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富士宮登山組合の富士山マップ
四辻からは御殿庭に行き、その後幕岩と須山御胎内を経由して水ヶ塚へ戻る予定だった。
今の時刻は12時15分で時間的には余裕がある。ただ久し振りに大砂走りを走ったせいか足に疲れが出てきていた。
四辻の標識には御殿庭まで65分とあるがこれは何とかなる。だがその先の行程がよく分からない。
そこで印刷してきた富士宮登山組合のHPにあった富士山マップを調べてみた。
(このマップは時間を把握するには便利でした)
最初の計画は四辻から御殿庭上、中、下と通り、再度四辻まで戻り幕岩、御胎内と歩く予定をたてていた。
こうすれば御殿庭の周遊も、須山口下山道の完全走破もしたことになる。
だが少々疲れた状態で四辻に来てみると、その意欲は減退してしまった。だって計画通り歩くと四辻から御殿庭を
周遊して四辻に戻るだけで175分掛かるし、休憩を入れれば4時間弱は必要になる。
それから水ヶ塚まで95分も歩くとなると水ヶ塚着は6時頃になってしまう。それから車を運転して家に帰るとなると
何時になるか分からない。ヤメタ、ヤメタ! 今日は須山登山道を歩くだけにしよう。
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踏み跡ばかりで行先が分からない 木に隠れ杭が見えなかった
時間的に余裕ができたので四辻でユックリ休憩をしてサー出発。アレー!俺の行く道はどれだー?
草のない所はいたる所が踏み跡のように見えて自分の行先を見失ってしまった。慌てて四辻の標識を確認し
進行方向を定めて再度出発する。
四辻からは道がハッキリしているだろうと気が緩んだのか、そこからのが道の方のが分かりにくかった。
杭が木の陰に隠れていて見え難かったり、道より離れた場所に岩に「マクイワ」と書いてあったので、
次に岩が白く見えたので近寄ってみたら自然の白さだったりした。
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樹林帯入口の標識 富士山自然休養林歩道の標識
それでもようやく樹林帯の入口に辿り着く。樹林帯の中に入れば御殿庭の登山道のように踏み跡が明確になる
だろうから、もうガスが濃くなっても心配ない。 しかし安心する度に試練は待っていた。
草も無く黒い地肌を露出した道を進んでいると、右の奥に杭が見える。アレー道はあっちなのかと方向転換。
行って見ると、杭が立っていて黒い踏み跡も付いていた。アー良かったと踏み跡を辿り10mも行くとその踏み跡が
無くなってしまった。何だコリャ?
杭まで戻り周辺を探すが道らしき物はない。ここでは少々焦ってしまった。もうガスが濃くても大丈夫などと
思ったせいか濃いガスが立ち込めてきていた。焦らない、焦らない。最初の標識まで戻り再度歩きなおそう。
樹林帯入口の標識近くまで戻るとガスは急速に消えていった。
焦らず初心に戻ったので神は助けてくれたのだろう、など都合の良い事を考えながら再度挑戦。
今度は右に見える標識を無視して踏み跡を前進。
何の事はない、先ほど右奥の杭に気づいて場所より少し先に「富士山自然休養林歩道」の標識があった。
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最初の沢越え これが幕岩の子供?
その標識の少し先で道は涸沢の中に延び、対岸にはロープが見えている。
この沢に水が流れていたらとても渡れそうにないが、夏の間は余程の大雨でも降らない限り大丈夫だろう。
須走口には雪解けの頃出現する幻の滝があるそうだが、ここも水が出ればどこかで滝ができそうな感じだ。
沢の土手が崩れ大きな岩が露出している。幕岩もこんな感じなのか。土手の岩が幕の様の横に連なっている。
そんなイメージの場所なのだろう。
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2本目の沢越え 幕岩上の標識
最初の涸沢を渡るとすぐ次の涸沢になった。今度の沢は最初の沢より大分小さく岩も露出していない。
沢を登った場所に「幕岩上」の標識があった。ここから三辻に行けるようだ。
ここの標識では何の疑問も抱かず水ヶ塚・幕岩方面に進んだが、次に出てきた標識で頭を抱えてしまった。
幕岩は御胎内に行く途中にあると思い込んでいたのに、ここの標識は幕岩は御殿場口と、御胎内は水ヶ塚と
同じ方向で、幕岩と御胎内とは別方向だった。
幕岩は御殿場口に行く途中にあり、御胎内や水ヶ塚に行くには、ここまで戻る必要があると知っていれば
何の事はなかったのだが、迷いそうでもない道は事前調査をしない私の悪い癖のせいで悩んでしまった。
ともかく標識の幕岩まで10分と書いてある方角に行ってみよう。
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幕岩 幕岩
標識から急な道を下って沢に下り着く。そこが幕岩だった。
事前に描いたイメージと違って幕岩の最初の感想はナンダ―だった。だってこの程度の岩場ならあちこちに
ありそうだ。しかも岩に木が生えているせいで岸壁の大きさが分かりずらい。
マーいいか。これで幕岩がどんなものか知る事ができた。
幕岩の入口の標識には、今来た道を指して「御殿庭・水ヶ塚」となっていた。
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世界遺産構成資産の道 1合5勺の分岐
幕岩から先程の標識まで戻り水ヶ塚・御胎内方面に向かう。
この辺りは古代の須山口登山道で世界遺産の構成資産になっている所為か(そんな事はない)道の周辺の
木々が涼しげで気持ち良い。
真夏の今こんなに状態なのだから春は新緑、秋は紅葉で綺麗だろう。今年の秋にはもう一度歩いてみよう。
林の中に下りの1合5勺の分岐があった。ここを右に登れば海から剣ヶ峰で歩く登りの1合5勺に行くようだ。
今日はさらに下がって御胎内・水ヶ塚に向かう。
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須山御胎内 御胎内入口
御胎内上の分岐で左の御胎内に向かう。右は水ヶ塚に向かう道で帰りはここまで戻ってくるようだ。
御胎内に13時40分到着。御胎内の周辺は思っていたより簡素で、古い木製の鳥居と両側に竹を立て注連縄で
結んであるだけだった。
須山御胎内自体も、近くにある国指定の天然記念物の御殿場印野御胎内と比べると余り知られていない。
私もここは初めて来たので楽しみだったが、印野御胎内のイメージがあるので何とも寂しかった。
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御胎内内部 御胎内出口
溶岩洞窟の入口から中を除くと奥が見えていて、出口らしく明るくなった所にある階段も見える。
これで御胎内?
案内板には「洞窟の全長は数十mあったが、表面の薄い所が陥没し現況になってしまった」失礼しました。
御胎内の出口に行ってみると梯子が置いてありこれを昇って出るようだ。
案内板の説明が本当なら、この先も洞窟は続いている筈なのに閉鎖してしまったのだろうか。
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もう一つの隧道 御胎内周辺は広々している
鳥居の反対方にもう一つの溶岩洞窟があった。こちらの洞窟はさらに短く洞窟と云うより下水溝と云った
感じがする。(悪口の言い過ぎかな)
洞窟は期待外れだったが、これは自分が勝手にイメージを膨らまさせていたのが悪いのであって仕方ない。
しかしこの御胎内周辺の持つ雰囲気は静で落ち着いている。先ほどの案内板には
「かっては数軒の室もあり、登山者を調べた須山口の役所もあった」とあるが
それが誇張でなく広々とした気持ち良い場所だった。
だが待てよ!
今年4月にここの地元須山で「須山浅間神社と須山口登山道」の説明会があったので聴講した。
その時この御胎内から幕岩にかけてと、現在の御殿場口2050m以上の登山道が世界遺産の構成資産に申請して
あるとし、さらにここの溶岩洞窟は宝永火山で出来たのではなく、更に古代の噴火の溶岩だと説明があった。
その時はそれで納得し、古代の須山口登山道は御胎内-幕岩-2合8勺付近-御殿場口登山道だと想像した。
それが宝永山の噴火で2合8勺付近が火山灰に埋没し、須山口は一時閉鎖に至った。
その閉鎖から30年後に須山口は再開発され登山者で賑わったという。
となると今日歩いた2合8勺からの砂礫地帯は宝永火山のあとに再開された登山道なのか?
なら構成資産にしそうなものだ。では御殿場線が開通し御殿場口が開発されると須山口は衰退し廃道になって
しまったという。そのためここの砂礫地帯で当時の登山道を見付ける事ができなかった。
だから今回世界遺産の構成資産に幕岩から2合8勺までの砂礫地帯を申請しなかったのだろう。
しかしそれにしてもユネスコの世界遺産認定委員会は細かい事を気にしすぎだと思う。
いや申請する日本が気を使い過ぎなのか。
何も旧須山口1合目の御胎内から山頂の銀名水までを須山口として申請しても良かろうなものだが。
ところで案内板の「数軒の室があった」のは宝永山の噴火の前なのか、それとも後なのか。
それに「登山者を調べた須山口の役所もあった」とあるが、ここで入山料を徴収していたのだろうか。
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須山口登山道に合流 雨の水ヶ塚
今日は自衛隊の演習の日なのか大砲や機関銃の音がよく聞こえてくる。特に標高も下がった幕岩付近からは
大砲の音が体に響くように聞こえてくる。
富士山が世界文化遺産に「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の名称で登録されたからか、富士山を
「信仰の山」と言う人がいる。この人たちはこの響き渡る大砲の音を聞いた事があるのだろうか。
信仰の山富士山が産んだ麓の大草原で戦争ごっこをしている。それでも信仰の山なのか。
道を少し戻り最後の目的地水ヶ塚に向かう。幕岩辺りから小雨が降りだしたが木々の葉が雨よけになり
傘も合羽も必要なかった。だが御胎内を過ぎると木の数が減ってきたのか、それとも雨が本格的になったのか
傘を差さずにいられなくなった。富士山も樹林帯の上では傘では役に立たないが、麓の林の中では合羽より
傘の方のが使い勝手が良い場合もある。何しろ今日のような夏は暑くないのが良い。
14時25分水ヶ塚着。
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