言葉って面白い!

この日本語、英語でなんていうの?その奥に深い文化の違いが見えてきませんか。

俳句と短歌

2006年03月29日 | 伝統文化
似て非なるものに俳句と短歌があります。
どう違うのでしょう。
よく言われるのは、俳句は「瞬間を切り取る」、短歌は「心情の変化を読み込む」ということです。
短歌は小説や映画、俳句は写真に似ているともいわれます。
もちろん全ての作品がそうだというわけではありませんが、文字数が少ない分、俳句は凝縮して表現しなくてはならないのは必然でしょう。

例えば与謝蕪村の春の句。

菜の花や月は東に日は西に

有名な句です。
春の夕ぐれ時、菜の花畑に立てば、月が東に昇り日が西に沈む。
これから数分経てば、日が完全に沈み、この句の世界は目の前からなくなってしまう。
その一瞬の情景を感情を交えずに表現しています。
しかし広々とした空間、夕暮れ時の光の加減など、言葉に表されていない様々なことを感じさせてくれます。


ではこちらの和歌はいかがでしょう。

奥山に紅葉ふみわけ啼く鹿の声聞くときぞ秋はかなしき (猿丸太夫)

百人一首にも入っている秋の歌です。
人気のない山道を落ち葉を踏みしめ歩いていく。ふと聞こえた寂しげな鹿の声。秋が暮れゆく。物悲しい気持ちが湧き上がってくる。
こちらは、「かなしき」という心情を言葉で表しており、また歩いていたら鹿の声が聞こえてきた、という物語性、時間の経過を短いながらも表現しています。

この歌を読んで、晴れ晴れとした気分になる人はいないでしょう。
しかし蕪村の俳句は、寂しい気分になる人もいれば、さわやかな気分になる人もいるでしょう。
日の暮れる風景に重きをおくのか、菜の花の美しさや広々とした空間に重きをおくのかで、この句をどのような気分で鑑賞するかは、人それぞれです。
読む人の感性にゆだねる、といえるかもしれません。

十七文字と三十一文字。
わずか十四文字の違いですが、結構大きな違いなんですね。

TB
http://sukima-nozoki.seesaa.net/article/16087129.html

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