文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日本は敗戦後すぐに航空禁止令を布告され、存在する飛行機は破壊され、航空機メーカーと航空会社は解体され

2016年12月06日 14時54分27秒 | 日記

以下は先日、インターネットで発見した記事である。

この記事が記憶に残っていた時、櫻井よしこさんの見事な論文が産経新聞のフロントぺージに掲載された。

先ずはネットの記事をご紹介する。

文中強調は私。

日本は敗戦後すぐに航空禁止令を布告され、存在する飛行機は破壊され、航空機メーカーと航空会社は解体され、大学授業からも航空力学の科目は排除された

日本企業の航空機運航や航空機製造が全面解除されたのは52年の独立からさらに5年を経た57年。

この制約のため、戦前・戦中を通じて実践的に鍛えられた航空機設計者と製造技術者が数多くいたが、バイクや自動車など別の製品の開発・製造に転身するほかなかった。

航空機開発からの排除が、自動車の革新的発展や家電製造の隆盛など民生品製造の覇者につながったとも言えるが、より高いレベルの産業技術とより広い裾野を持つ航空機産業は思うように育成できなかった。

悲願の国産旅客機として開発されたYS11も、構想が発表されるや、米英の航空機メーカーは自社機のライセンス生産を持ちかけ潰されそうになった。

YS11の開発も、MRJと同じように困難を極めた。

「三舵問題」と呼ばれた操縦性の悪さと空力特性を改善するためにより多くの時間を要し、アメリカ連邦航空局の型式証明を取得する審査の過程でも問題が指摘され、メディアは「飛べない飛行機」と酷評した。

64年の東京オリンピックの国内聖火輸送に間に合わせるかたちで国内の型式証明がおりた。YS11は総数で182機生産し、1973年に生産終了となった。そして、構想されていた後継機YS33の開発計画も頓挫して国産旅客機製造は長いトンネルに入った。苦労して開発製造販売にこぎ着けたYS11の貴重な技術の継承も限定的なものになってしまった。

今回のMRJ開発が遅れた要因として、上の表にはないがエンジンメーカーの対応遅れもあった。これは、開発を遅らせただけでなく燃費の優位性も消滅させてしまった。

とにかく、世界に向けて輸出しなければ採算が合わないが、そのためにはアメリカ連邦航空局の型式証明が必要だから、米国が、日本の航空機産業に対して生殺与奪件権をもっていると言える。

MRJを民間旅客機開発再開の第一歩と考え、今後は、日本単独ではなく旅客機分野で立ち後れている旅客機需要が大きい国との共同開発に向かわなければ、YS11の二の舞になってしまう可能性が高いと思う。


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