文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

朝日や毎日を購読し、報道ステーションやニュース23等ばかりを観ている人たちには永久に分からない、真実

2015年09月21日 10時32分55秒 | 日記

月刊誌「正論」の今月号にも、朝日や毎日を購読し、報道ステーションやニュース23等ばかりを観ている人たちには永久に分からない、真実を知らしめる論文が満載されている。

以下は下記の評論家の12ページに渡る、正に「正論」である。

小川榮太郎氏 昭和42(1967)年生まれ。大阪大学文学部卒業。埼玉大学大学院修士課程修了。創誠天志塾塾長。著書に『約束の日i安倍晋三試論』『『永遠のO』と日本人』(以上、幻冬舎)、『最後の勝機(チャンス)』(PHP研究所)。『一気に読める「戦争」の昭和史』(KKベストセラーズ)、『小林秀雄の後の二十一章』(幻冬舎)を一挙刊行し、話題沸騰中。

黒字強調と*以下は私。

「公開質問状-首相を学問の名で恫喝した学者たちへ」

あの戦ひが世界史の中に初めて位置づけられた 

安倍総理による談話発表の記者会見を見た後で、妻が涙を流しながら言ひました。

「英霊が本当に喜んでゐる」と。 私は虚を突かれたやうに思ひました。 

歴史観がどう、政治的なメッセージとしてどう、言ひ回しやレトリックがどう……私の頭の中では、聞きながら、さうした論評が経巡つてゐましたが、一方で、絶えず、何か精神的に大きな事件に立ち会つてゐるといふ揺るぎない感触がありました。

妻の一言は、それを射当ててくれたと感じたからです。

英霊たちがこの談話をどう聞いたか…正に、日本国総理大臣による戦争に関する談話に、最も深く関与し、参加すべきなのは、何よりも、当時の日本人に違ひない。とりわけ身を以て戦場で戦ひ、戦死した人達に違ひありません。 

彼らは安倍談話をどう聞いたか。 

70年もの長きに渡り、日本では、自分たちの戦ひの歴史的な意義、戦ひに至った意味をはっきり語る事から、歴代総理大臣が、全員、逃げて来ました。 

それを、「安倍談話」は、近代帝国主義時代の世界史から説き起こし、日本がどういふ苦難の中で、あの戦争に突人したのかといふ歴史の流れを、初めてはっきりと語った。

凝縮された歴史認識とは言へ、総理が言外に描き出そうとした「世界史の巾の日本」の姿が如何なるものかは、歴史に通じた人問なら直ちに了解できる内容でした。 

これ程重大な価値転換があるでせうか。 

何しろ、日本の主流派歴史学が、70年間、「日本は狂信的な軍国主義の暴走によって、自ら勝手に、無謀な戦争に突入した」と、語り続けてきたあの戦争を、国際環境の中での苦闘によって、「新しい国際秩序」への「挑戦者」にならざるを得なかった国際文脈…新しいがミソです…に立つ談話を、総理が出したのです。 

本誌『正論』を始め、保守派論壇で流通してゐる歴史認識からすれば、東京裁判史観から脱却してゐない、アジア解放が語られてゐない、復興に際しての感謝がまるで戦勝国に媚びてゐるやうだ、などと思ふ人もゐるかもしれません。 

が、世界は保守派論壇ではありません。

日本の主流派歴史学が世界中で東京裁判史観=お詫び史観を日本の権威ある正史として宣伝し続けてきた。

その上、今の国際環境下では、東京裁判史観は、旧敵国(連合国)と、現在日本を敵視する二か国とを、日本封じ込めで連動させ得る微妙な政治装置になってしまってゐる。 

この二つの条件を無視した総理談話など出せる筈がない。

いや、出してはいけない。 

かと言って、この機会に「安倍談話」を出さなければ、「村山談話」が公式な政府見解として残り続ける事になります。安倍総理以下、以後の総理は皆、「村山談話」を踏襲すると言ひ続ける事になるのです。 

さう考へあはせた時、世界史的な趨勢の中での近代日本の立ち位置、日露戦争の意義を語りつつ、昭和の戦争を「侵略」ではなく、しかもリヴィジョニストといふ批判を巧みにかはして「新たな世界秩序への挑戦」と位置付け直した安倍談話は、日本が依って立つ歴史観の、戦後初の転換といふ程大きな意義があります。 

英霊が喜ばない筈がない。 

その上、総理は、もう謝罪を次の世代に背負はせないと明確に語りました。 

自分が英霊だったらどう感じただらうか。 

自分達が命を棄てて戦ひ、大義と祖国、郷里と家族の為に戦った戦争が理由となって、子孫が70年経っても謝罪し続け、あらう事か、指導的な日本の学問やマスコミが、率先して謝罪を国民に強要し続けてゐるその口惜しさと無念。……  

それを、総理が、やっと言葉にして、はっきり内外に発出してくれた、その事への英霊の安堵は如何ばかりだったらうと思ひます。  

一方「安倍談話」は、空前の国内外の反応を通じて、余りにも異常な日本の言論空間を炙り出すことにもなりました。 

「安倍談話」に対しては、国内世論が概ね評価をしてゐます。ネット上のヤフー意識調査では大いに評価とある程度評価が合はせて74%に上り、産経・FNNの評価でも57%が評価、数字の厳しい共同通信でさへ評価が43%で、評価せずの37%を上回ってゐます。

しかも、安倍談話を機に内閣支持率が一層落ちるといふ大方の予想を裏切り、支持率は上昇しました。  

その上、旧敵国アメリカでは、戦後日本を「平和や民主主義、法の支配に対する揺るぎない献身を行動で示しており、すべての国の模範だ」として、「安倍談話」を評価しました。

一方、中国・韓国でさへも、従来の高飛車な非難を控へ、中立的な論評に留めてゐます。  

ところが、朝日新聞は違った。談話翌日の社説で「いつたい何のための、誰のための談話なのか。(略)この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」と極めて強く非難したのです。 

国民が高く評価し、旧敵国、現敵国が、珍しく足並みを揃へて一定の評価を下した談話を、「出すべきではなかった」と一人で力みかへってゐる。 

いつたい何のための、誰のための社説なのか。 

国民の為でもなく、旧敵国や中韓両国の為でもないならば、一体、朝日新聞は、誰のために、ここまで力みかへつて、安倍談話を全否定したいのでせう。 

国内の主流派言説のかうした異常性が改めて炙り出された事は、今回の安倍談話の大きな副産物だったと思ひます。 

この稿続く。

 


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