以下は先日発売された月刊誌HANADAセレクションに小川栄太郎氏が掲載した論文からである。
日本国民全員が必読の書である。
見出し以外の文中強調は私。
日本のマスコミに「言論の自由」はない
小川榮太郎
疑惑ではなく「空気感」
佐川宣寿氏の証人喚問を見ながら、この1年2ヵ月の森友・加計騒動に暗然たる思いを馳せていた。
1年2ヵ月である!
日本も後進国に成り下がったかとの思いを禁じ得ない。
西暦7世紀に三経義疏と法隆寺を政治リーダーが作り、8世紀に記紀萬葉を成立させて以来、『細雪』『雪国』『豊饒の海』まで文化と民度の高い山脈が途絶えなかった国が後進国だったはずはない。
いま、文藝・思想の血脈の絶えた日本で、眼前に展開している異様な政治の光景は何事だろうか。
*私の読者は、彼のこの書き出しを読んで彼と私の間に通暁したものがあることに気づくだろう*
拙著『徹底検証「森友・加計事件」―朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(小社刊)に詳論し、本誌にも再三寄稿してきたが、森友・加計騒動は、朝日新聞が主導して仕掛けた「安倍疑惑」の「捏造」である。
その点に疑問の余地はない。
その仕掛けにテレビが乗り、何度も言論界が炎上しながら今日に至っているが、森友も加計も、当初騒がれていた「安倍疑惑」ではなかった。
1年2ヵ月大騒ぎしても、安倍夫妻関与の物証、金の流れ、便宜を図った証言は一切出ていない。
いつの間にか不正・不当な関与という次元での「安倍疑惑」ではないことになり、話は「噂」や「空気感」の流布にすり替わっている。
日本国家内外ともに最大級の危機の最中、順調だった政権をこんな問題で弱体化させて喜ぶのは、中国、北朝鮮など敵性国家だけだ。
この3月に入って財務省による文書書き換え問題が出てきたが、これも政権問題でないことは、太田理財局長の答弁および佐川氏の証人喚問から明らかである。
○太田理財局長 自分なりには、こう思って答弁させて頂いたことが、報道においては、それは新聞でいけば字数、テレビでいけば時間に限りがある中で、一部が報道され、必ずしも本意が伝わっていない、そういう報道をもとに次の質問がはじまるということになるわけですから、そういうことを気にして、(略)決裁文書の書き換えをしてしまったと、いうことだというふうに私共では認識をしておるという事でございます。(3月26日参議院予算委員会)
○佐川証人(理財局は)そんなに毎年たくさんの国会でのご質問を頂く部局ではないわけでございまして、そういう中で、毎日月曜から金曜まで、毎週その、何十問も先生方からご答弁のその通告を頂き、資料のご要求も頂き、それから外部からも情報開示請求を頂き、それで色んなチェックをしなくてはいけないという中で、理財局は人数多ございますが、それはやっぱり国有財産の担当部局でしかもその仕事はできないわけでございまして、そういう意味では大変な情況であったというのは事実でございます。(3月27日)
要するに、財務省理財局の書き換えは、切り取り報道によるバッシングと野党の質問攻めから現場の判断が混乱して生じた、と現場の責任者二人が証言している。
しかも佐川氏の場合は、偽証罪に問われる証人喚問での証言だ。
そこでの証言を疑わしいというなら、最初から証人喚問などやめ、拷問してこちらが聴きたい答えを言うまで殴倒して吐かせろという話であろう。
追及側の頭がおかしい
こうして、本筋だった「安倍疑惑」の実態がないことは、騒ぎが起こるたびに明白になる。
だが、それで話が終わるかと言えばそうではない。
今度は、安倍氏が「森友の国有地売却に妻や私、私の事務所が関与していたということであれば総理も議員も辞める」と言ったことが軽率だと批判される。
たしかに、拙著でもそのような趣旨の批判はした。
総理辞職という言葉は重い。
しかし、1年2ヵ月経ってまだこの発言の責任を問うのは、問うほうがどうかしている。
このような啖呵は、日本人の語感としてそれだけの確信があるという強意表現に過ぎないのは明白だからだ。
また、「関与」という言葉は、本来の行政決定の筋に総理夫妻が不当・不正に介入したという意味以外に取りようがない。
夫人への忖度も「関与」のうちだというところまで屁理屈を膨らませて政権や国政を壟断していいとなれば、風が吹けば桶屋が儲かり、カラスが鳴けば人類は滅亡するだろう。
この言葉から逆算して、安倍夫妻の「関与」を何とか発見しようと1年2ヵ月躍起になり、それで国政が遅滞したから断言したほうが悪いという批判は、長時間気違いの話を聞いているうちに自分もそれに染まってしまうに等しい。
職場で金銭の不正を疑われ、「もしそんなことがあれば自分は会社を辞める」と啖呵を切ったら、1円玉が事務机の中に入っているだけで不正の証拠だと騒がれ、経費で提出した領収書を「なぜ経費だと断言できるのか」と詰問され、いくら説明しても「納得ゆかない」と言われる。
そんな状況を啖呵のせいにされてはたまったものではない。
これは追及する側の頭がおかしいのであり、そんな言いがかりを容認する他のメディアやその土俵に乗ってしまう有識者、言論人の頭が弱いのである。
この稿続く。