Tesyuke‘s diary

行く川の流は絶えずして・・・
日々忘れ去っていくことどもを書き留めて思い出といたしましょう。

1994年のソウル

2007-01-28 13:13:06 | 韓国
ミヒャエル・エンデの果てしない物語は、虚無が全世界を覆ってくると言う設定。何かに覆われた世界と言うのは普通ではない。
ちょっと意味合いは違うかも知れないが、1994年のソウルにtesyukeは、普通ではない何かを感じたのかもしれない。仰ぐ空は、明るいの、なにか紗のかかっているような・・・

戦争と無縁の世界で、生まれて以来を生きていられるということが、今の世界では特別なのかもしれないが・・・、10年前の日本は、自衛隊の露出度も今より小さかったし、tesyukeの日常に、兵器・兵隊を見ることは皆無だった。

で、ソウルの街のあちこちに、兵隊・警官が立っているのが驚きだった。王宮の前はいうに及ばず、地下鉄の入り口、内部。ちょっと歩けばぶつかりそう。
そして地下鉄の階段の長さ。地下鉄の深さが尋常ではない。聞けば、いざと言う時には、防空壕にするためだと言う。
一年に何度か、全国民参加の避難訓練(?)のようなものがあるとも聞かされ、この国は、まだ戦時下にあるのですよ、との言に絶句した。
tesyukeにとって、歴史の1ページにちらりと読んだだけの朝鮮戦争。それが、まだ終ってない・・・・のだ。

そう言えば、南山タワーからダウンタウンへ下りてくる道に、韓国民族統一研究院という建物があった。広い敷地に沢山の戦闘機などがすえつけえてあるのが外から見えた。
一般に開放して、誰でもが見られるようになっていて、説明板が取り付けてある。tesyukeは、初めて見ました。本物を。ソ連のミグ戦闘機・アメリカのLVTとか。朝鮮戦争当時使用したり、打ち落としたりしたもので、プロパガンダとして、こういう施設を作ったのでしょう。 しかし時の流れか誰も見に来ない、忘れさられたような場所だった・・(今、この場所はどうなっているのか、気になるところ)

ソウルを暗く感じたのは、tesyukeの心だったのかもしれない・・・と、思うのは・・・
ソウルへ来ればまず一番に行くのが、李朝の王様の宮殿・景福宮。この王宮と正門の間に立てられていたのが旧日本総督府の建物。建物自体は、京都博物館などと類似していて、保存しておきたい石造りの立派のもの。しかし、その立ちようを見てしまった以上、すごい荷物を背負い込んだ気分になったのは事実。平和な李朝の景観に、乱入もしくは闖入した異質な物体そのものに見えた。

この旧日本総督府の建物は、当時国立中央博物館になっていたが、休館日で、内部を見ることはできなかった。変わりに、国立民族博物館に行ったが、これも立派な建物で内部も充実していた。韓国の文化に対する取組みは立派と思ったりもした。(ふふふ。何のことはない、入場料が安いというだけのこと!!)

1999年に再度訪問した時、日本の建物は爆破、取り壊されていた。南からの道が直接宮殿に通じて、本来の姿の都市景観が美しかった。

二度と来ないと思った韓国(ソウル)

2007-01-27 16:54:09 | 韓国
命題を出してみよう。
進歩とは、その固有の匂い(その他もろもろ・・)を失っていくものである!!
どうでしょうね。しかし、韓国に関して、tesyuke は少しばかりそう思っている。

とにかく忘れられない記憶!!
1994年、初めてソウルの金浦空港に着いた時。8月の焼けつくような空の下、タラップを降りるtesyuke は、あのキムチだけでなくもろもろが混ざり合ったにんにくの沸き立つような強烈な匂いに一撃を食らわされ、くらくらとなった。匂いのバリヤーに頭を打ち付けたというべきか・・

タクシーもそうだった。ドアを開けた途端、わっと、とっつかまるのが、あのにんにく主体のもろもろ合わさった強烈な匂い。狭い室内の全てのものに、その粒子が点点と着いている感じ。運転手はもちろんそんなこと知るすべもない。本人が匂いの源泉なのだから・・・

で、その後2000年をまたいで5回ほど行くことになるのだが、空港で匂いが気になることもなく、タクシーもすっきり。たまった匂いに殺されかけるという事はまったくなくなった。驚くべき変貌の仕方。ソウルの街・人全ての変わりように、1994年の記憶を持つtesyukeはびっくり。(余談ながら、韓流人気の前の話です。)

ともあれ、1994年当時の韓国は、近くて遠い国。反日感情などを思う時、雲をつかむような気分だった。しかし、地理的に近いということは、恐ろしい。
有名な、南大門市場でのtesyukeの感想。 “なー―んや、鶴橋や!”。思った途端、心理的に油断してしまい、水や食べ物への注意など飛んで行った。
で、その時目に入ったのが、南大門市場の地下鉄入り口に居たパイナップル売り屋。
この暑さの中氷で冷やされたパイナップルのなんとおいしそうに見えたことか!!
そして、それを食べた二人には・・・地獄のような腹痛が・・・・・

それでも、予約したコレア・ハウス(ここは英語で予約可能だった)へ行ったのだが、ご馳走を前に、スイカしか食べられなかったtesyukeの、苦虫を噛み潰したような写真が残っている。

これも原因の一つかもしれないが、このときの韓国からは、暗い国と言う印象を受けた。二度と来ることはないだろう! と思って、帰国したものだ。

ソウルの本屋さんのこと

2007-01-27 13:19:31 | 韓国
ソウルに初めて行ったのは1994年の夏。
韓国へ行くのにVISAを取得しないと行けなかった時代があって、観光にVISAなしで行けるようになった・・・頃だ。
今、思い出してみると、たった13年前のことなのに、はるか昔の出来事のようtesyukeには、感じられる。のちに訪問した時の印象と、まったく違うのだ。
時系列をたぐっていて、‘ソウルオリンピック’は1988年のことなのだ!と、驚いている始末。 1994年頃以降の大変化の前の韓国を見られて、今はラッキーと思っている。

しかし、正直言って、1994年の韓国で,tesyukeは、不思議な感覚に囚われた。
黒い髪の、同じような顔立ちの人々。目に見えるものに、違和感をあまり感じないのに、自由に動き回れない!! このギャップ!! あの、記号のようなハングル文字だけで、英語の表示がない。
ここはどこ? 私はどこにいるの? 理解可能な場所での異邦人感覚!! 

で、本屋さん。ソウルでNO.1は教保文庫!
教保文庫という大きな本屋があるということをhus.が知っていて、娘のRから依頼を受けていたのだ。洋書(懐かしい響き!)を買ってきてというもの。当時日本で手に入れると高いが、レートの関係で韓国で買うと洋書は安いという訳。

すぐに見つかるだろうと、高をくくって地図を頼りに歩いたが、なかなか見つからない。(英語圏の町を歩くほうが何倍楽か!と、思ったものだ・・・)
そこで、道を聞こうと・・・・・・学生らしき人に声をかけようということに。ちょっと大柄な眼鏡をかけた男性が本を抱えてやってきた。

hus. “Excuse me ・・・”
男性  おもむろに顔の横で手を振って足早に行き過ぎようとする・・・
おや、と思ったもののtesyukeはどこかでよく見るこの動作にピンときた!!
tesyuke すみません。ひょっとして日本の方ですか?

ピンポン。ソウルで勉強中の日本人だった。無事日本語で道を教えてもらえた・・・という顛末。
本に関しては、旧版しかなくリクエストの最新版は手に入れることができなかった。