はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

伊豆達磨山・金冠山3

2012-11-22 18:05:54 | 低山歩き
       伊豆達磨山・金冠山3                   歩行月日2012/11/15

歩行時間:5時間00分 休憩時間:1時間50分 延時間:6時間50分
出発時間:8時40分   到着時間:15時30分
歩 数: 30、100歩   GPS距離:21.4km

行程表
 修善寺駅 バス> 大曲茶屋 0:40>  船原峠 0:40>  土肥P 0:30> 古稀山 0:20> 達磨山 0:35>
 戸田峠 0:15> 金冠山 0:35> 市民の森 0:10> 大洞展望台 1:15> 木負 バス> 沼津駅 
 (※迷い時間は除きました) 

   
                    金冠山から伊豆3山
山行記
山頂より少し下がった所から伊豆3山の全てが見えた。
城山の岩場も見え、葛城山の山頂の鉄塔も見えている。これならあの山からもこの金冠山を見る
事が出来そうだ。次回伊豆3山に登った時は確認する事にしよう。

金冠山の山頂の石仏というか墓石のような置石は、戸田村(現沼津市)の観光課と青年団が建てた
「金冠山」と彫ってある標識だった。
それにしても金冠とは何を意味するのだろう? 麓から見て山頂付近が金の冠のように光って見えた
のか? ならこの岩が朝日か夕日に反射して輝いたのか?

  
  金冠山の標識4948              沼津側降口           熊笹の道

遅れた時間も挽回し、逆に早まってきている。予定では金冠山を13時30分に出る予定だが今は
12時30分で、余り早くバス停についても仕方ないので、少し長いが30分の休憩を取り13時に出発する。
此処から海までの下りで、道が分からないなど最悪の場合は、林道を下る積りだ。しかしハイキング
コースがあれば極力その道を歩くつもりでいた。そして金冠山からの下りは----

有りました!「沼津市市民の森」の標識が草叢に建っている。そしてその先は熊笹を切り開いて気持ち
良さそうな道が延びている。よしこの道を行こう。


  
   ハイキングコースの標識      日本庭園        林道横の展望台      

オッ!標識があった。今までの標識は「伊豆山稜歩道」だったが、この標識は「金冠山ハイキング道」
になっている。この標識に従って行けば海の近くまで下れそうだ。

「日本庭園」の名札のある前には倒木があり庭園の面影はない。いや倒木が無くても庭園は少々過大
評価過ぎるだろう。だが何も建っていないより、こんな物でもあれば心強い。
舗装された林道に出て少し下ると木製の展望台があった。高度が下がって来たので愛鷹山が徐々に
富士山の下を隠し始めている。
ハイキングコースは展望台の右側から、まだ下に続いていた。


   列石                  リンカーンの椅子            四辻

林の中に山道が続き不安になりそうな頃木製の段々が現れホッとする。今度は「列石」と書いてある
標識があった。きっと石が列状に続いているからだろう。次は「リンカーンの椅子」とある。何故
リンカーンか分からず普段なら突っ込みを入れるとこだが、今はこんな物でも有りがたい。

標識があり、前方が堂山展望広場、右は管理棟、左はカラスビラとなっている。
さてどちらに行こう。標識の横に「堂山展望台 駿河湾を前にした日本一の富士山を眺めるに
一番ふさわしい所です。展望台まで12分、大杉まで17分。 戦争中は、この細長くて平坦な尾根を
利用して飛行場が計画されたことがあります」
と書いた案内板が立っていた。
うーんこれなら展望台や大杉に行ってみたい。だが大杉から先の道はどうなっているのだろう、
続いているのか、それともここに引返すのか----- 
右下に市民の森の管理棟があるようなので聞いてみよう。

 
     市民の森の工作室               展望台への道

工作室と表示のある建物に行くと、入口は開いていて中の明かりは付いている。しかも下駄箱には
靴も脱いであるので誰かいるだろう。しかし声を掛けるのだが返事が無い。工作室の中に入って
呼びかけたが駄目。外には軽自動車も停まっていて誰かいるに違いないのだが応答は無かった。
ウーン諦めるしかないか。しかしどうしよう、展望台に行ってみるか、それとも林道を下るか。
戸田峠からここまで4km歩いている。ならば残った距離は6km前後だ。今の時間は13時30分で
最終バスまでには2時間半以上ある。
ここから大杉まで17分で先に道が無くて、またここに戻ってくると40分は必要だ。それでも14時10分で
最終バスまでには2時間ある。2時間あれば舗装された下りの林道なら十分余裕のある時間だ。
よし行ってみようと展望台に向けて歩き出した。

四辻からの道は上りが終わると平坦な道で、飛行場ができるとは思えなかったが歩きやすい道だった。

 
   堂山展望台                       展望台からの富士山

管理棟から8分で展望台に到着。先程の展望台と同じような景色だが淡島はズンズン近付いてきている。
今日は富士山よりも淡島のある内浦湾の景色の方が綺麗に感じる。
サー次の大杉から先の道が心配だ先を急ごう。

  
   大杉への道               大杉              河内の大杉

展望台から大杉への道は、標識は立派だったが、道には雑草が生い茂り見た目は不安を誘う。
どうやら大杉まで行く人は少ないようだ。それでも擬木で作った段々があるので迷う心配は無い。
だが植林された林の中に入ると、その段々も終わり、木の根が張った場所は道も定かではなくなる。
何処が道なのか分からないが真っ直ぐ下に向かうと、また段々が出てきた。そんな場所が30m程度
あったが心配するほどではない。
小さな沢の先に太い幹が見えてきた。あれが大杉なのだろう。
時々行く島田千葉山の十本杉は真っ直ぐ一本で上に延びているが、ここの大杉は地上3m位の
所で幹分れしている。その幹が分かれた所から黄色の花が顔を出していた。宿花?

此処からの道はあるのだろうか、少々不安を感じながら辺りを見ると、下の方に案内板があった。
そしてその先には下に続く道が見えている。ラッキーきっとあれは下から来る林道に続く道だ。

案内板には「河内の大杉」として「樹高43m根回り13m 県指定天然記念物」と案内してあった。
案内板から下に伸びる道は、今歩いてきた展望台からの道より太くはっきりしていて、この大杉の
見学者は上から来る人より下の林道からの多い感じだ。これで一安心。


   大杉への標識          林道合流              谷は深い

大杉から2・3分で道が太くなり標識が建っていて「禅長寺 2.2km」となっている。たしか禅長寺は昨夜
点検した地図にも載っていた。これで道の心配はなくなった。

標識か50mも行かないうちに舗装された林道に合流。その合流部は四辻になっていて左右は舗装された
林道で、正面の下りの道の入口には線が張ってあり進入禁止のようだ。
さて右に行くべきか、左に行くべきか判断に迷う。山から下って来たのだから、この先も当然下り坂の
はずだ。なのに左右の林道はどちらも上り坂になっている。
気持ちは正面の下りの道に行きたいが進入禁止だし、仕方ない左右の道を確認してから決定しよう。

先ず左の道を登ってみる。しかし上り坂は続き、このまま行けば最初の展望台の横に出てしまいそうだ。
次に右側の道を歩き始める。こちらもズンズン高度を上げていき前方が開けた所から見えた景色は----
まいったな、この谷を越して前の尾根に行くとはとても思えないし、この下に道があるとも思えない。
この先はきっとさっきの市民の森の管理棟への道なのだ。仕方ない合流部まで戻ろう。

合流部へ戻る途中から道の脇に2本の線が張ってある。これは動物除けの高圧線だ。ならさっき進入
禁止の線はこの高圧線に違いない。
合流部に戻り確認すると間違いなく動物除けの線で進入禁止ではなかった。馬鹿だなー、線が張って
あるのをチラッと見て進入禁止と思い込むなんて。無駄な時間を費やしたがこの線を跨いで行こう。

合流部から5分も下って行くと再び禅長寺への標識が出てきました。

 
      林道下の富士山4995                内浦湾4997

林から抜けるとみかん畑の先にに富士山が見えた。ミカンと富士山はいかにも静岡からの富士山だ。
静岡には幾つかのミカンの産地があるが、この辺りのミカンは西浦ミカンと呼ぶ産地だ。
でも甘いかどうかは分からないが、海に近く潮風をふんだんに受けるのできっと甘味は強いだろう。

 
     源頼政墓所                     菖蒲塚  

今度こそメインの林道に合流。その林道は左は上り坂で、右は下り坂。もう間違いようはない。
林道を少し下ると寺らしき屋根が見えてきた。あれが禅長寺なのだろう。道脇に墓地もあり、
その中に何やら由緒あり気な立派な墓がある。「史蹟 頼政 菖蒲之前 墓所」の標識がある。
案内板が無いので多分、源頼政の墓だろうと思うが定かではない。家で調べてみると
「源頼政は保元の乱、平治の乱で勝者の側に属し、戦後は平氏政権下で源氏の長老として
中央政界に留まった。平清盛から信頼されたが、平氏の専横に不満が高まる中で、以仁王と
結んで平氏打倒の挙兵を計画したが露見して準備不足のまま余儀なく挙兵し、宇治平等院の
戦いで敗れ自害した(以仁王の挙兵)」
とあった。
頼政の事は余り知らないが、宇治で討死した頼政の墓が何故伊豆のこんな所にあるのか、
ウィキペディアにも書いてない。
その墓の前には「菖蒲塚」もあった。折角こんなに立派な墓を作ったのだから、せめて案内板
くらい設置して欲しかった。そうそう菖蒲之前とは頼政の妻ことだそうだ。

     

河内農協の横に「金冠山ハイキングコース」の案内板が建っていた。
自分が歩いてきた道をジックリ確認をすると、まず金冠山から「尾根道ルート」を管理棟まで
歩き、その先は堂山展望台と大杉を訪ねる「大杉・堂山ルート」を歩いている。よく見ると
大杉の先で林道を横断しているのも分かる。そしてその林道の先を見てみると------

先ず左の林道の先は辿ってみると、矢張り林道横の展望台を通り戸田峠に抜けていた。
ただ途中で道は合流していて、その合流した道は今立っている河内農協の道だった。
しかし私が歩いてきた道より随分遠回りをしている。

右の谷が深いと引返した道も、やはり市民の森の管理棟に行く道だった。こちらも道も途中で
合流していて、最初に合流した道は「河内川ルート」といい、川筋を下って禅長寺辺りに抜ける
道だった。更に上で合流する道は「中野・手越ルート」といい車で市民の森へ行く道で、
私がこの下にもあの尾根にも道は無いと判断した所を道が走っていたことになる。
だがいずれの道もも歩いてきた道よりずっと距離は長く、私が歩いた「大杉・堂山天ルート」
距離が短く、歩きでは最適の道のようだった。

この案内板が金冠山の山頂か林道横の展望台の所にも設置してくれてあれば、あれほど
迷ったり悩んだりしないものをと残念な気がする。

ウーやっと目の前に海が見えてきた。あの交差点がバス停の「木負(きしょう)」だ時間は
15時30分で丁度良い。だけど「木負」で何故「きしょう」なのだろう、とても読めない字だ。
漢字辞典を見ても「負」「しょう」とは読まない。勝負の字を勘違いして逆に解釈して
しまったのだろうか。今度誰かに知ったかぶりをして教えてやろう。

その時後ろから何やらバスのエンジン音らしき音が、慌てて振り向くと「沼津駅」行先表示の
あるバスが--------
何故??最終は16時7分なのに、何故今バスが来たのだ。バスは海岸線を大瀬崎から来る
のだから、前の道を走っている筈だ。それが後ろから来るとは考えられない。でもそんな事を
考えている時ではない、今はあのバスを停めなければ。
私の横を通り過ぎたバスに両手を振って合図をする。ドライバーに見えますように!

バスは停まってくれた。

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