あなたも社楽人!

社楽の会の運営者によるブログです。社会科に関する情報などを発信します。

哲学入門28 ヘーゲル 人倫

2019-02-15 05:29:47 | 哲学の窓
白坂慎太郎先生の哲学入門

第28回は、ヘーゲル 人倫です。
 ここからhttps://www.youtube.com/watch?v=dfViN8Z-a2Q



ヘーゲル(1770年 - 1831年)の3回目です。

ヘーゲルとカント(1724年 - 1804年)との違いは、個人の内面の自由に関わること。
ヘーゲルは、自由を国家にまで結びつけて考えます。
その過程を見てみましょう。

カントは、内面の良心を問題にしました。

しかし、ヘーゲルは歴史哲学者。
国家の流れと個人の関わりを考え続けてきた人です。



個人の内面と、現実社会の法や制度は一体として考えるべきと言う立場を取りました。
それが「人倫」という概念です。



ヘーゲルのいう 人倫 = 主観 + 客観 = 道徳 + 法

法や制度を、家族、市民、国家と結びつけて考えていきます。



家族は人倫の基本単位。これは分かりますね。

そして、成人して市民社会の一員になります。



ヘーゲルは、市民社会を、人倫の喪失態としています。
ヘーゲルの生きた時代がそうだったのかもしれません。

家族と市民社会が止揚して、国家になると考えました。



人倫 = 道徳 + 法 としましたが、その形が国家なのです。

自由についての、カントとヘーゲルの考え方のまとめです。



ヘーゲルは、他者との関わりを重視したのです。
彼を歴史哲学者としましたが、社会哲学者とも言えますね。

カントは、中国でいうと老子のような達観したイメージと、日本の密教の修行僧のようなストイックなイメージとが被ります。
しかし、ヘーゲルは、社会の中の個人という枠で考えたのです。

これは、後に大きな影響を与えます。

ただ、ヘーゲルにとって、国家はある意味理想的なものです。

しかし、それから200年たった今、国家はヘーゲルのいうような機能を果たしているのでしょうか?



国家が、経済に止揚されるとどうなる?

次からは国家について考えてみましょう。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。