以下は前章の続きである。
なぜ世界に追随してしまうのか
―藤原先生は今年一月、『管見妄語 常識は凡人のもの』(新潮社)を著されました。なかでも印象に残っているのが、文明開化に伴う夏目漱石の葛藤を引いて「我が国の伝統や文化、情緒やかたちを忘れたまま、政治も経済も何もかも、世界がその方向だからというだけで追随している」という憂いを記された箇所です。
藤原 わが国が世界の趨勢に追随してしまう理由として、日本人の弱さと共に「謙虚さ」が挙げられます。
かつて幕末、明治維新のころは帝国主義の全盛期で、世界の制覇を目論む西欧列強がアフリカや中近東、アジアを平らげて極東の日本に達した時代です。
その際、あろうことかわが国が西欧文明に対して引け目を感じてしまった。
とりわけ日本の指導者が、文明開化の波に圧倒されてしまったのが致命的です。
本来なら、欧米の指導者を掴まえて「おまえたちは帝国主義を恥ずかしいと思わないのか」と一喝すべき局面だったと思います。
武士道精神に悖る帝国主義の植民地支配、人種差別に対し「弱い者いじめをするな」と。
それが囗に出せなかったのは、わが国に皇室という二千年の歴史や美しい自然、日本語が生んだ圧倒的水準の文学がありながら、その「誇り」を一瞬、西洋の進んだ文明に目が眩み、忘れてしまったからではないか。
富国強兵や文明開化は必要でしたが、「私どもの国に誇れるものなどありません」とつい己を卑下してしまったように思います。
しかし、欧米人に謙譲の美徳は通じません。
結果として、彼らは日本を見下すことになりました。
江戸時代に幕府が結んだ不平等条約のうち、関税自主権は締結からじつに50年以上、明治44(1911)年まで返ってこなかった。
アメリカやイギリスは日本の自主権を頑として認めず、関税を一方的に課して巨大な儲けを出し続けました。
このため明治時代を通じ、わが国の財政は火の車でした。
大正3(1914)年に始まった第一次世界大戦のおかげで、ようやっとすべての借金を返済することができました。
お金が絡む問題に冷酷なのは欧米の習性なのです。
この稿続く。