霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「さとり世代」といわれる若者

2013年05月25日 | 心霊現象
さとり、つまり「悟り」とは老人の専売特許かと思っていたら、今の「若者」の特許らしい。
その若い「みそら」で、何を悟ったというのだろうか・・・。
とある週刊誌を読みながら、だんだん合点がいってきた。
そこで説明されていた事は、元来の「悟り」とは程遠い、むしろ「諦め・挫折」の人生を言っていた。
彼らの目標は「そこそこの人生」だった。
「そこそこ」って、どこまでをいい、何を目指すのか?・・・。
冒険もしない、夢を追わない、摩擦もおこさないetc・・・。それって、最初から諦めた、闘わない人生をいうだけの話ではないか。
ある適当なところで「線」を引く。その囲いの中での「安心・安全なる人生」を生きる。
それをこれからの長い、未知なる我が人生に「その先」を見たいとは思わないのだろうか。
闘ってでも勝ち取るものは、ないのか・・・。そうだ、きっと「無い」のだろう。

だって、彼らの世代の「運動会」にしてそうだ。
順序をつけるのが「差別」とばかりに「かけっこ」をしても一等も二等もない。みーんな同じ。
そんなところから、死にもの狂いで勝つ意味も喜びもあるわけがない。
どうせ「がんばって」走ったところで結果は同じものが待っている。そんなところからは夢も希望も喜びも味わうことはない。
彼ら「さとり世代」をつくったのは、まさしく大人たちだ。
闘って闘って生きても、何も残らなかった人生よりも、そこそこの人生が手に入ればそれでいいではないか・・・。ひょっとして、そんな「腑抜けた大人」の人生観がそうさせたのではないか?
若者は、親の背中を見なくなったのか?。そうかもしれない。
父ちゃんが、家にいること自体不自然だった過去のあの時代。汗を流して臭くなって家へ帰ってくるのが「いいお父さん」だった。泥だらけでもいい、大工道具を抱えてもいい、ちょっと酒臭くてもいい。みんな「働くお父さん」の姿だった。
今のお父さんは、汗臭くないだろう。子供に嫌われる?。ましてや泥などつけて帰らないだろう。
奥さんに叱られる?。さらに酒など飲んで帰ろうものなら、玄関先で締め出しを食うかもしれない。
「健全な家庭」が、判を押したように「ひな形」のように示される世の中に、そこから「はみ出た家庭」など想像も希望もしないだろう・・・。

彼ら若者もきっと「悟った」のだ。彼らなりに「自分の将来・人生・家庭」の在り様を・・・。
もしそうだとしたら、可哀そうに!。あまりにももったいない人生ではないか!。
一回ぽっきりの「今生の人生」。自分だけの他人には決してない特性を生かそうとは思わないか・・・。
その特性を探そうとは、思わないか?
それが「天上天下唯我独尊」であることを、親は教えるべきである。それをこそ追求し、我が人生を生きてこその神が一人に一つづつ与えた「天稟(てんぴん)」であり「神性」である。
それを探す旅が「人の巣立ち」ともいえる。(親が教えてくれれば、別であるが)

就職や結婚相手をさがすこと、つまり「就活」や「婚活」は二の次である。
自分を知らずして、何が始まるというのか・・・。だから探し当てるまでは転職し続けることは仕方がない。
しかし、結婚は一度したら「霊界の仕組み」の中に組み込まれる。血統という見えない世界で、歴史の清算者にもなりうる。縁を結ぶのは一回で終わりたい。
自分が何者であるかを知っての婚姻をお勧めする。順番はそれが妥当である。
不安定な土台からは、所詮不安定な将来しか見えてこない。
ブーイングを覚悟で言わせていただければ、「自分を知り」「確率した自分」を見出す『悟り』をこそ出発点として、人生を闘っていただきたい。
土台、つまり自分が何者であるかという「しっかりした」ものの上にたってのことであれば、夢も冒険も勝負も人生につきものであれば、覚悟して進んでいかれると思いたい。

若者が『悟る』のは、「今」であり、その内容は「自分は何者か」という問いを続けることである。


さあ、「さとり世代」といわれる若者よ、順序が逆だっただけのことだ。
先はまだまだ、ずーっと長く続いている。今これから本気で悟ればいい。
もう一つの「さとり」は、年寄に任せておけばいい。我々の世代が、しっかりと受け取りましょう。
知らなければならないことも山ほどある。
実際に経験しなければならないことも、山ほどある。
人の心を結ぶものに、実際経験しなければならないものもある。
酷な事でも、「それ」を経験したがゆえに、結ばれる魂もある。
きれいごとの人生より、深く人の情に染み入る経験者としての人生もある。
それは全て、死後の「あの世」にこそ、その価値を発揮してくれる「あなた」の財産となる。


さあ、どっちを選ぶかはあなた次第です。
クラーク博士も言ったではないか、「ボーイズ、ビー、アンビシャス」と。
名言は時代をこえ、世代を超えて、色あせることなく「永遠」に語り継がれる特性をもつのですねぇ~。