ミヒャエル・エンデの果てしない物語は、虚無が全世界を覆ってくると言う設定。何かに覆われた世界と言うのは普通ではない。
ちょっと意味合いは違うかも知れないが、1994年のソウルにtesyukeは、普通ではない何かを感じたのかもしれない。仰ぐ空は、明るいの、なにか紗のかかっているような・・・
戦争と無縁の世界で、生まれて以来を生きていられるということが、今の世界では特別なのかもしれないが・・・、10年前の日本は、自衛隊の露出度も今より小さかったし、tesyukeの日常に、兵器・兵隊を見ることは皆無だった。
で、ソウルの街のあちこちに、兵隊・警官が立っているのが驚きだった。王宮の前はいうに及ばず、地下鉄の入り口、内部。ちょっと歩けばぶつかりそう。
そして地下鉄の階段の長さ。地下鉄の深さが尋常ではない。聞けば、いざと言う時には、防空壕にするためだと言う。
一年に何度か、全国民参加の避難訓練(?)のようなものがあるとも聞かされ、この国は、まだ戦時下にあるのですよ、との言に絶句した。
tesyukeにとって、歴史の1ページにちらりと読んだだけの朝鮮戦争。それが、まだ終ってない・・・・のだ。
そう言えば、南山タワーからダウンタウンへ下りてくる道に、韓国民族統一研究院という建物があった。広い敷地に沢山の戦闘機などがすえつけえてあるのが外から見えた。
一般に開放して、誰でもが見られるようになっていて、説明板が取り付けてある。tesyukeは、初めて見ました。本物を。ソ連のミグ戦闘機・アメリカのLVTとか。朝鮮戦争当時使用したり、打ち落としたりしたもので、プロパガンダとして、こういう施設を作ったのでしょう。 しかし時の流れか誰も見に来ない、忘れさられたような場所だった・・(今、この場所はどうなっているのか、気になるところ)
ソウルを暗く感じたのは、tesyukeの心だったのかもしれない・・・と、思うのは・・・
ソウルへ来ればまず一番に行くのが、李朝の王様の宮殿・景福宮。この王宮と正門の間に立てられていたのが旧日本総督府の建物。建物自体は、京都博物館などと類似していて、保存しておきたい石造りの立派のもの。しかし、その立ちようを見てしまった以上、すごい荷物を背負い込んだ気分になったのは事実。平和な李朝の景観に、乱入もしくは闖入した異質な物体そのものに見えた。
この旧日本総督府の建物は、当時国立中央博物館になっていたが、休館日で、内部を見ることはできなかった。変わりに、国立民族博物館に行ったが、これも立派な建物で内部も充実していた。韓国の文化に対する取組みは立派と思ったりもした。(ふふふ。何のことはない、入場料が安いというだけのこと!!)
1999年に再度訪問した時、日本の建物は爆破、取り壊されていた。南からの道が直接宮殿に通じて、本来の姿の都市景観が美しかった。
ちょっと意味合いは違うかも知れないが、1994年のソウルにtesyukeは、普通ではない何かを感じたのかもしれない。仰ぐ空は、明るいの、なにか紗のかかっているような・・・
戦争と無縁の世界で、生まれて以来を生きていられるということが、今の世界では特別なのかもしれないが・・・、10年前の日本は、自衛隊の露出度も今より小さかったし、tesyukeの日常に、兵器・兵隊を見ることは皆無だった。
で、ソウルの街のあちこちに、兵隊・警官が立っているのが驚きだった。王宮の前はいうに及ばず、地下鉄の入り口、内部。ちょっと歩けばぶつかりそう。
そして地下鉄の階段の長さ。地下鉄の深さが尋常ではない。聞けば、いざと言う時には、防空壕にするためだと言う。
一年に何度か、全国民参加の避難訓練(?)のようなものがあるとも聞かされ、この国は、まだ戦時下にあるのですよ、との言に絶句した。
tesyukeにとって、歴史の1ページにちらりと読んだだけの朝鮮戦争。それが、まだ終ってない・・・・のだ。
そう言えば、南山タワーからダウンタウンへ下りてくる道に、韓国民族統一研究院という建物があった。広い敷地に沢山の戦闘機などがすえつけえてあるのが外から見えた。
一般に開放して、誰でもが見られるようになっていて、説明板が取り付けてある。tesyukeは、初めて見ました。本物を。ソ連のミグ戦闘機・アメリカのLVTとか。朝鮮戦争当時使用したり、打ち落としたりしたもので、プロパガンダとして、こういう施設を作ったのでしょう。 しかし時の流れか誰も見に来ない、忘れさられたような場所だった・・(今、この場所はどうなっているのか、気になるところ)
ソウルを暗く感じたのは、tesyukeの心だったのかもしれない・・・と、思うのは・・・
ソウルへ来ればまず一番に行くのが、李朝の王様の宮殿・景福宮。この王宮と正門の間に立てられていたのが旧日本総督府の建物。建物自体は、京都博物館などと類似していて、保存しておきたい石造りの立派のもの。しかし、その立ちようを見てしまった以上、すごい荷物を背負い込んだ気分になったのは事実。平和な李朝の景観に、乱入もしくは闖入した異質な物体そのものに見えた。
この旧日本総督府の建物は、当時国立中央博物館になっていたが、休館日で、内部を見ることはできなかった。変わりに、国立民族博物館に行ったが、これも立派な建物で内部も充実していた。韓国の文化に対する取組みは立派と思ったりもした。(ふふふ。何のことはない、入場料が安いというだけのこと!!)
1999年に再度訪問した時、日本の建物は爆破、取り壊されていた。南からの道が直接宮殿に通じて、本来の姿の都市景観が美しかった。