週刊新潮が今日発売された。
今週号でも高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるとの私の評が正しい事を実証している。
支那の限界
満洲族の清王朝は二つの都を持っていた。
一つは北京の故宮。
もう一つが熱河の承徳宮で、清王朝はここにモンゴルやチベットの王族を招き、互いの友誼を確認した。
乾隆帝は回族の美女、香妃を娶り、彼女のための宮殿もここに建てている。
では故宮は何のためかというと家奴(奴隷)漢民族を監督する場所だった。
実際、満洲人は漢人を本気で見下していた。
通婚を禁じ、だから後宮にも漢人の女は入れなかった。
漢人は髭も髪も伸ばし放題だったが、それをやめさせ辮髪にさせた。
漢人は黒い穴だらけの石灰岩、太湖石を好んだが、乾隆帝はその不気味な石をくそみそに腐している。
自尊心だけは強い漢人はその差別が悔しい。
それで香妃は満洲人を嫌って自殺したとか作り話を流行らせて憂さを晴らしていた。
その満洲人支配は20世紀初めの辛亥革命で終わり漢人はやっと奴隷身分から解放された。
先の大戦後にインドが英国の植民地から解放され、独立できたようなものだ。
ただ、そこは食えない漢人だ。
孫文は漢人国家ができると「清朝の版図をそのまま我々が引き継ぎたい」と言い出した。
いやお前は奴隷身分で俺たちは同盟国家だ、身分を偽るなとチベットやモンゴル、回族は怒る。
独立インドが「大英帝国を継承します。英国も豪州もカナダも私の下に入りなさい」と言うようなものだ。
世界も孫文ら漢人の思い上がりを嗤ったものだ。
そんなところに米国がでてきた
この国は日露戦争のあと日本を「白人国家の敵」と見てあらゆる滅ぼし方を研究していた。
その一つが漢人の抱き込みだった。
北京に清華大を建て、日本に向かっていた留学生を顎足つきで米国に誘った。
親米反日の支那人を養成するためだ。
宋美齢に胡適、顧維釣、董顕光、伍廷芳、施肇基など蒋介石周辺で蠢いていた連中はみな米留学生上がりと思って間違いない。
この稿続く。