文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

何故、パリは、ああも簡単にナチスの軍靴に下ったか…ここが着目させたのだった。

2012年01月14日 11時51分26秒 | 日記
文中黒字化は芥川。

この20年を空費しただけでなく、国力を大きく喪失した日本にとって、今回アメリカがついに提示した世界戦略の新方針に対しては、もはや追随以外に選択肢の余地はないだろう。

というより、自らの国力の喪失と共に中国の予想外の急速な膨張によって、近年、国家運営上の「深刻な窮地」に陥っていた日本にとって、このアメリカの転換は、「千載一遇のチャンス」でさえある。これを契機とし、今まさに、日本は、遅ればせながら、新たな国家戦略を打ち出す好機を迎えているのだ。

戦間期のフランスと相似形の現代日本

しかし、それがまったくできていないのが現実である。根底には、国家戦略を打ち出すために不可欠な「国家観」の欠如がある。
今まさに、日本は国家喪失への道を突き進んだ1930年代のフランスと全く相似形として重なってくる。

当時のフランスは、ヒトラー率いるドイツの脅威が日増しに高まっているにもかかわらず、その現実を直視しようとしなかった。
「観念的平和論」が国中を覆っていたからである。

背景には、第1次世界大戦の悲惨な経験からもたらされた、いわゆる反国家的思想があった。「国家、国益という議論をすれば、再び戦争につながる」と考え、国家という単位でものを考えること自体を拒否した。

「国家観の喪失」に由来する「国家戦略の忌避」があったのである。それゆえ、ドイツの脅威が高まっても、「ナチスによる占領も、戦争よりましだ」「衰退するフランスが活力あるドイツと張り合っても結果は見えている」「ドイツの言うことを聞いたほうが戦争にはならない」といった議論が識者・メディア・国民を含め、日常的に当たり前のようになされていたのである。

国家観を喪失したうえに国際潮流にも眼をそむけつづけたフランスは、時代に見合った近代的な軍備を構築しようとはしなかった。しかも、いざとなれば、米英が助けてくれるだろうと思い込み、ただ延々と国境地帯に要塞群の「マジノ・ライン」を作り、そしてドイツの脅威について考えることをやめた。

そのために結局、一瞬にしてパリはヒトラーの軍靴に踏みにじられたのである。

『フランス敗れたり』(ウェッジ)の著者であるフランスの作家アンドレ・モーロワは、この状況を「不道徳なほどの無感覚」と喝破している。

…後略。 以下、続く。

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