以下は前章の続きである。
で、支那は図に乗って「世界がユダヤ人を排斥する中、人道的な支那人が上海に3万人の難民を受け入れた」とその当時の収容施設とともにユネスコの記憶遺産に登録したいと言い出した。
その施設が日本租界の虹口の日本人学校。
確かにそこにユダヤ人が入ったのは間違いないが、受け入れたのは支那人でなく日本人。
ソ連国境のオトポールで凍死寸前のユダヤ人を関東軍が助け、「満洲国から上海の日本人租界を経て」というナチからの逃避ルートが確立された。
このルートの背景には杉原千畝がリトアニアで発行した6千通のビザも絡む。
これとほぼ同時期に日本から出されたのがまさにその杉原千畝の命のビザだった。
ボコバはどうしたか。
杉原の申請を却下した。
支那とのどっぷりの関係がこれほど明確に出たことはない。
恐らくは、ほとぼりが冷めるのを待って支那の申請を認める腹づもりだったと思われるが、彼女のあまりの汚職三昧もあって再選もなくユネスコを追われた。
国際評価は時間をかければ変わることもある。
支那の本質が見えてきた昨今、反動のように日本を正しく評価する声も出てくる。
そういえば過去、杉原のことをまったく無視してきたニューヨーク・タイムズに1ページを使って彼を褒め上げる記事がどんと載った。
これも支那の化けの皮を剥ぎつつあるトランプのおかげかもしれない。