以下は前章の続きである。
ポグロム
そのなかの一人が、ルイス・アルメイダだった。
「アルメイダは1557年に日本で初めて西洋医学病院を開いたが、ポルトガル系ユダヤ人だった。現在でも大分県にその名前を冠した病院が、存在している」
西洋諸国がアジアへ進出するのとともに、多くのユダヤ人が日本を訪れた。
もっとも、当時はキリスト教徒によって残酷なユダヤ人迫害が、全世界にわたって行われていたから、これらのユダヤ人は全員がキリスト教に改宗したことを装っていた。
「東京大学で教鞭をとった日本で最初の歴史学者は、ドイツ系ユダヤ人のルイス・リーゼだった。イスラエル国歌を作詞したナフタリ・インバーは明治天皇を敬って、多くの詞と曲を捧げた」
このような例はいくらもあるが、私はアルベルト・モッセをあげた。
モッセはユダヤ系ドイツ人で、明治憲法の起草を助けたことで知られ、日本に招かれて内閣顧問となった。
「モッセはモーゼを意味する。1940年にモッセー族が、ベルリンの日本大使館によって保護され、ナチスの強制収容所へ送られるのを免れた」と、注釈を加えた。
私はジェイコブ・シフ、ヨセフ・トランペンドールなど多くのユダヤ人の業績や、挿話に触れた。
シフは日露戦争において、大きな役割を果たした。
日露戦争前夜に日本の国家予算はロシアの10分の1、外貨保有額もほぼ同じことだった。
誰も世界に対して開国してから、まだ30年しかたっていない小国の日本が、ロシアに勝つとは思わなかった。
シフは、ニューヨークのターン・ローブ投資銀行を経営していたが、世界中のユダヤ人に呼びかけて、日本が日露戦争の戦費を賄うために発行した国債の半分以上を、ユダヤ人が引き受けた。
シフは戦後日本に招かれ、明治天皇から陪食を賜り、最高勲章を贈られた。
シフが日本を助けたのには、大きな理由があった。
ロシア語で「ポグロム」というが、今日でもユダヤ人だったら、誰でも知っている恐ろしい言葉だ。
ユダヤ人村を襲って焼き、虐殺する迫害が行われていた。
世界のユダヤ人が、ロシアと戦う日本を援助したのだった。