霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

将来は「虫」を食べる?

2013年05月21日 | 心霊現象
先日5月18日の「天声人語」に、こんな事が載っていました。
「虫酸が走る」の語源から始まって、将来は虫を食べて命を繋ぐ時がくる話になり、地球上の人口爆発が末恐ろしい未来像として頭をよぎるところまで示唆されると、「どうしょう・・・」と思い悩むことになります。
日本では少子化で、このままいけば西暦3000年には日本の人口は「ゼロ」になるという。
虫を食べる話など、どこの国の話かと思うくらい現実味のない話題に、最終的には危機感すら覚えて、遠い昔、「いなご」を食べた時代を思い浮かべる私でございます。

さあ皆さまも、一時そんな気分にひたっていただきましょうか・・・。

 『「虫酸が走る」という表現について、いささか勘違いをしていた。
  体をムカデが這(は)うような不快感を思い描いていたが、虫酸(むしず)とは胃から上がってくる酸っ  ぱい液だという。つまり胸がむかむかするほどの不快感、が正しいそうだ。
  昆虫を将来の食糧にできないか、という報告書をこのほど国連の機関がまとめた。
  現在70億人の世界の人口は、2050年までに90億人を超すと見込まれる。
  爆発的に増える人類を養う一手として、「昆虫食」に目を向けるよう促す内容だ。
  虫酸が走る方もおられようか。
  だが世界ではアジアやアフリカ、中南米などの20億人が虫を食べ、1900種以上が胃袋に収まってい  る。
  報告書によれば、栄養たっぷり健康的な食用資源という。
  そういえば先の週刊朝日で、日本料理の道場六三郎さんが昆虫料理を作っていた。「焼き竹の子とカミキ  リムシ幼虫の素焼き」など6品、見た目は乙(おつ)だ。
  「食材として十分使える」と名人は合点したようである。
  江戸期の文献を見ても、例えばイナゴを「あぶって食べれば甘美で小えびのよう」とほめている。
  その佃煮あたりが入門編か。
  イモムシや甲虫(カブトムシ)は、さすがに少々ハードルが高い。飢えのためか好奇心か、ご先祖様はな  んでも食べてきた。
  いま農地は疲弊し、海は枯渇が心配されている。人類は虫に救われるのだろうか。
  ありがたいような、怖いような 』


と、いよいよ国連機関が地球上の人類を救うべく、「虫食」を促していると・・・。
飽食の日本人は、想像すら出来ない。しかし、「今は」という話である。
私とほぼ同じ世代の方は、「いなごの佃煮」など、朝飯前だった。
文字通り、朝ごはんの食卓にそれがのる。
いなごの調達は簡単である。ちょっと外へ出て一回りすれば、大きな袋にいっぱいとれた。(田んぼがある田舎ではね)
それを煮立ったお湯で茹でたら、油で炒って醤油と砂糖で甘辛くすればいい。
「いなごの佃煮」の一丁上がりである。高タンパク、高カルシュームの食材としてあの当時(昭和22、3年ころ)はどこの家もありがたくいただいたものである。
ご存じない方のほうが多い昨今であれば、食べ方もお教えしないと・・ね。
いなごの足は「のこぎり」のようになっているため、時々口を切る。それさえ気を付けさえすれば、それこそ
「乙・おつ」な食材である。(私は足よりも、あの羽のほうが嫌いだった)

こんな思い出に浸る間もないほど、めまぐるしく日本の食文化は変貌を遂げてきた。
とうとうその先に見えてきたのが、あの「いなご」とは・・・。
これを「進化」とはいうまい。苦肉の策である。
人間の体で怖いところは、「口・舌」だと言った人もいる。
一度知った「味・美食」は、もはや元に戻すことは不可能だということでもある。
どうせ「虫」を食うのは、アジアか南米かアフリカでしょう。私達日本人は大丈夫、といっていられるのは、いつまでの話か?


と、そういっているうちにまた世界は変わっていく。
これからの農業は「スマートアグリ」(方式?)が考えられるそうな。
すべてをコンピューターで管理する。つまり野菜作りに長さ7キロメートルの「ハウス」が続く。
500個の項目で管理されるこれからの「農業」は、文字通り「革命」のさ中にある。
日本における農業も、後継者がいないとか、高齢者ばかりの現状をみて今後は「革命」の方向にあるという。
農業は自然との闘いだ、などといっていた時代は去っていくのだろうか。
ハウスの中で、500にも及ぶ管理項目を与えられ、コンピューターが間断なく見届ける「作物」の味は、いったいどんな味がするのだろうか。
自然の恵みならぬ「文明の利器の恵み」は、今後人類に飢えをなくしながらも、どんな「味気なさ」を残すのか少しばかりの危惧があるのは、私だけだろうか・・・。
太陽の恵みを受けなくてもいい「甘い果物」。
ほどよい風にさらさなくてもよい野菜などなど・・・。


「新潟の魚沼産のこしひかり」、最もおいしいと「今」は言われているこの「ブランド米」さえも、いずれコンピューターで簡単にむしろそれ以上においしい物として、提供されていく時代がそこまで来ているとしたら・・・。
私はその「お米」(コンピューター米)を一度でいい、食べてから「あの世」へいきたく思います。
もちろん「冥土の土産ばなし」のためにです~。