文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した

2018年10月20日 19時30分00秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


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