以下は前章の続きである。
他国を圧倒する日本の型
-日本の指導者やエリートが誇りを失いはしめたきっかけは、どの時代にあるのでしょうか。
藤原 本を正せば、明治時代です。
札幌農学校を出てアメリカのジョンズ・ホプキンス大学、さらにドイツに留学した新渡戸稲造が、明治29(1906)年に旧制一高(第一等学校)の校長に就任すると、西洋的教養を身に付け々せようとしました。
当時、一高などで学んでいた明治20年代生まれのエリートから、武士道精神や道徳、礼節、惻隠など「日本人の型」が徐々に忘れられていったことが問題でしょう。
武者小路実篤や志賀直哉、芥川龍之介などの作家も、「型を忘れたがゆえに他の型に圧倒されてしまった」ような気がします。
-志賀直哉は「日本語廃止論」を訴えましたね。
藤原 母語の徹底なくして教育はありませんし、真の国際人も育ちません。
幕末維新の遣欧米使節団や天正遣欧少年使節が世界で尊敬の念を浴びたのは、英語が上手だったからではありません。
海外の地に下り立った瞬間、道徳や礼節など堂々たる「日本人の型」を身に付けていたことが相手に即座に伝わったからです。
西洋社会において、道徳は専ら教会が教えるものです。
嘘をついて悪事を働いた者は死後に煉獄へ落とされる、という「恐怖」が道徳の根幹をなしている。
しかし日本社会において、道徳はあくまでも家庭の躾として学ぶもの。
罪と罰という面倒な論理ではなく、シンプルに「卑怯なことをしてはならない」。
卑怯を憎む心、惻隠、もののあわれなどの美的情緒、といったものこそ他国を圧倒する日本の型というべきものです。
この稿続く。