以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之が月刊誌正論の巻頭を飾って連載している「折節の記」からである。
11/1に発売された今月号においても、彼は、私の上記の評の正しさを実証している。
まともな頭脳を持った人間がジャーナリストとしての人生を選択して、日夜、事実の追及と検証に励んだならば、誰もが彼の様に博識な人間になるのが当然なのであるが、
彼が唯一無二の人間である事実が、指し示している事は、彼以外の殆ど全てのジャーナリストを自称している連中は、朝日新聞の記者やNHKの報道部を支配している連中、現在の代表としての有馬等が体現している様に、
自虐史観、反日思想、似非モラリズム、共産主義、マルクシズム、ポリティカル・コレクトネス等で、もはや真実が見えない人間たちなのである。
だからフェイクニュースが絶えない。
文中強調は私。
日本海海戦は明治38年5月27日午後1時過ぎから始まって大勢は最初の数時間でほとんど決した。
まず戦艦オスラビアが燃えて全乗員とともに沈んだ。
艦底の「機関室には200人が閉じ込められたまま沈んだ」とノビコフ・プリ-ボイの「ツシマ」にある。
続いてアレクサンドル3世が沈み、司令官ロジェストウインスキーの乗る旗艦スワロフも燃える鉄屑と化した。
司令官も負傷し、駆逐艦ベドヴィに担架で移された。
船足が遅く、ために日本艦隊の目を免れたネボガトフ提督のロシア第3艦隊も翌28日払暁に東郷平八郎の艦隊に捕捉された。
「日本艦隊は昨日の激戦がなかったかのようにマストも煙突も何も傷ついていなかった」(同)とネボガトフ提督の驚きを記している。
やがて距離を縮めた日本側が砲撃を始める。
砲弾は正確に提督の戦艦二コライ1世に集中する。
提督は降伏を決め、部下に白旗を上げるよう命じた。
しかし日本側の砲撃はやまない。
その辺をアルゼンチン観戦武官ドメク・ガルシアは「ロシアの戦闘旗は白色だったために日本側が誤解した」と著書で述べている。
ネボガトフもそれに気づいた。
「急ぎ軍艦旗を降ろして日本の旗を掲揚しろ」
「エンジンを止めて停船せよ」を命令した。
日本側は砲撃をやめた。
これが降伏の手順で、手順はまだ続く。
提督は短艇を下ろして旗艦三笠に向かう。
艦上で東郷平八郎に敬礼し、帯剣を外して東郷に手渡そうとした。
ガルシアの書では「東郷はそれを押し止めて帯剣を許した。随行のロシア士官にも帯剣を認めた」「降伏の恥辱を少しでも和らげるための計らいだった」とある。
この帯剣引き渡しまでが現場での一連の降伏の形となる。
ここで第3艦隊の降伏について戦艦アリヨールに乗っていたプリボイが興味ある記述をしている。
旗艦二コライが停船し、白旗を掲げると、それに従う装甲海防艦セニャーウィン、同アプラクシンとアリヨールが旗艦に倣い「機関を止めて艦を停止させ、マストに日本の旗、旭日旗を翻した」と。
降伏する際に、それを相手艦に伝えるために自艦のマストに掲げる旗は相手国の軍艦旗、相手艦が日本艦ならあの旭日旗なのだ。
韓国は済州島で行われた国際観艦式に参加する自衛艦に日本の海軍旗、旭日旗は戦犯旗だから掲げるなと非礼な申し入れをした。
戦犯の旗とは何だ。
サッカーの試合で猿真似をした下品な韓国人選手が口から出まかせを言った。
日本人を困らせるためならどんな嘘も喜ぶヘイト韓国人はそれを大喜びした。
歴史を見ればこの国は日本と正面、戦ったこともない。
経国済民も思うに任せず日本に統治を委ねた忌まわしい過去はある。それをヘイト言動で覆い隠してきた。
日本はすでに通貨スワップをやめた。
同じようにこんな国家的なヘイト行動を続けるなら国交レベルも大幅に下げるべきだろう。
その前に最後の忠告をしたい。
将来、いつの時点になるか、韓国艦が日本の艦隊とまみえるときがあると思う。
そのときは降伏用に旭日旗を用意した方がいい。
さもないと日本側は降伏したとは見做さないから確実に撃沈するだろう。
ヘイトにこだわって国際ルールを守らないととても痛い目をみるということだ。
この稿続く。