Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

寧波展・・奈良国立博物館

2009-07-20 23:41:06 | Weblog
寧波(二ンポー)展・奈良国立博物館で18日からオープン。
聞きなれない名前で何かしらと思ってしまう・・・・
≪聖地 寧波 日本仏教1300年の源流 ~すべてはここからやって来た~≫と、キャッチコピー。

19日にはやばやと見に行った。それというのも、あの楊貴妃観音が見られると聞いたので。
御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)には何回足を運んだことか。それなのにマンの悪いことに(tesyukeの場合です)楊貴妃観音堂には**へお出かけという立札と、楊貴妃観音の写真がおかれていて、実物を見たことがない。泉涌寺さんも、そんなに出稼ぎに(おっと失礼)出さはらんでもと、言いたくもなる心境だった。
お寺では見られず、博物館で見られるとは、なんだか矛盾。

楊貴妃観音像は1255年に中国から渡来。玄宗皇帝が亡き楊貴妃を偲んで造らせたと伝えられる美しい木像ということで期待度100%。
西新館に入ってすぐぱっと目を引く大柄な坐像。確かに美しい。宝冠もカラフル。800歳とは思えない新しさ。びっくりしたのはケースも無く1メートルという至近距離で見られるというその事実。お寺にあれば、暗い堂内の奥深くを目を凝らして見るというのに、薄暗いとは言え、すべてをさらけ出して見られている観音さんに(信仰を離れた)博物館というものは無常やなーー、と思う。
思わず、夜目・遠目・傘の内なーーんて、つぶやく。お堂内で見るほうが神々しくあらせられたのではないかと・・・

角度・見る位置によって雰囲気は変わるが、ほ・ん・と・に・中国美人。ふっくらしたまぶたに今風のアイシャドーなどをさすと似合うかも等と不遜なことを考える。
この像は確かに美しいけれど人智レベル。仏像と思わないほうがいいのかもというのがtesyukeの感想。手を合わせたくなるような胸打たれるものは感じない。
ギリシャ・ローマの像を美しいなあ・・と見るのと同じ次元とでも申しましょうか。

頭だけになっていても、手が欠けていても、博物館の隅に置かれていても、心打たれる仏像はあるし、それらは人の心を打つ何かを持っているんだろう。弘法は筆を選ばずにまねて、仏像は場所を選ばず、です。場所を選ぶ仏像は本物でないと言えば、言い過ぎ!かも・・

とにかく、この展観、期待に反して(?)よかった!丁度よい加減の人出で、ゆっくり見ることもできた。
日本仏教の歴史を、一つの都市名に集約させ行く企画構成、中国・韓国・日本各地から見合った出品物を招請してくると、博物館の仕事の大変さをなぜか今回は感じた。

国宝・清涼寺釈迦如来立像・・これもケース無しの至近距離で見ることができます!