期のシンシナティが詰まっている。1800年代のP&G社のオフィスとか、ケーブル・インクライン・石炭運搬船・・・。日本の戦前の写真を見る雰囲気!

*ついでに
オハイオ州を紹介した写真集。美しい写真!に引かれて見ると、知事が著者。知事が本文を書いている。最後のページ・・ホワイトハウスを思わす白い建物に大星条旗が掲げられ、その前の芝生が星条旗の小旗で埋め尽くされている写真。多分その小旗は今までの戦争で命を落とした人の数に違いない。
A time for Respect and Remembrance と称したこの一章、へきへきするぐらいの美文調で、国に殉じた人(そしてその子供・家族)を賛美している。それが、戦争とか死とか直接的な単語は一切使わずに・・・

さすが知事人心を鼓舞してあまりある・・・
tesyuke・・フーン、サ-ビス(service)って、軍務や兵役のことをいうんや・・・
かれこれの体温の落差!

しかし、この国では、大統領から始まって公務員まで国(州・国民)にserveすると言う言い方をするが・・・。日本の議員は国民に仕えているか?この単語は日本語にはおません・・・?!

ダウンタウンへ ②

2010-12-10 14:29:45 | シンシナティ
ダウンタウンへ行けば、現代美術館もあるし・・行ってみよう。一念発起バスに乗ったのは5日の日曜日の昼過ぎ。まだ雪の残る道をバス停まで。乗ってみると、客はtesyuke一人で、ある意味ほっとする。
土地勘が出来てきたので、道路の名前を読み取りながら、窓の外を眺める。そこここと、由緒ありげなレンガの建物もあり往時の活気がしのばれる。ダウンタウン近くなると黒人が何人か乗車。たった一人乗ってきた白人青年はグレイハウンド(長距離バス)のターミナルで降りていった。

ガバメントスクエアー到着。ウイークデイはビジネスマンがいるから結構にぎわっているけど・・休みの日のほうがさびしいんでは?と、言われていたが、寒い中まあまあの人出。(目的地へさっさと歩いていく、と言う感じ)
フォンテインスクエアーへ。あの噴水の優雅なブロンズ像も、にび色の空に溶け込んで、目立たない。
冬の主役は・・スケートリンクだ!! 噴水前のスペースを50センチほどかさ上げして、小さなスケートリンクが作られている。大人も子供も滑っている・・滑っている。見ている人もいて盛況。大賑わい。
フォンティンスクエアーを通り過ぎ信号で立ち止まると、道の反対側に馬車が止まっている。一頭立てで、ちょっと乗ってみたい感じ。馬車の中には毛布も用意され、御者の青年がにっこり。これは何?クリスマスの企画?料金は?うーーん、謎。

道を進み、Macy's(百貨店)の前に来ると、なんだか親子づれが建物に沿ってたむろしている。なにっ、と思って立ち止まると、すかさずMacy's のチラシを手渡される。ふむふむ、25%offのカードつき。
と、Macy'sに行きかけたその目の片隅に入ったのが、Free(無料)の文字。近づいてその看板を見てみると・・

Free
Horse-drawn “Trolley”
Carriage Rides
This Sat & Sun noon to 5p.m.
Macy'sのご好意でこの企画がなされている云々・・

なんて、まがいいんでしょ! 只今日曜日午後2時。壁際の一団は馬車を待っていたのだ。
そこへ角を曲がって、二頭立ての馬車が現れた。4列のシートがある“Trolley”。屋根はあるがオープンで少し寒そう。子連れが乗り込み、tesyukeも乗る(大人一人でちょっとはずかしかったが・・)。
かっ・かっ・かっ・・・・二頭の馬の頭が揺れて、道行く人が振り返り、高い視点からの町並みは又格別で・・・しかし、寒かった!! 結構長い時間、ビルの角から角を周り、Macy's の前へ帰還。
そしてtesyukeはMacy's の中へ消えて行き・・・

日曜日はバスの本数が少ないので、早めにバス停へ。見るともなく道の向こうを見ていると、温かい飲み物を配っている女性達がいる。赤い帽子に赤いジャケット、なにやらサンタ風のいでたち。これは?慈善団体?
椅子に座っていると、若い男性がやってきて順番に話しかけてくる。むこうで温かい飲み物を配っているけどいりません?ホットコーヒーは?ホットチョコレートは?クッキーもありますよ・・道の向こうです。
胸に十字架のマーク入りのシャツを着ているので、多分教会関係?人品卑しからずといった好青年に見えたが、みんなノーサンキュー。《Stay Warm》と、言って彼は去っていった。
これこれ、夏に娘が言っていた。今風のさよならは、《Stay Cool》。冬になれば《Stay Warm》と。

ダウンタウンへ ①

2010-12-06 13:04:22 | シンシナティ
バスに乗ってダウンタウンに行こうと思いつつも、なかなか気が向かなかった。それと言うのも、なんだかこわいようながして・・
夏場に数回 hus.と出かけているのだが、昼間のバスは乗客がほとんど黒人。(たまたま? 車のない人>貧しいが乗るから?)もちろんダウンタウンからの帰り、夕方(通勤帯)にはいろんな人が利用していたが・・
帰宅後会った隣のマイケルの奥さんに『ダウンタウンまでバスで行ってきた』と言ったら、『私はバスに乗ったことない』との返事。

シンシナティは南北戦争当時、逃亡奴隷を助ける地下組織のあったところだから、人種融和の先進地帯のようにtesyukeは思っていた。
が、娘曰く・・とんでもない!白人と黒人の居住空間はほぼ分かれていて、それが入り組んで、白と黒のモザイクのようになっている。(それでこの家の近くで黒人を見かけないのだ)10年前には黒人が暴動を起こしたりもしてるんだよ・・・・

この家の界隈、太ってない白人ばかり・・なのにダウンタウンに行くと、世界が変わったかと思うほど・・・・だった。黒人の数が増えて、太った人が増えて、ものすごく太った人も増えて、なんとなく物騒な気配、気をつけて歩かないと・・と思わされる雰囲気。

バスストップは、エリー通りとデルタ通りの交差点にあり、そこから乗って、ダウンタウンの中心へ。ガバメント・スクエアと言うバス・ターミナルに着く。
ダウンタウンといっても、買い物など、人の流れが郊外のモールに向かう昨今、地盤沈下もいいとこ往時の輝きはないよと聞いていたが・・。
レンガの古い建物も多く、しっとりしたいい感じの街。なのだが、レンガ建築もリノべーションされ堂々としたものもあれば、テナントが入らず閉められたものもあり、不景気風が吹いているのが分かる。
バスの着いたのは、E5th Street(東五番街)。で、この通りには有名ホテルが連なって建っている。シンシナティは観光よりビジネスの街なのかも。

そして又、ファウンテンスクエアと言う小さな広場があり、ここがダウンタウンの中心と呼べるところ。the heart of Cincinnatiとも呼ばれ、何かあれば市民が集う場所、だとか。
街のランドマーク。と言うのも、1871年建設の大きなすばらしい噴水があるので。噴水の上に立つブロンズ像(Genius of Water)を見るだけでも大満足。この噴水《the historic Tyler Davidson Fountain》と呼ばれるからには、Tyler Davidson氏が寄付したのだろうか(写真は噴水の一部)。
夏の盛りに、木陰のベンチに人がすわり、なかなかいい雰囲気だった。が、tesyukeたちは美味しいと聞いていた(この広場に面している)アイスクリーム屋さんに入った。《Graeter》・・これがまた1840年創業。

《旅先では、一番高いところに上って町を見下ろせ》と言う民俗学者・宮本常一の言葉を思いだして、カリュー・タワーの展望台(Carew Tower Observation Deck)へ。街で一番高い建物だから是非にと言われてもいた。Towerといっているが1930年に建てられた49階建ての古いビルディング。(ニューヨークのエンパイヤステイトビルが1931年建設。)現在も、オフィス・ショップ・ホテルと現役で活躍。重厚な雰囲気の一階をデッキへの入り口を探してうろうろ。案内嬢(おばさん)が座っているので聞くと、丁度横の通路を指して、エレベーターに乗れという。

70年も働いているエレベーター。大きくどっしりしている。映画の中に出てきそうな古色が漂う。日本では乗りたくても乗れない・・ような。しかし、古いままで機能しているビルもエレべ-ターも立派。
何台も並んでいて、オフィス関連の人も利用。これで45階まで行く。後はどうなるん?と心配しながら降りると、なんだかドアだらけ。心を沈めて眺めると、表示が。48階へは階段!(まさか)またはエレベーターで(ほっ)。その乗り換えたエレベーターの小さいこと!がたがたゆれて46階以上はビルのおまけの部分みたい。

48階で降りて、誰もいない通路を屋上(もとい・・デッキ)への出口まで。出口に料金徴収係り(超おばあさん)が暇そうに座っていてちょっとしたお土産などが置いてある。チケットなどはなし、一人2ドルを手渡して、外に出る。
屋上(もとい・・デッキ)に出てみると、これは!これは!全方向シンシナティが見渡せる!歴史を感じさせる町並みに、オハイオ川も見える。これが州境でケンタツキーに続くのだ・・
シンシナティって、オハイオ州のほんとに南の端なんだ!

なんとなく・・見えてきた・・19世紀・20世紀前半、シンシナティが輝いていたことが。

雪の日

2010-12-05 12:36:57 | シンシナティ
12月1日に初雪。でも、風花が朝方に舞っただけ。それでも雪や!と、カメラをバシャ。
ところが二日後。朝起きて窓の外を・・
ワーー、きれい!これが25日なら、ほんとにホワイトクリスマス。レンガの家に雪が積もり、裸木にも雪が積もり、車も厚くく雪にくるまれて・・・。これはめったに見られない美しさと、カメラをバシャ、バシャ。
昼過ぎには太陽が昇り。青空に雪の家々、これもまた美しい。が、歩道の雪は解けていく・・

そして翌日。4日・土曜日。朝起きて窓の外を・・
おい、おい・・
昨日よりも厚く雪が積もっている! ん、もう・・また写真や・・と、カメラを、バシャ・バシャ・バシャ。
犬を連れた人が、ポケットに手を突っ込みながら歩いていく。さむそ!

1日に娘の職場で会った日本人が、言っていた。《ここシンシナティはめったに雪は降りませんよ。大雪は一冬に3回ぐらい。で、ここの人は雪に慣れてなくて道路の雪かきもしないし、大雪のときはパニック状態になるんですわ。車もよく事故起こしてます。ボストンの人のほうが雪になれてます。でもこちらのほうがまだ暖かくて・・・助かります。》今日の雪は、大雪にカウントするんだろうか?

雪が解けた後の歩道が(凍って滑りやすいので)こわいですよと、注意されながらもこれは家にはおれませんと、雪の日の犬のようにtesyukeはお出かけ。
教会の横の空き地に週末(3・4・5日)店を出すはずのツリー屋さんも気になるし・・
車道の雪は溶けてしまっている。歩道の雪の上についた足跡をなぞって歩く。4・5人の子供がプラスチックのそりを持って、弾むように天文台のほうに歩いていく。(もちろん大人が一人引率・子供だけでは行動できない。)天文台の裏が広々とした芝生の傾斜地になっている。そこですべるんだな・・

雪が又降りだしてきて、銀世界の中を歩いていく。緑のリースに真っ赤なリボンが雪にはえて、クリスマスリースを飾った家々がなんとも素敵。前回通ったときよりも、趣向を凝らしたクリスマスの飾りが増えている。子供のいる家だろうか白雪姫の小人のようなのが5人に、サンタが家に入ろうとしているところ、《SANTA STOP HERE》とか 《 NORTH POLE》と書いた杭を飾っている(写真)。反対側にはソリに乗ったサンタが置かれている。
ある教会には《GREENS WORK SHOP》と書かれたサインが。5日・日曜日に、あなたのクリスマスリースを手作りしませんかと言うことらしく、費用は5ドルから10ドル。うーーん、買うより安いけど・・

ツリー屋さんに。沢山のもみの木を積み上げたり、たてかけたり。でもあいにくの雪で手持ち無沙汰風。客の入りが少ないので(日本風に言えば)一斗缶に火を熾し暖を取っている。一台(購入した)もみの木を積んだ車が止まっているっきり。明日明後日、売れると良いんだけれど!
雪がますます、激しく振り出したので、近くの図書館に緊急避難の後、帰宅。雪道についた黒い足跡はすっかり降った雪で白くなっている。

雪に浮かれているtesyukeを尻目に、Y君はすでに融雪剤を購入してきている。家の前の凍った歩道で人が転んで怪我をしたら、それはその家の責任になるんだとか。
こないだ、売家の前できょろきょろして、つまづいて転んだんですけどそれは? もちろん、だめです!!

クリスマス・ツリー

2010-12-02 22:43:50 | シンシナティ
クリスマスへ・・・一直線といった昨今。
クリスマス・カードを買いにKrogerまで。は、表向き。

Krogerの入っているショッピングセンターの駐車場の端、歩道に面して11月の中旬にこんな立て札が立っていた
《 Best Big Trees in Town / Free Wreath with 9 foot + tree 》
立札の後にはワイヤーでぐるぐる巻いて細くしたもみの木が山積み、さも放置してあるように見えるが・・
クリスマスツリー売り場なんやろねーーーー。Free Wreath? ただ? クリスマスツリーを買えばリースがただでもらえる? 9 footってなんだろう? これは受け狙いの書き方? 無料のリースに有料のツリーがついてくる・・・なんて!

で、今日は、わざわざ遠回りしてそこまで行ってみた。件の立札は取り払われ、ビニールの大きなサンタにスノーマンがお出迎え、見事ツリー売り場に変身していた。積み上げられたツリーの横に枝を広げて立てた円錐状のものがずらり。1.5から2メートルはありそう。85ドル・80ドル・65ドルと、高さや美しさで値がついている。赤い帽子のお兄さんが、顔を出す。初めてみました!こんなツリー屋さん・・・一緒に写真とってもいいですか?とてパチリ(写真)。
あっ、9 footの意味を聞くのを忘れた!

ショッピングセンター内の Michels や wallgreens といった雑貨も扱っている店に入る。店内クリスマスの飾り物でいっぱい。大小取り混ぜて赤いリボンが賑やか。こちらは生木でないプラスチックのクリスマスツリーがレジ近くにおいてある。人の背丈ぐらいで生木のツリーと同じぐらいの迫力。オーナメントがついて130ドル位。

ちょっと、薄暗くなった帰り道。はやくも飾ったツリーを窓際に置きブラインドなどを下ろさずに外から見えるようにしている家もあって、ちらちらと電飾の瞬きがうつくしい。

シンシナィに初雪!!そしてtwinsのお出かけ

2010-12-01 22:01:45 | シンシナティ

雪が降ってますよ・・・。朝からY君の声。
部屋のブラインドを上げると、ふーわふーわ雪が舞っている。何時から降り出したのか、車や家の屋根がかすかに白い。
アメリカで・・初雪やね・・本格的な冬到来。

消えかかるかに見えて、風花が断続的に舞う寒い日・・
今日は,娘の同僚(ベビー・シャワーで祝ってくださった方)にtwinsをお披露目に・・行く。
いただいた服や帽子を着せて、防寒もばっちり、チャイルド・シートにのせて、出発。
仕事も終りがけの夕刻を選んできているが、建物の中へ入ると、twins用のストローラー(バギー)が目だってなにやら場違いなところへ来た感じ。

しかし、11階。おめでとうと懐かしげな声・声・声・が集まってきて・・ハグ・ハグ・ハグ・・
大きなフロアの隅で、みんなが順番に赤ちゃんを抱っこ。独身の若い女性は椅子に腰掛けて(立っては怖いので)赤ちゃんを抱いて、それでも緊張気味で、顔が真っ赤。最近研修で来たというインド人の若い女性は赤ちゃんが好きらしくもっと抱いていたいと言う。男性達も赤ちゃんをなれた感じで抱き上げて・・・国籍も人種もいろいろな人が集まって、みんなにこにこ。

玄関まで下りてきて、立ち止まっていると、通りがかりの年配の男性、
《お人形さんかと思ったら、これは二人も。うれしい驚きだ。おめでとう。》と、去っていく。
立ち止まったのは・・大きなクリスマスツリーが目に入ったから。
もうクリスマスツリーの時期やねと見ていると、紙製のオーナメントがつるされているのに気づく。
それにはいろんな商品の名前が書かれている。たとえば、[NINTENDO DVDの名前] のように。
ツリーの下には箱が置かれ、シンシナティ子供病院への寄付ありがとうと書かれている。何を寄付すればいいんやろね・・と、思っていると
そばの柱に貼紙が・・

Bring a SMILE to a patient's face

1 Choose an ornament.
2 Purchase the requested gift.
3 Include name, address & value for hospital
purposes on the back of the ornament.
4 Attach the ornament to the unwrapped gift.
5 Return the unwrapped gift to the collection
box located under this tree/wreath.
Thank You

子供病院に入院している患者(子供達)のほしがっている品(多分)がオーナメントに書かれていて、それを購入して寄付してくださいと言うことらしい。子供達へのクリスマスギフト・・子供達の顔に笑みがこぼれる・・