以下は前章の続きである。
神無き国の「歴史」信仰
それではどうして、韓国や中国は、「歴史! 歴史!」と言って、歴史認識問題で日本にケンカを売り続けるのであろうか。
それも自分たちに都合よく作った、「書かれた歴史」であり、民族に染み付いた、歴史的個性というか、つまり体得された歴史態の方ではない。
華夷秩序や李朝宮廷のイガンヂルとか、社会習俗のヌンチとかは、「韓国史」に全然書かれていない。
書かれているのは、韓国が善で、日本が悪だという、善悪史観、それに自分たちが素晴らしいという自尊史観だけである。
なぜ彼らがこうも歴史にこだわるのか。
日本人ならば近代の実証研究の基盤があるから、出来事の連鎖に矛盾のない歴史を書けばよいのだと、みなが知っている。
ところがこれが、中国人や韓国人にはどうにも分からないのである。
なぜなのかと、私も長年考え続けたのだが、どうもこうとしか言えない。
まず結論から言ってしまおう。
「彼らは世界ではまれな無神論地帯の住人であり、自分たちの祖先崇拝しか知らない。代わって日本人は有神論地帯にいるのだが、隣国が無神論地帯のため、宗教論争や宗教戦争を経験したことがない。ゆえに宗教的にはまったく無自覚で寺社のお詣りをしているのに、神様を信じていないと言ったりする」。
中国や韓国では、どこの国にもいる動物神や自然神やご利益神以外の抽象的な神らしきものも実は神ではない。
道教の玉皇大帝には旧暦の1月9日という誕生日がある。
人間なのだ。
彼らにとっての本物の神は、自分たちの宗族(男系血族)の祖先神であり、他家の祖先は全部ゴースト(有鬼、亡霊)にすぎない。
ゆえに日本の神社に祀られた神々も全部ゴーストとしか思えない。靖國神社もしかりである。
中韓は自国の「書かれた歴史」を偶像のように無欠と信じて、日本に歴史認識の変更を迫ってくる。
とすれば、世界の諸民族・諸国民にとって偶像は神をかたどった神の代わりであるから、中韓は「書かれた歴史」を神の代用として疑似宗教戦争を仕掛けてくるのだ、と言えるのではないだろうか。
なぜならば、中韓は神がいない、
無神論地帯だから、神では相手の信仰を攻撃できない。
宗教戦争は信仰の争いであるから、自分の信仰に他者を屈服させればよい。
この目的のために、神に代わる自分たちの歴史信仰を押し付けようとする。
以上の罠に日本は、はまってしまったのだと思う。
この稿続く。