霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

「平和・余韻の鐘」

2013年05月31日 | 心霊現象
最初に先ず、御礼を申し上げます。
「真夜中の子守歌」の歌詞と出所を教えて頂いて、感謝でございます。
「ヒデとロザンナ」それだけでも時代がわかるというものですが、私にはあの「小川真由美」のTVドラマ
『女ねずみ小僧』のテーマソングだったと聞いて、納得しました。
古いといえば古いドラマですが、それを知っている「あなたさま」があればこそ、ようやく私も腑に落ちました。私がよく見たドラマであり、きっとそのテーマソングにいたく心を奪われたのでしょうね。
「ヒデとロザンナ」が歌ったというだけでは、きっと分からなかったでしょうね。
だから、歌えますよ。(おかげさまで二番まで歌っちゃいました)
謹んで、御礼を申し上げる次第です。


さて「打てば響く」という言葉があります。
早速反応が返ってくる、ということの意味でしょうか・・・。
それならばなお、今日のような皆様からの「御心遣い」は、本日の「題」のような余韻を残す「鐘」のようなものをいうのでしょうねぇ~。
私の時代では「梵鐘(ぼんしょう)」といって、どこまでも鳴り響く、余韻の聞こえるお寺の鐘が気になるものでした。(昔田舎では、時刻を知らせるのがお寺の鐘だったのですよ~、昭和の話です)
だから、年の瀬つまり大晦日に突かれる寺の鐘は、京都知恩院の鐘が有名であり、その梵鐘の余韻を聞いて、
NHKのTV「ゆく年、くる年」を見ながら新年を迎えたものです。

もう少しお年を召した方にとっては「長崎の鐘」。歌にもなり戦後の思い出や祈りの対象になった有名な「鐘」でもありました。
この鐘が戦争時、ほとんどが国によって取り上げられ、軍需品に変わっていきました。
渋谷駅前のあの「忠犬ハチ公」の銅像でさえ、お国のために消えて行ったのですから、もう大変というか、とんでもない時代だったことが、伺い知れます。
今日はその「鐘」について、しばし偲んでくださいませ・・・。


 『 今わが組立はこわされ
   その目的は成就された、出来上がった鐘の姿に
   心も目も楽しむだろう。
   この鐘のつきぞめの音こそは
   町の歓びなれよ、平和なれよ  (大野敏英、石中象治訳)

  十九日に八十九歳で逝った梵鐘(ぼんしょう)制作の重要無形文化財保持者<人間国宝>香取
  正彦氏は、このシラー(ドイツ)の長編詩「鐘の歌」をいつも「心の糧」としていたという。
  香取さんは、生涯に百五十を超す鐘をつくっている。
  父・秀真(ほつま)は、日本鋳金(ちゅうきん)界の第一人者だった。戦後の二十五年、父と子は
  共銘の「喜びの鐘」七十七をつくると発願する。その年、喜寿を迎えた秀真の記念にちなむ数である
  のはいうまでもないが、平和日本再建のためにという熱い思いもこめた。
  
  全国にあった釣り鐘六万のうち五万口が戦災や金属回収で失われている。復元された鐘も、質が悪
  かった。何としても後世に残る鐘を、と呼びかけた。せっせと各地の寺院を訪ね歩いた。
  作品が二十三を数えた時に父が他界するが、遺志をつぐ。以後、「平和・余韻の鐘」と名づけた。
  香取さんにとって鐘は「和と信心のたまもの」だった。「鋳込みに入る時家内は水垢離(みずごり)
  をとって仏さまに祈る。家内が病気の時は子供が代わる」と「私の履歴書」にある。
  地金を鋳型に注ぎ込む一瞬が真剣勝負だ。図面の作成には、三か月から半年もかけた。
  <広島の鐘>をはじめ海外に贈られた作も数多い。
  さやかなる鐘の音きけばやすらけく きよき心になりにけるかも
  歌人でもあった亡父の一首だ  』

                      (昭和63年11月21日 読売新聞・編集手帳)


これは「鐘つくり」のお話です。
その響きが、人の心にこそ深くしみいる音(ね)であるためには、「造り方」はいうにおよばず「目に見えない祈り」つまり「みずごり」という条件をたてて一家で心を合わせて全うした「作品」であったと教えられます。
同じように、「刀」をつくる「刀鍛冶」は、祈り断食し、水をかぶり滝に打たれて「作業」にとりかかった。
神がかりでなければ、決して「いいもの」は出来なかったといわれています。
「霊」つまり人の魂の限界まで極めたものが投入されてこその「品物」、それはもう単なる物ではない。
鐘も刀も人形も、造り人の魂を吸い尽くして、この世に現れて出たものである。
とするならば、「平和を祈った鐘」の音は、聞く人には「平和の祈り」が聞こえてくるはずである。
江戸時代、徳川を滅ぼすための「呪い」で造られたというあの「妖刀・村正(むらまさ?)」は、刀に込められたごとくに「その使命」を果たすべく、人から人へと渡り使われていったのだろう。
同じ「人に造られた物」として、どちらが彼ら「作品」にとって幸せなことであろうか?・・・。と、ついつい考えてしまいます。
人形もそうなのです。人形作り師「ジュサブロー」氏の人形を見たことがありますか?
私はいろんな意味で「ゾーッ」とします。(念が移るんでしょうねぇ)


そして最後に「お金」。現代で一番気になるこのお金の出発は、誰が何処で、何を祈って(思って)造っているんでしょうかねぇ~。
考えすぎだとでも?、いえ一番大事な事だと思いますが・・・。
一度「造幣局」の人に聞いてみなくちゃ~。(機械に聞けと? まさかぁ・・・)
  

「何人の果てなるを・・」(古いノートから)

2013年05月30日 | 心霊現象
私の古いノートが出てきました。
そこにいくつもの句や文章が書かれています。
その時々の「私の心模様」が投影されているようでもあり、きっとその時は私の心も、「かくありなん」と
偲ばれるのです。
今日は「それ」をご披露しながら、歌であれ句であれ、はたまた映画の台詞であれ私の心の琴線に触れ、同じ協和音を奏でたものと、当時を思い出しています。

冒頭の句。これはね「詠み人知らず」。ただ「夜鷹(よたか)とだけ書いてある。
夜鷹、今の人は分からないでしょうねぇ。私だって分かっているわけではないが、映画や小説でようやく苦界に身を落とした女の人を言う、ということくらいは分かっていますが・・・。
身を売るにもいろいろある。「花魁(おいらん)」と言われる身分になるには女郎屋(妓楼)に身をおかなければならない。
しかし身一つで、誰でもどこでも法すれすれでも「商売」出来るのは、場所を持たない「夜鷹」だ。
「むしろ(ござ)」一枚持って、『お兄さん、遊んでいきなよ~』と声をかけ、川っ原でも空き家でもお寺の空き地でも、どこはばかることなく商売をして生きた女。こんなふうに私はイメージをしてきた。
「なぜ、そうなった?」と聞いてはいけない。タブーである。秘中の秘にしなければなりたたない。
その夜鷹が詠んだという一句。

 何人(なんびと)の果てなるを  あきらかにせず
 由(よし)ある女の  零落(れいらく)なるべし  (夜鷹)

これを聞いてね、私は直感的に脳裏を横切ったこと。
平家の落ち武者。いえ落ちてゆく平家の女官たち。
あと、伊勢神宮まで落ち延びながらも、そこで惨殺されたか命からがら逃げおおせた女たち。
「由ある女」と断りをいれる運命が、あまりにも悲しく、理不尽な世を恨むこころに乗せて「恨み節」が聞こえてくる・・・。

その時の私の周りは、出雲大社の巫女さんや、伊勢神宮まで逃げて行った方の守護霊がたむろしていましたから、ついつい想いが重なったのでしょうね・・・。



 黒髪の乱れたる世ぞ はてしなき
 思いに消ゆる 露の玉の緒    (北条伽奈姫)

天正10年3月11日。
武田の最後の武将「武田勝頼」は、天目山にて自害した。
その時一緒に逃げた「勝頼室」伽奈姫は、夫とともに自害。
これがその時の彼女の辞世の句である。
北条家まで逃げ延びれば、命は繋がったものを・・・。
「玉の緒」という言葉を私はここで覚えた。
シルバーバーチの言う「玉の緒」と同じだ。


次は「江戸時代・狂歌」とあるから、巷の誰かが詠んだ歌であろう。
名は「四方(よも)」とだけのメモがある。
寒い朝、霜がおりた。一番仕事に早く家を出、橋のふもとまできて気が付いた。
人の足跡が付いている。霜を踏みしめて、自分より早く行ったその人の用とは・・・。

 人の世は 我より先に用のある
 人の足跡 橋の上の霜


次の句は書きそびれたとみえて、言葉が一つ抜けている。
皆様なら、どんな句(言葉)をお入れになりましょうか?・・・。

 渡り来て 浮世の橋を ながむれば
 さしも危うき (    )ものかは




最後に、いつも私が部分だけを申し上げてきた「裏柳生・秘伝書」のこと。
それがこの古いノートに書き込んでありました。
古い古いTV映画、『影の軍団』のモットーとでもいう精神(バックボーン)にあたるものでした。
それが丁度その頃の私の決意には、欠かせない精神であったことから、いたるところで使いまくっていた言葉だったようです。
これが「全文」ですので、どうぞご賞味あれ。

 『裏柳生 その秘伝書に曰く
  闘えば必ず勝つ!
  これ兵法の第一事なり
  全て人の情を断ち
  神に会うては神を斬る
  仏に会うては仏を斬る
  しかるのち はじめて極意をえる
  行く手を阻むは悪鬼羅刹の化身なりとも
  あに遅れをとるべけんや 』


人それぞれの人生。その時誰に、何の言葉に励まされ、慰められるかは知らない。
が、どこともなく聞こえる「言葉」に反応する心がある事を知れば、人は、世の中は、そう捨てたもんじゃないと思って、気を取り直して生きてきた。
歌もそうだ。その歌が、その時聞こえてきたから、「今」を生きているという人もいる。
私も一つだけ、書いたのにすっかり忘れているものがある。
誰の歌で、どんな旋律だったかさえ思い出せないでいる。
それを思い出せたら、なぜこの歌詞を全文古いノートに書き残したのかも、思い出すかもしれない。
もし、知っておられる方は是非、私に教えてくださいませ。
今日の最後に「これ」を書いて、終わりにいたします。

  「真夜中の子守歌」

 街がねむる頃  夜の虹がでる
 名もない人の望みが かける夢の虹が

 おいで鎖をはずし しなやかな獣になり
 奪い取られた何かを 取戻しにゆこう

 夜はあたたかい 夜は美しい
 愛し合うだけ 他に何がある

 もう一人のオマエを
 もう一つの人生を
 誰も知らない

「ルーツ」という言葉から聞こえるもの

2013年05月29日 | 心霊現象
少し前、ブログのどこかで、この「ルーツ」という映画の話を書いたことを思い出します。
ある新聞に書かれた文をご紹介しながら、先祖をたどるということの意味を再度考えて頂きたいと思います。


『米国の作家、アレックス・ヘイリー氏が亡くなった。十五年あまり前にベストセラー「ルーツ」を著した
 人だ。この本はテレビの大河ドラマにもなり、米国社会を大いに興奮させた。各国でも翻訳された。
 母方の先祖を七代さかのぼり、アフリカはガンビア、ジュフレ村の少年クンタ・キンテに自分の根源を
 発見する。少年が奴隷商人に連れ去られてからの何代もの物語を、詳細につづったものだ。
 調査には長い年月を費やした。
 ファクト(事実)だけではないが、さりとてフィクション(作り話)ではなく、事実に基づく。いわば「フ ァクション」だと言っていた。奴隷売買、苦役、迫害など黒人たちの体験の描写がなまなましい。
 建国二百年、米国人にとって一種の歴史教育ともいえた。
 「黒人が歩まされた受難の歴史を書き、「黒人であることへの自負、その歴史と先祖に対する誇りを飛躍的
 に高めたと思う」と言いながら、ヘイリー氏は同時に「本への反響では、黒人に次いで日系二世、三世から の反応が際立っていた」と話したことがある。
 「黒、白、黄色といった皮膚の色の違いよりも、その能力で人間を見たい」。差別の存在に、静かだが激し い怒りを抱いていた。近年、日系、中国系、あるいはイタリア系の米国人と言うのと同様、黒人をアフリカ
 系米国人と呼ぶ。「ルーツ」以後の表現だろう。

 ヘイリー氏から聞いた忘れられない話がある。
 ジュフレでは、子供が生まれると父親が七日間、姿を消す。懸命に名前を考えるためだ。
 八日目に村中の人が集まる。太鼓の響き。父親が赤ん坊の耳に口を寄せ、吹き込むように名前をささやく。
 聞いた人々が口々に名を呼ぶ。父親は、夜、子供を抱き、月と星を見せて宣言する。
 「見よ、汝(なんじ)自身より偉大なるもの、これのみ」と。
 個人は一人ひとり名の違う存在だ。その尊厳を考えさせる話である。  』

出所は、「天声人語」。古い古い新聞の切り抜きです。
ただね、「ルーツ」というだけで分かる人が少なくなり、何の事か分からない人の方が多くなった地球事情であれば、少しご説明をと思い、書き出した次第です。


昭和の、最も日本が燃えた日。そうです「東京オリンピック」の出来事。
アフリカの「アベベ」という名もない選手が、男子マラソン競技で一位をとった。
その出身地が「エチオピア」。どこにあるのか、ほとんどの人が知らない。そんな時代、靴を脱ぎ捨て、裸足で走ったアフリカ・エチオピアの「アベベ」。
大袈裟にいえば地球上がひっくり返った瞬間でした。(驚きでね)
それ以来、アフリカもエチオピアも世界標準となった。

今から3、4000年前。ソロモンという知恵の王様がいた。
その名声は世界に轟いていた。
シバの女王が「その知恵」を試しにやってきた。アフリカの一国の女王として貢物を積み、知恵を頂くのではなく、ソロモンの知恵の度合いを計りに足を運んだのだ。
長期間国を開ける危険を冒してまでも、彼女は決行したのだ。
結果、六か月にも及ぶ滞在となった。その間には「女王」と「ソロモン王」との新しい命が息づき始めていた。
男子が生まれたら「国王」にするといって、シバの女王はソロモン王に別れを告げた。
その結果生まれた子供は、男子であり、いまだに彼らは先祖をソロモンとする民族の誇りの中で生き続けている。
アフリカのエチオピア。ソロモンの子から続く由緒ある血統の誉れ。
これが、今でこそ名前を知らない人さえなくなった「アフリカ」の一国のルーツだそうである。(TVでの話
であるが)


肌が黒くなり、人類の中で最も過酷な差別を受けて生き続けた「黒人」のルーツが、聖書にある「ノア」の三兄弟「セム」「ハム」「ヤペテ」の次男「ハム族」にそのルーツがあると以前申し上げた。
「ハム」の失敗。それを民族的に償う内容とは・・・。
もし聖書が人類のルーツを物語る「神から出たもの」であるならば、もっと真剣に人類歴史の今に至る真実を
学び直さなければならない。

「ルーツ」とは、すべての根源をいう。
山で迷ったら、迷った道まで戻れと言われてきた。
私達がもしどこかで迷ったのであるならば、どこで迷い、なぜ迷ったかを検証しなければならない。
これは一国の問題ではもはやない。
人類つまり地球規模で、迷い道を捜し正す検証こそ、今私達に問われている。


またまた日本では、「南海トラフ巨大地震」の警告が出て、32万人の死者をほのめかし、一週間分の食糧の備蓄を各家庭でやるようにとの「暗黙のお達し」が出た。
太平洋側だけの話でしょ、とは言っていられない。
国の麻痺状態を考えると、「半身不随」の病状になりかねない。
国が思うように機能できないってことは、日常が日常でなくなるという事だ。
来てみなければ分からないが、「どうしても、来たいのか?」と地震に聞きたくもなってくる。
富士山も、今のところ美しい顔を向けて、穏やかにしてござる。

さてさてこんな状況だからこそ、かえって「ルーツ」に目を、心を移してみるのも、今なのかもしれませんねぇ~。

「ハスの葉のクイズ」

2013年05月28日 | 心霊現象
こんな「クイズ」があることを、「あなた」はご存じですか?
私は、知りませんでした。
古い新聞の切り抜きではありますが、面白いことが書いてあります。
今日はそこに記された「ハスの葉のクイズ」をご紹介しましょう。


『「ハスの葉のクイズ」というのがあるそうだ。
 池にハスの葉が浮いていて、葉の面積は一日ごとに二倍のスピードで増えてゆく。その葉が池の水面を
 覆い尽くすと魚などの生物が窒息死してしまう。
 池の水面がすべて覆われるまで三十日間かかるとすると、水面が半分覆われるのは何日目か。
 答えは一日前の二十九日目。
 人間の錯覚をつくもので、まだ池の半分しか覆われていないから大丈夫、時間があると思い込むと飛んだ
 ことになる。』

へぇ~、そうなんだと納得した次に、こう繋がっていく。
この次の文章こそが、言いたかった事であり警鐘を鳴らす内容だったのでしょう。

『地球の環境問題も同様だ。
 湾岸戦争では、ペルシャ湾内外で自然の生態系が大被害を受けたが、環境の破壊と汚染は、予想を上回る
 スピードで進んでいるという。イラク軍の放火で炎上している油田の黒煙は、クウェート上空を覆って
 昼なお暗し。消火まで数年は必要らしい。
 湾内に放出された原油の流れは、タール状の「油球」になって海を漂い、混ざりにくい成分は沈殿して
 海藻やサンゴを死滅させる。
 あの海底は湾岸漁民の生活の糧であるエビの生育場だが、ウミガメやジュゴンも海藻類を食べて生きている
 。その海獣ジュゴンの死体が、サウジの海岸に点々と打ち上げられているとの報告もあるらしい。
 どうみても美形とはいえないジュゴンが、人魚にイメージされたのは主として西欧で、中国の「山海経」や
 日本の「本草綱目」にでてくる「魚身人面」はむしろバケモノふうだ。
 しかしどちらにせよ、油まみれのジュゴンがもし涙を流しているとすれば、その涙は本物だろう。
 黒い油膜がペルシャ湾を覆い尽くすスピードと、自然の微生物がもつ浄化力のせめぎ合いはどうなるか。
 面白クイズふうに考えるには問題が深刻すぎる 』


古い「産経新聞」の切り抜きで、『産経抄』に書かれたものでした。
今目の前に広がる状況は目には安心を弾き出すが実はそれが錯覚であり、明日になれば、あるいは来年になれば、疑う余地もないほど「待ったなしの危険」を見せつける、ということでしょう。
「まだ、大丈夫」という思い違い、計算違いが命取りになる、と警鐘を鳴らす。
安心して寝ていたら、翌日には取り返しのつかない事態になっていた・・・と。


これは「自然破壊」の警鐘でありながらも、私達には「人生の警鐘」のようにも聞こえてくる。
「ハスの葉のクイズ」かぁ~。
謎かけにしては、あまりにもリアルでありぞっとする。
そういう視点で「わたし」の身の回りを見渡せば・・・、思い当たる何かを発見するかもしれない。
今度私は一度、本当にハスの葉はそんなにも速く生育するのかを観に、早起きをして近くの寺まで足を運んでみようか・・・と。


(そう思えば、最近ゴキブリが目立ってきた。気が付いた頃には部屋中が・・・、えっ、そういうことではな
 い?・・・)



昨日みたTVで「官邸の幽霊」として、前総理「森氏」が体験された話を取り上げていました。
森氏の話は、「ドアノブ」がガチャガチャ回されている。が、誰も入ってこない。
そのうち足音が部屋から離れていく音が聞こえる。
誰だ!?と思ってドアを開け、覗いてみたが、誰もいなかった。
という話だそうで・・・。
TVで取り上げるほど「有名な話題」だったのですかねぇ~。

今日はこんなところで、おしまいです。
 

「車いす」を押して思うこと

2013年05月27日 | 心霊現象
今車いすを押して、帰ってきたところです。
いえね、前にあるコンビニまで行った帰りに、信号の手前で一人の方が手を伸ばして何かを取ろうとしている。見ていると車いすが横倒しになりそう。
さらによく見ると、多分財布でもはいったバックだろうか、脇に落ちている。
「危ないです!そのままで、私が拾いますから~」って、声をかけて走り寄ろうとする私のすぐ脇を、こんどはフルスピードの自転車が通りすぎて行った。
「危ない!、なんてことでしょう!」、車いすのご婦人が怒り声で叫ぶ。

一人で車いすを押して、どこまで行くのでしょう?・・・。
行先は、信号を渡って目の前にある「ジョナサン」までとか。
「はいはい、私が押させていただきますね」と、ハンドルに手をかけて押そうとしても、ビクともしない。
あら、私介護から二年近くも現場を離れていたら、車いすさえ動かせなくなちゃったのかしら・・・。
「ブレーキ、かけてます?いない・・・」、やっぱり私の力がたりないのか・・・。
重い、重い。ようやく動いた。車も動きが悪い上に、ご婦人の体重が一段とごりっぱとみた。
あの時は簡単に動かせた「車いす」。時間とともに、私のうでも錆びついたというのか・・・。
信号を渡りながら思う。われ先に渡る自転車の危ないこと。人はそれでも遠慮がちによけながら歩いてくれる。
視点を代えれば、見えていなかったいろんなことが見えてくる。
信号を渡り終えての段差に、またつまずく。重くて車が乗っからない。(施設の車は、もっと楽だったのに)
ジョナサンの玄関までは坂(スロープ)があり、いまどきの心配りがあった。
しかし、扉を指で一端押してから開くという「ドアー」である。
普通の人には便利なものが、車いすだと体を前に乗り出して、手をドアーに着ける行為が難儀になる。
スロープは車いすの幅でいっぱいだから、付き添いが脇に入って、手を貸すことも出来ない。
一端車を後ろへ移動し、あとの一人が開錠して、さらに後ろへ回って車を押すようになる。
次の扉は、引いて開くつくりだ。車いすの人一人では、絶対無理だろう。
すかさず店の人が気が付いて、駆けてきてドアーを押して開けてくれた。
これでやっとそのご婦人は、目的地「ジョナサン」の店内へと入れた、という事になる。

一日一善!なんて事ではない。
これから老後を迎える人が、わんさと後に連なってお待ちだ。
日本の将来が、老人の国と化すことは周知のことなのに、街の一角で起こっていることを見るにつけ、まだまだ「彼ら」老人たちが「住みよいところ」に行き着くまでにはほど遠い。
せめて、手を差し伸べてくれる行為に溢れてさえいれば、救われるし住みよくも思えるだろうに・・・。

ここで思い出すのは、かつてアメリカの何州か忘れたが、聴導犬を連れて留学した女性の話を書いた。
彼女は耳が聞こえないのに、何不自由なく暮らせたという。もちろん犬と一緒ということもある。
が、その州のほとんどの人たちが手話を話せたという。
安心して道を聞き、喫茶店に入って楽しくお茶を飲むことも出来た。
道行くどの人を呼び止めても、彼らには手話が通じるという、そういう人達に囲まれていることの安心感があった。
そうなのだ、この安心感が何よりも住みやすくする条件になる。
私が「介護職」をめざし、教室へ通って思ったことは・・・。
いずれ来る高齢者社会。これからの日本の取り組みとして、私は総国民の介護の心得の徹底ではないかと直感したものだ。
聴導犬を連れた彼女のように、安心に囲まれて勉学にはげめたのは、州の人達の「手話の心得」だった。
ならばこれからの日本は、介護の心得を国民が持つことくらい、必須のことである。
職につくかどうかではなく、道をゆく高齢者の「車いす」くらいは、「まかせて!」といえる国民になって、
今を、そして将来を支えたいとは思わないか・・・。

私の知っている「おじいさん」は、電動式車いすで二回横倒しになり、骨折して入院沙汰になった。
この方は高齢なのにもかかわらず、誰かさんのように文字通り『暴走老人』だったこともあり、周りの人には気がかりな御仁ではあったが・・・。
今はタクシーの運転手さんが、介護の資格を取っている人も多くなった。
しかし、私が高齢者の方とタクシーに同乗したときは、「介護の手助けは、出来ない事になっているもので」
と、ただ見ているだけでしたねぇ。
万が一ケガをさせたら、運転手の責任になるとかで・・・。
仕方のないことであるが、ちょとだけ押さえていて、と言ってもダメだったことは、私としてはショックでしたねぇ。


寝たきりの方の介護は、身内の人や専門家に任せて、道行く人には手を差し伸べることがあたりまえに出来る日本の街々を夢見ながら、高齢者の仲間入りをし、その目線で世の中をみるようになった私でもあります。

先日TVでやっていました。
『笑年隊』が生んだ「おじいちゃんのアイドル」だって~。
「しょうねんたい」というから、あの「少年隊」かと思うじゃないですかぁ。
それに続く言葉がおじいちゃんのアイドル、とくればなるほどなるほど。
元気いっぱい、長生きして住みよい日本を満喫しましょうね~、と、言いたくもなります。
がんばれ!じいちゃんアイドル??。