Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

笠そば&笠荒神

2010-04-29 20:49:29 | Weblog
知り合いのお勧め・・・
奈良の山の中だよーーーん、昔はプレハブ小屋で営業してはったのが、おいしいと評判で、大きくなったんよ・・との、話。で、お蕎麦を食べに片道2時間強。
もちろんGW直前の話。

ネットで調べると、そこは《荒神の里・笠そば処》
『挽きたて』 『打ちたて』 『茹でたて』3たての美味しいお蕎麦をぜひご賞味下さい。そば作りに最適の気候・風土、さらに寒暖の差が風味あるそばを生み出す荒神の里。
笠の地域の住民一人一人が資金を出し合って、会社を作ってみんなで協力してやっています。と、あった。

すごーい、すごーい。行政の補助金で作った眠ったような施設が多い中、住民ががんばってやっていると言うのがなんたってすごーーい。とて、れっつごー。
奈良県桜井市笠まで。標高400~500mの中山間地域で、車は結構細い山道を登っていく。(対向時が大変)
昔は人里はなれた田舎だっただろうと思われる場所を開いて、瀟洒な建物が。のんびりした景色がうれしい。
オーー、車のナンバーがいろいろ。結構遠いところから来てはりますわ!
しかし食べるものが‘お蕎麦’。回転は速い。
おいしかったです、はい! いろんな色紙に混じって、渡辺文雄のが!(写真)

笠蕎麦もよかったけれど、一番好きなのはやっぱり京都の鰊蕎麦か?鰊蕎麦を出してはいないが、お気に入りは御所の前の蕎麦屋《敦盛そば》。ここは蒸篭で蒸したお蕎麦をあったかいつゆで食べる。食べ方に薀蓄あり。(昔は葱の量が多かった! 1斤と1.5斤の値段が一緒だったのに別々になった!あー、年々歳々人でなく店同じからずやわ。)
でも、友達はたいていこの店を知っていて、おいしいお蕎麦屋さんと言えば・・・あそこあそこ・・・御所のとこ・・・で、話は通じる。と言うのも、お店の本名を誰も覚えきれないので!
正式名・・竹邑庵太郎敦盛  ははーーーっと、言いたくなるような名前!

笠そば処を出れば向かい側に《笠山荒神社》の社殿。
腹ごなしに皆さん参拝に・・・店前から通じる道は裏参道のよう。うっそうとした杜の中を徐々に徐々に登っていく。近年整備されたのか、すっきりとしたお社。荒神さんと言えば、清荒神しか思い浮かばないのだが、ここの社頭の縁起には、日本最古と書いてあった!
参道には絶えることなく石灯籠が並び、それに豆電球がセットされていて、昼間だと言うのに灯してある。夜はどうする?消すのかな、なーーんてあほなことを考える。
本殿から逆方向に下りていくと、こちらの参道の方がより長く、立派な鳥居が連なっいる正面にでた。

正面横には閼伽井(あかい)不動明王と言う霊場があった。日章の滝と呼ばれる小さな滝から池に水がちょろちょろと落ちていて、昔行をしたような摩訶不思議な雰囲気。本尊の石のお不動さんは角がとれ目鼻立ちもおぼつかない感じ。ピンクのゴージャスな石楠花が供えられているのが眼を引く!

食べて・拝んで・半日トリップ終了。

あはっ・・淀競馬場

2010-04-28 00:35:46 | Weblog
年上の友達が言った。
私、八幡市に住んで30年。京阪電車にいつも乗ってるねん。で、淀競馬場のそばをいつも通っているのに、行ったことないねん。何でも一度は経験したいやん!なーー、淀へ行かへん?
何で又こんなことを言い出したかというと・・・
英語の授業で、《男性御用達と思われていたところに最近は女性が進出》と居酒屋をとりあげた英字新聞の記事を先生(女)が持参。ほかにどんなところがある?
ほらほら、競馬!競艇!などとたきつけたのだ。先生は、競輪?んっ?と、これには顔をしかめたけれど、阪神競馬場はすばらしい!大きいしきれいとさかんに言う。
えっ、行ったことありはるんやわ・・ふーん、すみにおけへん。

そんなこんなで、おっちょこちょいのtesyuke、友達に同行することに。決行日は24日・土曜日。
大阪行き方向のホームに降り立つと、やけにきれいになっていて、改札口から屋根の下を道なりに競馬場まで直行。(道に迷うこともなく)とは言え、エスコートなしはなんとなく落ち着かず、どうすんの?どうすんの?状態。
まずは、入場チケット200円なり。窓口の女性がにっこり笑ってくれた。

社会見学です、はい。と。照れ笑い全開で入場。
大きな建物にびっくり。その前にパドックが。子供連れなどが取り囲み、いい雰囲気。
次に出走するお馬ちゃんがぐるぐるまわって顔見せ。きれいですなーーー!
小さい子供が、カタカナで書かれた馬の名前をたどたどしく読んでいる。
騎手が出てきて騎乗、先導に続いて馬場へ。用務員が出てきて、芝生を棒のようなものでぼこぼこたたきだした。

知りたがりのおばちゃん達、警備員にあれは何してはりますのん?
騎手が馬に乗るとき負荷がかかって、蹄で芝生に穴が開くので、それをならしていますねん。
問わず語りにしゃべるしゃべる!このパドック世界一です。ふーん、何で?
円形と言うのはとっても珍しいんです。真ん中に植わっているクロガネモチノキは金持ちに引っ掛けて植えられたんです。接木して全方向に枝を出し、360度同じに見えるようにしてあるんです。
一番に来はったら、ここで馬にさわれれまっせ・・、9時半・9時半ですよ。

4番レースが始まるというアナウンス。建物の中へ。結構人が入っているが建物が大きいのでのんびりした感じ。うろうろしながら、なるほどなるほど、こうなっているのね・・
馬券を買わなくちゃ。まさしくどうすんの?
周りを観察して見るが、それでも??。 近くにいた女性を捕まえてやり方を聞く。
ふーーん、わからへんねーー。まあ、なんでもいいやん適当に適当に。窓口にいい加減ですけどと持っていくと、消しゴムで消しながら、質疑応答、かいてくれた。そして笑いながら、又来てくださいねと、にっこりプロモート。
こんなことに精通するのも怖い話だが、ビギナーズラックを期待して馬場へ。

青空・緑の芝・池の水・・きれいです!!
スタンドの前面に大きなモニターがあって、それで仔細はわかるが・・コースが大きいので今馬がどこにいるのか眼を凝らさないと判らない。平地の一番前で見ていたのだが、馬が目の前を走りすぎるときの迫力だけはすごかった。ごぉーーっと地鳴りがして地面の振動を体感する感じ。テレビで見ていてはわからないすばらしさ! は・や・い・・
ゴール直前の一部観客の異常な声援には、ギャンブル臭芬々。

その後、レストランで食事をし、場内を探検。スタンドの切れるあたりからは、芝生地帯。ここには子供づれが座ってピクニック。(パパは馬券を買いにかな?)子供用のプレイグラウンドもあり、普段の土日は安上がりな家族空間ですな。イメージ大いに変化しました。
いままで、淀付近を車で通ると、ちっ、競馬の日や・・と、顔をしかめていたのだが・・。黒っぽい男性集団が黒雲が湧き出るように道にあふれてきて、迷惑やな・・状態、だった。

それでも3時間位いて、なかなかいいとこやんと言う結論に。緑とお馬ちゃん、広々空間。
帰路は、シンザンゲートと言う出口から。おやおや、馬の銅像(小さい)がありますよ!
5冠馬・シンザン!ですと。銘に《神賛》と。

パドックで馬を見ていた時の会話。ピカピカつやつやきれいねーー。なぬ三歳馬。さっきにに比べてちょっと色艶落ちません?毛並みもさらさらしてないしーー。四歳以上だって。
サラブレッドも年をとる・・
北海道・静内で見たのは競馬場へ参戦する前のお馬ちゃんたち。
先日、四国の金毘羅さんでは神馬になった競走馬を見た。20歳だった。
何年か前、藤森神社・参道馬場での駈馬神事 のとき、元競走馬が全力疾走後、規定の位置でストップ出来ず、本殿に突っ込みそうになって手綱を引かれてどうっつと前足を折って倒れるという惨事を見た。くず折れた馬の大きな体。観客のいないところへ移動させようとするのだが、びくっとも動かなかった。

競走馬にもいろんな人生(馬生)があるんだ・・・

Viva 等伯! 長谷川等伯展

2010-04-16 21:11:34 | 美術館・博物館など
長谷川等伯展に行ってきた!
雨にも負けず(雨だから)行ってきた。今回は展観期間が短い・・・相棒を待っていたらいつになるやら・・・見逃しちゃなんねぇ・・・で、でものんびりと昼近くに京都博物館に。着いてみると・・・
うわーー、50分待ちの長い傘の列!
甘かった、こんなに人であふれかえっているとは思わなかった。

しかし、良かったぁぁぁぁぁぁぁぁ・・・・・(遠吠え)
等伯の全仕事が結集!
等伯の仕事の変遷が一目瞭然!
等伯の心のありようまでわかる!
すばらしいの一言に尽きる展観だった。壮観。

tesyukeは等伯のおぼろげなアウトラインしか知らないのだが、たとえば絵師の家に生まれていない自力の人(いわゆるself-made man)。田舎から都へ。狩野永徳のライバル。頼みの息子を早くに亡くしている、等々。そして、等伯と聞くと、なぜか竹林猿猴図屏風のお猿ちゃんを思い出す。が、お猿を蹴散らしてざくざくと大作が眼前に・・・くらくら。

第1室、まずは20代の頃。能登の絵仏師・長谷川信春として。北陸の寺々(ほぼ)が所有する仏画や僧侶の肖像画。それが非常に緻密にかかれたもので、トルコの細密画を思い出すほど。一級の肖像画家だったんだろうなーーと、思わされる。
そして、この位置にあきたらず上洛。

次は、都に出てから売れるまでの、等伯の名前を名乗るにいたるまでの時期。一時狩野派に入門もしている。あの円徳院の山水図襖(重文)もここにあった。桐文を全体に施した襖に、水墨で描いた山水図。住職の留守中に等伯が無許可で描き上げたが、すばらしさにお咎めなし、という逸話が伝わっているもの。真っ白な当初の襖ならば雪(桐紋)がどんなに美しかったろう!

成功するまでに多くの人々の支えがあったのだが、等伯をめぐる人々の肖像画も一室を得ている。あの、人口に膾炙した千利休の肖像画(裏千家蔵)、此れも等伯筆だったとは知らなかった!

そして真打、秀吉に依頼されるまでになった等伯の黄金の絵の数々。
国宝・重文のオンパレード。やはり京都の大寺院の所蔵品が多い。
あの細密画の主がこんな大胆な絵を描く人に変貌。
桃山時代の特大の金碧画を堪能、ここで展観終わりでも十分です。いやいや満足しました。

えっ、まだある?
大きな空間の次室。
がーーーん。ショック。等伯にこのようなものがあったとは知らなかった。
巨大涅槃図。表装を含めて、高さ10m・横6m。息子の菩提、一族の供養のため自分で発願して本法寺に寄進したもの。天井からつるしても高さが足りず、お釈迦様の寝姿あたりで屈折させて前に流してある。
又、同室には北野天満宮に掲げたと言う(同宮所蔵)大絵馬も。縦2・7メートル、横4メートルもある等伯最晩年の大作。

金碧画の中に、金と墨だけで描かれた、大きな波濤図があった。描かれた当時、金色が光り輝いていた頃、墨の波はどんなに潤いを帯びていただろうかと想像する。この絵が分岐点だろうか・・
次に、最終章として、水墨画の世界が現れる。
松林図。霧を描かずにいて霧の世界を描いている。松の木の遠近が墨の濃淡であらわされ、屏風の中に霧の日の松林が閉じこめられている。

何人分かの画家の作品を見た心地。等伯は天才にして努力家?多分。
展観が終わると、出品の品々すべて、ちりじりばらばら終の棲家へと戻っていく・・・
等伯没後400年記念の作品の同窓会終わり。すごい企画だった。
そりゃーー、こんな機会は逃せませんって。

湖東はいいな・・・

2010-04-08 23:20:36 | Weblog
tesyukeは京都と奈良の丁度中間に住んでいる。日常的に両都のお寺や仏像にどっぷりつかれるというのはとってもラッキー。
それに加えて、滋賀県も近い。滋賀と言うより近江と言ったほうが雰囲気が出るのだが、京都・奈良に肩を並べるのはちょとはばかられますといった感じの滋賀県がなかなか、面白い!と、思う。なんたって国宝の数が全国5位!

そんなこんなで、昔は気がつかなかった、滋賀県(特に湖東)の良さを感じ始めている今日この頃。
琵琶湖を見れば、思わず
近江の海(あふみのみ) 夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ (柿本人麻呂)と、口ずさむ。
額田女王と大海人皇子
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも
うーーん。いいな・・でも、蒲生野はどこ?

近江の地をうろうろしていれば思わぬことも。普通の水田に《条里制遺構》の立て札が・・・千年以上前の区画割りがそのまま残って、今もそのままの大きさで水田だなんて!

20年位前に探し探して、「鬼室集斯(きしつしゅうし)」の墓にたどり着いたことを思い出す。(写真)
広い田園の中の森ともいえぬ木立の中にぽつねんと鬼室神社があった。その本殿裏の石祠。小さな小さな屋根つきの石の箱のようなもの。良くぞ千年以上の間守られてきたもの!と、百済からこの地まで引かれた一本のレールを見るごとき・・感激が湧き上がったものだ。
(鬼室集斯は7世紀の人。百済からの亡命貴族で近江朝に使えこの地の発展に寄与した。)
今回西明寺の帰途(3月)に立ち寄ると、人っ子一人いない田園になにやらカラフルなものが!
韓国式の東屋!が鬼室神社の前に立っていた。時代は流れると、石祠の主は苦笑しているかも?

渡来人が当時の先進の文化と技術でこの地の発展に寄与したことは、飛鳥がもてはやされるほどには、人口に膾炙していない。
形として残るものがないからだろうが、思いがけないところにちょっとした痕跡を見つけるのは、何よりの楽しみだ。

湖東の美しい仏様

2010-04-07 01:23:07 | Weblog
桜の季節に椿を見に行った話など・・っと思うのだがちょっと書きとめておきたいと思うことが!

三月上旬藪椿が美しいと、滋賀の湖東三山・西明寺へ行った。何度か行っているのにはじめてきたような気分。こんなところがあったかしら・・などと思いながら・・石段を登る。
山門から見ればまっすぐに急な石段が続いているように見えるが、実際は一段一段が低くとても歩きやすい。

石段を離れて庭園に入るが、椿はどこを眺めても一向に眼にはいらない。落ち椿に気がついて見上げると、おやおや椿の木々の中を歩いていたのだ。ほんとにひっそりと、静かに、自己主張せず咲いている。豪華な椿の花がもてはやされる中、こんな気持ちの良い椿の花はまたとない感じ。

本堂に見覚えあり・・鄙にはまれなというと失礼だが、立派な建物。三重塔も立派。
本堂では3月8日から秘仏の虎薬師を特別に御開帳(寅年なので)。ラッキー。
本堂内陣の事務所にいるおじさんが説明をしてくれる。開口一番、《この建物は鎌倉時代初期建立で滋賀県内で、国宝認定第一号です!もちろん三重塔も国宝です!》と、厳かに宣言!なるほどなるほど、そうでしょうそうでしょう・・

おじさんは愛情をこめて語ってくれる。説明してもらわなければ、するっと一周、はい終わりで済んでしまうのだが・・。この本堂は飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てたものとか。その飛騨の匠の子孫がこの地に残り技を伝え、日光東照宮造営のときには招聘されて行ったんです、と。本堂には数多くの仏様がまつられていて、間近で見ることができる。
おじさんが、懐中電灯で照らしながら説明してくれる。

正面の須弥壇には本尊薬師如来(秘仏)と日光・月光菩薩、十二神将、四天王が所狭しと並んでおられる。裏に回るとここにも、価値ある仏のオンパレード。
隅に置かれた厨子の中に阿弥陀三尊がおられる。普通ならちょっとのぞいて美しい仏様と思って終わり。のところ、おじさんが懐中電灯で照らしてくれながら、秘密めいた話し振り・・《よう見てくださいや。薄暗がりではこんなお顔です。光当てると顔つき変わるでしょう。懐中電灯当てて皆さんに説明しているうちにこの変化発見しましてん!》

tesyuke大感激!薄暗がりの半眼の美しい仏様の顔をAとする。光に照らされるときりっとした表情になって、これをB。光を消すとAに戻るところがA´となる。眼の錯覚なのだろうが元の表情より一層やさしげに見えるのだ。特に脇侍の表情が童子が母を見上げるような感じでふんわりやさしさにあふれて見える。どうやら能面と同じ理屈のようだ。
おじさん曰く、この仏さん見て泣いた人がいました、と。そんなら約一名付け加えておいてくださいな。

昔・昔なら、前に座って拝んでいる人には(今のわれわれとは違って信心深い)ゆらめく蝋燭の炎に仏の顔が幾重にも違って見えたことだろう。自分の心象を移して、やさしくも怖くも見えたに違いない。
仏像をこんな風に見たことがなかったので、おじさんありがとう・・と、そんな心境。
おじさんによれば、この仏は鎌倉時代の快慶の作と言われていて、源頼朝にゆかりがあるとか。おじさんの二度目の説明時にもう一度ついて行ってながめた。懐中電灯持参で、又会いに行きたいと思う、そんな仏様。