死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

怒涛の1週間⑥

2021-02-22 14:19:12 | 
さて、土曜日。
今日は告別式だ。

朝ごはんはホテルの近くのコンビニで調達して。
ホテルのモーニングもよかったんだけど、あまりおなかが空かず1人前食べられない。疲れてるのかな。
なので、朝ごはんは付けずにコンビニで調達になりました。
最近のコンビニは色々と充実していて、栄養バランスもそんなに悪くない朝食が取れる。

ご飯食べて、身支度整えて。駅まで向かい。
電車で1駅移動して。
なんか、この路線良く分からないのよね。いつもと同じホームからじゃなくて、別のホームからも同じところに行く電車があったり。
同じホームだけど、全然違うところに行きそうになったり。昨日は結局1本乗り遅れちゃったからねー。
なので、ちゃんと確認して思った通りの電車に乗れ、そして昨日の夜迷子になりかけた駅から式場までの道もばっちり。

到着後は、私は義妹からのリクエストで着物で参列することに。
式場の着付けをお願いしました。
あー、去年着付け習い始めたのに、コロナで中断しそのままやめてしまったのが悔やまれる。
あのまま続けていたら、もしかしたら今日この日は自分でさっさと着付けちゃったりできたかもしれないのにーー。
おまけに「何も持ってこなくていいから」と言われたのを鵜呑みにして手ぶらで行ったら足袋買わされるし。くぅー。
足袋も肌襦袢も家にありますけど!教えてくれたら持ってきましたけど!残念。
そして、すっかり痩せた私は喪服の似合う女に仕上がりました。着付け習ってた時は出来上がり「力士」でしたから。

お昼前から告別式が始まり、またまた子供たちはよく働く。受付やお茶出しや。
そして、出棺。最後のお別れ。なんだか、本当にいろんなことが思い出されて。
もっともっとちゃんといいお嫁さんでもっと仲良くして過ごせればよかったのにな。
最後の5年間、数えるほどしか会いに行かなかったなとか。本当に色々と悔やまれることが多かったです。

荼毘に付されて小さくなった義母は義父と一緒に家に帰りました。
夜は義父行きつけの小料理屋で義妹一家と義父と我々で義母を偲び。
義母の思い出話に花を咲かせ、寂しいけど楽しい時間を過ごしました。

義妹一家は義父と一緒に帰宅し、私たちはこの日もホテルに泊まり。
翌日日曜日は義父のところにご挨拶に行って、帰宅。

こうして長い長い怒涛の1週間は幕を閉じるのでありました。
本当に1週間の出来事とは思えない、長くて濃い1週間でした。

怒涛の1週間⑤

2021-02-20 21:03:38 | 
④から続く

さて、金曜日。今日はお通夜。
義母は午前中は家にいる。
脳梗塞で倒れてから5年、家が大好きで病院から一時帰宅すると「もう病院には戻らない!」と言ったり。
病院にお見舞いに行くと一緒に家に連れて帰ってくれと言ったり。
そんな義母でしたから、家でゆっくりと過ごさせてあげようということで。斎場に行くぎりぎりの時間まで家にいることに。
子供たちは、そんな義母に会いに行くために早めに家を出ました。
私はPCRの結果を待ち、陰性だったらすぐに行くように準備をして子供たちを送り出しました。
午前中は早めに連絡が来ていいように、準備を万端にしてお昼前には喪服に着替えていました。
12時半には連絡がいくと思いますと言われていたので、12時半近くになって我慢できずにこっちから病院に電話。
「いつもならもう届いているんですけどねー、まだなんですよ」と言われ。
1時ごろに出れば、お通夜に最初から参列できるのだが。無情にも1時は過ぎ。
2時になってもまだ連絡が来ず。
もう、もう、もう。いつだよー、いつ来るんだよー。まさかの陽性か?だから遅い?
とやきもきヤキモキ。
そして、2時半になり、やっと連絡があり。
「お待たせしました。のんべの妻さんのPCR検査の結果ですが・・・・・・・・・・」おい、間が長すぎる!!早く!!
「えーっと・・・・・・」どんだけ引っ張るの!!!
「陰性でした。さ、早く新幹線に乗ってください!」って言うならもっと早く言ってよ!!

と、いうことで。
すぐに戸締りをして、家を飛び出し。
電車に乗って、横浜の乗り換えで往復乗車券を購入し、横浜線に飛び乗り、新横浜でちょうどの時間で予約した新幹線に飛び乗り。
斎場に向かいました。
到着はもうお通夜が終わるころ。でもしょうがない。
広島の駅からまた電車に乗り換えて在来線で1駅。
駅でちょっと迷子になりながらも斎場に到着。
もう、お坊さんも帰っちゃっていたけど、食事の時間にはどうにか間に合い。
やっと義母に会うことができました。
2日前には意識がないとは言え、まだ頑張っていたのに。
でも、本当にお疲れ様って声をかけ。

子供たちも頑張ってくれてました。受け付けはムスコ、お茶出しはムスメ。せっせとよく働いていました。本当に頼もしくなりました。

食事も終わり、私たちはホテルへと。息子はシングルルーム、私と娘はツインルーム。お疲れ様のお酒を買いに行き、3人で飲んであっという間に寝ました。
お昼頃までPCR検査の結果を待っていたのに、夜にはお通夜に出てホテルにいるってなんだか変な感じ。

大体、姪っ子の結婚式のために礼服を買いに行ったあの日からまだ1週間なのに。たった1週間で、まさか義母のお通夜になるとは。
本当に想像もしなかった。1週間で2回も広島に来ることになるなんて。明日は完全に義母とのお別れになるなんて。
色々と思いを巡らせて眠りにつきました。
明日は告別式です。

怒涛の1週間④

2021-02-19 12:17:37 | 
③から続く

木曜日の夕方、チャリで少し離れたところにあるクリニックへ。
新型コロナウイルス感染症の診断を時間を分けて対応してくれているクリニックということで。
予約の時間の少し前に到着し、「発熱外来の予約をしたのんべの妻です」と伝えると、中に入らないようにと言われ。
時間まで外で待たされ、防護服を着た看護師が迎えに来てくれて、診察室へ。
やはり、がっちりと防護服を着た医師が待っていて、現在の発熱とここ数日の行動を確認し。
発熱以外の症状もないし、おそらく疲れからくる発熱だと思われるけど、義母の特養に行った時の話を聞いてちょっと気になったようで。
実はそこの特養は少し前にコロナの患者が出て、クラスターにはならなかったといういきさつもあり。
おまけに私は明日には新幹線で長距離移動をする予定だということも考え、PCR検査を受けたほうがいいということになりました。
結果が出るのにずいぶんと時間がかかるのかと思ったのですが、明日のお昼には結果が出るから陰性だったらそれから移動すればいいと言ってくれ。
それだったら早ければお通夜にも間に合うし、もしも検査せずに行って実は陽性で義父に伝染すという最悪の事態も避けられるし。

ということで、急遽PCR検査を受けることに。

結果が出るまでは絶対にどこにも出かけちゃいけないと言われ。
そりゃそうだ。ニュースでたまに聞く、検査の結果が出るまでに出歩いて広めちゃった奴、まさにそれになっちゃうからね。
PCR自体はインフルエンザの検査そのもの。でも、万が一のために鼻の穴の中の綿棒の滞在時間が長かった。あと、グリグリも念のため多めに。
いいですよ、思いっきりこそげてください。悪い可能性があったら大変だからね。

検査終了後は自転車で誰にも会わないように家に戻り、家でもマスクしてなるべく家族とは接触しないように。
クリニックの医師によると子供たちがお通夜や告別式に行くことは問題ないとのことで(ま、おそらく私は陰性だということで考えた上だと思うが)
なので、翌日朝の新幹線で行くことにしました。私は結果が出て、陰性だったらすぐに行くことに。

で、色々とバタバタ準備を始めました。
息子の礼服もすそ直しも仕上がっていたし、義母の状態が良くないことを聞いてからすぐに娘の礼服も買いに行ったから、その準備も万端。
本当はムスメは私の若いころのを使ったらいいと思ったけど、肩パッドがねー、残念でした。
デザインはすごく可愛いけど、肩がねー。
私はつい最近まで着ていたものは大きすぎて着られない。
ちょうど母が私くらいの頃に作ったものをもらっていたので(ちょっと前までは小さくて着られなかったけど)それを着ていくことに。(陰性だったらね)

また夜になって熱が上がってきたので私の準備は明日することにして、早めに休みました。
全然終わらないよー、⑤に続く


怒涛の1週間③

2021-02-18 09:06:03 | 
②から続く

深夜の電話で義母の逝去を知った私たち。
でも、実際にはおそらく亡くなったらしいという報告でした。
義母がいるのは特養で、医師が常駐しているわけではないので朝にならないと死亡診断をつけることができないとのことでした。
夜中の巡回で義母が息をしていないことを発見して連絡がきたとのことでした。

とりあえず。

今すぐに駆けつけても足手まといだし。
義父も義妹も色々と決まったら来てくれ(義妹はもう半月くらい実家の近くに滞在していた)と言われ。
なので、朝になってから子供たちにおばあちゃんが亡くなったことを伝え。
今日できることをやりましょう。早ければ明日の朝から移動になるからと伝え。
ちょうど娘は運転免許の試験の日(予約制)なので、免許センターに向かい。
息子は授業があるからそれを片づけ。
私は翌日から休めるように(この日は木曜日。金曜日と、翌週どのくらい休むのか見当もつかないので)仕事の引継ぎを・・・・
と思ったら。
熱っぽい。7度台後半ある。
え?今この時期に熱ですか?義母のお見舞いに行ったから?新幹線の移動があったから?
ちょっと熱のあるだるさはあるけど、嗅覚味覚も大丈夫だし、フシブシもいたくないし。
大丈夫だと思うけど、まさかコロナに感染していたら。
その状態で葬儀になんか行ったらクラスターだよ。どうしよう、どうしよう。
とりあえず、午前中は在宅で仕事を片付け、様子を見て。
しかし、午後になっても熱は下がらずじわじわと熱が上がり続けるのでした。

そして、義父から連絡があり、死亡診断がついて義母は家に戻ることに。
お通夜は明日金曜日、告別式は土曜日との連絡が。
明日の朝いちばんの新幹線で来てくれと言われ。うむ、どうしたものか。
感染していたらどうしよう、なんでこんなときに・・・・

結局、悩んでいてもしょうがないので発熱外来の予約をすることにしました。
コロナがこんなに流行っていなければ、お通夜じゃなければ・・・と思いながら。
電話繋がらないんだろうなーと思いながら電話したら、すぐにつながり。
状態を伝えたらご希望であれば、ご近所で発熱外来の対応をしている医療機関を探しますよと言っていただき。
今日連絡してすぐに予約が取れるんだろうかと思ったら、すぐに対応している診療所が見つかり夕方の予約が取れました。
ひゃー、そんなにすぐに診察してもらえるんだ。
びっくりしながら、指定された病院へ向かうのでした。(公共の交通機関は使えないので、がっちりマスクしてチャリで行きました)

怒涛の1週間②

2021-02-17 14:55:54 | 
①から続く

で、その日はホテルに宿泊して翌日午前中にまた義母のところへ。
前日に義妹から義母が食べられるものとか、お水を飲ませる方法とか聞いたので、
朝ホテルの近くで色々と調達して向かいました。
この日で帰る予定だったから(仕事もそんなに休めないし)また近いうちに次会いに来ようねって話をしながら。

義母のところへ行くと、昨日とはちょっと様子が違い。
苦しそうに肩で息をして、眠っているのかどうなのか、意識のない状態でした。
ちょうど点滴もしていたし、眠っているのかな?と思いながら。
声をかけても反応がないし、時々苦しそうに胸のあたりをかきむしる感じで。
それでも目を覚ますこともなく。
そんな状態が続きました。

それはまるで、旅立つ前の夫の姿にとても似ていて。

いや、でも看護師さんたちの様子はそんな感じでもないし。
今日は朝からちょっと苦しそうですねーって普通の状態みたいに言ってるし。
あまりに緊張感もないから大丈夫かな?と思って。
子供たちと少し話しかけて、やっぱりあまり疲れさせてはいけないと思い。
1時間くらいで帰りました。

思ったより早く義母のもとを去ってしまったのですが、新幹線は夕方で変更できない切符だし。
しょうがないので(このコロナ禍あまりうろうろもできないので)泊まっていたホテルのロビーに戻ってしばらく過ごし。
夕方帰宅しました。

帰りはなんだかすっごく3人とも疲れてしまって、新幹線でみんな具合悪くなるという。
かなりの強行日程だったし、しょうがないのかな。
へとへとになって家に戻り、休みました。

そして、夜中の2時過ぎに家の電話が鳴り、
義母が亡くなったと連絡がありました。