Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

落書き!落書き!

2008-06-29 21:52:12 | Weblog
世界遺産への落書きで、岐阜女子短大生・京都産大の学生が話題になった。
それで、思い出した事が!

2004年夏・英国。
ロンドンからイングランドの南西の端っこランズエンドへ車を走らせていた時。
hus.がランドアバウトをほんの少し間違えて出てしまった。だんだん方向が狂ってきたが、まあいいかっと、予定を変更してそのままオクスフォードへ立ち寄ることに。9年前に見学できなかった Carfax Tower へ行きたいし・・・なんて。

そして、オックスフォード。
その Carfax Tower ・・・・が、問題だった。
ぐるぐると上っていって建物の最上階から外へ出る。屋上。中心に建物の四角錐の屋根が突き出している。
オーー・オーー。な、なんと!びっしりと、落書き・落書き・落書き。四面とも余白がない。日本語・日本語・日本語のオンパレード。(ハングルとかほかの国の文字もあったが・・)

イギリスの建物の一部の突き出した四角錐が、これは何?状態。
恥ずかしいのを通り越して、寒気がした。数日前に書かれたものもあり、日本語の名前で満艦飾!
大勢の見学者のいる中で、どのようにして、書いたのか。良くもこれだけ書けたものだ!と、あきれかえる。
四角錐に近寄って書くのは足場も危ないし、近づけないようにパイプで柵がしてあるのに・・・。

その中に、福岡県の県立高校生・女の子達の名前があった。winという文字もあったので何かの記念にオックスフォードへ来たのかもしれない。
添付してない方の写真には(福岡・・高校バスケ部そして女の子の名前がずらり)と何行にもわたって書いてある。

学校名まで書くなんてどんな神経なのか!恥ずかしいことをしているという自覚がない!
時間経過とともに冷静になるのだが・・・その時は、
頭にきたtesyuke。(何故か姫路の友達の物言いで、)ゆうちゃる!ゆうちゃる!学校に絶対ゆうちゃる!と、写真を証拠に撮った。『学校として生徒に落書きなどしないように指導をなさってください』と、言うつもりで・・・

日本に帰って、インターネットで学校を探した。確かに存在はしたがメールアドレスが分からず、なんだか力が抜けてしまった。電話や手紙など面倒くさいし・・、写真もそこだけ見ると間の抜けたものに見えるし、まっ、いいかと・・・・そのままに。
2004年の高校生は、丁度今回の学生達と同世代。
おせっかいおばさん、しておけばよかったか?と思うこのごろ。

東林院・沙羅の花

2008-06-25 14:41:02 | Weblog
昨日は友達に誘われて・・妙心寺の東林院・沙羅の花・・

祇園精舎の鐘の声 諸行無情の響きあり・・・ 
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす・・・
で、インプットされている雰囲気そのまま。
咲いたその日に落ちてしまう、はかなくも美しい日本人好みの花。

午後に行ったので小さなお庭の沙羅の木に花はなかなか見つけられず、苔の上に散った花びらを眺める。
早朝のさわやかな空気が似合っている感じの花・・・
雨の降っているしっとりした日ならモットよかったかな・・そんな感じがした・・
だんだん日が翳ってきて,木がいきいきしだしたような感じで、花の白さがぽっぽっと目に付きだす。
一重のさっぱりした花が美しい。
木に鈴なりというでないのがいいんだなーーーと、思う。
ゴージャスという形容詞と正反対のところの花で、謙虚・ひっそり・慎ましやか・・・・そんな花だった。

見学を「沙羅の花を愛でる会」と称している。で、お抹茶を頂いた後、お坊さんのお話があった。
お釈迦様がお亡くなりになるときに、そばにあった沙羅の木・インドの沙羅の木は違う木ですとおっしゃっていた。樹齢300年と言う沙羅双樹の古木は残念なことに3年前に枯れてしまた。と、庭の中心を占めている枯木を指さされる。
元気な頃は・・と思わす二股に分かれたまさに沙羅双樹。残念。見たかった。

雨の降る日に、ぽつんと一人で眺めたい・・・そんな花だった。

札幌は花ざかり④ライラック

2008-06-14 00:35:37 | 北海道
ライラック祭は、大通り公園で5月21日から25日まで。すでに終わってしまっていて街の雰囲気はYOSAKOIソーラン祭りに向けて小休止中といったところ。しかし、アジアからの観光客が、多い・・・

日本中で、最高の通りの一つ。大通公園っていいですね!
丁度、春花壇から夏花壇に模様替えしているところのよう。どこを切り取っても素敵。噴水と・・花壇。テレビ塔と・・花壇。銅像と・・花壇、エトセトラ・エトセトラ。
見るほうはいいけど手入れが大変だなと思う。
≪大通り公園ブログ≫によれば、大通り公園管理ボランティアというのがあるみたいで、花殻摘みをしている写真が載っていた。
小学生ボランティアによる植え込み花壇というのもあった。大通り公園の美しさは市民の協力のたまものなんですね・・。

ライラックは約400本(白30本、紫系370本)あるとか。まあ花の咲きように変わりはないので、人が少ないほうが却ってゆっくりできた。とはいえ、今年は早く咲き出したとかで滑り込みで見た感じ・・・
ライラックは明治22年(1889年)にアメリカからもたらされて以来、かれこれ120年。最初の木は北大付属植物園に現存しているとか。

そんなこんなで、ターゲットは、6月1日がライラック祭という白石区にある川下公園(なんという、即物的な名前なんだろう・・)へ。
31日に行ったが、明日の祭りを待たず見に来てる人が結構多かった。
札幌市とはいえ郊外。tesyukeも、どうして行ったらいいのかなという感じ・・・で、まずは地図を眺める。JR札幌駅から3駅目の平和駅で降り、見知らぬ街を歩いて行った。

北米やね!北米。
札幌の中心部はビルの立ち並んだ都市の顔をしているのでさほど感じなくなったが、一歩外へでると、雰囲気がやっぱりアメリカの北部・カナダ。空気が?植生が?ナンだろうね・・家の建ちようかしら?サイズ?とにかく道幅にしろ何にしろ、のびのびとしていることは確か。

駅前で、自転車を押しているおばさんに道を聞くが、≪遠いよ・・遠いよ!≫と、あきれられる。
北海道の人はとっても親切で、人懐っこい感じ。バスが確か通っているからと教えてもらったが、丁度出たあと。
とにかく、歩いていけば着くだろうと、のんきにぶらぶら。
正解だった。家々に咲いている花を見るだけで、楽しい。楽しい。

もちろん3・4・5・6月に順次咲き出す花の数々が同時に咲いているのは、周知のこと。でもなんだか花自体の雰囲気が違って感じられる。外国からもたらされた花木も多く、それらが今では土着のものの様な顔をしていると知り合いが言っていた。が、そのせいだろうか?
いやいや、冷蔵庫の中のものの持ちがいいのと同じなのでは・・? 気温が低いので、長く花が持つし、色もクリア。空き地の雑草さえ柔らかい緑でタンポポ(多分)がぽっぽっと可愛いい。

写真を撮りながら歩いていると、公園に。
随分大きな公園。門を入ると、見知らぬ人から、まっすぐ進んで行くとライラック園だよ!と・・声がかかった。
世界のライラック200種1700本が植わっているとか! 壮観。
ぐるりぐるりと見て回る。白・ピンクそしていろんな種類の紫色。
一房が長くて花がふわふわと見えるぐらいについている八重のもの。
花弁は4枚がくっきり見えてシンプルな感じの一重。シンプルな白のライラックが好きだ。

見ているうちに、木の根元のプレートに気がついた。生み出された年がかいてある。たとえばこんなプレート。フレンチライラック/(花の名前)ミス・エレン・ウイルモット/1903年/ビクトール・ルモアン(フランス)/白 八重
生み出されて100年。美しい花に名前を残した人は100年前の人。
どうやら新しく生まれたもののほうが花のつきが多く豪華みたい。

1916年アメリカで作りだされたのには、プレジデント・リンカーンの名前が。
一番古いのは?と、ちょっと探してみる。1820年スージアナ。やはり素朴な感じの花だった。
時間帯のせいか匂いがあまりしなかったのが残念だった。
が、ライラックにどっぷり浸かりきって、満足の一言。


札幌は花ざかり③番外・アイヌ語

2008-06-09 01:28:44 | 北海道
ガイドさんが、支笏湖を取り巻く山の名前を教えてくれた。
樽前山・ふっぷし岳・紋別岳・恵庭岳・・・

樽前山。山頂やや右寄りに帽子をかぶったような溶岩ドームが見えかわいい。ここからは見えないけれど、中にもう一つ溶岩ドームがあるんですと・・・。そして今も現役の活火山。外輪山の内側へは立ち入り禁止です、と。
恵庭岳、知っています知っています・・札幌オリンピックの滑降コースになりましたね。

しかし、ふっぷし岳は、いくら聞いても、音だけが不思議な響きで耳に入るが、漢字にどうしても置き換わらない!
これは完全にアイヌ語だ。
なんと風不死岳。美しい文字をもらったこの山はアイヌ語のフップ ウシ(トドマツの多い山)という言葉に由来するとか。
ところが、恵庭岳もアイヌ語のエ・エン・イワ(頭の尖った岩山の意)に由来すると聞いてびっくりした。アイヌ語からと、思ってもみなかった・・・

そして知ってみれば何のことはない、当然のことながら北海道の地名のほとんどがアイヌ語由来。中には良くこんな漢字を当てはめたなと、感心するものも。
地名を音だけで聞くと、この響きが共鳴しあっていた世界が過去に確かにあったんだなと思う。
と言うのも、たまたま読んでいた民俗学者の谷川健一さんの文章を思い出したから。

≪地名は単なる記号ではない。日本人の情緒を誘発する媒体である。・・中略・・地名はまた『大地に刻まれた百科事典の索引』である。地名は更に『時間の化石』である。『魏志倭人伝』に記された壱岐・対馬の地名が21世紀の今でも毎日使用されている・・・≫

そうであるならば、地名がある限り、アイヌの人たちの歴史は消えない。
時を同じくして、こんなニュースが・・
超党派の「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」は「政府はアイヌの人々を独自性を有する先住民族として認めること」などを求める国会決議の文案をまとめたた。今国会での採択を目指している。
遅きに失した感もあるが、成立を願っている。

記憶と言うものは不思議なものだ。今も忘れずに覚えているのが、小学校高学年の国語の教科書にのっていた文章。
言語学者の金田一京助先生が樺太へアイヌ語の調査におもむかれたときの話。
アイヌ語の「これは何?」と言う言葉さえ分らない。そこで訳の分からない絵を描いた紙をアイヌ人に見せ、その反応から「何?」という言葉を知る。この単語一つから面白いよう次々新しい単語を知って行くというストーリーだった・・・(ような)
そして最後に大部≪ユーカラの研究:アイヌ叙事詩≫となっていく。

ちょっとしたきっかけで関心は培養される。
金田一京助関連の本を良く読んでいた頃があって、その時知った一人のアイヌ女性のことは涙なくしては語れない。
知里 幸恵(ちり ゆきえ、1903年6月8日 - 1922年9月18日)北海道登別市出身。
祖母がユーカラクル(ユーカラを謡う人の意)であったので、アイヌ語に堪能だった。金田一京助に奨められてアイヌの文化を後世に伝えるべく『アイヌ神謡集』を書き上げ、校正も済ませ後は発行するだけの状態にまでに仕上げた。が、心臓麻痺により急逝。19歳。命と引き換えに残していかれたような・・・本。

彼女の伝記等から知る当時のアイヌの人々への差別。
関西圏に住んでいると北海道はやはり遠い。距離があるだけ、アイヌの人々のことは知らないことも多く、関心も薄い。
ちょっとラジカルな外国人の友達は、聞いてくる。
≪差別についてどう思う?≫そして必ず言う。≪アイヌに関しては?≫
胸を張って、ないと言える日本になってほしいものだ。

札幌は花ざかり②支笏湖

2008-06-05 22:19:49 | 北海道
新千歳空港に昼過ぎ到着。歓迎・洞爺湖サミットの表示があちこちに。
あー、サミットね。洞爺湖ね・・・・。

北海道の湖の断片的な思いでといえば・・忘れられない名前オンネトー湖。摩周湖は霧なんてとんでもない、幸か不幸かとっても晴れていたっけ。阿寒湖はまだ氷が張っていて、この氷が解けるのはいつでしょうクイズなんかをしていた。
なんといっても、この湖。サロマ湖が好きだ。思い出す夕日のサロマ湖・・・・。ホタテガイ、牡蠣の養殖がされていて一番生活臭のある湖だった。

支笏湖・洞爺湖。どちらの湖も行ったことがある。が、湖畔をちょっと散策したのみで、記憶はうすい。
サミットの行われる洞爺湖はちょっと遠くて、今回行けそうもない。が、支笏湖に寄っていくことにするか。支笏洞爺国立公園。似たようなものだろう?なーーんて・・・
で、中央バスの空港発ツアー≪エアー&支笏湖コース≫を申し込む。
支笏湖を回って中島公園・大通り・時計台・札幌駅へ。出発時間も丁度良く夕刻には札幌だ。

支笏湖へ。
千歳の昔の地名はアイヌ語で「シ・コツ(大きな窪地、又は谷)」だったとか。当時この地に多くいた鶴にちなみ「鶴は千年、亀は万年」から縁起を担いで1805年(文化2年)に「千歳」に改名した。そして「しこつ」の名前を湖にとどめた・・・と、ガイドさんが。・・勉強になります。

しずか。ここが日本の国だなんて・・。スコットランドのロッホと呼ばれる湖達を思い出す。深い緑の山々に囲まれて、シーーンと、静まっている。昔そうであったように・・今そうであるように・・未来もこのままであってほしいものだ。土産物屋がひっそりと、ビジターセンターの近くにある。はやっているのかいないのか・気になるところだが、願わくば色彩なども考慮してこのまま景観の中に納まっていてほしいものだ。

水中観光船に乗る。
船に乗り込んで甲板で写真などを撮っていると、船のガイドさんが下へ!下へ!と言う。あわてて階段を下りて船底?へ。
一瞬、なにっ?水族館? 左右の壁面がガラス窓になっている。その前に座ると、眼の前をコバルトブルーの水がゆれている。湖をのぞくようになっているのだ。
さーーっと、光を伴った泡が立ち上って、スリムな魚の集団が過ぎて行った。
(魚に関してはこのとき見ただけ。ガイドさんは、水温が低いというのが第一の理由で魚はあまりいない・・と。)
支笏湖は深さ・水量・透明度のいずれも日本で第2位。このように水が清く深い湖には、水草などもあまり茂らず、栄養も少ない。貧栄養湖というのだとか!

窓の位置は水深2m。この位置から湖底を見る。
ほこりをかぶったような長方形の石が並んでいる。鉄道の枕木をザーーーッつと並べたような感じ。
≪柱状節理ですよ≫ 火山の爆発時にできたものの名残です。1万4千年位前の出来事です。と、ガイドさん。
皆鼻をつけるようにして見入る。太古の世界が目の前にあるなんて!
あまりにも鮮明な湖底の様子に、感動。誰一人声を発しない。21世紀に生きて居ればこそ、秘密の扉がだんだん開けられていくんだな・・・なんて。ちょっと大げさに考えるtesyuke。

又、甲板に戻る。風がきつく寒い。原生林を有する山々に囲まれて静まっている湖。青と緑のコントラストが美しい。山の一つは活火山であると聞き、カルデラ湖なんだなと実感する。
湖底を見るスポットがあるらしくて、又も呼ばれてガラス窓へ。
≪風紋ですよ≫風が吹いて作ったのだとか。砂地にしっかりした凹凸。洗濯板のように見える。これらを湖の底に見る不思議さ。
普段は見る事のできない自然の造形美に満足の30分だった。

船から上がると、支笏湖ビジターセンター付近は、さつきの花盛り。赤い色にホット暖かさを感じる。

札幌は花ざかり①

2008-06-05 00:36:14 | 北海道
大学コンソーシアム京都に登録して、学生のまね事をしだしたので何故か忙しい昨今。手帳を眺めながら、5月の5週目を逃したら、8月までどこへも行かれへんな・・・と。
そんなこんなでばたばたと、北海道行きのチケットを購入したのが二週間前。

北海道は、松前と釧路を残すのみでほぼ全島回遊した。
が、ゴールデンウイークか夏休みに行くことが多く、まだ枯野のような富良野のラベンダー畑で鐘を鳴らしたり、五稜郭のちょっと色づきかけた桜であったりと、悲しいことにこの時期の盛りの花々にはまだ出会ってない。
もっとも夏のオホーツクの海岸線も忘れがたいし、11月の初雪の降った日の早朝、大通公園のまっさらな雪の上を足跡をつけながら歩いたこととか(お馬鹿な人は一人だけだったが)・・思い出はいろいろ。

とにかく5月29日伊丹発。花の季節の札幌へ!

心残りの富良野へ行こうと、(運転に自信が無いので)日帰りバスツアーにアクセスしてみるが、こちらはすでに売り切れ。数日前に申し込むなんて考えが甘い甘い。もっともまだ花には早いとかで心はすっきり。又の日に・・

花大陸Hokkaido http:www.hanatairiku.jp/で調べると
札幌市だけでも、大通公園・滝上公園・ちざきバラ園・百合が原公園・すずらん丘陵公園・・・・
おおーーーよりどりみどり。花盛りの札幌に心はもうルンルン気分。
しかし、今回は運転手(hus.)がいないので、行動範囲はどうしても狭くなる。
っと、なになに、ライラック祭!だって。
それじゃ、ライラックめぐり・札幌の旅で決まり。

なにしろライラックは好きな花の一つ。以前に植えていたことがある。もっともライラックとの表示を信じて購入したのだが、疑わしいところのある木だった。原種に近いのかすっきりした白い花で(ふさふさしてない)、強い匂いに熊蜂が寄ってきたものだ。
一体あの木はなんだったのか?

源氏物語千年紀展

2008-06-04 00:38:34 | Weblog
ドロシーさんが京都の町を歩きながら、紫の色使いが多いけど?と、聞いたのはもう1ヶ月以上も前の話。京都は源氏物語千年紀でどこへ行っても、源氏物語・紫式部の名前が踊っている。講演会・展覧会と行事も軒並み・・

そんな中、京都文化博物館へ源氏物語千年紀展を見に行ってきた。行こう行こうと思っているうちに最終週に。ラストの8日・日曜日は人ごみで何も見えないだろう。あいているのは今日しかないと、飛んで行った。
しかし、火曜日なのに・・あまりの人の多さにびっくり!圧倒的に女性が多い。

この博物館で入場するのに並んだのは初めて。耳をかすめて・・昨日で、10万人突破どっせと聞こえてきた。観光バスが停まって、旗を持ったガイドがツアー客を先導している。博物館で初めて見る光景。
この博物館の常設展も京都の歴史が中心なので、合わせて見ると理解が深まるだろうけど・・・皆さん余力が残っていないだろうな・・・
tesyukeも見終わったときはぐったり。
見ごたえがあった! 源氏物語の偉大さが読み取れる。これだけのものを又集めるのは、至難の業かも知れない。

折に触れて見たり、聞いたりしてきたものの、“本物”に会えて、もう感激。
千年紀の元になった、紫式部日記の一場面・1000年前の出来事・藤原公任がこのあたりに若紫やさぶろうと、紫式部に声をかけたと言う場面を描いた、紫式部日記絵巻(国宝)が今日から展示。
先日の葵祭を思い出しつつ、源氏物語屏風も、車争いの場面をしっかり見た。牛車の牛は違う場所で待機しているのか、行列の通る道の両側に轅(ながえ)を台にセットした牛車が場所取りをしている。その場所を乱暴にも横取りされたのでは・・六条宮御息所でなくても・・ね。
とにかく、絵巻・屏風・画帳と美しくカラフルなところは、渋滞・渋滞、人だかり。しかし、今日のtesyukeは飛び道具を持っている・・遠近両用単眼鏡でググッと精度の良いもの。
細かい着物の模様やそれらに芥子粒以下ほどの金粉が施されているのまで見れた。
引目鉤鼻のお顔もばっちり。時代が古いものほどしっかり下膨れの顔で某人間国宝の歌舞伎役者そっくり?
時代とともにも顔形も変わって、高貴な様が薄れていくような・・

連綿と読み継がれて1000年。ここでは、それを支えた写本と言う営みの偉大さが強調されていた。
tesyukeも更科日記の作者・菅原孝標の娘が源氏物語の写本を貰って大喜びするくだりは知っていたが、眼前にその更科日記(写本)を見て、源氏物語の果たした役割の素晴らしさにあらためて感動。
源氏物語はそれ自体だけでも素晴らしいが、それにもまして、太い源氏の流れに合流するもの、または支流となって出て行くものと、多くの日本文学(そして美術)に関わっていると言うことが・・・すばらしい。

最後に≪あさきゆめみし≫の原画も展示してあった。これは江戸期のパロデイー本≪偽紫田舎源氏≫に対して昭和の漫画≪あさきゆめみし≫なんて言われるようになるかな・・なんて思った。
最近の新聞に、江戸期の≪偽紫田舎源氏≫の果たした役割を論じたものがあって、過小評価されすぎというものであった。≪あさきゆめみし≫も若者への浸透ということでは大きな役割を果たしているのではないか。

近代に入ってからの新訳本の数々も展示されていたが、15年かかったという現代京ことば訳源氏物語(中井和子訳)が気になって、単眼鏡でちょこっと読んでみた。以前、京の話言葉での朗読を聴く機会があって、1000年前にはこんな感じで読んではったんかしらと思ったものだ。