以下は2018-07-18に発信した章である。
日本国民のみならず世界中の人たちが再読しなければならない章である。
成り立ちがいい加減なものだから国連はろくでもない組織であり中国や朝鮮半島などような国や左翼過激活動家分子たちに好きな様に操られている組織なのである…との私の論説の正しさも証明している章でもある。
以下は前章の続きである。
大戦に関与したソビエト・スパイ
渡辺
今年六月に上梓した拙著『第二次世界大戦アメリカの敗北』(文春新書)に詳しく書きましたが、ルーズベルトやチャーチルは戦時中の日本とドイツを全体主義、軍国主義の「悪魔の国」と宣伝する一方で、共産主義のソビエトを民主主義国として国民に説明しました。
ところが連合国が「二つの悪魔(日独)」を敗戦させたあと、何が起きたか。
ルーズベルトもチャーチルも、何一つ明確なプランをもっていなかったのです。
チャーチルの第二次大戦に懸ける思いはただ一つ、「栄光の大英帝国を維持したい」ということだけでした。
またルーズベルトの頭には、「四人の警察官(米英中ソ)で世界秩序を再構築する」というおとぎ話のような妄想があったにすぎない。
四人の警察官による新しい集団安全保障機構(国際連合)ができた暁には、ルーズベルト自身がその長になることを夢見ていたのです。
ヤルタ会談時、ルーズベルトの健康はすでに死を間近に迎えるほど悪化していましたが、スターリンはルーズベルトが人生最後の場面で、国際連合設立のためならあらゆる妥協をする、と踏んでいました。
根拠として、ハリー・デクスター・ホワイトとアルジャー・ヒスという二人のソビエト・スパイが政権の中枢に食い込み、ルーズベルトの考えていることをほぼ正確につかんでいたのです。
二人のうちホワイトは、実質的な対日最後通牒である「ハル・ノート」の原案を書いた人物としても知られています。
ただその影響力については、いまだに過小評価されているところがある。
ホワイトは、ルーズベルト政権で11年の長きにわたって財務長官の座にあったモーゲンソーの右腕でした。
モーゲンソーの出世の入り囗は、ルーズベルト宅の近所に自邸があったことに始まります。
彼がルーズベルト政権の実質ナンバー2として重用されたのも、要は大統領の「お気に入り」だったからです。
ただしモーゲンソーの専門は農業であり、経済全般には疎かったため、ホワイトに頼ることが多かった。
こうして経済学者としてはきわめて優秀だったホワイトの意見がモーゲンソーを通じてルーズベルト政権に伝えられ、政策に反映されるようになりました。
財務省の役人にすぎなかったホワイトが管轄外の外交分野にまで影響力を及ぼし、「ハル・ノート」の原案を書くことになった。
つまりソビエトのスパイであったホワイトがルーズベルト政権の政策立案過程の多くの場面で実質ナンバー3で振る舞えたのです。
以前、ホワイトは財務省の人間なので、国務省マターである外交に口を出せるはずがない(重要人物のはずがない)、という記述を読み、唖然としたことがあります。
当時のホワイトハウス内の好き嫌いの感情を含めたインフォーマルな人間関係を知らないと、歴史の因果を読み誤ってしまう危険があります。
中西
タテ割りが徹底している日本の霞が関の常識を、アングロ・サクソンの政権運営とりわけ大戦当時のアメリカに当てはめてはいけません。これは日本の昭和史家がつねに陥る深刻な誤りの一つなのですが、いまだに改める気配がありません(苦笑)。
そこで百歩譲って彼らにもわかるように説明をしますと、1939年7月、日米通商航海条約の破棄通告から始まる一連の対日経済制裁は、アメリカ財務省の主導で行なわれていたことを忘れてはいけません。
さらにその後の屑鉄の禁輸や在米資産の凍結、石油の全面禁輸なども同省のイニシアチブで次々と実施されていきます。
そしてこれらはすべてホワイトを側近として重用していたモーゲンソーの指揮下で行なわれました。
対日制裁の起点となった1939年夏の日米通商航海条約の破棄通告は、日本をして日独伊三国同盟(1940年9月)に走らせたし、その後の一連の対日制裁の段階的な強化が日本を対米開戦へと向かわせた。
これはまさしくルーズベルトの望んだとおりだったわけですが、それにはモーゲンソーの腹心として力を振るったホワイトの役割がきわめて大きかった。
渡辺
さらに、ソビエトの敵であるドイツの農業国化を決めたモーゲンソー・プランを策定したのもじつはホワイトでした。
彼はトルーマン大統領の時代にソビエトのスパイであると疑われ、HUAC(下院非米活動委員会)による非公開証人喚問を受けます(1948年8月14日)。
その2日後、ホワイトは謎の死を遂げる。
国家反逆罪で起訴されることを悲観しての自殺と思われますが、確証は得られていません。
中西
ホワイトは日本を対米開戦(真珠湾攻撃)に追い込んだ「ハル・ノート」の原案者であり、なおかつもう一人の大物スパイであるアルジャー・ヒスがソビエトの対日参戦を促したヤルタ密約にも深く関与していたとなると、この二人のソビエト・スパイの存在は第二次大戦史において決定的な意味をもったといわねばなりません。
それを、あえて「陰謀史観」として斥けようとする昭和史家は、たんに自らの旧説を守ろうとしているだけだと思います。
その意味でも、ヒスやホワイトなどルーズベルト政権内にいた多くのソビエト・スパイの活動に迫る渡辺先生の『第二次世界大戦アメリカの敗北』は、ぜひ多くの日本人に読んでほしい本だと思います。
この稿続く。