この稿は、月刊誌HANADA今月号に、総力大特集 朝日新聞は正気か、いま日本に問われているのは「常識」を採るか、「狂気」を採るかだ、と題して掲載された小川榮太郎氏の論文からである。
大阪大学文学部で勉学に励み、埼玉大学大学院を修了して言論人となった小川栄太郎が、
幼稚と言うだけならまだしも、極めて悪辣な態様としか言いようのない、
中国や朝鮮半島の諜報機関のハニートラップやマネートラップに罹り彼らのエージェントとなっている者達が無数に存在していて、そのような者達に支配されていると言っても過言ではない、
日本の主流と称せられているメディアで続けられている反安倍等のこれ以上ない低劣な酷さの報道に対して、日本国民を代表して怒りの大音声を上げた論文である。
見出し以外の文中強調は私。
メモ書きで糾弾
昨年来、私は、朝日新聞の虚報による政変誘導劇を告発した『徹底検証「森友・加計事件」朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』で同社を告発してきたが、ここにきて朝日新聞の工作準備は終わり、事態はテレビや時事通信、共同通信をも大幅に巻き込んだ、マスコミ全体の狂奔的安倍潰しに進展してきたようである。
狙いは安倍氏の三選阻止である。
事柄の全てがバカバカしく、常識からかけ離れている。
国民は馬鹿げていることを感じているためであろう、団塊の世代を中心にした安倍憎しの人たちを除けば、関心は極めて薄い。
ただ騒ぎが続く以上、安倍政権や安倍首相に何か問題があるに違いないと感じているだけである。
最早、「親安倍」か、「反安倍」かではない。
「常識」か、「狂気」かが問われている。
ちょうど本誌が刊行される時期、国会では柳瀬唯夫元首相秘書官招致になるのであろう。
悪夢そのものであり、招致を要求する野党も、そうした誘導を続けたマスコミ主流もその罪は重いが、自民党の抵抗のなさもまた、どうかしていると言わざるを得ない。
財務省による文書書き換えの時は、私は佐川宣寿元財務竹理財局災を国会に呼べと主張もし、進言もしていた。
そこには文書書き換えという不正が存在し、組織的関与があったからだ。
しかし柳瀬氏の場合、愛媛県側の職員による覚書に名前や発言が出ているだけだ。
何ら公的な文書でなく、内容の証明も保証されていないただのメモ書きに、柳瀬氏の名前と発言が出ていただけだ。
しかも、その内容は何ら不正と関係がない。
ある陳情の席で何を発言しようと、だから何だと言うのか。
陳情の席で「大いに頑張ってください、総理も応援してくださっていると思いますよ」とか、「これは日本の発展のうえでも不可欠だから、総理の方針にも合致します」とかという類の発言が事実あったのだとしても、私は全く驚かない。
許認可の実際や権限に関して、陳情をどう上に上げるかなどについては無責任な発言は慎まねばならないが、陳情に来た人間の事業を応援する心情を表したり、助言するのは寧ろ当然ではないか。
権限や違法性の根拠がないまま、権威なきメモ書きを元にある人物を糾弾し、国会に呼べというのは、最早、革命政権の魔女狩りそのものだ。
あとは、国会議事堂の横にギロチンでも用意して、気に入らない奴を片っ端からつるしていったらどうなのだ。
そこまでに一歩手前の暴挙だ、どうして人々は気付かないのか。
この稿続く。