文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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一体、横尾忠則の、どの画業が、藤田嗣治の画業に匹敵するというのか?朝日新聞などの覚えがめでたい以外に、どんな才能が彼に在ると言うのか?

2018年11月21日 21時12分57秒 | 日記

今、京都国立近代美術館で開催されている藤田嗣治展で、私が、初めて彼を展観した事は既述の通り。

何故、今まで、一代の天才である彼を展観して来なかったのかは、私が4年前の8月まで、長い間、朝日新聞の購読者だったからであることも既述の通り。

今、2011/9/11に、私が朝日新聞の読書欄から発信した記事をネットで発見したのが以下の記事である。

この記事を読んで私が思った事は、横尾忠則というのは、チンピラに等しい、下らない男である、と言う事である。

一体、横尾忠則の、どの画業が、藤田嗣治の画業に匹敵するというのか?朝日新聞などの覚えがめでたい以外に、どんな才能が彼に在ると言うのか?

私が彼について、感覚的に思っていた事が全く正しかった事を知らせる書評だった。

2人の戦争画家 二つの人生  評・横尾 忠則 美術家

戦争画を描いた画家は何人もいたが、本書で槍玉に挙げられるのはその代表格藤田嗣治と横山大観だ。藤田の「国際派」に対して大観の「国粋派」。大同小異だが対比の分析が実に痛快(小同大異)。

藤田と大観だけでなくオレだって戦争画描いているぞと言いたいが残念ながら当局からの要請ではない(笑い)。子供時代の戦争の死の妄想と記憶の恐怖を吐き出すためだ(私事)。藤田といえば「乳白色の肌」で、エコール・ド・パリの寵児がよりによって「乳白色の肌」を描いた同じ筆で「アッツ島玉砕」の戦争画を描いたからサア大変。

一方国粋主義者の横山大観は、民族精神を描く「彩管報国」の画家として日本画壇の頂点を極めた人。その彼の絵には戦闘風景は一枚もない。だけれど国家戦略の象徴に富士山を選んだ(頭いい)。そして「富士山」を売って戦闘機4機を国に贈った。

さてパリでの藤田の成功の反動は、西洋への媚や嫉妬となって日本に逆輸入(あゝ怖)。祖国に対する憧憬とコンプレックスの藤田は国内の評価の回復を視野に入れて、帰国と同時に次なる手は愛国画家として再登場を計り、打って出た(私見)。

同じ日本人画家でもアメリカに骨を埋める覚悟の国吉康雄とはエライ違う。日本を追われるようにパリに帰る途中アメリカに立ち寄った藤田は国吉からも相手にされず、「寵児」を待つはずのパリでも冷水を浴びせられる。スイス・チューリヒで81歳で死去。

ともに「戦犯」の汚名を着せられながらも、藤田の低迷に比べて大観は日和見的政治手腕によりこの難関を突破、戦後再び画壇に返り咲き。

「彩管報国」の富士山はそのまま日本美の象徴として新たな光彩を放ち始めた。日本を舞台に展開した2人の戦争画家の二つの人生だ。藤田がアメリカへ発つ日、しみじみ述懐。「画家は絵さえ描いていればいい」(戻)。

幻戯書房・2940円/しばさき・しんぞう 46年生まれ。元日本経済新聞記者。『魯迅の日本 漱石のイギリス』。


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