(TxT)<戯れ言ですよ

とみーのにっき&おえかきちょう

ドキドキ!プリキュア 第49話 あなたに届け!マイスイートハート!

2014年01月26日 | ドキドキ!プリキュア
パルテノンモードは何か意味あったんですかね?

 そんな今回のお話は…
 ついにキングジコチューを倒したプリキュアたち。トランプ王国の王様も助けることができて、人間界も守ることができた。これで平和な日々が戻ってくる…!
 ところが、シャルルにはまだ、“闇の鼓動”が聞こえてくる。一体どこから・・・?
 そこにいたのは、伝説の戦士・キュアエンプレスでも倒せなかった最強のジコチュー、プロトジコチュー!
 「この世を再び、闇で覆い尽くす!」
 そんなこと、絶対ににダメ!!マナたちはプリキュアに変身!レジーナも力を合わせて、プリキュア最後の戦いが始まる…!
 以上公式のあらすじ。

 お話は、まぁ最強のジコチュー、プロトジコチューとやらを浄化してエピローグですわな。そんなわけなのでお話云々に某はない。
 前回引っぱったベールは逆に取り込まれる格好になって、最強のジコチュー、プロトジコチューが登場する。1万年前のプリキュアが三種の神器を擁しても封印するに止まった的であることを示しますが、まぁそんなんはここへ至って浄化せんでどうするという話なので、展開的にもはやここに書く意味は無い。
 そんな中、わたくしとしましては興味深い点がありまして、まず、全てを消し去って全宇宙を支配する、とするプロトジコチューに対してのキュアハートの反論。
 彼女の論理を要約すると、誰も居なくなったらジコチューはジコチューでいられなくなる。というもの。正直、言われて初めて「あ、そうか」と思いましたよ。
 わがまま放題し放題は、誰かがいて成り立つことなので、ジコチューの存在はジコチューじゃない者がいて初めて存在し得るのだ。まぁつまるところ、プロトジコチューのやろうとしていることは、自己否定になってしまう矛盾が出てきてしまったのだ。
 そこだけ見ると、スイートプリキュア♪のラスボス「ノイズ」みたいですが、ノイズは自分が人間の負の感情の固まりであることを嫌い、人間を石化し感情の必要性を無くして、全てが静寂に包まれ感情がなくし、忌むべき自分の存在を消すことが目的であった。だがこのプロトジコチューはノイズほど考えてはいないようで、どちらかというともっと単純なのだ。
 自分のしていることが自己否定に繋がることなんて全く考えていなかったようで、要はやりたい放題したいだけなのだ。そう考えると、欲求や欲望の権化、みたいなモノだったのではなかろうか。
 そこからマナの論理をすりあわせて、最終的に彼が浄化されたことを踏まえて考えてみる。
 自分の好きなようにやってしまえば、当然他人から敬遠されることとなってしまって結局ひとりになってしまう。マナの論理にあるように、誰かがいないとジコチューはジコチュー足り得ないので、またよそへ行って同じ事しての繰り返しとなる。ということはだ。ジコチューは他人を欲しているということにならないだろうか。
 そこで今回のキュアハートことマナを見てみよう。彼女はプロトジコチューにプシュケーを黒く染められて抜き取られてしまうのだが、マナのプシュケーはすぐさまピンクに染まり直し、何度ジャネジーを送り込んでも黒くは染まらずマナの元へ還っていく。そして浄化直前、プロトジコチューは人間の我が侭な心がある限り、自分は何度でも蘇るとすると、マナはそれを分かると言うのだ。自分にもそういう気持ちがあるのだと。マナのプシュケーが黒く染まったままでいなかったということは、そういう負の部分を否定せず、受け入れて、全てを含めて愛しているのだ。そして、たとえ愛を見失ったとしても、自分には仲間がいて、支え合っているから絶対何度でも立ち向かう。とすると、プロトジコチューはついに浄化されてしまう。
 どこが浄化されるポイントなのか、今ひとつピンとこなかったのだけど、この感想を書くにあたって上記を考えてみた所、ジコチューは誰かがいないと存在足り得ない、しかし消えた所で人間の中にあって何度だって蘇る。マナはそれで良いと存在自体を肯定し、あなたが欲望を完結してひとりぼっちにならないように、何度だってあなたの前に立ちはだかって、みんなもジコチューも守るとした。つまりプロトジコチューでさえも、マナは愛したのだ。
 妬みも、そねみも、つらく苦しい思いも全て自分の中にあって全部分かる。だから何度だって自分と、みんなで受け止めてあげる。としたのだ。上記したようにジコチューが他人を欲しているのであらば、これほど嬉しいこともないだろう。
 
 と、この最終決戦は、説明的な部分がほとんど無く、自分なりに解釈してみたら、こんなふうになりましたが、どうでしょう?
 まぁ解釈は人それぞれなのでこれくらいにしておきまして、物語的な盛り上がりとしては、アクション大好きなわたくしとしては、もっとガチンコでやり合ってくれた方がおもしろかったのですが、最終的に愛して終わるのであらば、あんまりガチで戦闘できないってのはありますわな。
 あと、冒頭にも書きましたが、キュアハートパルテノンモードになった意味が今ひとつ無い。せっかく5人とレジーナがいるんだから、みんなでなんとかしてなんぼだと思うんですよねー。みんなの思いをひとつにしてという意味であったならば、なおさらみんなで戦った方がそれっぽい気もしますし。最後は主役が決めるということでもあるんでしょうが、私としては、プリキュアの魅力はチーム力だと思うので、その辺がちょっと残念であった。

 さて、浄化したら後はエピローグですが、その前に忘れてはならないように我が麗しのアン王女さまについて触れておりました。
 ちょっと前の感想にも書きましたが、この物語で唯一存在がなくなってしまわれただけに、しっかりと決着は付けておかねばなりませんものね。まぁメインターゲットの皆さまはその辺どーでもいーのかもしれませんが、物語としては綺麗に収めておかなければならない。
 結局は、アン王女の存在を犠牲にしなければ丸く収まらなかったわけで、けれど2つに分った心は亜久里とレジーナというふたつの命に転生し、王女の命その物はアイちゃんとなって、いなくなったけれどいなくなったわけでもないという、以前の感想に書いた通りになりました。ああ、でも真琴としてはけっこうつらいよなぁ。納得はしたであろうけど。でもあれかな、アイちゃんを猫可愛がりして成長を楽しみにしてそうなので、良いのかな(笑)。

 エピローグとしましては、4月になって進級し、どうもレジーナは12歳だったようで(亜久里と同い年じゃないんだ)大貝第一中学へ入学、国王は引退し、キングジコチューが開けた穴はそのまま残ってトランプ王国と自由に行き来できるようになり、気障男ジョー岡田がトランプ共和国の初代大統領に就任(国王が引退し王制ではなくなった為。おそらくは責任を取ったのだろう)、真琴は異世界の歌姫として世界中で大ブレイク、そしてプリキュアとしての存在を知られてしまったマナたちは……今もプリキュアとして総理大臣から頼りにされるくらいがんばってます。という感じになりました。
 まだプリキュアやってまーす!という終わり方は初めてですね。まぁ相田マナという人間を考えれば、それはアリのような気がします。でも、プリキュアって何歳までやってられるんですかね。コスチュームが入らなくなるまで?(笑)

 最後なので全体的な感想としましては、いやもう随分と楽しませていただきました。
 物語としては、割と中盤でダレる4クールの長丁場なんですけど、これまでのシリーズに無い、いくつかの章で分けて物語の興味を最後まで引っぱっていたと思います。亜久里、レジーナ、王女さま、キングジコチューの関係の情報をちょいちょい出していって、最終的にちゃんと見事にまとめたのだから見事なシリーズ構成だったのではなかろうか。
 お話としても、キャラクターの心情がよく表れていて、キャラクターをひとりの人間として感情移入してみることが出来ました。個人的には六花さん話が秀逸。特には1クール辺りのお話はとても見応えがあったのは、その辺の感想を見ていただければ分かる通りであります。やっぱり「あぁ、こういうことなんだな」と見て取れる、キャラクターが考えていることが分かることは重要で、それがあって初めてキャラクターの人となりが分かるというものである。
 そういった中で、キャラクターたちの関係性が見えてきて、画面に映らない部分を想像できるもので、想像できるということは、それだけの情報があってお話に無い部分を自分で想像し楽しんでいるということなので、やはり楽しませていただいたという他無い。
 キャラクターの話になったのでその話をしますと、心情がよく分かるようになっているので、それが分かるとちょっとした台詞や仕草にらしさが見えてくる。それが積み重なって人物を形成していき確固たるキャラクターとなっていて、このドキドキ!プリキュアのメインキャラクターたちは活き活きしていたように思います。個人的にはもうちょっと、レジーナと亜久里を突っ込んでも良かったかなーとは思いますが、マナ・六花さん・ありす・真琴の4人は、彼女らがずっとキャイキャイしているのを眺めていたいくらい良い関係性を見せてくれて気持ちが良かった。見ていてこの4人は本当に親友なんだなーという気がするのです。

 良いことばかりなのもなんなのでちょっと残念な点も。
 いつかの感想にも書きましたが、派手さに欠けるということがます挙げられる。アクションシーンで目を見張るような所はほぼ無かったし、バンク技は迫力に欠けるし、熱いバーニングハート的な所もあんまりないですしねー。そういう意味ではカッコ良さが無いと言っても良いのかもしれません。
 最後まで見てみれば、基本的に「愛する」ことがテーマであるし、主役のマナ的にも、悪いヤツをぶっ飛ばすぜー!みたいになっちゃうのもおかしいので仕方なかったのだろうとは思いますが、どこかに特化した部分があって欲しかったように思います。例えば「愛」がテーマなんだから、どこかでこれはどうしても泣いちゃうだろ、というような泣かせ所があったりだとかの、物語の中での大きな抑揚があって欲しかった。どこか中庸、というような印象があるのはもったいない。
 あと、とても気になっているのは主役のマナである。彼女の行動原理が語られなかったのは残念至極だ。
 一応は、映画の方で補完している格好にはなって入るのだけど、それがちょっと弱いんですよね。おばあちゃんは確かにマナを形成するひとつではあるんですけど、1万年前に世界を恐怖に陥れた闇を愛しちゃうくらいなんだから、もっと強烈なインパクトをマナに与えた何かがあったはずなんですよ。それが分からないから、私の中でマナが一番影が薄い(プリキュア4人の中での話)。
 他のみんなは性格を形成するバックボーンが語られているので、その行動に疑問をもたないのだけど、マナの善行は背景が語られていないので、愛が深いことは分かっても、なんでそうまでするのかが見えてこない。まぁ要するに理由が見つけられないので、私の中でマナは、なんだかよく分からないけれど愛を振りまく人になってしまっている。
 主役らしくいつも中心で、みんなをグイグイ引っぱって、精神的にもチームの支柱なのだから、「なるほど。これがあったからこその相田マナか!」と思わせる何かを語って欲しかったなぁ。

 まぁそういう難点はありはしましたが、マナを始めとするキャラクターたちの人となりが読み取れ台詞や行動が腑に落ちるし、そういった中でトランプ王国で起こった騒動を絡ませつつ、伝説の戦士プリキュアとなった少女たちの愛と友情と成長の物語とお話は本当に楽しく見た。毎週彼女らがどんなことをしてくれるのかなーと楽しみでしたよ。
 派手さが無いので勧善懲悪みたいなのを期待していると、退屈に感じるかもしれませんが、むしろそっちではなく、マナたちがどういうことを考えて、どういうことに気付き、どういう想いでいるのかなーと考え、読み解きながら彼女たちという人物を楽しんだ方が、この物語をより楽しめるのではないでしょうか。


今週のマナ大好き六花さん
 最終決戦では特に某ありませんでしたが、エピローグでは中3になって受験勉強に勤しんでおられました。趣味の競技カルタは捨てずに続けていらっしゃるようでなにより。
 44話でありましたように、六花さんのことですから、高校はマナとは違う道を選ぶんでしょうねぇ。きっと来年の卒業式とかボロボロ泣いちゃうんだろうなぁ。とか思ったり。
 ああ、でも一緒にプリキュア続けているし、家もすぐ側なので泣くこともないのかな。ってゆーか、別の高校になったら六花さんの心配事は増えるでしょうねぇ。何せマナはあのジゴロっぷりですから。
 「また違う女を友達と称して連れてきたーっ!もうっいったい何人いるのよーっ!!」とかになりそう(笑)。

今週のまたみてね
 最後のまたみてねは「マナ・六花さん・ありす・真琴・亜久里・レジーナ・アイちゃん・シャルル・ラケル・ランス・ダビィでありがとう」でした。
 キャラデザ高橋晃さんの書き下ろしイラストです。みんな集合のスナップ写真みたいで可愛い。