(TxT)<戯れ言ですよ

とみーのにっき&おえかきちょう

14/01/27

2014年01月27日 | 日記?
■今日の一枚 レジーナ作成中
 (web拍手を送る)
 これでやっと色を塗ることが出来ます。
 放送が終わる前にと思ったけど、やっぱり無理でしたー。
 最終回を見て、大貝第一中学の制服姿のレジーナも可愛かったので、どうしようか迷い中。
 ってゆーか、エピローグのレジーナと国王はどこに住んでいるんですかね?もしかしてマナの家に居候中なのか?!

■拍手送って下さった方
 ありがとうございました。


 体調を崩していたのですが、皆様イカがお過ごしですか?私はタコがお過ごしです。
 ってゆーか、全然本調子じゃなくて参ってます。だいぶ良くはなったが。皆さんも体調にはお気をつけ下さい。
 さて、ドキドキ!プリキュアが終わってしまって寂しい限りですが、プリキュア10周年ということで、色々やってますな。
 ハピネスチャージでは、冒頭に歴代プリキュアが33週連続でおめでとうメッセージをするとか。わお!久しぶりに動いて喋る皆さんを見れるなんて!楽しみ!
 そしてプリキュア応援アプリでは、毎週応援するとこれまた歴代プリキュアの皆さんのポリゴンモデルが貰えるとか。よぉ~し、お兄さんアプリダウンロードしちゃうぞー。
 3月にはオールスターズあるし、この時期は色々楽しみだなー。

 そーいえば、春のアニメ、ウィッチクラフトワークスのED曲、「ウィッチ☆アクティビティ」がたまらなく好きだ。
 私はこーゆーガチャガチャしている変な曲が大好きで、懐かしい所ではらき☆すたの「もってけセーラー服」とか、最近だと機巧少女は傷つかないのED「回レ!雪月花」とか、もーテンション上がっちゃうんですよ。
 ウィッチクラフトワークスはアニメの方もおもしろく出来ていて、原作の方は連載を最初の方だけしか読んでいないけど、ゴチャゴチャしていて世界観がよく分からずあんまりだったんだけど、このアニメはすごく良く出来ていて、分かりやすく興味を上手く引っぱっていて、毎週楽しみにしています。
 あーもうCD買っちゃうぞ。ウィッチ!ウィッチ!

ドキドキ!プリキュア 第49話 あなたに届け!マイスイートハート!

2014年01月26日 | ドキドキ!プリキュア
パルテノンモードは何か意味あったんですかね?

 そんな今回のお話は…
 ついにキングジコチューを倒したプリキュアたち。トランプ王国の王様も助けることができて、人間界も守ることができた。これで平和な日々が戻ってくる…!
 ところが、シャルルにはまだ、“闇の鼓動”が聞こえてくる。一体どこから・・・?
 そこにいたのは、伝説の戦士・キュアエンプレスでも倒せなかった最強のジコチュー、プロトジコチュー!
 「この世を再び、闇で覆い尽くす!」
 そんなこと、絶対ににダメ!!マナたちはプリキュアに変身!レジーナも力を合わせて、プリキュア最後の戦いが始まる…!
 以上公式のあらすじ。

 お話は、まぁ最強のジコチュー、プロトジコチューとやらを浄化してエピローグですわな。そんなわけなのでお話云々に某はない。
 前回引っぱったベールは逆に取り込まれる格好になって、最強のジコチュー、プロトジコチューが登場する。1万年前のプリキュアが三種の神器を擁しても封印するに止まった的であることを示しますが、まぁそんなんはここへ至って浄化せんでどうするという話なので、展開的にもはやここに書く意味は無い。
 そんな中、わたくしとしましては興味深い点がありまして、まず、全てを消し去って全宇宙を支配する、とするプロトジコチューに対してのキュアハートの反論。
 彼女の論理を要約すると、誰も居なくなったらジコチューはジコチューでいられなくなる。というもの。正直、言われて初めて「あ、そうか」と思いましたよ。
 わがまま放題し放題は、誰かがいて成り立つことなので、ジコチューの存在はジコチューじゃない者がいて初めて存在し得るのだ。まぁつまるところ、プロトジコチューのやろうとしていることは、自己否定になってしまう矛盾が出てきてしまったのだ。
 そこだけ見ると、スイートプリキュア♪のラスボス「ノイズ」みたいですが、ノイズは自分が人間の負の感情の固まりであることを嫌い、人間を石化し感情の必要性を無くして、全てが静寂に包まれ感情がなくし、忌むべき自分の存在を消すことが目的であった。だがこのプロトジコチューはノイズほど考えてはいないようで、どちらかというともっと単純なのだ。
 自分のしていることが自己否定に繋がることなんて全く考えていなかったようで、要はやりたい放題したいだけなのだ。そう考えると、欲求や欲望の権化、みたいなモノだったのではなかろうか。
 そこからマナの論理をすりあわせて、最終的に彼が浄化されたことを踏まえて考えてみる。
 自分の好きなようにやってしまえば、当然他人から敬遠されることとなってしまって結局ひとりになってしまう。マナの論理にあるように、誰かがいないとジコチューはジコチュー足り得ないので、またよそへ行って同じ事しての繰り返しとなる。ということはだ。ジコチューは他人を欲しているということにならないだろうか。
 そこで今回のキュアハートことマナを見てみよう。彼女はプロトジコチューにプシュケーを黒く染められて抜き取られてしまうのだが、マナのプシュケーはすぐさまピンクに染まり直し、何度ジャネジーを送り込んでも黒くは染まらずマナの元へ還っていく。そして浄化直前、プロトジコチューは人間の我が侭な心がある限り、自分は何度でも蘇るとすると、マナはそれを分かると言うのだ。自分にもそういう気持ちがあるのだと。マナのプシュケーが黒く染まったままでいなかったということは、そういう負の部分を否定せず、受け入れて、全てを含めて愛しているのだ。そして、たとえ愛を見失ったとしても、自分には仲間がいて、支え合っているから絶対何度でも立ち向かう。とすると、プロトジコチューはついに浄化されてしまう。
 どこが浄化されるポイントなのか、今ひとつピンとこなかったのだけど、この感想を書くにあたって上記を考えてみた所、ジコチューは誰かがいないと存在足り得ない、しかし消えた所で人間の中にあって何度だって蘇る。マナはそれで良いと存在自体を肯定し、あなたが欲望を完結してひとりぼっちにならないように、何度だってあなたの前に立ちはだかって、みんなもジコチューも守るとした。つまりプロトジコチューでさえも、マナは愛したのだ。
 妬みも、そねみも、つらく苦しい思いも全て自分の中にあって全部分かる。だから何度だって自分と、みんなで受け止めてあげる。としたのだ。上記したようにジコチューが他人を欲しているのであらば、これほど嬉しいこともないだろう。
 
 と、この最終決戦は、説明的な部分がほとんど無く、自分なりに解釈してみたら、こんなふうになりましたが、どうでしょう?
 まぁ解釈は人それぞれなのでこれくらいにしておきまして、物語的な盛り上がりとしては、アクション大好きなわたくしとしては、もっとガチンコでやり合ってくれた方がおもしろかったのですが、最終的に愛して終わるのであらば、あんまりガチで戦闘できないってのはありますわな。
 あと、冒頭にも書きましたが、キュアハートパルテノンモードになった意味が今ひとつ無い。せっかく5人とレジーナがいるんだから、みんなでなんとかしてなんぼだと思うんですよねー。みんなの思いをひとつにしてという意味であったならば、なおさらみんなで戦った方がそれっぽい気もしますし。最後は主役が決めるということでもあるんでしょうが、私としては、プリキュアの魅力はチーム力だと思うので、その辺がちょっと残念であった。

 さて、浄化したら後はエピローグですが、その前に忘れてはならないように我が麗しのアン王女さまについて触れておりました。
 ちょっと前の感想にも書きましたが、この物語で唯一存在がなくなってしまわれただけに、しっかりと決着は付けておかねばなりませんものね。まぁメインターゲットの皆さまはその辺どーでもいーのかもしれませんが、物語としては綺麗に収めておかなければならない。
 結局は、アン王女の存在を犠牲にしなければ丸く収まらなかったわけで、けれど2つに分った心は亜久里とレジーナというふたつの命に転生し、王女の命その物はアイちゃんとなって、いなくなったけれどいなくなったわけでもないという、以前の感想に書いた通りになりました。ああ、でも真琴としてはけっこうつらいよなぁ。納得はしたであろうけど。でもあれかな、アイちゃんを猫可愛がりして成長を楽しみにしてそうなので、良いのかな(笑)。

 エピローグとしましては、4月になって進級し、どうもレジーナは12歳だったようで(亜久里と同い年じゃないんだ)大貝第一中学へ入学、国王は引退し、キングジコチューが開けた穴はそのまま残ってトランプ王国と自由に行き来できるようになり、気障男ジョー岡田がトランプ共和国の初代大統領に就任(国王が引退し王制ではなくなった為。おそらくは責任を取ったのだろう)、真琴は異世界の歌姫として世界中で大ブレイク、そしてプリキュアとしての存在を知られてしまったマナたちは……今もプリキュアとして総理大臣から頼りにされるくらいがんばってます。という感じになりました。
 まだプリキュアやってまーす!という終わり方は初めてですね。まぁ相田マナという人間を考えれば、それはアリのような気がします。でも、プリキュアって何歳までやってられるんですかね。コスチュームが入らなくなるまで?(笑)

 最後なので全体的な感想としましては、いやもう随分と楽しませていただきました。
 物語としては、割と中盤でダレる4クールの長丁場なんですけど、これまでのシリーズに無い、いくつかの章で分けて物語の興味を最後まで引っぱっていたと思います。亜久里、レジーナ、王女さま、キングジコチューの関係の情報をちょいちょい出していって、最終的にちゃんと見事にまとめたのだから見事なシリーズ構成だったのではなかろうか。
 お話としても、キャラクターの心情がよく表れていて、キャラクターをひとりの人間として感情移入してみることが出来ました。個人的には六花さん話が秀逸。特には1クール辺りのお話はとても見応えがあったのは、その辺の感想を見ていただければ分かる通りであります。やっぱり「あぁ、こういうことなんだな」と見て取れる、キャラクターが考えていることが分かることは重要で、それがあって初めてキャラクターの人となりが分かるというものである。
 そういった中で、キャラクターたちの関係性が見えてきて、画面に映らない部分を想像できるもので、想像できるということは、それだけの情報があってお話に無い部分を自分で想像し楽しんでいるということなので、やはり楽しませていただいたという他無い。
 キャラクターの話になったのでその話をしますと、心情がよく分かるようになっているので、それが分かるとちょっとした台詞や仕草にらしさが見えてくる。それが積み重なって人物を形成していき確固たるキャラクターとなっていて、このドキドキ!プリキュアのメインキャラクターたちは活き活きしていたように思います。個人的にはもうちょっと、レジーナと亜久里を突っ込んでも良かったかなーとは思いますが、マナ・六花さん・ありす・真琴の4人は、彼女らがずっとキャイキャイしているのを眺めていたいくらい良い関係性を見せてくれて気持ちが良かった。見ていてこの4人は本当に親友なんだなーという気がするのです。

 良いことばかりなのもなんなのでちょっと残念な点も。
 いつかの感想にも書きましたが、派手さに欠けるということがます挙げられる。アクションシーンで目を見張るような所はほぼ無かったし、バンク技は迫力に欠けるし、熱いバーニングハート的な所もあんまりないですしねー。そういう意味ではカッコ良さが無いと言っても良いのかもしれません。
 最後まで見てみれば、基本的に「愛する」ことがテーマであるし、主役のマナ的にも、悪いヤツをぶっ飛ばすぜー!みたいになっちゃうのもおかしいので仕方なかったのだろうとは思いますが、どこかに特化した部分があって欲しかったように思います。例えば「愛」がテーマなんだから、どこかでこれはどうしても泣いちゃうだろ、というような泣かせ所があったりだとかの、物語の中での大きな抑揚があって欲しかった。どこか中庸、というような印象があるのはもったいない。
 あと、とても気になっているのは主役のマナである。彼女の行動原理が語られなかったのは残念至極だ。
 一応は、映画の方で補完している格好にはなって入るのだけど、それがちょっと弱いんですよね。おばあちゃんは確かにマナを形成するひとつではあるんですけど、1万年前に世界を恐怖に陥れた闇を愛しちゃうくらいなんだから、もっと強烈なインパクトをマナに与えた何かがあったはずなんですよ。それが分からないから、私の中でマナが一番影が薄い(プリキュア4人の中での話)。
 他のみんなは性格を形成するバックボーンが語られているので、その行動に疑問をもたないのだけど、マナの善行は背景が語られていないので、愛が深いことは分かっても、なんでそうまでするのかが見えてこない。まぁ要するに理由が見つけられないので、私の中でマナは、なんだかよく分からないけれど愛を振りまく人になってしまっている。
 主役らしくいつも中心で、みんなをグイグイ引っぱって、精神的にもチームの支柱なのだから、「なるほど。これがあったからこその相田マナか!」と思わせる何かを語って欲しかったなぁ。

 まぁそういう難点はありはしましたが、マナを始めとするキャラクターたちの人となりが読み取れ台詞や行動が腑に落ちるし、そういった中でトランプ王国で起こった騒動を絡ませつつ、伝説の戦士プリキュアとなった少女たちの愛と友情と成長の物語とお話は本当に楽しく見た。毎週彼女らがどんなことをしてくれるのかなーと楽しみでしたよ。
 派手さが無いので勧善懲悪みたいなのを期待していると、退屈に感じるかもしれませんが、むしろそっちではなく、マナたちがどういうことを考えて、どういうことに気付き、どういう想いでいるのかなーと考え、読み解きながら彼女たちという人物を楽しんだ方が、この物語をより楽しめるのではないでしょうか。


今週のマナ大好き六花さん
 最終決戦では特に某ありませんでしたが、エピローグでは中3になって受験勉強に勤しんでおられました。趣味の競技カルタは捨てずに続けていらっしゃるようでなにより。
 44話でありましたように、六花さんのことですから、高校はマナとは違う道を選ぶんでしょうねぇ。きっと来年の卒業式とかボロボロ泣いちゃうんだろうなぁ。とか思ったり。
 ああ、でも一緒にプリキュア続けているし、家もすぐ側なので泣くこともないのかな。ってゆーか、別の高校になったら六花さんの心配事は増えるでしょうねぇ。何せマナはあのジゴロっぷりですから。
 「また違う女を友達と称して連れてきたーっ!もうっいったい何人いるのよーっ!!」とかになりそう(笑)。

今週のまたみてね
 最後のまたみてねは「マナ・六花さん・ありす・真琴・亜久里・レジーナ・アイちゃん・シャルル・ラケル・ランス・ダビィでありがとう」でした。
 キャラデザ高橋晃さんの書き下ろしイラストです。みんな集合のスナップ写真みたいで可愛い。

ドキドキ!プリキュア 第48話 ドキドキ全開!プリキュアVSキングジコチュー!

2014年01月25日 | ドキドキ!プリキュア
巨大生物VS巨大妖精 怪獣大決戦!(笑)

 そんな今回のお話は…
 レジーナの心にドキドキを取り戻すことができた…!だけどレジーナの裏切りに、キングジコチューの怒りが爆発する…。
 「やめて、パパ!」レジーナの声を聞いた瞬間、キングジコチューの動きが止まる。その時、ハートには愛のドキドキが聞こえたの。
 キングジコチューの中に、トランプ王国の王様の心が残っているんだ!
 ラブリーパッドで見ると、キングジコチューの心臓部分に王様の姿が…!王様を助けるためには、キングジコチューの身体の中に入るしかない…!
 ロゼッタとランス、ダイヤモンドとラケルがジコチューを引きつけてる間に、ハート、ソード、エース、それにレジーナもキングジコチューの中へ。
 ハートたちは、無事に王様を助け出すことができるの…!?
 以上公式のあらすじ。

 お話はあらすじにある通り、キングジコチューから国王を取り戻すぜー!という内容。まぁ結果は推して知るべしなんですが、正に王道な展開は、この歳になると逆にそれがやっぱり気持ちいい。
 さて、まず今回のお話の前に、アバンから今回の内容に入る前の展開をちょっと紹介せねばならないだろう。
 キングジコチューの中に入って国王を取り戻すと言うマナに、そんなことが出来るのかと問う皆に対してマナは、22話でもあった台詞を言う。
 「私を誰だと思っているの!大貝第一中学生徒会長、相田マナよ!!」
 大声でエコーのかかったこの台詞は、未曾有の事態を中継している各メディアによって放送され、キュアハートの正体は皆の知る所となってしまったのだ。
 家族はもちろん、大貝第一中学の皆さんは何かにつけて助けてくれた謎のコスプレスーパーヒロインが生徒会長であることが分って驚きを隠せない。そんな中、クラスメイトの二階堂くんが窓に駆け寄って「がんばれマナーっ!」と叫ぶと、他の生徒達も彼に追従し「生徒会長がんばれ!」と口々に叫ぶのだ。学校の皆だけには留まらず、大貝町の皆さんもプリキュアの正体を知ってがんばれがんばれと声援を送り、その大きな声はプリキュアを鼓舞することとなる。
 今回の出だしのこの一連のシーン。マナがこれまでしてきた善行、西で喧嘩が起これば仲裁し、東に気分が悪い人がいたら介抱し、北に財布を忘れた人がいれば探してやり、南に迷子がいれば一緒に親を捜してきた彼女の行動は、町中の知る所であったのだろう。大貝第一中学には、率先してゴミが落ちていれば拾い、困っている人がいれば助けてやる女の子がいると、マナはちょっとした有名人であったのだろう。今、何かにつけて助けてくれた謎のコスプレスーパーヒロインの正体を知り、町の人々は「なるほど、あの子だったのか!」と得心いったことだろう。謎の巨大生物に対して何かすることは出来ないが、助けてくれて、そして今、守ってくれている彼女にせめて応援だけでもと声を上げる様は、前回同様、マナの行動が実を結んだことを示していて実に気持ちが良いのと同時に、フレッシュプリキュア!辺りから、プリキュア活動は町に住む人々の知る所になっていて、でも最終決戦はいつも人知れず終わってしまうことを私はいつも残念に思っていたのです。せっかくプリキュアという存在が皆の知る所であるならば、最後にみんなの「がんばれがんばれ」が力になる所を見せてくれればいいのにと常々思っていたのですが、ついにきましたよ!
 そもそもプリキュア活動は、なんら人に知られて悪いことがないので、「秘密のスーパーヒロイン」である必要性が感じられなかった。プリキュアの基本はなんだかよく分からない悪をやっつけることではなく、大切な何かを守ること、つまりはレスキューなので、プリキュアが助けていった人たちが、いずれプリキュアの助けになるのはむしろ自然だと考えていたのです。それが今回、こうなればいいのにと思っていたことが形となったことがとても気持ちがいい。10年もこのアニメシリーズを熱心に見続けてきた私のこのアニメに対する愛は間違ってはいなかった。と思いましたよ。ありがとう!東映アニメーション!

 私の愛はさておき今回のお話ですが、上記しましたようにキングジコチューに捕われた国王のレスキュー。マナと娘であるエースさん・レジーナ・アイちゃんを彼の元へ行かせる為に、ロゼッタ・ダイヤモンド・ソードが彼女たちを先行させるという、いわゆる「ここは俺に任せて先へ行け!」展開。正に王道である。
 個人的には冒頭にも書きましたが、キングジコチューの体内に入る前の怪獣大決戦(笑)がヒットで、ここに至ってこんなことをしてくるかと思わず笑ってしまいました(笑)。
 キングジコチューの中に入るには、やはり口からしかないだろうとなって、ここは私に任せてくださいとロゼッタがこれまで1回しか披露していない技「ロゼッタバルーン」を繰り出す。ロゼッタバルーンその巨大な風船から何が出るかは毎回お楽しみの技、ってゆーか今回入れても2回しかやってねーじゃねーかなどと心の中で思いつつ(笑)、何が出てくるのかなーと思っていたら、出てきたのは「巨大ランス」であった。な、なんだってーっ!!(笑)
 ランスと言っても槍の方ではなくロゼッタのパートナーの妖精ランスである。彼が巨大化したのかと思いきや、本物の彼はちゃんとロゼッタにくっついているし、ドスン!ドスン!と大きな地響きを立てつつも同時にピヨッピヨッと可愛らしい足音を鳴らしつつキングジコチューに突進し、パンチを繰り出してもその短い手では届かず、それならばと額の宝石を輝かせ、ビームを放つかと思いきや出ないしと、なんだかよく分からない活躍(笑)で隙を作り、他の皆さんはキングジコチューの中へと突入する。
 彼女らを追ってくるジコチューを「ここは任せて」とダイヤモンドが足止めし、中に巣食うジコチューを「大丈夫、私も後から追いかける」とソードが引き受けるのは正に王道。主役とレスキュー対象である国王の娘たちを先へ進ませる為に、各所で仲間が奮戦する様子は熱くて良い。個人的にはソードさんが印象深く、ここは私が引き受けると皆の前に立って振り向く彼女の表情に全く悲壮感はなく不適な笑みなのだ。「ここから先は一歩も通さない!」と何百とも知れぬジコチューの群れに突撃していくソードさんのなんとカッコいいことか。
 話を少し飛ばし、奮戦するロゼッタ・ダイヤモンド・ソードさんも良く、巨大ランスでキングジコチューと相対するロゼッタは、キングジコチューのビームをその身に受けて町を守り、ロゼッタリフレクションで跳ね返して、上空からの頭突きで巨悪キングジコチューを転倒させたのだから大したモノである、しかしそこでロゼッタと巨大ランスは力尽きてしまう。ダイヤモンドは後続を足止めしきれず突破されてしまうが、最後の力を振り絞り、自分を中心にブリザードを発生させて吸い込み、自分と共に結晶化させて見事後続を断ち切るも、「マナ、後は任せたからね……」と力尽きてしまう。ソードさんはここでも印象深く、この戦闘は第1話でのトランプ王国でも戦いを模しているのだが、模してはいてもその時とは違うのだ。
 あの時はイカジコチューのゲソに手足を掴まれてしまっていたが、今回はゲゾに掴まる事無く手刀でゲソを切り裂き、そこからホーリーソドへと繋ぐコンボでイカジコチューを浄化する。ここまでの戦いをくぐり抜け、今やキュアソードはイカジコチューに遅れを取ることはないのだ。だがひとり戦う彼女は疲労の色を隠せずふらついてしまうも、最後の一体ゴリラジコチューと対峙すると一撃を後方へ飛んでヒラリとかわし、オーラを纏ったソードは突進し爆煙に包まれる。ここでソードさんがどうなったか分からないのがポイント。

 一方国王救出に向うハートたちはキングジコチューの心臓まで辿り着く。捕われている国王を発見するも、ジコチュー細胞なるものどもに取り囲まれてしまう。
 レジーナとエースさんの呼びかけを無駄だとするジコチュー細胞は国王の魂はもう無いとするのだが、ハートは確かに愛の鼓動を感じたと真っ向否定する。ジコチュー細胞の集中砲火を浴びる一行であったが、ハートがいう通り国王は鼓動を発し、私の家族に手を出すなと黒く染まっていたプシュケーはピンクに染まり目を覚ます。
 驚きを隠せないジコチュー細胞であったが、そんな彼を一笑に付し「キサマが娘の命を救いたいとわがままを言わなければ、トランプ王国の国民は平和に暮らせていた。王でありながら、どこまでも家族にこだわるキサマはこの世で一番ジコチューな人間、全ては自分が蒔いた種ではないか」となじる。
 するとすぐさまハートが「ちがうよ」と否定し続けて言う。「親が子供を助けたいと思うのは当たり前じゃない。そんなのジコチューでもなんでもないよ」
 そうなのだ。全ては愛故なのだ。確かにいき過ぎてしまったのかもしれない。だが自分の子供の命が救えるのなら、自分が罪に問われたとしてもそうするのが親というものであろう。その愛に邪心などない。
 ハートは「私はレジーナや亜久里ちゃん、アイちゃんをもう一度お父さんと会わせてあげたい。その為ならこの命が燃え尽きるまで私は絶対あきらめない!なぜなら私は、みなぎる愛!キュアハートだから!」と続け、眩い閃光を発しジコチュー細胞を浄化し始める。
 興味深いのは、ここへ至ってマナが何かしらの攻撃をぶっ放すわけではないことだ。この最終決戦において、マナは攻撃らしい攻撃を一切していない。愛のみなぎるマナの基本は不戦なのだ。必要のない争いを極力避けて通ってきたのはこれまで見てきた通り。物語の最初から示してきたように、マナの行動に一切のブレはない。その決して折れない意志の強さは正にスーパーヒロインたる姿であろう。
 ハートの閃光に浄化されつつあるジコチュー細胞は浄化されつつも「笑わせるな!娘ひとりの命を救う為に、国をめちゃくちゃにされたトランプ王国の民が許すと思うか!」とハートを飲み込もうとすると、一閃。闇を切り裂きハートの窮地を救ったのはキュアソードであった。
 「愛に罪はない。悪いのは、人を愛する心を利用したあなたたちよ!」
 後から追いかけると言ったソードが、ここで約束通り満を持して颯爽登場し、上記台詞を言い放つ姿のなんとカッコいいことか。また、ジコチューの言う事ももっともではあるが、国王の愛を否定せず、唯一生き残ったトランプ王国の国民として、王の所業を許したのだ。一人生き残り、歌い戦い続け、真実を知り、その名に剣を冠した伝説の戦士が元凶を切り裂き、 レジーナ・エース・アイちゃんは国王の手を取り、愛を取り戻した国王は解放され、キングジコチューは絶叫と共に消え去った。トランプ王国を巡る闘争はここで終焉を迎えたのだ。

 全てが終わったと思われたが(と言ってもまだ1話ありますし)、ベールが浄化されて小さくなったキングジコチューを飲み込み、俺がNO.1だ!となった所で引っぱりましたが、今回は上記しましたように目的は国王をレスキューすることであるので、次回最終回で闇の完全浄化&エピローグとなるのでしょう。
 ともあれ、今回はラス前の一番おいしい所ということもあって見応えあるお話にはなっている。まぁドキドキらしく、以前のシリーズのような、もっとバーニングハート的な盛り上がりはないものの、王道な展開で全てが綺麗に片付いた気持ち良さがある。
 特には上記しましたように、ソードさんがこの物語の根底にあるトランプ王国を巡る闘争に終止符を打つのが良い。主役であるハートが片付けてしまうと、なんとなく他力本願的になってしまいますからね。トランプ王国のことは同国のソードさんが落とし前をつけ、ハートは正に相田マナとして、いつも通り最初に言った真琴のトランプ王国復興の手助けをした格好になっているのが実にこの物語らしい。
 後は次回の最終決着を残すのみ。ああ、1年間楽しく見たなぁドキドキ!プリキュア。本当に毎週楽しみでしたよ。

今週のマナ大好き六花さん
 上記した「ここは俺に任せて~」展開も良いのですが、個人的にはイーラとの因縁が気になるところである。
 キングジコチューの元へ向い祭に立ちはだかったイーラは、先に行かせてと言うダイヤモンドさんに、ジャネジーの固まりであるキングジコチューの中に入ったらどうなるか、お前でも分かるだろと言うのです。
 前回でもダイヤモンドさんと対峙して、プリキュアを倒すのは俺だと横やりを入れさせないようにしていましたが、イーラとしては、六花さんが他のヤツラになんとかされちゃうくらいなら自分が、というふうに思っているらしく、彼なりに六花さんをどうにかしたいと思っているようだ。
 最終回でこのふたりにも、何かしらの決着があるのかしらねー。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアハートさん」でした。まぁこの毎週たち替わりのまたみてねも今回でラストですから主役のハートさんですよね。
 おそらく次回のまたみてねは高橋晃さんの書き下ろしのまたみてねになると思います。それも楽しみだなぁ。ってゆーか、終わっちゃうんだなぁ(しみじみ)。

凪のあすから 第十五話 笑顔の守り人

2014年01月23日 | 凪のあすから
要はまだ戻ってきてないのか。

 そんな今回のお話は…
 巴日の日、5年前と変わらぬ姿で美海たちの前に流れ着いた光。
 “おふねひき”の当日からの記憶が一切なかったが、身体には異常なく次の日から潮留家で以前と変わらぬ生活を送ることができた。
 ちさき、紡、美海、あかりたちは喜びと共に光を迎えるも、突然のことにどう接していいのか分からずにいた。
 また光本人も、紡と一緒に海村の研究している教授の三橋から、世界は依然凍っていっていること、自分以外汐鹿生の人間は誰も目覚めていないことを知り愕然とする。
 以上公式のあらすじ。

 上記あらすじは今ひとつピンときませんが、要するに冬眠によって5年も時間が止まっていた光と、そうでない地上で生きる人々のギャップを上手く見せていて、おもしろい脚本だったと思います。お話としては、目が覚めたら5年の月日が経っていた光と、地上に残されたちさき、紡、美海をメインに、それぞれの変わってしまったもの変わらないものに対する思いを描いている。

 こんなアニメの感想を書いている身としては、この物語は実に書くのが難しい。何か明確な目標や道筋があって、そこに向って話が進んで行くわけではなく、この物語の世界の状況に、各キャラクターがそれぞれの思惑をもって複雑に絡み合って話を形成する正に群像劇となっていて、ひとつ取り出したくとも、絡んでくるあれこれも合わせて説明しなくてはならなくなって、しかもそのアレコレを説明するのにそれこれに触れなければならなかったりするので、正直どう書いていいか分からなくなる(笑)。
 まぁそんなわけで、今回のお話としては、戻ってきた主役光をメインに、海村出身でひとり地上に残されたちさき、彼女を家におく紡、光に想いを寄せている美海、が主に絡んでくるという内容。と言っても、何か大きな事件が起こるわけでもないのだ。
 光は5年経って変わってしまったアレコレを受け入れることが出来ない。冬眠すればこんなこともあるだろうと頭で分かっているつもりであったが、実際そうなってみてどうしていいか分からない。何せ目覚めたのは自分ひとりなのだ。この不安は計り知れない。
 そんな光を思っていたちさき。さぞ嬉しいのかと思いきや、紡から彼が5年前の姿のまま戻ってきたと聞かされ愕然とする。そしてちさきは光に会おうとはしない。それもそのはず、1クール目であったように、彼女は変わりたくはなかったのだ。しかし無情にも地上に取り残された格好になった彼女は時間と共に19歳の女性となっているからだ。
 光と会うのを避けるように看護学校へ行くバスへ乗る際、ドアに写った自分を見て変わってしまったを実感し、ショックでしゃがみ込んでしまう姿が印象的だ。そんな彼女はもうひとつ印象的なシーンがあって、紡がはさみを取りにちさきの部屋へ入ると、いつの間にか帰って来ていたちさきが上着を脱いで姿見に自分を映している所に出くわしてしまう。慌てて障子を閉める紡に彼女は「待って」と引き止め「どうだった?」と問うのだ。
 自分の身体がどうか、ではなく「あの頃と変わった?」と問い直すちさき。障子越しから紡は「あの頃は見たことないから分からない」と返すとちさきは涙してしまう。もちろん、変わった変わらないでいるかが分からないからではない。5年経っているのだ。変わっていないはずが無い。問うてはみたものの、そんなことはちさき自身がよく分かっている。
 そんなちさきに紡は「お前、あの頃いつも言ってたよな。変わるとか変わらないとか。あの頃いつも」と言う。それに対しちさきは、「みんなに、光に変わって欲しくなかった。それなのに、私が変わっちゃったんだよ」と大粒の涙をこぼす。
 なるほど、変化を恐れていた彼女である。ずっとあの頃のままでいたかったのだ。しかしそんなふうに思っていた自分が、意図せず取り残され変わってしまったのだ。それだけならまだしも、意中の光はあの頃のままなのだ。光の目の前に立てば、そうしたってその変化をまざまざと感じられてしまう。せっかく戻ってきたというのに彼女は喜ぶことが出来ない。もう同じ所にはどうしたって立てないのだ。
 嗚咽を漏らすちさきに、紡は「そうだな。変わったよお前。」と言う。その言葉に自分が変わってしまったことを認めざるを得なく自覚し曇った表情を見せるちさき。紡は「綺麗になった。ずっと、綺麗になった。あの頃よりも。それじゃだめなのか?」と続ける。ちさきは紡の言葉にハッとするも、また涙を流し嗚咽を漏らすのであった。
 紡はあの性格なので、その言葉は素直な感想である。彼がちさきを思い、変わってはしまったけれど、その分前よりずっと綺麗になったのだから、そんなに悲しむことはないと言いたいのだ。ちさきとしても、もう19歳である。彼のその優しさが分かるだけに、逆にその優しさがつらく、またどんなにあの頃よりも綺麗になろうとも、自分はそれよりも光とずっと一緒にいたかった、美しくならなくても変わりたくはなかったのだ。紡の言葉は、逆に自分の変化をまざまざと思い知る形となってしまったのである。
 紡として、変わっていないわけがないので、あの頃と変わらないなどというウソは絶対言ってはいけない選択肢だ。変わったけれど前よりずっと良くなったと、変化を良いように捉え、マイナスをプラスに転換しようとし、ちさきが傷つかないよう配慮した見事なチョイスな言葉であると思うが、いかんせん。ちさきののぞみは変わらないことなので、どうにも正解がないのがつらい。またちさきとしても、5年という歳月による変化はどうにもしようのないことで、彼女自身、仕方のない事だと分かってはいても、光があの頃のままの姿でいるだけに、容易に受け入れることは出来ないつらさがありありと感じられてつらい。
 このシーンの、どうしようもないことへの無力感というか、ただただ悲しく、このふたりを見ていてつらくなるように作ってあるのだから、上手いとしか言いようがない。

 ここからBパート。光は散歩と称して海に潜り海村を目指す。美海は光が戻ってきて2日経つのに、いまだに会いに来ないちさきに憤慨していた。
 美海はここで14歳らしいというか、あの時子供だったことを示すようなことを言っていて、光が元気がないのはちさきが会いに来ないからじゃないのか、と言うのだ。
 美海は光たち4人がどれだけ仲良しで、どれだけずっと一緒にいたかを知らないし、それを感じさせる4人を見ていない。これまでを見てきた我々としては、上記したようにちさきが会いたくとも会えない気持ちが解るし、光の元気がないのは、だたひとり目覚めて浦島太郎状態になって、この現実をどう受け止めていいのか分からず不安になっていることが察せられるが、美海は断片的でしか光を知らないので、彼が戻ってきて嬉しい、と言うだけなのである。しかしそれは責められることではなく、14歳なんだから、意中の人が戻ってきて嬉しいしか見えなくても仕方のない事。むしろその浅はかさが年相応の少女していて良い。14歳など分からないことだらけなのだし。
 さて、このBパートでの見所は2つ。ひとつは海村へ行けず、紡の船と遭遇した光。なんでちさきに会いに来ないんだ?との紡の問いに、なんでこっちから会いにいかなくちゃいけねーんだよと返した所、お前は変わらないなと返した紡に、光はカッとなって詰め寄り心中を叫び吐露する。
 まぁ要するに、浦島太郎状態になって、見るものすべてが変わってしまっていて、その上ずっと一緒だったちさきまでも変わってしまっていたらと思うと怖くてたまらないのだ。5年の時間をたった数日で埋められるはずはないのだが、それまで戸惑っているふうではあったものの、落ち着いていた彼が、ここで不安を爆発させるかのように紡に詰め寄って、心中を吐露し、どれほど不安であったかがわかるのは、あぁやっぱりと思いつつも、5年経ちはしたが光は14歳のままであることを示しているのと同時に、これまでおふねひきから時間が経ちました、と言う所を延々と見せていただけに、光の不安を感じさせる作りになっているのが上手い。
 またふたりのやりとりを端から見ていた美海が、光の心中を聞き、自分がどれだけ浮かれていたかを思い知るのも良い。そこからの旗の件はけっこう青臭いが、まぁ彼女は14歳なのでこんなものだろう(笑)。

 その後、海から上がった光はスピーカーから流れる5時の音楽、おふねひきの後に海村の人たちに届くようにと替えられたおふねひきの歌に誘われるかのように、歌の流れるスピーカーのある山を登っていくと、ちょうどそこでちさきと出会ってしまうこととなる。
 お互い会えないと思っていたのに、おふねひきの歌に誘われてかち合ってしまう所が、この二人の縁の深さであろう。5時の音楽がおふねひきの歌に変わった経緯を話した後、ちさきは「変わってしまって、ごめん」と言って俯く。その姿に光はハッとし、お前はこの間も変わるとかかわらないだとか言っていたと言う。
 続けて光はこんなことになって、確かに変わるということは恐ろしいことだとしながらも、ちさきが全然変わっていなくて安心したと言ってニカッと笑うのだ。
 その言葉にちさきは涙する。確かにちさき自身は変わってしまった。だが光はちさきの外見ではなく、中身の変わらなさ、ここにいるちさきは自分の知っているちさきだとしたのだ。彼にあの頃と同じ自分を見出してもらったことは、彼女にとって随分な救いであったろう。ちさきの中に変わらない部分はあったのだ。また、光としても、目覚めて全てが一変して自分だけが取り残されたかのように思っていたことだろうが、ちさきの中の変わらない部分を見つけ、確かにここは自分のいる世界であると確信し、安心を得たことであろう。
 状況は違えどちさきも光も取り残された格好になったは同じで、またお互いに変わったもの変わらないものをお互いの中に見て、地に足がついたような感じがあったのではなかろうか。光はこの再会を機に、変化した世界への恐れを振り払うことが出来たのだ。

 しかしこの再開のシーンの一番おもしろい所は、光と紡の違いだろう。ちさきの「変化」に対し、どちらもあの時々ことを言っていたとしながらも、出した答えは違うのである。
 いや、答え云々ではなく、紡が「変わっていない」と言ったならウソとなるが、光の「変わっていない」は本当なのだ。紡が美海との会話で、自分たちとは積み重ねた時間が違うので、ふたり西川からないことがあるのだと言っていたが、正にそれなのである。まぁ要するに、紡にちさきは救えなかったのだ。
 今回のラストで、やっかいになっている紡の家に帰って来たちさきが家に入るのに躊躇すると、中から紡が玄関を開け、おそらくはちさきのよう左右が違ったのを察し、「光にあったのか?」と問うと、彼女はひどくバツの悪そうな顔をして次回へと引っぱるわけだが、5年もひとつ屋根の下で暮らしていれば、お互い思う所はあるよなぁ。特に紡の方は。
 おそらくちさきとしたら、それなりに思うようなこともあったでしょうが、同じようなことになって結果がこれだけ違うのだから……どうなっちゃうんでしょうね(笑)?
 そこへ要も帰ってくるんでしょう?さらには美海にさゆも絡んでくることになって、人間関係はけっこうな複雑っぷりを呈してきて、これからどうなるのか気になって仕方がない。

 まなかは全然出てくる気配もないし、これから終わりに向けて、どう物語が転がっていくのか気にさせているんだから見事なシリーズ構成と脚本であった。
 そーいえば、まなかの耳の後ろにある羽根みたいなのって全く言及されませんけど、最終的になんか意味があるんですよね?

14/01/17

2014年01月18日 | 日記?
■今日の一枚 マナと六花さん(通常ver)
 (web拍手を送る)
 大きいのはこちら(別窓)
 もういい加減、謹賀新年はないので替えました。
 ついでに正月のはけっこう急いで作ったもんですから、こまい所をちょこちょこと。
 前回のレジーナさんは主線入れ中。

■拍手送って下さった方
 ありがとうございました。


 とあるゲームがおもしろくて、やっていたらいつの間にかこんな時間に!って感じの今日この頃、皆様いかがお過ごしですか?私はタコがお過ごしです。
 そんなわけで控えようと思ってはいるんですが、ちょっとのつもりが上記の通りの体たらく。
 なんだろう、1ゲーム(?)がすぐ終わっちゃうんで、たくさんやっているって気にならないんですかねー。
 ま、ともあれ、ゲームはほどほどがいいよね。やっぱ。

 ってゆーどーでもいー話。

ドキドキ!プリキュア 第47話 キュアハートの決意!まもりたい約束!

2014年01月17日 | ドキドキ!プリキュア
もうちょっと盛り上がっても良いような気がしますが……

 そんな今回のお話は…
 とうとう、キングジコチューが復活してしまった…!
 自分の正体、トランプ王国で起きた真実を知ったレジーナは、キングジコチューと一緒に世界を消してしまおうと、人間界へ向うの。
 ベール、マーモ、イーラも巨大ジコチューを出して、町は大パニック!なんとかしないと、人間界もトランプ王国みたいになっちゃう…!
 それでも、レジーナやキングジコチューと戦いたくないハート。ハートは、前にレジーナと約束したことを守ろうとしてるの。
 それはレジーナのパパと話をすること。話をすれば、きっと分かってくれるはず。キングジコチューの中にある、ドキドキを取り戻したい!
 「キングジコチューさん!私の話を聞いてくださいっ!!」
 キュアハートの思いは、キングジコチューに届くの!?
 以上公式のあらすじ。

 ……このシリーズのラス3はいつもこんな感じなので、いつも通りと言えばいつも通り。
 さて、お話としては、AパートはAパートで、BパートはBパートで見せたい所を作っていて、個人的にはAパートの方がぐっとくるモノがあった。
 とりあえずはキングジコチューの所へ行こうとなって、ジコチューをなぎ倒しながら向って行き、ソード・ロゼッタ・ダイヤモンドさんらが、いわゆる「ここは俺に任せて先へ行け!」展開でハートとエースさんを先行させ、あらすじにある通り、キングジコチューと話と付けに目の前まで辿り着き、話を聞いてもらおうとするが、キングジコチューは話を聞こうとはしないのだ。そこにベールさんがやってきて、この世界は自ら滅ぶとトランプ王国の前例を出す。
 それまで仲睦まじく暮らしていた国民は、突然の恐慌にパニックとなり、自分だけは助かりたいと醜い行動をし、自らジコチューと化したのであった。それと同じことがこの人間界でも起こり愛を失うとするのだが、ハートはそんなことはなく、今でもみんなはその愛で支え合っているはずだとし、場面は非難する人々の方へと変わる。
 12話でマナの弟子となった早乙女純くんが、ケガをして動けない人がいるので誰か手を貸してくださいと声を上げると、逃げようとしていた数人が足を止める。マナのクラスメイト二階堂くんが「ケガ人はどこだ!」と駆け寄ってくると、足を止めた人々も手伝いを申し出るのだ。また病院では医師である六花さんのお母さんとマナの両親がケガ人を介護し、ありすの執事セバスチャンがヘリを飛ばしてきて要救護者の搬送し、ありすの友人五星れいなも持ち出してくる。と、このように、これまで話に関わってきた人々や、その他モブの皆さんが互いを助け合い非難していく様が描かれるのだ。
 ここで私は「ああ!」と思わずにはいられなかった。32話の文化祭の時もそうであったように、マナがこれまで無尽蔵に愛を振りまいてきたこと、また描かれなかった所でも、きっとマナは所構わず善行をしていたであろうことが今実を結んだと思わされだのだ。そしてここから「そういうことか」と思い至ることとなる。
 そう、たった5人のスーパーヒロイン「だけ」で世界は救えない。トランプ王国のようになってしまったら、マナとてどうにもならなかったであろうが、マナが六花さんやありすにこうありたいと思わせたように、彼女の善行はそれ以外の方たちをもそう思わせていたのだ。それが今プリキュアを支え、プリキュアは支えてくれる皆さんを守るのだ。また、メインターゲットの皆さんへの訓話としても、世界を救うのはスーパーヒロインだけではないことを示している点も良いだろう。
 ともあれ、プリキュアだけでなんとかしてしまうのではなく、ひとりひとりの心が大切なんだよという所から、主役であるマナのしてきたことが、しっかりと実を結ぶ高揚感はとても胸がすく。まぁ、対比として使われたトランプ王国の皆さんが、とてもしょーもない人々のように見えてしまうのが難点ではあるが(笑)。

 ジコチュー化しない人間たちの愛を「くぅだらぁん!」と一喝し、ならばその愛の鼓動を消し去ってくれるわと口からビームを吐き、高さ999mのクローバータワーを倒壊させてからがBパート。
 それまで静観していたレジーナが、これ以上パパのの邪魔をするならとハートに向って行くこととなるのだが、ハートは防戦一方で戦おうとはしないのだ。それもそのはず、2クール目で友達であるレジーナとは戦わないとしてきた彼女である。一貫して行動にブレの無いマナですから、ここへ至ってレジーナと戦うはずがないのである。
 まぁこの辺は割と都合が良いと言いますか、レジーナと相容れなくなってということは流れ的にあり得ませんから、マナの「好き」にレジーナが落ちちゃうのはけっこう予定調和ではある。それだけに何か欲しかった所ではあって、結局「好きに理由などない」的な話は、大きなお友達の説得材料としてはちょっと弱いような気がしますが、まぁ我々はこのアニメのターゲットではないので致し方ない所か。
 もとよりマナ大好きレジーナちゃんなので割とあっさりマナに懐柔(笑)されると、キングジコチューがレジーナを惑わすなと口からビームを吐くが、レジーナは「ダメーっ!」と絶叫し、ドラゴングレイヴでビームを消し去ると、光の槍の二つ名の通り、ドラゴングレイヴの刀身は光を取り戻す。
 するとキングジコチューは絶叫し、またお前の心に愛が芽生えてしまったのかと問う。しかし違うのだ。もとよりレジーナは麗しのアン王女さまがふたつに分った愛の片割れ。レジーナに愛が芽生えたのではなく、最初からあったのだ。その上でレジーナは、父であるキングジコチューと同じくらいマナが好きなのだ言い、その自分の正直な気持ちはいけないことなの?と自問すると、ロゼッタが言う。私もマナも六花も真琴も亜久里もレジーナも好きだと。なるほど、33話の過去話やいつも後ろでニコニコと皆を見守ってきた彼女思い返せば得心がいく。続いてソードが以前は王女さましか見えていなかったが、今は違って皆が好きだと言う。7話までツンツンしていた彼女が、話が進むにつれ丸くなって言った様子が思い起こされるではないか。
 そんなふたりの言葉に「黙れ!レジーナは私だけを見ておれば良いのだ!」とするのを、ダイヤモンドが「その気持ちも分かる」言う。でも好きな人を独り占めするのではなく、好きな人の好きな人を好きになって、つながりを作っていく方が良いだろうとするのは、わたくし絶賛であった10話の嫉妬回を乗り越えた彼女の言葉として見事な説得力である。
 こうした「これまで」を見てきたからこその説得力が実に気持ちが良いではないか。毎回今週のビックリどっきりモンスターが現れてやっつけるだけでない物語としてのつながりを感じさせてくれ、1年見続けてきた甲斐があったと思わせてくれる。プリキュアは最初の10話と最後の10話を見れば事足りる、なーんてのをどっかで見たことがありますが、フッ、鼻で笑ってやりますよ。見続けていなければここでこんなにも気持ち良さを味わえるものか。それ故に、この物語が最初からここまでをつながりを持って紡いでくれたと言って良いのではなかろうか。

 彼女らの言葉にエースさんは今ようやく気付いたと、愛の戦士である自分のすることは、キングジコチューを消し去ることではなく、愛することなのだとし、キングジコチューを「お父様」と呼ぶ。エースさんもこの闘争の真意に気付いたのだ。光と影の対立ではなく、どちらも愛なのだからどちらか一方を消し去ってはいけないのだ。
 エースさんにアン王女さまの面影も見たキングジコチューは突如苦しみ出す。1万年前のプリキュアに封じられていた闇に飲まれていた愛を少し取り戻し、それ故に胸が苦しいのだ。
 だが当時のプリキュアが神器を擁して封じた闇は、そう簡単に器を手放さない。「愛などいらぬ!愛など消し去ってくれるわ!」とハートたちが立つクローバータワーに、その巨大な手を振り下ろす。ところで引っぱりました。
 次回は国王の救出、ラストで闇の浄化&エピローグ、って所ですかねー。このシリーズは得てしてラス前が一番おいしい所なので期待したい。

今週のマナ大好き六花さん
 上記しましたが、六花さんの言葉は説得力あったねー。それに伴って今回は、これまでの話を思い起こさせる随所にあって気持ちが良い。
 六花さんに関しては、やはり因縁のあるイーラであろう。このふたりが揃えば、どうしたって26話を思い出す。六花さんもイーラも思う所があるようなのが良いよなぁ。
 このふたりに何もないままで終わるってことはないであろうから、どう決着をつけてくれるのかも楽しみだ。
 どーでもいーけど、今回のマナとレジーナは、綺麗に百合色に染まった脳としては、マナがレジーナに告白した様にしか見えないのだが(笑)。こんなコーナー作っている身としてはモヤモヤするんですけど(笑)。
 ああでも、マナのレジーナに対する「好き」は、やっぱり妹可愛がり的な好きだと思うんですよねー。六花さんがいるからマナはいろんな所でスキスキ言っているんですよ。本妻いるからダイジョーブ!みたいなことなんだと思います。きっと。
 にしても、六花さんは苦労が耐えないんだろうなぁ(笑)。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアダイヤモンドさん」でした。
 ああ、後2回かぁ。寂しくなるなぁ。

凪のあすから 第十四話 約束の日

2014年01月16日 | 凪のあすから
まただよ……。

 そんな今回のお話は…
 汐鹿生の“冬眠”当日に開かれた“おふねひき”から5年。光やまなかの行方が分からぬまま、19歳となったちさきは紡の祖父、勇を見舞いに病院を訪れていた。
 「看護学校を卒業したら、ここに来るといいわよ」と看護師に声を掛けられ、微笑むちさき。短いようで長い5年という年月は彼女の環境を大きく変えていた。
 紡は異常気象を解明するため都会の大学へ、14歳となった美海とさゆは美濱中学校に進学。そして至とあかりとの間には男の子(晃)が生まれていた……。
 以上公式のあらすじ。

 なんでか知らないが、また録画が被ったらしく14分くらいしか撮れていませんでした。って、ちっくしょーっ!時間被ってないかチェックしていたはずなんだけどなーっ!
 まぁそんなわけなので、お話的にはどーなったか分からん。が、公式の十五話のあらすじを見てみると、どうも光と要は当時の姿のままで戻ってきたみたい。今回はそこで引っぱったんじゃないでしょうか。
 ともかく、見れた分を見る限りでは、おふねひきから5年経って、どういう状況にあるかを説明するお話ではあったと思う(まぁ全部見れていないしね。)。それで光と要が戻ってきて~となって、次回から話が動くんじゃなかろうか。
 その状況としては、ひとり残されたちさきは紡の家にやっかいになっていて……人的には上記あらすじにある通り。世界的には異常気象で地上は雪が降り積もり、光たちのいた海は凍っている。特に影響ないんじゃないかと思われていた地上はたった5年でけっこうな変わり様で、なるほど、うろこ様が冬眠させたがっていたのも頷ける話である。と、世界観的にはそういうことが分かっていれば良い。
 個人的におもしろかったのは、まなかが出てこないこともあって、ヒロインが入れ替わったことだろう。まなかは物語的にはすごく重要なポジションにいて(というか、いるはずで)、おそらくはしばらく出てこないし、5年経ったということもあって、14歳になった美海が身体的に光と同じ立場に立って、見れた限りのところで言えば、彼女を通した世界を描いていたと思う。
 1クール目で、美海が光に惚れてしまっている様子を見せていたのはなんでなのかなーと思っていたのですが、今回からの2クール目があるからだったんですねぇ。美海はあかりのこと以外で話に絡まないと思っていたので、正直いらない情報だと思っていましたよ(笑)。公式のキャラ紹介のページにまなかが載っていないことを考えると、やはり今後は美海と光という所で話が進んで行くのだろうが、光としてはやっぱりまなかの存在は大きいだろうし、ちさきもいるがけど19歳になっちゃっているし、一緒に暮らしている紡はそう持ち先に思う所があるようだし、ちさきと言えば要も戻ってきたようだから、なんらかの動きはあるであろうし、要で言えば、さゆが彼を好いていることもあるので、1クール目以上に人間関係がごちゃごちゃしてきて今後が楽しみだ。
 ってゆーか、物語上の大きな転機の後だったので、絶対見逃したくなかったんだけど、この体たらく。ああっもうっ!悔しいったらありゃしない。

 せっかくなんで、以下個人的に気になった所。と言っても1点だけですが。
 あかりと至の息子。まぁ美海の腹違いの弟となる晃。カンチョがマイブームだそうで、サヤマートにてちさきが思いっきりカンチョされておりましたが……ちさきのリアクションを見ると、ケツじゃない方にいったんじゃないですかね(笑)。とすれば彼女のリアクションが腑に落ちる、ような気がしませんか?あれ?こんなこと考えたのって、もしかしてオレだけ?

14/01/09

2014年01月10日 | 日記?
■今日の一枚 レジーナ作成中
 (web拍手を送る)
 とりあえず下書きまでいきました。ドキドキ!が終わるまでに完成するといいなぁ。

■拍手送って下さった方
 ありがとうございました。


 寒くなって体調悪いからいかん。皆さんもお気をつけ下さい。
 さて、ハートキャッチプリキュア!キャストが公開されましたな。寿美奈子に続いて戸松か!来年は豊崎愛生だったりしてな。
 それにしても、黄色は登場をお楽しみにとあるんだけど、とすると後から出てくるプリキュアってことになりますよねぇ。もうビジュアルみせちゃうってことは、2クール終わりでさらにもうひとりってことなのであろうか?
 なんだかんだで楽しみではあるが、やっぱりドキドキ!プリキュアが終わってしまうんだなぁと思うと寂しい。
 随分熱心に見てきたのは、感想をご覧にいただければ分かる通り。個人的にはすごくおもしろかったなードキドキ。
 マナと六花さんがイチャイチャしてるとこはもう見れないと思うと残念であり、新しいプリキュアが楽しみでもあり、この時期はなんだか自分でもよく分からんことになってしまいます。

 ってゆーどーでもいー話。

ドキドキ!プリキュア 第46話 エースとレジーナ!誕生の真実!

2014年01月06日 | ドキドキ!プリキュア
ええ~っ?!待て待て!サラッと言ったな。

 そんな今回のお話は…
 トランプ王国で、エースとレジーナが戦いを始めようとしている!
 ソード、アイちゃん、ジョーお兄さんが見守るところへ、ハート、ロゼッタ、ダイヤモンドも駆けつけたわ。ハートは、エースとレジーナに戦ってほしくない…!でも、エースは戦いをやめようとしないの。
 エターナルゴールデンクラウンの力で“自分の正体”を知ったエースは、レジーナと決着を付けないといけないと思っている。
 そしてエースは、レジーナにエターナルゴールデンクラウンのラビーズを渡して、レジーナにも“レジーナの正体”を見せようとするの。
 「私たちにも見せて!」そう言うハートにエースは手を差し出し、みんなで輪になって手を繋いだわ。
 トランプ王国で起きた真実・・・全てが分かったマナたちは、ショックで声が出ない。その時、レジーナは…。
 以上公式のあらすじ。

 お話は、どうして今この状況になったのかの真相が分かる過去話と、ついに復活したキングジコチューが人間界へ向った所までで、基本、過去話メインある。その過去話。前回の予告で割と読めていた通りで、キングジコチューはトランプ王国の国王であり、我が麗しのアンジュ王女さまの父なのであったわけだが、とりあえずはその流れを見ていこう。

 アンジュ王女の生誕直後、母である王妃は崩御されることとなる。王妃の身体が弱かったとかの情報はまるでなかったが、新たな生命の誕生は、もとより並大抵のことではない。出産後、母子ともに健康であることは奇跡なのだと言っても良いだろう。残念ながらアンジュ王女さまは幸運には恵まれず、それは悲劇の始まりでしかなかった。
 国王の愛を一身に受け、すくすくと育つアン王女はやがて立派にご成長される。しかしある日、その御身を闇が襲う。城には1万年前の伝説の戦士プリキュアが打ち倒した闇が封印されていて、その闇は長い時を経てほんの少し抜け出し、アン王女に取り憑いたのだ。
 謎の病に倒れた王女に王国の医師たちは成す術がない。王国の医学の範疇を越えていたのだ。国王は言う。「ではこのままアンの命の炎が消えるのを黙って見ておれというのか?!神よ!あなたは、妻だけでは飽き足らず、娘までも奪おうというのか?!そんなことはさせぬ!」
 するとひとりの医師がひとつだけ手があると申し出る。あらゆる知識が詰め込まれた黄金の冠エターナルゴールデンクラウンの力を借りればアン王女の病もきっと治せるであろうと。しかしそれは国王ももとより知る所であった。クラウンは1万年前の伝説の戦士プリキュアが打ち倒した闇を封印しているのだ。クラウンを手にすることは、再び世界に闇を解き放ってしまうことと同じである。だがこのままではアン王女は死を待つだけなのだ。
 揺れる心のまま城の地下へと降りる国王。クラウンの前に立って躊躇する姿が描かれる。それもそのはず、最愛の娘を助ける為にクラウンを取り外してしまえば、闇がまた世界を覆う。一国の王として民を案じずにいられようか。しかし他にアン王女を救う手はないのだ。国王は王妃が崩御の間際の言葉を思い出す。「この子を、人々に夢や希望を与える太陽の如く、光り輝く子に……」そのお言葉と一筋の涙と共に崩御された王妃を思えば、闇と手を握って助かってもアン王女は喜ばない。だがこのまま娘を見殺しにすることなど出来ようはずもない。
 どうすれば良いのだと膝を折り頭を抱える国王。世界と最愛の娘、国王として父親として苛まれるのも無理からぬ話である。だが国王は「そうだ」と呟き、自分にとってアン王女がいなければ、世界は終わったと同じだとする。その心にプシュケーは少し染まり、アンさえいれば世界などどうなっても構わぬ!と封印を破るとプシュケーは真っ黒に染まってしまう。
 世界と最愛の娘を天秤にかけ、世界よりも、国民よりも、自分が最も愛する娘を取った国王。真に国王たらん者ならば、娘ひとりの命のために国民を犠牲にすることなどないであろうが国王である前に彼は父親なのだ。最愛の妻が命と引き換えにしてこの世に生を受けた最愛の娘を助けんが為なのだ。誰がこの国王を責められよう。一喝して自身の剣で封印を切り裂き、クラウンを手に取った国王は知識を得てアン王女の元へ向う。だが地下では封印がなくなったが為に、1万年封印されていた闇が溢れ出していた。
 クラウンの知識でアン王女の病は治り意識を取り戻した。しかし闇はすぐ側まで這い寄って来ていた。「闇の鼓動、自分勝手な邪な願い、最愛の娘を救う為に禁忌を犯し、世界を破滅へと導く、これぞ正に究極のジコチュー!キサマこそ私の器に相応しい!」そう言って襲いかかる闇は国王を飲み込み、苦しむ国王はよろけながら外へと飛び出し、アン王女が止める間もなく高い塔から落ちてしまう。
 アン王女のおわすトランプ王国の首都は湖上の水上都市である。その湖に落ちた国王は、闇の言った通りに器となり魂をジャネジーに支配され、その姿はキングジコチューへと変貌と遂げ、その巨大な体躯を露にする。闇の王の復活を待っていたジコチューの幹部ベールたちが集い、トランプ王国侵攻が始まった。
 国境から攻め込まれたわけではなく、首都に突然1万年前に伝説の戦士が神器を擁して戦った闇が出現したのだ。王国がどれほど混乱したかは想像に難くなく、その状況でキュアソードがひとり生き抜いたことを考えれば、彼女がどれだけ奮戦したか分かろうというものだ。ともあれ、大混乱の最中、アン王女は先陣を切って戦いキングジコチューと対峙する。「何故ですお父様!どうして愛の溢れるこの国を滅ぼそうとするのです?!」そう問いかける王女に「この世に愛など必要ない。愛などと言うくだらんものがあるから苦しむのだ」と答えるキングジコチュー。即座に「そんなことはありません!わたくしの命を救ってくれたのは、お父様の愛です!」とおっしゃられるアン王女は、キングジコチューとしてではなく父に訴えかけたのであろう。そのお言葉に「むぅん」と唸るものの、返ってきた言葉は「我が名はキングジコチュー!この世の全てを破壊するのだ!」であった。国王は完全にジャネジーに支配され、最愛の娘の言葉も届くことがなかった。
 もはや完全にジコチューの王キングジコチューと化してしまった父に、やむなしとアン王女はミラクルドラゴングレイヴの力で彼を石化し、7話の回想であった通り、キュアソードと共に異世界への鏡へ逃れるも、一人残ってソードを先行させる。
 ベールに追いつかれた王女さま。ベールは「ひとつ聞くが」と疑問を投げかける。何故キングジコチューにとどめを刺さなかったのかと。三種の神器ミラクルドラゴングレイヴの力ならば、完全に消し去ることも出来たはず。しかし王女さまはその問いに答えない。ベールは続けて言う。「そうか。父親だから消せなかったんだな?自分勝手なヤツめ!」その言葉に王女さまはハッとし動揺する。さらにベールは続ける。「国民を守るべき王族が、国民を犠牲にして肉親を守るとは……さすが親子、揃いも揃って最悪で最高のジコチューだ!」
 即座に「違う!」と反論する王女さま。確かにキングジコチューを消し去らなかったのは父思う故であるが、王女さまが国民を思っていなかったわけでもない。だが図星を突かれた格好になっているのも事実である。王女さまとてヒトの子、王族として国民を思う気持ちと娘の父を思う気持ちを同時に決着をつけることなど出来ないのだ。
 王女さまは自分のプシュケーが黒く染まりつつあるのを知り、このままでは自分もジコチューになってしまうと自らプシュケーを取り出すと、自らの手でふたつに割ってしまった。父から受け取った愛、世界中の笑顔を守る愛。自分の中の相反する心をふたつに分かったのだ。愛とジコチューは表裏一体、そのどちらを選べば良いのか答えを出すことが出来ない王女は、そのふたつのプシュケーから生まれし者の戦いにこの世界の行く末を託した。
 眩い光を放って飛んで行く分たれたプシュケーは、ひとつはキングジコチューの元へ辿り着きレジーナに、もうひとつは人間界へと辿り着き円亜久里として転生した。光と闇であるふたつの心は善と悪ではなく、どちらも「愛」だったのだ。そしてプシュケーが失われた王女さまの御身はタマゴとなって人間界へと辿り着いた、つまりアイちゃんである。
 これがトランプ王国を巡る戦いの真相である。

 さて、長々とあらすじってしまいましたが、これを理解してないと話が進まないので致し方ない。まず意外であったのは、上記の通り、亜久里とレジーナが善と悪ではなく、どちらも愛であったことだろう。
 言われて見れば、あぁなるほどと言った感じではあって、要は個人々々に対する愛なのか、全体へ奉仕する愛なのかということで、どちらが良くて悪いと言うわけではない。おもしろいのは麗しのアン王女が愛とジコチューは表裏一体としたことだ。人が善と悪の混沌であるのと同じように、その愛も見方を変えれば自己中となってしまうのだ。
 王女がキングジコチューと消し去らなかったのは父を思う故の愛だし、先頭に立って戦ったのだから国民を思う故である。これはどうしたって結論の出ることではないだろう。どちらを選んだとしても、きっと王女さまの心は傷ついたであろう。それは亜久里とレジーナも同様である。
 この過去話後、レジーナの瞳は赤から青へと変わり、衣装も紫だった部分が赤へと戻って、22話以前のレジーナへと戻ったのだが、彼女は涙して、父は世界を滅ぼしてまで娘である自分を救おうとしてくれた、世界よりも大きな愛を与えてくれた父を捨てられるわけがなく、最後までキングジコチューと共に戦うとする。
 ここから察するに、というか、上記過去話を見て分かる通り、レジーナには全体へ奉仕する愛が存在していないのだ。また同様に亜久里には個の感情の為に全体を蔑ろにすることを絶対に許さない、全体への奉仕者なのだ。なるほど亜久里がエルちゃんとあまり関わらなかったのも頷ける。レジーナはその命の性質から個に対する愛に邁進し、対して亜久里は性質上、世界の調和を最優先し、個の感情で世界を破滅へと導くことを決して許さない。
 先述した通り、これはどうしたって結論が出ない。もし自分が国王だったら、アン王女さまであったなら、王としての使命を全うし、肉親殺しの罪を一生背負っただろうと思うのは、きっと自分に子供がいないからであろう。だがこのアニメをメインターゲットの娘さんと一緒に見ている親御さんなら、自分も同じ立場になったなら国王と同じことをすると思う方もいらっしゃるだろう。何せどちらも愛なのだ、どちらかを切り捨てても良いものだろうか。プリキュアであるマナたちが結論づけられるものなのか気にさせてくれるではないか。
 だが割と答えは見えていて、真相を知ったマナは、だったらなおさらふたりを戦わせるわけにはいかない、どうしたらいいかみんなで考えようとするのだ。話はそこから上記したレジーナの所へいって、袂を分かつこととなってしまうわけだが、要するにマナはどちらかを選ぶのはおかしいとしたのだ。きっと方法はあるはずだと。
 まぁ考えてみれは単純な話で、レジーナも、亜久里も、国王も消さない方法はただひとつ。一万年前のプリキュアが封印したとされる闇を浄化すれば良い。そうすれば全てが丸く収まるではないか。ただひとつの問題を残してですが……。
 その問題は以下のコーナーに譲るとして、真相を語るだけのお話で、予告で割と見せちゃっていたので驚きの新事実ということもなかったのですが、設定的には綺麗に回収して、最終目標も見えたし、後は残り3回で綺麗に締めるだけなので、尺的にもけっこうな余裕があると見ていいことを考えると、シリーズ構成は上手く考えられていると言って良いのではないだろうか。
 元に戻ったレジーナが、むしろ真相を知り元に戻ったが故にキングジコチューに付くのは彼女の性質上むしろ自然で、消し去ってはいけない存在であることを示し、誰の命も消さない最終目標を明確にしているし、良く出来た話であったと言える。

今週の我が麗しのマリー・アンジュ王女さま
 今週のマナ大好き六花さんはお休みです。ほぼ過去話だし。
 さて、驚きの新事実はなかったと述べましたが、上記したひとつの問題もそれに関わってくるのです。冒頭に書きましたが、割とサラッとダビィが「もう王女さまが元の姿に戻ることはないビィ」とか言うんですよ。って、ええ~っ!つまり王女さまはご復活遊ばれないというではないか!
 まぁ元々ひとつだったレジーナと亜久里は転生という形で命を得ましたし、御身はアイちゃんとして転生していますからさもありなん。その三つをひとつに掛け合わせて復活!なーんてことはないのですよ。女神転生の三神合体かってぇ話なわけですな。最終的に闇を浄化して、国王的にはひとり娘が三姉妹になりました、的な落とし所なんじゃないかなと思っているんですが、はてさて。
 先のことはともかく、今回の王女さま。先述した件で真琴は、それだけの決意を持って王女さまが決断されたのだと一筋の涙を流すのだが、なるほど。王女さまのお心が知れるというものである。
 ダビィが王女さまのご復活がないと言うまでは、どっちも選べないで結論を先延ばし的な優柔不断さを「それはどうなのかな?」と思ってしまっていたのですが、ご復活されないとなれば、王女さまはそれを分かってしたということとなる。
 つまり、自分という存在がなくなると分かって、どちらの愛も消させないとしたのだ。父を思う個に対しての愛も、人々の笑顔を守る奉仕者としての愛も、どちらも崇高であり、神でもないヒトの子である自分がどちらかを消し去ってしまうことがないよう、御身を犠牲にしてふたつの愛を守ったのだ。そして間際に王女さまは、このような形で過酷な運命を背負わせてしまった自分の不甲斐なさを悔いる。後にふたつに別れたプシュケーが転生し、争うこととなってどっちに転ぶか分からない。今、結論を出せなかった自分を悔いたのだ。しかしどちらも愛なのだから、選べないのが人間というものだ。むしろ、どちらかが消えてしまわないようにと愛の為に自分の存在を投げ打ったのだから、王女さまの深い愛と決意が知れるというものである。
 王女さまはもういないが、いなくなったわけでもない。ピースは揃っているが、形が変わってしまって交わることはない。自分ならきっとこんなことは出来ないだろうと思うと、やはり私の中で、マリー・アンジュ王女さまは最も敬愛すべき存在なのである。
 が……あまりにも惜しいお方だよなぁ。この物語のメインキャラクターで、唯一存在がなくなってしまわれた方になってしまいましたし、EDのキャストに今だ名前が載らないのもどうなんだ。まぁそれは成長したアイちゃんとして、最後に出るのかもしれませんが。はてさて。

今週のまたみてね
 今回のまたみてねは「キュアソードさん」でした。
 ついに後番組ハピネスチャージの番宣も始まりまして、このドキドキ!プリキュアも終わってしまうんだなぁと寂しさを感じずにはいられません。

凪のあすから 第十三話 届かぬゆびさき

2014年01月04日 | 凪のあすから
大きく転がったな。

 そんな今回のお話は…
 家でまなかのことを思い出していた光は、シオシシオに戻った彼女に改めて自分の気持ちを伝える。
 まなかも光に何かを伝えようとするが、「おふねひき…終わったら言うね」と微笑み答えるだけだった……。
 「おふねひき」当日、それは光たちが冬眠する日でもあった。地上の美濱中学校に初めて登校した時と同じように、幼馴染の4人はそろってうろこ様がいる鳴波神社へ挨拶に向かった。 そして、最後は自分たちに進む道を選ばせてくれた大人たちに見送られ、紡やあかりたちの待つ地上へとあがっていくのだった……。
 以上公式のあらすじ。

 お話は、おふねひきしてみたら、とんでもないことになった。という感じ。
 まぁ予告で不穏な空気をかもしていたので何かあるんだろうとは思いましたが、わたくしの予想は見事に外れ、なんにも起こらないと思っていたおふねひきは、うろこ様(と言うか海神様と言うか)の所為(と言うかなんと言うか)で海が荒れ、あかりを海に飲み込もうとした所、替わりにまなかが引き込まれ、あかりを助ける為に飛び込んだ光も上がって来ず、余波で海に落ちた紡と助けに行った要も飲み込み、燦々たる有様ながらも、あかりが浮かんできた所で引っぱった。要するに、まなかは海神様に持っていかれ、光と要は行方不明、唯一無事だったのはちさきだけで、冬眠ということでなく4人はバラバラになってしまった。
 この感想を書くにあたって公式HPを見てみたら、メインビジュアルが差し変わっており、まなかがおらず、光と要は変わってはいないが、美海とさゆ、紡にちさきは成長した姿をしており、どうもちさきはこの事件で海村に戻れなくなってしまった模様。まぁ村に結界(?)のようなものがはられる描写があるので、おそらくはその影響なんだろう。
 ま、先のことはともかく、何も起きないんだろうと思っていたおふねひきで、一気に物語を動かして、割と淡々と流れていた話の様相を一変させたのは上手く、どうしたってこれから先を気にせざるを得ない。また、おふねひきの最中で、みんなが好きな人・大切な人たちと一緒にいたいんだ、という気持ちを見せておいて、そうなればいいなと思わせつつ、それが全く海神様に通じないのが良いではないか。
 海神様なんてものが本当に存在しているのか全く定かではないんだけど、いるとして考えればだ。そんな大きな神的存在からすれば、人間のそんな想いなんざどーでもいーのだ。基本、神様ってのは無慈悲なもんである。みんな一緒だったら良いと強く思っていたメインキャストの4人であったが、結局、冬眠するよりもひどいかたちでバラバラになってしまうという、なんだかよく分からないデカイものへの抗えなさ、人間のちっぽけさや現実の残酷さが感じられ、悲壮感漂うBパートでありましたが見応えがありました。

 それでちょっと気になったのですが、うろこ様は「所詮私は海神様のうろこよ」とか言って、海に大渦を発生させて人ひとり取り込んじゃった格好になったのですが、とすると、端からそのつもりであったということなんですかね。でもあかりがおじょしさまの替わりとなって船に乗るのはけっこう後になって決まったことを考えると、ちょうど都合が良い、ということであったのだろうか。そもそもあかりがおじょしさまをやらなかったとすれば、今回のようなことは起こらなかったのか?
 まぁなんにせよ、なんだかよく分からない海神様は存在しているようで、予定通り事を進めた格好になるわけだが、私としてはどうも海神様の意図がピンとこないんだよなぁ。9話見逃したからか?
 もひとつ気になったのは橋脚である。特にここで描きはしませんでしたが、おそらくは高速道路か何かを作ろうとして途中で泊まっちゃっていたのだと思うけど、この橋脚はこれまでそこかしこで見えるようになっていて気になっていたんですよね。OPにも印象的に出てるし。
 それが今回の大渦で壊れて倒れてしまったということは、この海に突っ立っていた橋脚が問題のひとつだったのではないか、と思ったわけです。じゃなきゃ、こんな意味ありげにわざわざ橋脚見せませんからねー。とか言って、全然物語に絡んで来なかったら恥ずかしいが(笑)。

 その他気になった部分はと言うと要だろうか。
 ちさきと一緒に紡を助けた要であったが、助け出された紡を膝に乗せてぎゅっと抱きしめているちさきを見てハッとするんですよね。そして倒れてきた橋脚を避けようとした船から振り落とされてしまうのだが、その時の彼の表情が微笑していたのを考えると、彼はあきらめてしまったのかのように見える。たぶん、ひかりにも紡にも負けている自分、ちさき的に自分は眼中にない、と思ってしまったのではないか。
 Aパートで「告白したこと覚えてる?」みたいなこと聞いて、ちさきが言われて思い出して、それはあんまりにも悪いので「ちゃんと考えてる」等と誤摩化していたのがフリなのだろうが、でも個人的にあの状況、海に落ちた紡の意識がないわけだから、ちさきが抱きしめていた所で問題ないと思うんだよなぁ。
 だって死んじゃうかもしれないのだから、まぁそういうこともあるよねと自分なら思うし、なにより紡は溺れて意識ないんだから、まず人命第一なことを考えれば、気にするようなことではないだろう。後で思い返してショックを受けるのなら分かるのだが。まぁそれだけちさきのことが好きなのだということなんでしょうが、今ひとつピンとこないのであった。むしろ、要もいなくなってしまったことで、ちさきがひとりぼっちになってしまったことの方が、自分的にはショッキングであった。
 もひとつ。上記したように、当初の予定通り海神様としては海村を冬眠させたかったわけで、今回の出来事は宮司である灯も知らされていないことで、あっさりとうろこ様の謎の力で眠されてしまった。そこから考えると、海神様の祝福的な象徴であるエナがある限り、海の人たちは海神様の影響を受けてしまうと考えて良いのだろう。とすれば、冬眠もそういうことなのではなかろうか。
 エナを纏うものの生態的な何かでなくて、海神様的に海もなんかおかしいし人口の減る一方なので、おまいらちょっと冬眠でもしてろや、ということのような気がします。だとすると、海の人たちは随分と海神様に翻弄(?)されていることになりますなぁ。というか、エナって水中で自由に行動できる利点はあるものの、陸に上がって放っとけば干上がってしまうし、上記仮説が正しければ、なんだかよく分からない海神様に良いようにされてしまうしで、むしろデメリットの方が多い気がするなぁ。そもそもなんで海の人たちがいるんでしょうねぇ。伝承的には元々人は海にいて、陸に上がって行ったんだっけか?その辺の伝承の説明って見ていない9話であったのか?ああ、なんで録画重なったよ!(チェックしない自分が悪いのだが)

 ともあれ、一波乱あって物語としてはおもしろくなってきました。というか、ちさきがなんか可哀想なんですけど。
 上記しました公式のメインビジュアルからすると、美海とさゆが中学の制服着ているので、3、4年くらい時間が飛びそうですが、はてさて、どうなりますやら。