文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
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習氏のこうした軍部との長く強いつながりはその後、どのような意味を持ったのでしょうか。

2018年08月05日 09時25分39秒 | 日記

以下は前章の続きである。

―文化大革命後の習近平氏は? 

「彼は清華大学に入学し、卒業しました。そして、卒業後すぐの軍部への最初の接触は1979年に耿颶氏の秘書になった時から本格的に始まりました。耿颱氏は共産党の人民解放軍の著名な軍人で日中戦争や国共内戦で活躍した人物ですが、中国建国後は外交に転じ、合計6ヵ国の中国大使を務めた異色の経歴があります。習近平氏は耿氏の秘書を1982年まで務めました。この間、耿氏は党中央軍事委員会の副主席、国防相、副首相という重要ポストに就いていました。習氏はその間に政治や外交、党の実務だけでなく党と軍の関係を学び、多数の軍人とも交流したのです」 

-こうした軍とのきずなは中国共産党の他の国家指導者もその昇進の過程で得ることがよくあるのでしょうか。  

「いえ、この点で習氏の最高指導者としての経歴は異端なのです。近年の他の最高指導者たちは共産党の党務や政府の行政任務に専念し、人民解放軍との直接のかかわりはないまま、トップの座にあがってきたといえます」

以下は前章の続きである。

特別なきずな

―習近平氏はその後、中国南部の福建省で長い年月、勤務しましたね。 

「はい、そこでの勤務で人民解放軍とのつながりをさらに強めたのです。習氏は福建省では当初、厦門副市長となりましたが、この厦門市には軍の第31集団軍の司令部がありました。習氏のこの司令部の軍人たちとのきずながその後、長く続くことになります。その後、習氏は福建省内の福州市党委員会書記を経て、2000年には福建省長となりましたが、その間、福州軍区の党書記や福建省国防動員委員会副主任など軍関係のポストにも就いてきました。2002年に49歳で浙江省の党委員会書記に就任した後も、習近平氏は浙江省軍区党委員会第一書記、南京軍区国防動員委員会副主任、浙江省国防動員委員会主任などを兼任して軍部とのきずなを保ってきました。このころから中国共産党全体で将来を期待される次期最高リーダー候補たちの間では、習氏は人民解放軍との特別のきずながあると評されるようになったのです」

―習氏のこうした軍部との長く強いつながりはその後、どのような意味を持ったのでしょうか。 

「まず習氏が最高権力を握っていく過程の人事の面で、これらの福建省などで親しくなった軍人たちをどんどん重要ポストに抜擢しています。第31集団軍や福建省勤務の旧知の軍人たちです。人民解放軍全体に影響力を持つ国防大学や軍事科学院のトップ人事でも、習氏の過去の個人レベルでのつながりが顕著でした。こうした旧知の軍人たちの多くが、いま北京にいて習近平体制を支えるとともに、中国の総合的な軍事戦略やドクトリンの作成にかかわり、中央軍事委員会にも加わって、軍全体の実際の作戦計画をも立てているのです」

この稿続く。

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