霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

赤貧とは・・・『梅田雲浜』の場合

2013年04月30日 | 心霊現象
赤貧(せきひん)って、日常あまり聞かない言葉でもあり何のことか分からないでしょうね。
そういう私も、これが「赤貧」ですよという現実の生活に、身を置いたことが、きっと多分ないだろうと思われます。
そこそこの生活。これが一般人の了解した今の生活ではないかと・・・。
どこまでの貧乏を言うかは、「梅田雲浜」の生活をもって知るということにもなるが。
ではその「梅田雲浜」って、誰?ということになり、それによって赤貧を知ることにもなると・・・。
私の頭の中では「この二つ」が、双子のようについて廻るのです。
そしてこの人物は、あの右翼の一人「大場俊賢氏」が尊敬する一人でもあったのです。
文武両道とばかりに、私に「右翼思想」と「剣道」を教えながら、日本にはこんな人物がいたのだということを、氏は事ある度に熱っぽく語っていたものです。

「うめだうんぴん」と読む。本名は「梅田源二郎」。
妻の名は「信子(しんこ)」という。

 妻臥病牀  児叫飢
 挺身直欲  当戊夷
 即今死別  与生別
 唯有皇天  后土知

「梅田雲浜」が書いたものである。
彼はこのような思いを綴っているのだ。

『妻は病床にあり 子は飢えに泣いている
 そして私は 今身を挺して 外夷に当たろうとするのだ
 妻と子は死ぬかもしれない よし今死ぬのをまぬがれたところで
 わたしたちは別れなければならぬ
 私には ただ天皇のしろしめす この土地を守ることだけがあるのだ』

ある日、梅田家にお客が来た。
金がない。すぐさま妻の信子は「出かけて、すぐ帰ります」と声をかけた。
まもなく信子の手料理がふるまわれ、夫雲浜と客の「話」に花が咲く。
酔いがまわってきたころ、信子が声をかけた。
「おなぐさみに、琴の音でもいかがでしょうか」と。
客の拍手を合図に、隣の部屋から琴の音が聞こえてきた。
始める前に、信子が言った言葉があった。
「途中でふすまは開けないでくださいましね~」と、。
客が帰るまで妻信子は、部屋から出てこなかった。
満足して帰った客を見送りながら、雲浜の目から涙がにじんでいた。
「すまない!信子!」。小走りにふすまを開ける雲浜の目に飛び込んだのは、つぎはぎだらけの浴衣一枚で
琴の前で座り続けている妻、信子の姿だった。
こうしていつも客のために、質屋へ行っては自分の着物を無くしていく妻を、いつまで見続けろというのか・・・。
「志」が、重くのしかかる雲浜の赤貧の生活ぶりである。


その後、この家庭はどうなったのだろう・・・。(詳しくは検索されたし)

今は「赤貧」と「梅田雲浜」を心に入れてくださればいい。
「皇国の興廃は、この一戦にあり」として、死んで行った人もいた。
このような、今の時代「右翼」とよばれている人達は、こうも熱い魂で「日本」あるいは「天皇」を見つめていたということは、覚えておいていただきたい。これもまさしく日本が持つまぎれもない「歴史の事実」であるから・・・。
彼らの志や魂は、もはや顧(かえり)みられずに現在にいたっている。

日本を護る「バックボーン」は、形の前に目に見えない「心」であることは、確かである。
精神教育をするといえば、すぐに天皇制とか、右翼とか言われる。
日本が稀有な国であると思うのであれば、それが継続出来得る形を整えて待つだけの心構えが必須である。
にもかかわらず、何もしないかあるいは逆行して現在を迎えながらも、まだ特別の護りや庇護があると思うほうが、失礼千万であり、お門違いである。

今日本に蔓延する「失礼千万」と「お門違い」が、いつ爆発するのかを危惧している。
死者に力はない、とでも?。
死んだ体に力は無いだろうが、その「魂」は万有の力を現し得る。それは霊力である。魂の力である。
そのもつ「エネルギー」である。
それが爆発するとき、日本という小国は、「真、善、忠」の前にこっぱみじんに砕かれるかもしれない。
自国の民に愚弄される彼らの魂は、日々たまりにたまってその爆発の日を待っている。
「梅田雲浜」は、その一人でしかない。その家族を交えれば、いったい何人がそれに関わり、どんな魂が集まって「今」を見続けているのであろうか・・・。
国を思う魂の一つ一つが「玉入れ」のように「神の箱」に収められてきた。
同じように、国を売る魂も「破滅の箱」に収められている。
そのリミットが近づき、もうすぐ「カウント」が始まる今。
「あわや!」の時に本心が試されるだろう。
彼ら憂国の志士は、「あの世」で今の日本を見つめている。
神は、その目をもって最期通知をされるだろう・・・か。

今の日本にとって、一番欲しいものは何ですか?
そして、同じく一番大切なものは何ですか?
さらに一番必要なものは何ですか?
その三つは、一致して同じものでしょうか・・・、ばらばらでしょうか?


昔々、「ソロモン」(王)が祈っていた時、神にこう言われた。
「おまえが一番欲しいものは何か。一つだけ選びなさい。叶えてあげよう」と。
考えた挙句、彼は「知恵」が欲しいと答えた。
他に類を見ない「知恵」の王が、誕生した。
そのソロモンの知恵を借りにきたものは、後を絶たなかった。
隣国の王たちが、そろって貢物を携えて「比類ない知恵」を授かりにきたのだ。
その中に「シバの女王」がいた。
・・・、とこうなる。
結果、ソロモンは幸せになったか?、答えは否である。
「あのソロモンでさえ、」と言われ、神の願いに立てなかった者の例えとなってしまった。

さあ、あなたなら、何を所望するでしょうか?

日本が今神に、歴史の前に、英霊の前に何を望むのでしょう。
そして、あなたは個人として何を求めて生きていこうと思っておられるのでしょうか?

過去、こんな人がいたのです、とご紹介する私なぞはあまりにも役不足であるが、重々承知の上であれば、
是非にも皆様の忙殺される日々の魂のどこかにも、置いて偲んでいただきたく、今日ご紹介いたしました。


いえね「種明かし」をすれば、本の間からスーッと「メモ(雲浜の句)」が落ちてきて、私の足元に止まったからです。
えっ、あなたの出番ですか、今日は・・・?
ってなことで、不慣れながら綴りました次第です。(どうぞ、よろしくね・・・)


沖縄行きのパスポート

2013年04月29日 | 心霊現象
何のことだか、今はもう理解しがたいことになりましたね。
私が思い立って、ある日「沖縄」へ行こうと思いました。
旅行社へ飛び込んで、「あっ、そうか」と思ったことは、「パスポート」が必要になるという事。
そのころ「沖縄」は、外国だったのです。アメリカの領土だということを忘れていた・・・。

昭和47年に日本へ返還されたことを思えば、昭和41、2年の旅行は当然「パスポート」を作ることになる。
常夏の沖縄。あこがれの島へ渡る支度をしていた。
冬の日本を脱出する。地球の広さを身に染みて感謝する旅だった。
「沖縄」がもつ苦渋など、若い?私がおもんばかれるはずもない。
観光の地が手招きをして呼んでいる。それくらいにしか考えていない。
当時は東南アジアへ行くには、予防注射をする。「コレラ」や「チフス」など他にいくつかあった。
旅行社には2万5、6千円くらい払ったと思う。
パスポートが出来てすぐに出発、という予定をたてた。
日本で一番近い外国、沖縄。私の頭には「韓国」はない。(温かいという第一条件があったからだ)
多分距離からいえば、韓国になるか・・・。
日本語が使え、事情も分かり、隣の町のような思いで選んだのだろう・・・。
出発の前日、私はかぜをひいて高熱にうなされていた。
這ってでも行く、という決意もむなしく、「ドタキャン」の憂き目にあった。
支払ったお金は、1円たりとも返ってこなかった。
パスポートだけが手元に残った「思い出の沖縄」であり、幻の沖縄となった。


このGw中、「4月28日」を「主権復帰の日」にしょうという政府筋の動きがある。
また、「憲法改正」の狼煙(のろし)があがり、世が騒がしくなってきた。
しかし、それが何を意味し、なぜ「今」なのかをはっきりとは知らない。
そしてまたもや「沖縄」が反対を唱えている。
戦後、日本が四分割されていたら、きっと元に戻ることは無かっただろうとさえ思える。
それほど国が割れることは、致命的である。
地球上では、国が割れ、民族が割れ、言葉や文化が割れて今にいったている国も民族もある。
日本があと北方領土を残して、それさえも元返し、領土という面からでも戦後を払しょくしょうとしている事は、日本人の魂、あるいは執念の現れかもしれない。
今現在、四島に行くとなれば当然「パスポート」が必要である。
元は日本だったのに・・・、と言ったり、思ったりする人が段々少なくなっていることは確かだが・・・。

外交とか、戦後とかいいながら、何かがはっきりと教えられていないことに気が付く。
戦争って、何だったの?
この質問を投げかけても、本当の意味を提示してくれる人はありや、なしや・・・。
日本を取り巻く外国・隣国は、「戦争(第二次世界大戦)」の事象で戦後からの日本を呪縛し続ける。
何があって、何がどうしたのか。そのどれが悪くて、何が怨みなのかが私達にはよく分からない。
歴史認識が、勝手に取沙汰され、自国に有利なように扱われ、解釈されては、いくら多国が同じテーブルについても、事は収まろうはずもない。
恨み、憎しみをもって歴史を刷り込まれた民族と、何一つ真実を教えられず、さらに自虐史観で教育された若者をもつ国(日本)が仲良く出来るわけがない。
真実を、一つしかない事実を分け合い、学び合うしか手はないと、今しみじみ思っている。
国会議員でもない一介の市井の一人こそが、知ることが大切である。
無知が一番の罪であり、分裂の原因でもあれば、歴史認識の根本が一致することに国民を誘導していただきたい。
戦後、混乱に乗じて何があったか。真実とそうでない虚偽が、どこで何をもって結果として残ったのかを、明らかにするべき時が来た、と思っている。

人はどう生きれば納得し、幸せか・・・。
本来は、人に「パスポート」は必要はない。そういう時代がもうすぐ来る。
垣根があること事態、間違っている。渡り鳥や魚は、垣根はない。
私達は地球上であれば、どこでもいい。南へ渡り、また北を楽しむ。
太陽に向かって逆行すれば、一日遡(さかのぼ)って生きることも出来る。
目の前の星座を眺めながら、あとの半分の見えない星座を横のTV画面で映し出して楽しむことも出来る。
北極星と南十字星は、みんな「わたし」のためにある。

こう思える時代。何とすばらしい。それがすぐ来ると思いたい。
地球儀に線を引き、海に線を引き、空にまで線を引く。
これが無くなったとき、それこそがこの世の楽園だと思いたい。
それも努力しさえすれば、必ず遠からんいつかにくると・・・。
欲張れば、私の生きているうちであってほしいと、切に望みながら・・・。


(もし、今回も消えたら、今日はなし、ということで。あしからず)
(さっき全文消えちゃったもので・・・)

女占い師が言う「死の予告」

2013年04月28日 | 心霊現象
「占い」が好きだという方も多いかと。
しかし、何を言われても「好き」かどうかは、疑わしい。
多分消去法で、気に入らない物は捨て、都合のいい言葉だけを取り入れるのだろう。
まぁ、いわば「遊び」のたぐいで終われば、それはそれでいい。そして「占い」に罪はない。
が、内容によっては人の生死にかかわる重大要因を含むこともある。
それさえも笑いとばせば、事は済むか?・・・。
この話は、事は済むどころか、そっくりそのまま当てはまり、つまり占いの結果が「大当たり」し、一人は死に、一人は生きた話でもあった。
死んだのは、「笑い飛ばした」男であり、生きたのは信じた「私」である。


占いは所詮占いであり、決定ではない。
運命論があてはまるはずがない、と信じる私であったが、それが「霊感」からくるものだと言われると、弱い私でもある。
出た「卦(け)」が何を示そうと、動機が遊びであればそれはそれ、笑ってすごせばいい?。
その本人は、である。(そのように仕組んだ、あるいは導いた目に見えない世界を、無視すればの話である)

さて、ある教団の研修会。
今日は息抜きで、「ある人」を訪ねますといわれて案内されたところが、「女占い師」のところだった。
形は一応『四柱推命』。あとは「彼女の霊感」らしい。
ご存じのように「四柱推命」とは、四つの柱から割り出す「運命鑑定」である。
四柱とは生まれた生年月日の「年、月、日、時間」のことである。
が、大体は三柱しか分からない。(それが戸籍上ではなく、本当に生まれ出たものかが重要になる)
生まれた時間「時、分、秒」まで分かる事は、病院での分娩しかない。
近くの「産婆さん」(取り上げ婆)が駆けつける出産には、何時ころ生まれたかがかろうじて分かる。
しかし、昔の人はそれさえも不明というのがほとんどである。
さて、私も三柱での占いとなった。

名前と生年月日で「占い」が始まった。
時々私の顔を見ながら、紙に何かを書いたり、ふーっとため息をついたり、目を閉じてしばらく黙ったり。
「この方は、何を言ってもいいんですよね・・・」と、女占い師は同席していた教団の人に念を押した。
「ええ、何でもありのまま、包み隠さず、はっきりと申し上げてください!」と、連れは言い切った。
さあ、私はまな板の鯉だ。
丁と出るか反と出るか、バクチ場の心地さえして、私は耳をすます。

『あなたは、このままいけば、死にますよ。
 ん~、三十代前半。交通事故で、それも即死です。
 わたしの言うことが信じられたら、今から運転はしないでください。
 その「気」が強く出ています。
 また、うしろに「徳の高い人」がついておられます。尼様でしょうか。
 ここ、つまりわたしの処に導かれたのも、その方のはからいかもしれませんね。
 道を求めてください。それが、あなたへの願いです。
 早くお会いできてよかったです。間に合った、というか・・・」。

はいはい、一丁上がり!よく出来ました。
こうしてあなたがたは「ぐる」で、必ずここへ来て道を求めるべく「教団」に入る人間を増やしていくんでしょうね・・・。(素直じゃない私は、直感的にそう思った・・・、が待てよ・・・)
一つだけ、そう一つだけ私には思い当たる「ふし」がある。
強烈な「パンチ」をもらって、しょげた様に見えたのか、同行人はなんだかんだと説明し、補足した。
そこでこんな話をも。

「ここだけの話ね。
彼女は教団の人じゃないわよ。もしそうだったら「ぐる」と思われてもしょうがないでしょ。
違うわよ。霊感が強く、占いという形をとって、人の運命や進路を伝えている人です。
この間ね、一人の男性をおつれしました。
同じように見てもらって、結果はね、のっぴきならないほど、切羽詰まった内容だった。
つまり、今から運転禁止。絶対ハンドルを握るな、と言うことだったの。
その男性はね40歳すこし出ていたけど、健康そのもの。仕事も順調、今死がせまっているなんて誰もが信じなかった。でも、交通事故で絶対死ぬと彼女(占い師)は言い切った。彼女はその方面はすごく当たるの。
その男性はね、大笑いしたけど・・・、じゃぁ、帰りだけは自分の車を運転して明日からは止めましょう、と言ったの。彼女はね、しばらく考えていたけど、わたしはあくまで『今この時から』と申し上げておきます、
と言って、あとはあなた次第ですと引き下がったの。
それでどうなったと思う?
その男性はね、帰り道でトラックと正面衝突し、即死したわ・・・』

脅しだとしても出来すぎではないか・・・。
私は笑わなかった。「あの思い当たるふし」が私に真実味をもって迫ってきた。
その事とは・・・。
県庁職員時代、昭和40年春からになる。
赴任地が過疎化の進む山間地・僻地ともなれば、足は当然車を使う。
最初はバイクだったが、そのうちに「軽自動車」になった。
山肌を縫うように走る「山の道」は、路肩すれすれに車が行き交う。
トラックそれもダンプカーが向こうから来るのが見えると、私は路肩ではなく、山肌に寄って待ち続けたものだった。
一回など、路肩にハンドルを切ったつもりなのに、トラックに向かってハンドルを切ったとみえて、車に突進していったものだった。
「バカヤロー!」、窓をあけて怒鳴るハチマキをした「あんちゃん」の声が去っていったのを覚えている。

さらに、これは言い訳の出来ない「事実」として、深く胸にしまい込んだ内容となった。
ある日、私をいれて三人が車で送ってもらうことになった。
二人を後部座席に、そして私は助手席に乗った。
出発してしばらくすると、運転している人がこう言った。
「すみませんが、あなたは後部座席へ行ってください。気を悪くしないでください。
実はね、妙にハンドルがね、取られるんですよ~。自分でもわかんないんだけど、なんかおかしい。
念のためですから、気を悪くしないで。安全運転がモットーのわたしだと思って、まあ、勘弁してください・・・」と。
これは、この時だけではない。
前にも言われたことがある。確かに「あんたを乗っけると、ハンドルが取られるんだよ・・・」と。


あんなこんなで、私はこの女占い師の「死の予告」を信じた。
後ろにいるという「徳高き尼様」が「於松さま」だとは、今でこそ合致する。
占い師へと導いたのが、どなた様であるかは分からない。
が、私は「笑い飛ばさなくて」良かったと、思っている。
「道を求めよ」の言葉通り、道を求めて今に至っている。
まだまだ先は長い。
もし、これからも「道」あるいは「運命」を指し示す誰かにあったら、私は今日までため込んだ全ての経験と感性を賭けて、「答え」を出すだろうと思う。
「苦労」は、してもいいし、しなくてもいい。
が、これつまり「苦労」が、何かの「判断基準」になるのであれば、それが「多い」に越したことはないとさえ思えて今を生きている。
全てが霊感で出せる答えでもなければ、苦労の数と霊感の「神性」がものをいう程の自分になって、長い?人生のこれからにあたりたいと思っている。


さあ、今日のこんなこと。
あなたは、これを信じますか・・・・。

曼荼羅(曼陀羅)

2013年04月27日 | 心霊現象
今日は「これ」を皆様と考えてみたいと思います。
まずこの漢字は、「まんだら」と読みます。
初めて聞かれる「単語」では、決してないかと・・・。
どこかで、例えば学校の勉強で、あるいは修学旅行で、あるいは檀家の集まりで等、なじみがあるような、ないような・・・。
日本人として生まれ、育った家の宗派が仏教でありながら、私達はその深いところを知らないで今日まで生きてきました。
社会人として、さらに趣味や生きる道として「仏教」を深く学ぶ機会に恵まれる人もあるかもしれない。
それ以外の人は、「仏教」だけに限らず、宗教を学ぼうなど思ってもみない日常を、あたりまえのように過ごして、終わります。つまりそうやって死んでいく・・・。

今、なぜか「仏像ブーム」らしい。
仏像をいまだかって見たことがない、という人のほうが珍しいだろう。
それだけなじみがありながら、いっこうに分かりずらいのもまた「仏像」であり、そして「曼荼羅」だ。
「曼陀羅」とも書く。
仏様の寄せ集めと思ってもいい。ちょっと、乱暴だったか?・・・。
そう、それだけ「私」も知らない世界である。
あるTVで、「みのもんた」が聞いた。
「仏像って、何ですかねぇ~」と。
そうしたら、同局のアナウンサーの「小林アナ」(女子)がすかさずこう言った。
『仏像とは、浴びるものです』と。
その場にいたみんなが、あっけにとられて絶句した。(感心したり、唖然としたり、??の思いだったり・・・、と)
それを聞いて私は、納得した。「仏像は浴びるものかぁ、言い得て妙だ、と)

では、あなたの一番好きな「仏像」は何か?、と問われたらどう答えるだろうか?
多分、きっと日本人の大部分は「興福寺の半跏思惟像」だと。
女性とも男性とも判断できず、結局は中性でおわします「その像」は、うっすらと微笑みをもって「私達」に安らぎや、癒しをあたえている。
「和」の微笑みは「あの半跏思惟像」であり、「洋」の微笑みは「モナリザ」となれば、やはり人は穏やかな「微笑み」に弱いことになる。
その仏の集まった世界、これが「曼陀羅(曼荼羅)」であるが、雑多にただ集まったわけでもなさそうである。
深夜、「空海の密教が教える曼荼羅の世界」をTVで教えていた。
人の眠り込む1時半。いったいどれだけの人がこの「番組」をみているのだろうか。
私はトイレに起きて、それからが眠れない。とうとうTVを見てしまった。
だいたいこの時間は、宇宙とか宗教とか歴史とかが、多い。(なぜか?これこそ昼の時間帯にお願いしたいものだが・・・)

唐の国、長安に学んだ空海の密教は、難しい。いわば、学者を育てるほどの難解さである。
学ぶ機会すら断たれた庶民が、分かろうはずがない。
それで空海は考えた。目で見て分かる方法を練り続けた。
その結果が、仏の世界を描いた絵、つまり「曼荼羅」だったということになる。
単なる寄せ集めではなかった。
そこには理路整然として意味をもって並ぶ、「大日如来」を中心にした空間、つまり宇宙空間に繰り広げられる「仏の世界」の有様を、視的に具現化した「大画面」でもあった。


「東寺」の「立体曼荼羅」は、密教を伝え広めるために建立された講堂である。
その教えを視覚的に表した「立体曼荼羅」は、弘法大師空海の手によるものである。
立体曼荼羅は、当時最も先鋭的なビジュアルだったに違いない。
曼荼羅とは本来<本質を得る>という意味である。
曼荼羅を抜け出した如来、菩薩、明王等。そしてそれが大日如来を中心に、21尊の仏様を講堂の須弥壇(しゅみだん)に登場させた。
(検索による)

絵で見て分からなければ、具体的な仏を置いて、そこに「曼荼羅の世界」を臨場させようというのが、東寺の講堂がもつ意味らしい。
こればかりは、そこへ行って、「その場」に立ってみなければ分からない。
仏教が、そして密教が分からない衆生に、一目瞭然の世界を見せたのが「立体曼荼羅」である。
21体(尊)の仏はみんな違う。
まず中心に「五智如来」、向かって左手に「五大明王」、右手に「五大菩薩」。
そして、一番左に「三体の天」、そして一番右の「三体の天」、これで全部、21尊となる。
(どこに、どの仏が配置されているかは、検索されれば、すぐに分かるのでここでは省略)
仏が表す空間、あるいは宇宙観。そしてそこは21尊の仏が配置されている。
なぜ、「21」なのか?
宇宙の数「3」と「7」が21数につながる。
そうだ、思い出していただいただろうか。
「21」は「完成数」である。
神が「7」数をもって人間を創造し休まれた。「よし」と言って・・・。
宇宙は、そして人の創造は、さらに三段階を越えて完全となる。「7」の三段階、「21」である。
祈りの満願も、「さんしち二十一」であり、仏教でよく使う。

さて、では21体の仏はどんな形をし、何を表しているのだろうか・・・?
その一体一体が表す「手」に、意味があるという。
つまり「仏の手」に言葉を語らせているのもまた、曼荼羅の意味でもある。
番組では、時間の関係で21体全部の説明はない。(しかし、私は全部聞きたかった)
一番中央におわします「大日如来」。その両手は、どうなっている?。
そう言われて、はっきりと思い出し、その「組手」を再現できる人は、きっと少ないだろう。
では「あの菩薩」は、どう手を組まれていたやら・・・。
「あの明王」は、手に何を持って、どんな表情をしていたか?・・・。
空海が密教の神髄を、私達凡人にも分かりやすくしてくれた「見える化」された仏の世界は、「曼荼羅」という形で、「今」も教え続けている。

左手の人差し指を、右手で包み込んで胸の前に置いて座す仏は、だ~れだ?
なんて、クイズにもなりそうだ。
それを21全部言い当てたら、「あなた」は、仏の世界が少しは分かる人になるかもしれない。
そして結局は、「宗教」のもつ「使命」は、一つ処に人を導くものであることを知る。
そこに、人の知識や常識や分別が入り込んだら、人が作った「つくりもの」になる。
ましてや、ソロバン勘定が入り込めば、「えせ宗教」となる。
一度「東寺」へ行って、21体の仏の並ぶ「曼荼羅」の世界を全身に浴びてみたいものです。

そうだ、「興福寺の半跏思惟像」ね。
頬に指をあてている手は、どっちの手だったでしょうか?
さらに、足を組んでいるけど、どっちの足がどっちに組まれていたでしょうか?
そしてあとの手は、どこに置いていたでしょうか?

手のひらを相手に向けている意味は、「安心して。わたしはあなたを守っている」という慈悲の意味。
片方の手を下に向け、地をさわる意味は、大地の力(パワー)を受けてここにいる、という意味らしい。
こんな姿をした仏を探すのも、面白いかもしれない。

ただ、一つだけ「キリスト教」と大きく違うところが「ある」とすれば、「罪」の意味と、どこから来たものであり、どうすればいいのか、という内容である。
「南無」とは仏に帰依します、ということらしい。
お題目をとなえれば、救われると説く。
「キリスト」に繋がれ、祈れば救われると説く。
ここまでは、大体同じである。
さらに、いずれ「生きた観音」がこの世に現れて、世を救うという教えがあるらしい。
キリスト教はどうか。
ほとんどは、十字架で死んだ「イエス」で終わっている。この世は救われたと説く。
しかし、かすかな者たちが、「いずれ来る」という「メシア」を求めて今も空を見上げている。

仏教でいう「罪」の内容とその解決の仕方は、私は不勉強ゆえよくは分からないで、今に至っている。
神道でいう「人間の罪」は、多分「イザナギ」「イザナミ」のあの出来事をいうのであろう。
が、再度誰かが現れて、救いという道を説く、ということは定かではない。
今年の10月には、伊勢神宮にて20年に一度の「式年遷宮」が行われる。
様々な神や仏が「たむろ」する日本。そして分かれに分かれた宗教とその宗派。

霊界も、きっとまとまりきれずに、困っていることでしょうね・・・。
TVでは、曼荼羅の仏たちが動き始め、背に背負った光や炎を揺らし始める様(CG)は、圧巻でした。
その台座から飛び出して、空を舞い、地を蹴り、踊りだしたら・・・。

「それが、曼荼羅であり、宇宙だ!」という空海の声が聞こえそうです~。
「ならば、分かった!」と、私でさえ答えたくなりました・・・。
さあ、次はあなたの番です。どうぞ続きは東寺にて、どうぞ!










官邸の幽霊?

2013年04月26日 | 心霊現象
週刊誌のネタですから、どれだけの信憑性があるのかは定かではありません。
が、あの総理官邸に「幽霊」が出るという話は「ネタ」としては興味深いです。
今の総理・安倍氏になって、その館にお住まいにならないのは、「その」ためらしい。
ま、自宅が一番くつろげるというのも、本音でしょうしね。

夜、足音が聞こえたらしい。
氏が「誰だ!」と、ローカへ飛び出ても誰もいない。
守衛の誰も、人影さえみていない。
そんな事があってから、総理はなるべく家に帰るようになったと・・・。

思えば「出ない」ほうがおかしい。
出てあたりまえ、と言ったら叱られるだろうか~。
あの「公邸」であり「官邸」ですよ。その歴史を辿れば・・・。
ね、出てあたりまえ・・・、となる。

1926年、首相公邸が出来た。今はその館を補修しながら「官邸」として使っているとか。
1932年5月15日。海軍将校によりクーデターがおこった。犬養首相を始めとして数名が暗殺された。
1936年(昭和11年)2月26日。岡田首相の時代、陸軍将校1483名によるクーデター未遂事件が勃発。高橋是清大臣等、暗殺される。首謀者「北 一輝」を始め、多数の将校が処刑される。
いわゆる2・26事件であり、5・15事件と呼ばれているもの。
(詳しくは、検索されたし)

とまあ、公邸・官邸の歴史をみれば、「何もない」というほうがおかしい。
夜な夜な、銃声の音や叫び声が聞こえるなど、あたりまえの話だろうに。
ただ、歴代の首相が、「勘が鋭い」とか「霊感がある」とかでなく、「それ」に興味もなくまた拘(こだわ)らなかった人達であれば、今日まで何事もなくきたのかもしれない。
言い換えれば、たとえ未遂事件であっても、一国の総理が殺された事実をそのままにし、「歴史」という名目で片づけた側に責任がある。
彼らの「霊」は、そのままの状態で放っておかれたとしたら、「化けて出て」当然である。
やった方も、やられた方も、同じく「国」を思ってのことであれば、「幽霊」が出なくなるまで、「検証」して当然のことを、今の今まで怠ってきた、と言わざるをえない。

私は、むしろドンドン話題になって、日本の魂・霊がもう一度「祖国の歴史を検証」することを、地上の人達に問いただすことを願いたいくらいである。

今やらずして、いつやるのか!。むしろ「そう言って」、彼ら(霊)を嗾(けしか)けたいくらいだ。


官邸がそうならば、「介護」だってそうだ。
夜な夜な出た。何が? 霊が。
私の夜勤の時。
決まって「足音」が聞こえてくる。それも決まって深夜2時だ。
幽霊は「時計」を持っているのか、と思ったほど「その時刻」にお出ましになる。
足音は、すり足で決まって玄関の方へと歩いていく。
姿は見えない。が、すぐに私は飛んで行く。
が、音はピタリと消える。もちろん玄関に異常はない。カギもかかったままだ。
また元のイスに戻り、勤務(夜勤)の続きをやる。
「スリ、スリ・・・スリ」と、また聞こえてくる。
とうとう10回目。私は完全に「霊」だと納得した。(明日になって他の職員に聞いてみよう・・・)
翌日、長くいる人を選んで聞いてみた。
「全然、あんた何言ってんの?疲れすぎじゃないの?」と、一人は言った。(聞こえていないのだ)
次の人は、周りに目をやりながら私を片隅につれて行った。
「あなたも聞こえた?」と。「やっぱり・・・」と私。
その事はもう「暗黙の了解」だそうな。騒いでもどうする事もできないし、またへたに騒げば「利用者」本人や身内に伝わり、まずいことになる。
まあ、実際には被害が出ていないんだし、このまま、このままで・・・ねと注意を受けた。
中には、時々子供の泣き声や子守歌、足音は二階にも三階にも「すり足」が聞こえるという職員もいた。
そうか、実害がない・・・、か。
聞こえる人が「おかしい」か、「悪い」のか・・・?。

私は次の夜勤の日。
「塩」をまいた。祈りながら「何」に心が残るのかを問いながら、そしてその心を「ここ」ではなく、「そちら(霊界)」で解放されることを願ってまいた。
そしてさらに次の夜勤の日。
その日から「足音」はピタリと止んだ。



「館」は人が住めば、必ず心が住み着く。
それを「わたしたち」は忘れている。
だから、今私が住んでいる「アパート」の部屋は、引っ越してから一週間の間、夜な夜な「霊たち」が現れて、私を「品定め」に来たではないか・・・。(以前にブログで書いた)
願わくば、人の住む家は「心休まる処」であり「希望を夢見る処」であってほしいと思う。
ましてや国の首相となれば、国という船のかじ取りである。
「日本丸」の存亡を賭けるかじ取りとしての日々を、健康面は言うに及ばず精神面をも最高の状態で務め上げて頂きたいものである。

官邸の幽霊かぁ~。
私はむしろ、いい意味で彼らを歓迎し、そして事と次第によっては応援したいとさえ思っている。
幽霊たちよ! 時は今!、 さぁお出ましください!・・・、と。