フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

2018-06-30 22:24:59 | Weblog
テレビを見ていて、番組の途中で緊張感のある音とともに気象情報が伝えられることがあります。その中で雷情報は私の苦手な情報のひとつです。子供の頃に雷によって私のこうもり傘が裂かれてしまったトラウマがあるからです。ですから、窓の外がぴかぴか光るとカーテンを閉めてしまいます。
昔、算数で教わりました。ピカッと光ってから、雷の音が聞こえるまでの秒数をはかり、その秒数に340メートルを掛けると雷の現在地がわかります。その計算によって何キロ先に雷があると理解したり、不安になったりしたものです。
早くも梅雨明けした地方がありますが、これから雷の季節です。桑原桑原です。

ライフワーク

2018-06-29 23:59:31 | Weblog
貴方のライフワークはなんですか?多くの人達は、今している仕事がライフワークと答えるかも知れませんね。いや、そう答えることが出来る人は幸せなことですね。
私のライフワークというとどう答えるでしょうか。昔は「人と出会うこと」と答えたものですがね。何故ならば、人と出会うことによって得るものは、まさに宝ものだからです。沢山の人達との出会いによって色んなことを学びました。決して読書から得られないものばかりです。
ある人の言葉で今も印象に残っていることがあります。それは「元気をだす方法」です。「元気をだすには、語尾を少し上げるといい」ということです。
このように人との出会いには、様々な恩恵を受けることができます。逆に言えば、自分が相手にとって出会っても良かった人物かどうかをいつも胸に刻んでおく必要がありそうです。

日本の道徳心

2018-06-28 23:33:17 | Weblog
今回のサッカーワールドカップの番外編で話題になっているのが日本人の試合後のごみ拾いです。前回のオリンピックで話題になりましたね。こうした動きに追随するように、他の国々のサポーターも、試合後袋にごみを拾い集めるようになったのです。
そういえば、ボランティアという言葉が日本で広まったのも、日本人の動きからです。ボランティアという言葉が日本社会で芽吹いたのは、内戦でカンボジアから大量の難民がタイに流出したのが1979年。その際に日本から駆けつけた若者や、タイ在住の邦人が飢餓が広がる難民キャンプでボランティアを始めました。この様子を各メディアが連日取り上げたことがきっかけになり、日本でもボランティアが色んな場所で根付いたものです。
こうして助け合いの心が誇るべきソーシャルキャピタル(社会的資本)になっていくのです。

広瀬淡窓

2018-06-27 18:57:12 | Weblog
タイトルの「広瀬淡窓」というのは、江戸時代の儒学者で塾を開いていました。弟子には大村益次郎、高野長英らがいます。自分で考えるのをやめるな。がメインの主張でもあります。「鋭きも鈍きも共に捨てがたし、錐と槌とに使いわけなば」とも言っています。それは、人にはそれぞれ与えられた使命がある。それだけに自分を信じること。それは、本当に幸せな感覚であるというものです。
この淡窓の特徴は、次のことによく表れています。それは淡窓の塾に入門する際、「三奪法」を口にしています。何を奪うのかと言うと「身分」「学歴」「年令」の三つです。私は、三つ目の年令に注目します。つまりいくつになってからも学ぼうという意慾があれば受け入れるというものですね。
人間は、つい老年令になると、自分で年令の壁を作ってしまいます。この考えを改めるのが必要です。

子供の頃

2018-06-26 22:15:22 | Weblog
日本の90歳以上の人口は120万人を超えています。「人生100年社会」に突入しました。現役時代は会社や周囲が仕事や責任という荷物を背負う時代です。しかし、歳を取ってからの心構えとして晩年ぐらいは周囲に気を使わず、自由に生きて見てもよいだろう。もう、何年も前になるだろう。まだ体力が気力を上回っていたのは。
せっかくこの世に生まれてきたのだから、残りの人生を有意義に過ごさないのは勿体ないので体力も衰えるままにしていてはいけません。お金に関しても自分が心から楽しめることには使ってみてもよいですね。その算段をするのは当然ですね。
子供の頃は声をあげて泣けばすんだものです。誰かが手を差しのべてくれたものです。大人になることは、自分がひとりだと知ることなのかも知れませんね。

サッカー

2018-06-25 23:49:08 | Weblog
サッカーというスポーツは、特にワールドカップでは一試合一試合、日本人の心を震わせ、日本が誇るスポーツ文化に成長しました。日本人がゲーム中、まさにひとつになった感があります。
野球には「あと一球、あと一球」という言葉があります。球場内がひとつになる瞬間があります。サッカーの場合は、そのゲーム中がひとつになっています。勝った時、負けた時の毀誉褒貶は凄いものがあります。
それだけにチームを率いる監督に対する圧力は相当なものです。
サッカーの明言に「勝利はすべて国民のもの、敗戦は監督一人の責任」さらには「監督には2通りしかいない、クビになった監督とこれからクビになる監督だ」があります。
西野監督は急遽登板した監督、果たしてワールドカップ終了後どんな評価がされるのでしょう。

値上げ

2018-06-24 23:22:42 | Weblog
先日郵便局へ行ったら、局員から暑中見舞い用のハガキ(かもめーる)は必要ありませんか?と尋ねられました。こちらは年賀状より需要は少ないようです。こんなことを考えていたら、笑い話を思い出しました。「郵便はがき」の話しです。10円値上げされたわけですが、最近はがきを数枚買ってきた妻に夫が怒鳴ります。「どうして値上げ前に買っておかないんだ」と。
さて、最近は、連絡は全てメールか電話で行っています。めったにはがきを書きませんね。しかし自宅に帰ったら友人から近況を報告するはがきがきていたら嬉しいものです。こんなに嬉しいアイテムをどうしてもっと利用しないのでしょうか。メールや電話と違って、一段と心に沁みます。やはり手紙を書く間、ずっと相手の顔をイメージしているので伝わり方が違うのです。普段から、書くことに気を配りたいですね。

思い出の曲

2018-06-23 22:43:57 | Weblog
どの歌謡曲の番組にも、思い出の曲をリクエストしてもらうコーナーがあります。
人生の思い出の側には必ず音楽があります。初デートの際にカーラジオから流れていた曲、初めて買って貰ったレコード、思い出の曲はさまざまにあります。私にもあります。まだ子供の頃、西の空を真っ赤に染めながら眩しい太陽がだんだん沈んでいきます。あたりはすっかり暗くなって東の空には一番星が輝いてそれを見た時に「夕焼け空が真っ赤っか」という三橋美智也の歌声が聴こえてきたことがあります。たぶん「夕焼けトンビ」という曲だった と思いますが、この曲は私の思い出の曲のひとつです。その時から何十年たっても忘れることはありません。音楽の持つ素晴らしい力です。
同じような光景に出会ったときにも甦るのが思い出の曲です。

敗者

2018-06-22 23:09:45 | Weblog
サッカーのワールドカップたけなわです。戦い終わって悲喜こもごもの話題が溢れています。かつてラグビーの前日本代表ヘッドコーチをつとめたエディージョーンズさんが「日本人は敗者に注目しすぎる。テレビも負けたチームをすぐ映す」と言っていますが、今回のサッカーでは、日本に破れたコロンビアの選手が大変なことになっているようです。つまり、日本とコロンビア戦が始まって直ぐに、ハンドの反則を犯し、一発退場となった選手に殺人予告がされているのです。
勝ち負けの世界では、勝ち、負けは必ずあります。負けに悔いを残す人こそをいとおしく思うのが日本人が敗者に注目する理由なんです。しかし今回のコロンビアの選手に対する扱いは
脅迫に過ぎません。これはスポーツを冒涜でしかありませんね。

富士山

2018-06-21 23:47:18 | Weblog
かつての笑い話に「 富士山のようなみんなに見上げられるような人になりたい。」「近くによったら石ころだらけ」があります。確かに遠くから、仰ぎ見ると富士山は本当に素晴らしいです。富士山に関する余談をひとつ。富士山の所有権ですが、8号目から上は神社の富士山本宮、浅間大社の敷地です。
富士山は霊峰としての清らかで冒しがたい神聖性も評価されて「世界遺産」になりました。この世界遺産に指定されたことで、俗化がドンドン進んでいくという矛盾を抱えることになりました。こうした傾向が続けば、俗世間を忘れたいと登ってみたらそこは下界よりもさらに俗な世界になっていたのでは、笑うに笑えないですね。
その富士山も梅雨時には、その姿を見ることが出来にくくなります。外国人観光客が増えている日本の象徴を来日中に見て貰えないのは、残念なことですね。