赤貧(せきひん)って、日常あまり聞かない言葉でもあり何のことか分からないでしょうね。
そういう私も、これが「赤貧」ですよという現実の生活に、身を置いたことが、きっと多分ないだろうと思われます。
そこそこの生活。これが一般人の了解した今の生活ではないかと・・・。
どこまでの貧乏を言うかは、「梅田雲浜」の生活をもって知るということにもなるが。
ではその「梅田雲浜」って、誰?ということになり、それによって赤貧を知ることにもなると・・・。
私の頭の中では「この二つ」が、双子のようについて廻るのです。
そしてこの人物は、あの右翼の一人「大場俊賢氏」が尊敬する一人でもあったのです。
文武両道とばかりに、私に「右翼思想」と「剣道」を教えながら、日本にはこんな人物がいたのだということを、氏は事ある度に熱っぽく語っていたものです。
「うめだうんぴん」と読む。本名は「梅田源二郎」。
妻の名は「信子(しんこ)」という。
妻臥病牀 児叫飢
挺身直欲 当戊夷
即今死別 与生別
唯有皇天 后土知
「梅田雲浜」が書いたものである。
彼はこのような思いを綴っているのだ。
『妻は病床にあり 子は飢えに泣いている
そして私は 今身を挺して 外夷に当たろうとするのだ
妻と子は死ぬかもしれない よし今死ぬのをまぬがれたところで
わたしたちは別れなければならぬ
私には ただ天皇のしろしめす この土地を守ることだけがあるのだ』
ある日、梅田家にお客が来た。
金がない。すぐさま妻の信子は「出かけて、すぐ帰ります」と声をかけた。
まもなく信子の手料理がふるまわれ、夫雲浜と客の「話」に花が咲く。
酔いがまわってきたころ、信子が声をかけた。
「おなぐさみに、琴の音でもいかがでしょうか」と。
客の拍手を合図に、隣の部屋から琴の音が聞こえてきた。
始める前に、信子が言った言葉があった。
「途中でふすまは開けないでくださいましね~」と、。
客が帰るまで妻信子は、部屋から出てこなかった。
満足して帰った客を見送りながら、雲浜の目から涙がにじんでいた。
「すまない!信子!」。小走りにふすまを開ける雲浜の目に飛び込んだのは、つぎはぎだらけの浴衣一枚で
琴の前で座り続けている妻、信子の姿だった。
こうしていつも客のために、質屋へ行っては自分の着物を無くしていく妻を、いつまで見続けろというのか・・・。
「志」が、重くのしかかる雲浜の赤貧の生活ぶりである。
その後、この家庭はどうなったのだろう・・・。(詳しくは検索されたし)
今は「赤貧」と「梅田雲浜」を心に入れてくださればいい。
「皇国の興廃は、この一戦にあり」として、死んで行った人もいた。
このような、今の時代「右翼」とよばれている人達は、こうも熱い魂で「日本」あるいは「天皇」を見つめていたということは、覚えておいていただきたい。これもまさしく日本が持つまぎれもない「歴史の事実」であるから・・・。
彼らの志や魂は、もはや顧(かえり)みられずに現在にいたっている。
日本を護る「バックボーン」は、形の前に目に見えない「心」であることは、確かである。
精神教育をするといえば、すぐに天皇制とか、右翼とか言われる。
日本が稀有な国であると思うのであれば、それが継続出来得る形を整えて待つだけの心構えが必須である。
にもかかわらず、何もしないかあるいは逆行して現在を迎えながらも、まだ特別の護りや庇護があると思うほうが、失礼千万であり、お門違いである。
今日本に蔓延する「失礼千万」と「お門違い」が、いつ爆発するのかを危惧している。
死者に力はない、とでも?。
死んだ体に力は無いだろうが、その「魂」は万有の力を現し得る。それは霊力である。魂の力である。
そのもつ「エネルギー」である。
それが爆発するとき、日本という小国は、「真、善、忠」の前にこっぱみじんに砕かれるかもしれない。
自国の民に愚弄される彼らの魂は、日々たまりにたまってその爆発の日を待っている。
「梅田雲浜」は、その一人でしかない。その家族を交えれば、いったい何人がそれに関わり、どんな魂が集まって「今」を見続けているのであろうか・・・。
国を思う魂の一つ一つが「玉入れ」のように「神の箱」に収められてきた。
同じように、国を売る魂も「破滅の箱」に収められている。
そのリミットが近づき、もうすぐ「カウント」が始まる今。
「あわや!」の時に本心が試されるだろう。
彼ら憂国の志士は、「あの世」で今の日本を見つめている。
神は、その目をもって最期通知をされるだろう・・・か。
今の日本にとって、一番欲しいものは何ですか?
そして、同じく一番大切なものは何ですか?
さらに一番必要なものは何ですか?
その三つは、一致して同じものでしょうか・・・、ばらばらでしょうか?
昔々、「ソロモン」(王)が祈っていた時、神にこう言われた。
「おまえが一番欲しいものは何か。一つだけ選びなさい。叶えてあげよう」と。
考えた挙句、彼は「知恵」が欲しいと答えた。
他に類を見ない「知恵」の王が、誕生した。
そのソロモンの知恵を借りにきたものは、後を絶たなかった。
隣国の王たちが、そろって貢物を携えて「比類ない知恵」を授かりにきたのだ。
その中に「シバの女王」がいた。
・・・、とこうなる。
結果、ソロモンは幸せになったか?、答えは否である。
「あのソロモンでさえ、」と言われ、神の願いに立てなかった者の例えとなってしまった。
さあ、あなたなら、何を所望するでしょうか?
日本が今神に、歴史の前に、英霊の前に何を望むのでしょう。
そして、あなたは個人として何を求めて生きていこうと思っておられるのでしょうか?
過去、こんな人がいたのです、とご紹介する私なぞはあまりにも役不足であるが、重々承知の上であれば、
是非にも皆様の忙殺される日々の魂のどこかにも、置いて偲んでいただきたく、今日ご紹介いたしました。
いえね「種明かし」をすれば、本の間からスーッと「メモ(雲浜の句)」が落ちてきて、私の足元に止まったからです。
えっ、あなたの出番ですか、今日は・・・?
ってなことで、不慣れながら綴りました次第です。(どうぞ、よろしくね・・・)
そういう私も、これが「赤貧」ですよという現実の生活に、身を置いたことが、きっと多分ないだろうと思われます。
そこそこの生活。これが一般人の了解した今の生活ではないかと・・・。
どこまでの貧乏を言うかは、「梅田雲浜」の生活をもって知るということにもなるが。
ではその「梅田雲浜」って、誰?ということになり、それによって赤貧を知ることにもなると・・・。
私の頭の中では「この二つ」が、双子のようについて廻るのです。
そしてこの人物は、あの右翼の一人「大場俊賢氏」が尊敬する一人でもあったのです。
文武両道とばかりに、私に「右翼思想」と「剣道」を教えながら、日本にはこんな人物がいたのだということを、氏は事ある度に熱っぽく語っていたものです。
「うめだうんぴん」と読む。本名は「梅田源二郎」。
妻の名は「信子(しんこ)」という。
妻臥病牀 児叫飢
挺身直欲 当戊夷
即今死別 与生別
唯有皇天 后土知
「梅田雲浜」が書いたものである。
彼はこのような思いを綴っているのだ。
『妻は病床にあり 子は飢えに泣いている
そして私は 今身を挺して 外夷に当たろうとするのだ
妻と子は死ぬかもしれない よし今死ぬのをまぬがれたところで
わたしたちは別れなければならぬ
私には ただ天皇のしろしめす この土地を守ることだけがあるのだ』
ある日、梅田家にお客が来た。
金がない。すぐさま妻の信子は「出かけて、すぐ帰ります」と声をかけた。
まもなく信子の手料理がふるまわれ、夫雲浜と客の「話」に花が咲く。
酔いがまわってきたころ、信子が声をかけた。
「おなぐさみに、琴の音でもいかがでしょうか」と。
客の拍手を合図に、隣の部屋から琴の音が聞こえてきた。
始める前に、信子が言った言葉があった。
「途中でふすまは開けないでくださいましね~」と、。
客が帰るまで妻信子は、部屋から出てこなかった。
満足して帰った客を見送りながら、雲浜の目から涙がにじんでいた。
「すまない!信子!」。小走りにふすまを開ける雲浜の目に飛び込んだのは、つぎはぎだらけの浴衣一枚で
琴の前で座り続けている妻、信子の姿だった。
こうしていつも客のために、質屋へ行っては自分の着物を無くしていく妻を、いつまで見続けろというのか・・・。
「志」が、重くのしかかる雲浜の赤貧の生活ぶりである。
その後、この家庭はどうなったのだろう・・・。(詳しくは検索されたし)
今は「赤貧」と「梅田雲浜」を心に入れてくださればいい。
「皇国の興廃は、この一戦にあり」として、死んで行った人もいた。
このような、今の時代「右翼」とよばれている人達は、こうも熱い魂で「日本」あるいは「天皇」を見つめていたということは、覚えておいていただきたい。これもまさしく日本が持つまぎれもない「歴史の事実」であるから・・・。
彼らの志や魂は、もはや顧(かえり)みられずに現在にいたっている。
日本を護る「バックボーン」は、形の前に目に見えない「心」であることは、確かである。
精神教育をするといえば、すぐに天皇制とか、右翼とか言われる。
日本が稀有な国であると思うのであれば、それが継続出来得る形を整えて待つだけの心構えが必須である。
にもかかわらず、何もしないかあるいは逆行して現在を迎えながらも、まだ特別の護りや庇護があると思うほうが、失礼千万であり、お門違いである。
今日本に蔓延する「失礼千万」と「お門違い」が、いつ爆発するのかを危惧している。
死者に力はない、とでも?。
死んだ体に力は無いだろうが、その「魂」は万有の力を現し得る。それは霊力である。魂の力である。
そのもつ「エネルギー」である。
それが爆発するとき、日本という小国は、「真、善、忠」の前にこっぱみじんに砕かれるかもしれない。
自国の民に愚弄される彼らの魂は、日々たまりにたまってその爆発の日を待っている。
「梅田雲浜」は、その一人でしかない。その家族を交えれば、いったい何人がそれに関わり、どんな魂が集まって「今」を見続けているのであろうか・・・。
国を思う魂の一つ一つが「玉入れ」のように「神の箱」に収められてきた。
同じように、国を売る魂も「破滅の箱」に収められている。
そのリミットが近づき、もうすぐ「カウント」が始まる今。
「あわや!」の時に本心が試されるだろう。
彼ら憂国の志士は、「あの世」で今の日本を見つめている。
神は、その目をもって最期通知をされるだろう・・・か。
今の日本にとって、一番欲しいものは何ですか?
そして、同じく一番大切なものは何ですか?
さらに一番必要なものは何ですか?
その三つは、一致して同じものでしょうか・・・、ばらばらでしょうか?
昔々、「ソロモン」(王)が祈っていた時、神にこう言われた。
「おまえが一番欲しいものは何か。一つだけ選びなさい。叶えてあげよう」と。
考えた挙句、彼は「知恵」が欲しいと答えた。
他に類を見ない「知恵」の王が、誕生した。
そのソロモンの知恵を借りにきたものは、後を絶たなかった。
隣国の王たちが、そろって貢物を携えて「比類ない知恵」を授かりにきたのだ。
その中に「シバの女王」がいた。
・・・、とこうなる。
結果、ソロモンは幸せになったか?、答えは否である。
「あのソロモンでさえ、」と言われ、神の願いに立てなかった者の例えとなってしまった。
さあ、あなたなら、何を所望するでしょうか?
日本が今神に、歴史の前に、英霊の前に何を望むのでしょう。
そして、あなたは個人として何を求めて生きていこうと思っておられるのでしょうか?
過去、こんな人がいたのです、とご紹介する私なぞはあまりにも役不足であるが、重々承知の上であれば、
是非にも皆様の忙殺される日々の魂のどこかにも、置いて偲んでいただきたく、今日ご紹介いたしました。
いえね「種明かし」をすれば、本の間からスーッと「メモ(雲浜の句)」が落ちてきて、私の足元に止まったからです。
えっ、あなたの出番ですか、今日は・・・?
ってなことで、不慣れながら綴りました次第です。(どうぞ、よろしくね・・・)