はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

静焼アルプス・花沢山

2012-03-12 11:14:56 | 低山歩き
満観峰~日本坂峠~花沢山

 満観峰を2時40分出発。この時間なら焼津駅に明るいうちに着けそうだ。
徳願寺の尾根の山頂に置いてあったノートには「これから満観峰を目指す」と書れたものがあったが、そのコースは満観峰から丸子富士を登り、朝鮮岩に出て丸子に下るコースなのだろう。このコースの利点はスタートとゴールが同じ周遊コースにできる事だ。車利用なら佐渡山の下にあるマックスバリューへ車を駐車することも可能だし、時間も満観峰から2時間程度で丸子まで下ることができる。だが満観峰のノートにはその人の記入は無かった。

これから私の行く満観峰から簡保下までの2時間30分と比べれば僅か30分の違いだが、その中身は相当違う。丸子に下るコースは途中にある丸子富士への登りがきついだけであとは左程でもない。一方花沢山に向かうコースは満観峰から花沢山にかけて4個のピ-クを越えて最後に花沢山の登りがある。そしてそこから焼津アルプスと呼ばれているアップダウンの道が簡保下まで続いている。

今日は今まで一人のハイカーとしか出会っていない。しかもいつもなら必ず登山者がいる満観峰でも私一人だった。今日は平日とは言え時間はまだ3時。何故だろう倒木の影響なのだろうかと考えていたら、早速ハイカーと擦違った。
ソーこの尾根道は東海自然歩道のバイパスコースとなっていて、この山塊では一番人気のルートなのだから擦違うのは当然なのだ。何となく嬉しくなってニコニコ顔で挨拶を交わした。

久し振りに三角点が現れた。三角点とは三角測量を行う時に使う基準点のことで、経度・緯度の算出に利用している。ということは三角点は標高を出す基準点でなく、位置を出すことに利用している。だから高い所にあるとは限っていない。とは最近理解したが徳願寺の尾根のように次から次へと何カ所も三角点があると思えば、宇津ノ谷峠から3個のピ-クや満観峰を越えてこの三角点の間には一つもないのは私の頭では理解できない。
三角点の話ついでに、三角点の埋設方向が「○等 三角点」と書かれた方が南を指していると言う人もいるが、一概には言えないようだ。平均南向きが多いが今日あった三角点も飯間山や?山の三角点は北向きだった。ちなみにここにある三角点は南向きだが。
それと三角点の等級も標高が高いから等級が高いということもない。富士山剣ヶ峰にある三角点は二等三角点だったし、方向は----残念ながら安物の方位磁石のため泡が出て正確に測れなかった。
もう一つ薀蓄を。三角点の標石の文字が薄れて読めない場合が多いが、一等は18㎝角、二等と三等は15㎝角、四等は12㎝角なので、少なくとも四等の区別は出来る。
そうそう位置を表す基準が三角点なら、では高さの基準は? それは水準点で「水準点標石」がなんでもないような道路わき設置されています。

  
  バイパスの標識                           三角点

 三角点を過ぎると急な下りの階段が始まる。満観峰までの道は階段などあまり整備されていなかったが、さすが東海自然歩道のバイパスコースだけのことはある。更にこの尾根は一番高い満観峰から下り気味の尾根なので、日本坂峠に向かう方が大分楽になる。フー助かった。
徐々に倒木が現れだしたが登山道には1本もなく見事に整理されていた。倒木が整理される前は「アスレチック」のようっだったらしいので、私にはとても歩けなかっただろう。ありがたい事です。

   
  急な階段                            整理された倒木

 昔雨乞いが行われたらしい「水分大神」の石碑の所から富士山が見えていた。以前は見えていたか記憶にないなが、倒木のお蔭で見えるようになったのだろうか?
そうそうこのピークにも名前が付いていない。せめてこの山ぐらい「水分山」とか「雨乞山」とか名付けても良さそうだが。

    
  水分大神                              水分大神の前から

 この辺りから倒木が更に酷くなってくるが、登山道は全て片づけられている。送電線の鉄塔から下も以前は林だったのが殆どの木が倒れ視界が良くなっている。日本坂峠も上から眺められるようになっていて、花沢の里に下る道も見えている。登山道横の木陰に鎮座していた日本武尊が隠れたと言われている祠も、今は清々陽があたる状態で、穴に祀られている仏様もさぞ落ち着かない事だろう。
今日の静焼アルプス縦走で幾つかの東海道を越してきた。その中でも日本坂峠は最古の東海道で、1300年余前の大化の改新の翌年(646)には「ひむがしの海のみち」として正式の官道と認定された道だった。これがいわゆる東海道のはじめと言う。
次に東海道になったのは蔦の細道で平安時代から室町時代にかけて利用されていた。更に鎌倉時代になると東海道は宇津ノ谷峠へと移って行った。
何故このように時代とともに街道が移ったのか? また私の妄想的歴史観だが、これは昔の旅人も楽をしたかったからではないか。日本坂峠は標高310mに対し蔦の細道は210mと100mも低い位置にあり、宇津ノ谷峠は更に170mと低くなっている。また登り口も日本坂峠は海に近い低地から出発して海に近い所に下りている。一方蔦の細道や宇津ノ谷峠は麓の岡部や丸子はすでに標高は50mから70mは上がっている。こう考えれば必然的に日本坂峠→蔦の細道→宇津ノ谷峠へと変遷したのも頷けると思う。

  
  日本坂峠が見えるようになっていた                  日本武尊が隠れた穴?

 日本坂峠に3時20分到着。まだ途中離脱する気はない。だが余りゆっくりできないので写真を撮っただけで出発する。この峠から花沢山までは上りの連続だが、これを上り切れば残りの登りは多寡が知れている。
登りながら後ろを振り返ると満観峰と丸子富士が見えていた。何処から見ても三角に見える丸子富士はいい目印になる。これで名前が丸子富士でなければもっと親しみが湧くのではないか。でも私の提案した吐月峰(とげっぽう)も硬すぎて親しみが湧きそうもない。それならいっそ「三角山」はどうだろう。これなら名は体を表すで一度聞けば忘れないだろう。

今度は西側が開け焼津の町が見えてきた。ここまでくれば花沢山の山頂は目の前だ。

  
  満観峰と丸子富士                              焼津市街

 花沢山の山頂は無粋な山頂だ。まず登ってきて目に入ってくるのは巨大な2枚の壁だ。これはJR東海のアンテナの反射板で、これが登山道を挟んで東西に建っている。景色? 勿論そこからは見えないが、お情けなのか東側の反射板の横が開いていて富士山が顔を出していた。
諦めて三角点のある山頂に向かうが、ここも防火帯で切り開いた隙間から焼津の町が少し見えるだけだ。ここには以前航空灯台があったとかで、その基礎だったのかコンクリの塊が残っている。灯台があった位だからここからの眺めはきっと良いに違いない。どうせ台風で倒されるなら、ここの木が倒れれば良かった、などと不謹慎な考えも浮かぶ。
花沢山にも登高ノートが置いてあった。これは岡部の沢口さんという方が個人的に設置してくたようで、大崩山塊の主な山頂に設けられていた。普段はこの類のものには余り記入はしないのだが今日は違った。勝手に付けた静焼アルプスを広めたくて「静焼アルプス完歩挑戦中!」として主な区間の所要時間を書いてきた。誰か物好きがこれを読んで挑戦しないと限らない。そうなると嬉しいな。

  
  反射板の横から                            花沢山山頂

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