よむよま

よむ・よまない、それから。

母の子育て日記

2017-07-01 19:25:14 | 雑記
私は今年ずっと実家の大整理中なのである。
今年はじめに母が90歳で亡くなり、それでずーっと、少しずつあれこれ片付け作業が続いている。
不用品回収も2回来てもらった。もう一回か2回は来てもらう予定。
寄付に出せるものは段ボール20個は出した。
いままた8個、箱詰めが終わったところ。
着物など買取に来てもらったものもある。
たぶんかなり片づいているはずなのだが、ちっとも片づいた気がしない。
我が家は(古いけれど)非常にきれいで、
ゴミ屋敷とは無縁。
この家の主婦だった母がものすごくきれい好きで几帳面でまじめな性格、
戦争、戦後を生きてきたわけだから、モノのない時代を知っているので、
モノは捨てません。
きちんときれいに包装して、何でも取ってある。
何でもしまってある。
一部屋の押入れ、物入れを片っ端から開けて、中のものを全部出し、中身を調べ、回収・寄付・廃棄と分けて、
「あ、ここはまだ見てない、何か入ってるのかな?」と開けてみると、
必ず何か入っている。絶対何か入っているのだ。
「・・・あ~、ここにもなんか入ってるよ・・・」と作業は続く。

今日見つけたのは、革の箱に入った日記帳。
「子育て日記」とある。つまり私を生んで育てている時の日記だ。
生んだ直後はほぼ毎日のように、後はだんだん間があくようになって、
小学校に入ったあとは飛び飛びになって、それでも6年生ぐらいまであった。
読んだ。
捨てたものか、記念に取っておいたほうがいいか考えながら読み始めたが、
苦労してるわ、母。
幼児期は成長に関する苦労はあっても「可愛い可愛い」の連発なんだけど、
反抗期(?)あたりから、この子はヒネクレてると(父も)言い出してて、
そういう父にも母は不満だし、「この子はパパに似てきた」と吐き出している。
「ウチは気難しいパパとこの子のために振り回されてる」と。
自分も、良い子に育てようと思うあまり抑圧しすぎたかもしれないと反省もしつつ。

家族ほど難しい人間関係はない、と、私は若いころから思っていたんだけど、
これを読んだら、しょうがないかなと思ったり。
自分が覚えている母の印象と違っていたり。
父に関してもそう。

アルバムの整理も大変なんだけど、これがまた、自分が覚えている母と違うのだ、
中年期(最も私が一緒にいた時期)の母が。
そのころの写真を見て、え?と思ってしまった。
自分の写真を見ても、え?と思ったのだが。
自分が自分として覚えている自分とちょっと違うの。
なんでだろう?

我が家の歴史の整理はまだまだ続く。
コメント
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