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萎縮せず政策に意見する…経産省メディア・コンテンツ課課長補佐…朝日新聞11月22日15面より

2011年11月22日 15時54分40秒 | 日記
大学3年生までは、自分が役人になるとは、全く考えていませんでした。どちらかというと、つまらない人種の集まりだと誤解していたぐらいです。

国際弁護士になりたくて、司法試験の勉強をしていました。でも、法廷に行ったり、弁護士に会ったりしたら、イメージと違っていた。迷っていた時に何人かの官僚と会いました。その話が面白くて、方向転換したのです。経産省を選んだのは。

「世の中を本気で変えられると思っている集団」だと感じたからです。入省後も充実しています。以前に提案した中国やモンゴルなど特定の国を資源外交の重点に置いていこうという方針は、政府内の合意にもなりました。

今はクールジャパン戦略の担当です。国内産業界からは期待が高いのですが、国が文化外交を後押しすることに対し、海外の相手先からの警戒感があり、難しさも感じています。

最近の「経産省解体論」や「不要論」のような話を聞くと、期待されなくなることへのつらさはあります。世の中の人からすると、官僚が何をしているかの像は結びにくいし、私たちも自分の仕事の説明をしっかりできていなかった。

経産省が立ち直るには、針のむしろに座らされながらも、めげずに「おかしいことはおかしい」と言う経産省の原点に戻ることだと考えてます。霞が関の政策全体に対して「これでいいのか」と問う存在でないといけない。

近年、公務員批判をまじめに受け止めて萎縮し、国全体の構造問題に意見するのをやめてしまったように思います。誰がみても国の財政はまずいし、医療は非効率だし、社会保障は破綻に向かっているようにみえる。

自分の省の管轄ではなくても、あるべき政策をきちんと訴える役所が必要です。私が入省後の米国留学で医療経営を専攻したのも、そんな問題意識があったからです。

確かに、経産省の役人としては、例えば規制緩和の仕事をすればするほど、旧来型の規制行政の中では存在感がなくなると感じます。ある意味で、タコが自分の足を食べている感覚で、自分たちが要らなくなる世の中を目指して働いているようにも思います。

けれど経産省は、世の中を変えることは可能だと思っている前向きな集団です。こうした「経産官僚的マインド」がなくなってしまっては、国にとってもマイナスではないでしょうか。(聞き手・高野真吾)

須賀 千鶴さん
80年生まれ。03年、経産省入省、資源エネルギー庁などで勤務後、米国留学。今年7月から現職。
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